『死点』






 西、第3居住ブロック。
 が、とうに廃棄されたこの地区には人の姿はない。
 朽ち果てたビルが濁った空を覆う、その人工なる密林。
 誰もが立ち入らない、立ち入る必要のないこの場所で。

 「はっ・・・はっ・・・はぁ・・・」

 崩れたガレキに腰を落とし、息を整える女がいる。
 見た目には、少女とも女性とも形容しがたい年齢だった。
 その左頬はすりむき、うっすらと血がにじんでいる。
 袖がまくられたジャケット、そこからのぞく小麦色の腕にもいくつかの裂傷が見られた。
 なによりも、その小さな体に立てかけられた巨大な銃。
 成人男性の身長程はあろう、その銃は硝煙の匂いをたちこめている。
 女は戦っていた。
 今、この場所で。

 「幼体のバーミン・・・が・・・群れてるなんてッ!」

 いらだたしげに、拳をヒザの上に叩き付ける。
 彼女のこれまでの経験では、こんな事は一度たりとしてなかった。
 複数を相手にした事も、ある事はある。
 ただし、二体まで。
 が・・・
 彼女が今、相手にしているのは五体。
 ハンターとして生きる以上、生と死は投げ上げたコインの裏と表。
 だが、状況と装備、手段すら間違えなければ「死」の面の確率は下がるのだ。
 それでも、運というものは存在する。
 今の彼女がつかみ取ってしまった悪運のように。

 「ハプニングを楽しむほどの・・・腕なんて・・・・あたしにはないのよッ!」

 戦いが始まった以上、逃げる事はできない。
 逃れることはできないと言った方が正しいだろう。
 もはや彼女が生き延びるには、限られた装備と手段で獲物を狩り尽くす事のみ。

 「カートリッジを・・・換えないと・・・」

 すでに撃ち尽くしていた銃のマガジンを外し、新しいマガジンを取り出す。

 「最後の一本・・・泣けてくるわ」

 のぞきこんだバックパックには、たった一本のマガジンしか残されていなかった。
 この他の武器は腰のホルスターに収められたナイフが一本。

 「・・・・・・」

 瞳を閉じ、空を掲げる。

 「結局、子供扱いされたままだったなぁ」

 呟きは虚空に消え、彼女はゆっくりと立ち上がった。
 人が発するような殺意はない。
 ただ獣としての純粋なる食欲が、彼女の身体をなめまわしている。
 敵が再び現れたのだ。

 「留応、あたしが死んだら泣いてくれるのかな?」

 少し寂しそうに微笑んだ後、彼女の顔は戦闘者の表情へと変わる。

 「一体でも多く・・・!」

 彼女が走り出すと同時に、崩れたビルの陰から二体のバーミンが突出した。
 耳障りな咆哮とともに、彼女の柔肌を食らうべく歯をむいた。
 二本の足で地を駆け、二本の腕を持つ姿は哀しくも人間。
 香澄は近い方のバーミンへと銃口を向ける。

 「まず一体!」

 不運というものは続く。
 人の命とは、その螺旋の上で哀れにも無力である。
 トリガーは空転するような乾いた音を立て、響くべき銃撃を否定した。

 「え・・・・・・?」

 その瞬間にも、バーミンはあと数歩の距離まで迫っていた。
 バーミン。
 人のようであり、人でなきもの。
 それは変わり果てた人間の姿である。
 原因不明の奇病であり、発病したが最期、おぞましい姿となり。
 そこに知性はなく、餌となる人間を探しては食らい続ける。
 土色に沈んだ皮膚、毒性を持った爪、人間を凌駕する筋力。
 香澄は巨大な銃を操り、それを狩る事で糧を得るハンター。
 つまりバーミンハンターであった。

 「どうして・・・こんな!」

 叫びとともに香澄は銃を投げ捨て、腰の後ろに手を回す。
 音もなく抜かれたナイフが、冷たく輝く。

 「やれる、私ならやれる・・・!」

 呪文のように唱え、一瞬の機を待つように全身の筋肉を緊張させていく。
 そしてバーミンが香澄に対して鋭い爪を向けた。

 「きゃ・・・!」

 衣服をわずかにかすめた爪は、空を切る。
 激しい風きり音が、香澄に恐怖を与えた。
 バーミンに対して、初めての接近戦だった。
 なおも、力まかせに両腕をふりまわし香澄に襲い来るバーミン。

 「く・・・・あっ!」

 その一撃は香澄の右手をかすめ、握っていたナイフを弾き飛ばした。
 勢いあまって地面へと叩き付けられる。

 「いた・・・・」 

 すぐに起きあがろうとした時、バーミンは天高く上げた腕を香澄に叩きつけようとしていた。

 「いや・・・」
 
 目をつぶった瞬間。

 ドンッ!

 銃撃音は、香澄の後方から響いた。

 「え・・・?」

 目を開けた時、バーミンはその手を掲げたままであった。
 土色のその胸には、えぐられたような穴があり。
 それでもバーミンが、上げた腕を振り下ろそうとした時。
 続けざまに銃撃が響いた。
 胸部、腹部、肩と弾丸は容赦なく撃ち抜いていく。
 それでも倒れないバーミンに。
 とどめとばかりに撃ち込まれた弾丸は、頭蓋を貫いた。
 命の鼓動を完全に止め、ゆっくりと後ろに倒れるバーミン。
 もう一体がたどった運命もまた同じく。
 数秒後には、穴だらけの肉塊と化して地面に崩れ落ちる。

 「だ・・・誰が?」

 背後を振り返った時、バーミンを倒した男は二丁のハンドガンを構えていた。

 「あとの三体も片づけておいた」

 こともなげに平然と言い捨てた男は、香澄のよく知る人物であった。

 「あ・・・う・・・」

 死の恐怖から逃れた安堵感。
 それとは違う理由で、香澄はうっすらと涙を浮かべていた。

 「あ、ありが・・・」

 香澄の言葉をさえぎるようにして、男が口を開く。

 「またまだ子供だな?」
 「!」

 男は笑いながらエンジンをスタートさせ、黒いバイクを躍動させる。
 そして軽く手を上げると、低いエンジン音を残して走り去っていった。    

 「人が・・・涙浮かべて・・・感謝してるってのに・・・」

 小さな両肩がワナワナと怒りに震える。

 「本当に嬉しかったのに・・・あの朴念仁・・・・」

 香澄は拳を振り上げ、男の名を叫んでいた。

 「留応のバカヤロー!!」





夜包街






 夜。
 色とりどりのネオンに支配されたこの街が、真の闇に染められる事はない。
 道を歩けば、客を引く女達。
 造られた笑顔と、性を象徴するかのような香水で男を誘う。
 そして男達は、一時の欲求を金で満たすために視線を回す。
 見上げれば霞む月。
 紫がかった夜空は、スモッグのフィルターが被せられている。
 排気ガス、汚水、廃棄物が作り出した有害なカーテン。
 昼夜を問わず輝き続ける街灯には、本来太陽が含むべき恵みが照射されている。
 あたかも、欲望と進歩に目を奪われた人の罪を現すように。
 俺は再び、前へと視線を戻して歩きつづける。
 並木通りとは言葉ばかりの歩道。
 樹に模された空気清浄システムが、静かに震えている。
 土の代わりとばかりにアスファルトの敷き詰められた大地。
 そこから新しい芽が吹き出る事はない。
 これより在るのは退廃と背徳。
 悪と罪、そして罰。
 負の要素が全て入り混じり、現代が息づいている。
 だが、俺は。
 もし神が在るとすれば、激昂するであろうこの街を。
 そして悪魔ならば、笑みを漏らすであろうこの街が。
 たまらなく気に入っている。





 俺はいつものように、ラーカンスのカウンターに座っていた。
 仕事を終えた後の俺は、常にここにいる。
 習慣じゃない。酒が特別好きなわけでもない。
 まだ興奮に震えている体と心を、少しでも抑えるために酒を飲む。
 ともすれば爆発しそうな感覚を、アルコールは吸収してくれるのだ。
 今日もそうだ。
 俺の前にはウイスキーのグラスが、置かれている。
 それが空になりかけた時、新しく酒が注がれた。
 俺は顔を上げる。
 
 「留応、聞いたぞ」
 「・・・何を?」
 「香澄の獲物を横取りしたそうじゃないか?相変わらずだな」
 「その事か」

 からかうような口調は、この店のマスターだった。
 かつては俺と同業者だったらしいが、負傷の為に引退したらしい。
 引きずるように歩く右足は、おそらく義足だろう。
 
 「香澄が追い詰められていたから、手助けしたまでだ。賞金までは横取りしちゃいない」
 「それが気に入らないんじゃないか?」 
 「なぜだ?弾丸も使わず、ケガもリスクもない」
 
 肩をすくめるマスター。

 「ハントしたのはお前。だが賞金は持っていかない。それが気に入らないんだよ。香澄にとっちゃ、情けをかけられたと受け取るだろ?」
 「そんなものか」
 「それに・・・香澄も女だからな。好きな男の前では・・・ってのもあるだろう」
 「・・・・」
 「気づいているんだろ、あいつがお前の事をどう思っているかぐらい」
 「俺から見れば、ただのガキだよ」
 
 と、背後で店のドアが激しく開けられた。
 客が一斉にそちらを見る。
 無数の視線を向けられた客は、構うことなく俺の方へと近づいてくる。
 俺はわざわざ振り返らないが、それが誰だかはすぐにわかる。
 
 「巻き添えはゴメンだ、酒がなくなったら呼べ」
 「ああ、マスター」

 逃げるように、おどけて他の客のテーブルへと向かうマスターを見送り。
 俺は隣のカウンターテーブルに腰掛けた客に視線を向けた。

 「ご機嫌ななめだな?」
 「誰のせいだと思ってんのよ!」
 「さぁな」
 「あんたよ、あんたが余計なコトするからよ!」
 「香澄、大声を出すな。酒がまずくなる」
 「あんた、ホントにむかつく奴よね!」

 香澄はその幼い顔を怒りで満たし、俺につっかかってくる。
 その身長ほどもある銃を、乱暴にカウンターにたてかけながら。
 長い三つ編みと小麦色の肌が特徴的な小柄な女だ。様相だけなら少女。
 これで二十歳というのだから、信じられない。  
 それよりも同業者という方が不思議だが。

 「あんた、何か企んでんじゃないの?」
 「どういう事だ?」
 「今日で三回目よ、仕留めるだけ仕留めて、かってに消えたのは!」
 「何も企んじゃいないさ、たまたま通りかかっただけだ」
 「嘘よ!あんな場所、誰がたまたま通りかかるってのよ!」
 「じゃあ、お前の運が良かったんだな」
 「何よ、それ!」
 「結果としてケガも何も無かったんだ、良しとしろ」
 「その態度がむかつくのよ!保護者のつもり!?」

 俺は笑いながら、

 「そうだな、お前は可愛いからな」
 「な、な・・・なによ!・・それ・・・」
 「まだ未熟なお前をほっとけないだろ!」
 「余計なお世話よ!」
   
 香澄はテーブルをドンドン叩き、マスターを呼びつける。
 苦笑しつつマスターがグラスを香澄の前に差し出す。 

 「マスター、お酒ちょうだいよ!横のバカより強いヤツ!」
 「やめとけ、悪酔いするぞ?」
 「あたしは客よ!」
 「わかった、わかった。そう怒鳴るな」
   
 諦めたように、俺と同じ銘柄の酒をグラスに注ぐ。

 「ちょっとマスター、留応より強い酒って言ったのに、何で同じのなの?」 
 「うちの店には、これより強い酒は置いてないってコトだ」
 「な、なら、しょうがないわね」
 
 そのグラスに口をつけ、香澄が一つ喉を鳴らす。

 「別にどうってこと・・・・」

 香澄の顔がみるみる赤くなっていく。

 「マスター、水」
 「はいよ」

 俺が言うと、マスターはあらかじめ用意しておいたのであろう水を差し出した。
 横から香澄がそれを奪い取り、一気に飲み干す。

 「だから、やめとけって言っただろうが」

 呆れたようにマスター。
 俺はそれを横目に、自分のグラスを傾ける。

 「あ、あんた・・・よくこんなもの平気で飲めるわね・・・」
 「俺にはちょうどいいんだよ」
 「・・・・どこまでも、むかつく奴・・・」

 ぶつくさ言いながら、香澄は厚みのある封筒をカウンターに投げ置いた。

 「これは?」
 「あんたが仕留めた獲物の賞金よ、今日の分も合わせて八体分」
 「いらんよ、ただの気まぐれだ」
 「あたしが嫌なのよ!ちゃんと持っていきなさいよね!」
 「お前が持ってろ、邪魔になるものでもないだろう?」
 「だから、それがむかつくって言ってるのよ!」
 「わかった、受け取るよ」
 「わかりゃいいのよ」

 俺は手にした封筒を胸に入れる。
 納得した香澄の目が俺から逸れたとき、俺はそれを香澄のバックパックに忍ばせた。
 いまさら金に興味はない。
 ただ、香澄にはこれから先に必要になる時があるだろう。
 まだまだハンターとしては駆け出しなのだから。

 「まったく、あんたってヤツはさぁ」
 「はいはい」

 香澄の手には、新しくマスターから受け取ったグラスがある。
 店に二番目に強い酒とは言ってあるが、そうでも言わないとまたムキになる。
 
 「ちょっと腕がいいからって、チョーシに乗ってるでしょ?」
 「はいはい」
 「なによ、運が良かったとかなんとか、サイテーな日だったのよ、今日は!」
 「はいはい」
 「バーミンは群れてるし、銃は作動しないし・・・聞いてるの!?」
 「はいはい、聞いてるよ」

 益のない言い争いにマスターが苦い顔で眺めていると、再び店のドアが開かれた。

 「いらっしゃい」

 何気ない声と顔で、マスターが客を迎える。
 ただ、その表情が微妙に変わる。
 俺はいささかの興味を覚え、その視線を追った。

 「ほぅ、なるほど・・・珍客だな」

 その客の微笑みは、形容しがたいものだった。
 微笑みという感情だけを形にした、仮面のような表情だった。





『死点』     END to be C・・・・





『啓示』






 賑わうラーカンスは、珍客を迎えていた。
 黒ずくめの長い衣装。革製であろう、同色の手袋とブーツ。
 柔和そうな表情に丸いメガネをかけている。
 そして胸にかけられた銀のロザリオ。
 この店にやってくるような客の種類ではない。
 珍客は、辺りを見まわし、そして俺と目を合わせた。
 ゆっくりと近づいてくる。
 整った歩調、体重を感じさせない足取り。
 俺は心の中で感嘆しつつ、口を開いた。

 「神父でも酒を飲むのか」 
  
 皮肉めいた俺のセリフにも動じず、神父は横に腰掛けた。

 「神の下僕である前に、神父は人ですからね」
 「破戒僧だな」
 「人として欲求に従うのは在るべき姿ですよ」
 
 マスターが神父にグラスを差し出す。

 「ご注文は?」
 「隣の方と同じものを」
 
 俺の隣で、香澄がクスクスと笑っている。
 自分と同じように水を求めると確信しているのだ。
 
 「でも、これは・・・」
 
 マスターが言いかけた時、神父は涼しい顔で。

 「大丈夫ですよ」
 「なら・・・」

 琥珀色の酒が注がれる。
 神父は、グラスを手に取ると、一気に飲み干した。
 これには俺も意外だった。
 
 「近頃の教会では、宴会でも開いているのかい?」
 「酒は聖水のようなものです。神父が聖水に弱くてどうします?」
 「なかなか言うな、あんた」
 「麒麟と申します」

 麒麟と名乗った神父は、細い目をさらに細めて微笑んだ。

 「それで神父さんが何の用なの?お酒を飲みにきたわけじゃないでしょ。それとも布教活動でもしにきたの?」

 隣から香澄がしゃしゃりでる。

 「やけにトゲのある言葉ですね」
 「神に頼って生きるとか、何かに頼って生きる人って嫌いなのよ」
 「なるほど」

 麒麟はメガネをハンカチで拭き、かけなおす。
 たいして気にしている様子でもない。
 再び麒麟は俺に視線を戻す。

 「ハンターの留応さんですよね?」
 「ああ。どこで知ったのかは知らないが、留応は俺だ」

 腕が立つ者ならば、自然と名は知られる。
 そして俺は、バーミンハンターとしてこれまで生きてきた。
 人間が職とする中で、最も危険と言われるハンターとして独りで生きてきた。
 知らない相手が、俺を知っていても不思議ではない。

 「仕事を依頼したいのですが」
 「ほう」

 神父がハンターにいったい何を頼みたいというのだろうか。

 「神父が何を依頼したいのか・・・そんな顔ですね」
 「その通りだ。これまで神様には縁がなかったんでね」
 「私とて、神をこの目で見た事はありませんよ」

 麒麟は笑いつつ、一枚の写真を取り出した。
 写っているのは、どこか脅えているような少年だった。
 背景にはなにもない。
 ただ白い壁があった。

 「これは・・・少年か、いや、少女か?」
 「そこに写っているのは少年の方です」

 妙な物言い。

 「そして同じ顔の少女も存在します。つまり双子です」
 「・・・依頼というのは、その双子を探し出す事か?」
 「その通りです」

 一つため息をつき、俺はその写真を置いた。

 「悪いが、他を当たってくれ。俺は探偵でも人探し屋でもない」

 俺が笑う。
 麒麟も笑った。
 俺は胸のホルスターから銃を抜き、麒麟の眉間へと向ける。
 一秒とかかっていない。
 おそらく麒麟の目には、銃が突然あらわれたと錯覚しただろう。

 「留応、なにしてんのよ!」

 香澄が突然のコトに声をあげた。
 マスターも目をむいている。 

 「人でなき命を奪い、その血を浴びて糧を得る俺だ。神父がモノを頼むには・・・」
 「コンマ3秒といった所ですか、頼もしいですね」

 銃を向けられてさえ、その涼しい顔は微塵として揺るがなかった。
 それどころか・・・
 俺は苦笑せざるをえなかった。

 「あんた・・・本当に神父かい?」
 「どちらかというと、こちらの方が本業でして」
 「・・・納得したよ。いいだろう、詳しい事を聞こうか」

 俺は銃をおさめる。
 安堵している香澄とマスター。

 「助かります。これも神のご加護です」
 「よく言う」

 麒麟もまた手を引いた。
 胸をなでおろしている香澄やマスターからは見えなかっただろうが。
 俺が銃を抜いた時。
 麒麟は俺よりも早く黒塗りのナイフを拭き、俺の肋骨に当てていた。
 この技量ならば、心臓まで刃を到達させる事は容易だろう。
 接近戦において、ナイフはガンよりも速い。
 頭ではわかっていたが、体験したのは初めてだった。  
 麒麟はマスターにグラスを差し出し、話を続けた。
 
 「とりあえず、腕のいいハンターがあと二人は必要です」
 「その二人は、もう決まっているのか?」
 「一人だけは心当たりがあります」
 「という事は、あと一人必要なわけだな」
 「そうなりますね。誰か良い人を紹介ねがえますか?」
 
 と、そこへ。

 「あたしじゃダメかしら?」
 「香澄・・・本気か?」

 俺は静かに問い掛けた。
 冗談にしては笑えない、そんな表情を浮かべていただろう。
 それをまたぐように、麒麟が声をかける。

 「香澄さんとおっしゃいましたか。ですが、先ほどは私のような人間はお嫌いだと」
 「仕事の選り好みができるほど裕福じゃないの。それに留応にはカリがあるからね、こんな機会じゃないと一生、返せないわ」

 ふんぞりかえるようにして、俺を見る香澄。
 いや、睨むといった感じだ。

 「失礼ですが、貴女の実力を私は存じておりませんので」
 「なによ、疑ってるの?」

 その一瞬、麒麟の体から突きぬけるような殺意が香澄に放たれた。
 俺はすぐさま立ちあがり、銃のグリップを握る。

 「なにやってんの・・・留応?」

 麒麟に動きはない。
 ただ柔和な笑顔で香澄を見つめているだけだった。
 そういう事か。

 「残念ですが、香澄さん。この仕事を貴女に依頼するわけには」
 「何でよ!あたしの実力を見てから言いなさいよ」

 香澄、お前はもう試されたんだよ。
 口にはださなかったが、麒麟はすでに香澄の実力を知ったのだ。
 あれだけの殺意に反応すらできなかった二流のハンターと判断されたろう。

 「やめておけ、香澄」
 「なによ、あんたまでさ!」
 「やめろ」
 「う・・・」

 俺が睨みつけると、香澄はおとなしく従った。
 
 「話は戻りますが、誰かお知り合いは?」
 
 グラスを傾け、俺は数人の顔を思い浮かべる。
 
 「麒麟、一つだけ聞きたいんだが?」
 「危険な仕事か、などという愚問はご遠慮させて頂きますが」
 「生きて帰れる可能性は?」
 「・・・・・」

 涼しい顔で微笑む麒麟。  

 「なるほどね。絶望的ってワケだな」
 「その通りです。貴方の腕でも一割ないでしょうね」

 隣でジュースのような酒を飲んでいた香澄がせき込む。。  

 「あんた、そんな仕事を依頼しに来たの!?」
 「いけませんか?」
 「いけませんか?じゃないわよ!」
 「ですが、貴女に依頼しているわけではありませんので」
 
 麒麟は俺を見る。
 初めて見た時からの違和感。
 やっと気づいた。
 この男の笑顔、その瞳は常に濡れている。
 涙ではない。だが、どこか悲哀を訴えるような瞳の色をしているのだ。
 
 「麒麟、お前はいつも・・・泣いているのか?」
 「・・・・・」

 ほんの一瞬だけ、神父の仮面がはがれかけた。
 怒りと悲しみが入り混じったかのような表情は、すぐに仮面の下へと隠れる。

 「留応さん、貴方で二人目ですよ・・・」
 「ん?」
 「何でもありません。私は貴方に出会えた事を神に感謝せねば」

 目を閉じ、十字をきる麒麟。
 そして、再び俺に問う。

 「どうです?私の依頼を受けて頂けますか?」

 香澄が俺のそでを引っ張り、やめろと小声で言う。

 「普通なら断るのが当然だな。しかし、なんで俺を選んだ?」
 「実力を考慮して・・・」   
 
 俺は首を振る。

 「わかりました。本音を言えば、貴方が死に場所を探しているようでしたので」
 「なによ、それ!?」
 「香澄、お前は黙ってろ」

 麒麟は言葉を続ける。

 「貴方の噂は聞いていますよ。死を恐れない、超一流のバーミンハンターと」

 香澄が得意そうにうなずいている。
 確かにそう呼ばれる事もある。

 「ですが、私にはそれが真実の裏返しのように感じられまして」
 「・・・・」

 この男が、どこまで俺を知っているのかはわからない。
 だが、今、この男が言った事は・・・・間違っていない。
 俺は死を迎えるべき場所を探して、ハンターになったのだから。
 その姿勢が、他人には死を恐れないと受け取られているのもまた事実だ。

 「・・・報酬は?」
 「留応!?」

 香澄を黙殺する麒麟。

 「そうですね、きっとご満足いただけるものとだけ、申しておきましょうか」
 
 聞くまでもなかった。
 すでに麒麟は報酬を口に出している。
 満足できる死に場所に案内してくれる、と。

 「・・・・いいだろう、受けよう」
 「ありがとうございます。では、あと一人のパートナーはそちらで?」  
 「ああ、捜しておく。連絡先は?」

 麒麟は、西の第5ブロックの教会に住んでいると告げた。

 「廃棄ブロックのすぐ隣じゃないか、よく住んでいられるな?」
 「住めば都ですよ、それでは私はこれで」
 「ああ」
 「あと、あまり時間もありませんので」
 「わかった、二日以内には顔を出そう」
 「お待ちしております」

 麒麟はいくばくかの金をカウンターに置き、去っていった。

 「ちょっと、留応どういうつもりよ?」
 「何だ?」
 「何だ?じゃないわよ、あんな依頼を受けるなんて!?」

 香澄の言いたいことはわかる。
 危険度は最悪、報酬ははっきりとしたものじゃない。
 自分でも、こんなバカげた依頼はないと思うし、引き受ける奴がいるとも思えない。
 だが俺は受けた。   
麒麟ならば満足のいく死を与えてくれるという期待が。
 それに神父によって授けられる皮肉な死ならば、悪くない。

 「香澄、もう会うことはないかもな」
 「ちょっと・・・やめてよね、下手な冗談は・・・」
 
 俺はそれに答えず、ただ笑った。

 「やめてよ!行かないでよ!」
「すまない」

 何に対して自分が謝っているのかもわからない。
 だがそうすれば、少しでも心が楽になるような気がしたから。 

 「じゃあ・・・」

 金を置こうとした時、マスターが差し止める。

 「なんだ、おごってくれるのか?」
 「バカ言え、ツケにしといてやるから、ちゃんと払いに来いよ」
 「ツケか・・・」

 マスターらしい言い方だった。
 俺がハンターとしてやる事には口を挟まず、親友として言葉をかける。
 生きて戻ってこいと言ってくれた事は嬉しくも思う。
 俺はもう一度笑って、そして金を置いた。

 「今度ばかりは、なんともいえない」
 「お前・・・」 

 ハンターを続けて五年。
 今日まで、何度も命を落としかけ、そして生き続けてきた。
 だが、それにも少々・・・飽きてきた。
 生きるという事に麻痺し始めたのかもしれない。

 「じゃあ、俺はパートナーを探しに行かなくちゃいけないんでね」
 「待ってよ、留応!」
 「・・・なんだ?」
 「あたしがパートナーになるわよ、だから一緒に・・・」

 なりふり構わず大声を上げる香澄。
 その瞳は涙ぐんでいる。
 香澄が俺に涙を見せたのは・・・いや。
 涙を隠そうとしなかったのは、初めてのことだった。

 「それはできない・・・」
 「なんでよ!あたしだってハンターよ!」
 「諦めろ・・・」
 「留応!」
 「諦めろ!」
 「・・・・う・・・」

 俺は香澄に背を向けた。
 香澄がハンターとして、あと三年生き延びられていたならパートナーにしただろう。
 だが、まだ未熟すぎる。あまりにも弱すぎる。
 バーミンを殺せるかが、今回の依頼の条件ではあるまい。
 戦闘者としての資質と経験、それが条件だろう。

 「お願い、連れて行ってよ!」
 「・・・・」
 「留応・・・お願いだか・・ら・・・」

 背を向けた時、香澄が嗚咽を上げ始めていた。
 それを笑顔に変える事は容易だ。
 ただ足を止め、振り返ればいい。
 言葉は一つで事足りる。

 『依頼は断ろう』

 それだけだ。
 そしてオレはたったそれだけの事ができない。
 納得できる死に場が待っているかもしれないのだ。
 惰眠をむさぼるように、抜け殻だった俺の命が。
 ようやく・・・・



 そして俺はラーカンスを出た。
 止めてあったバイクにまたがり、キーを回す。

 「姉さん、もうすぐ会えるかもな・・・」

 俺の呟きは冷たい夜風に混じって消えた。
 夜の街はいつもと変わらず。
 ただ月だけが赤く輝いていた。
 血のような赤だった。





『啓示』     END  to be C・・・・





『窮鼠』






 甲夜は通りを流れていく人波を見つめていた。
 腹の虫の機嫌が、かなり悪い。
 ここ三日ほどロクな物を食べていないのだ。
 
 「はやく稼いで帰らないと」

 そんな空腹感よりも、自分の帰りを待つ顔が浮かぶ。

 「腹、すかせてるんだろうな・・・待ってろよ・・・」

 忙しく動いていた甲夜の視線が、ぴたりと止まる。
 獲物が決まったのだ。
 人混みの中で、頭一つ出ている長身の男。
 
 「動きもにぶそうだし・・・アレにするか」

 甲夜が目をつけたのは神父だった。
 こんな時代に神父などやっている人間は、バカかお人好しのどちらかだ。
 甲夜はもたれていた街灯から背を離し、ゆっくりと獲物に近づいていく。
 狙いは胸にかけられている銀のロザリオ。
 あれを売れば三日くらいは食っていけるだろう。
 
 「しかし、アイツ・・・何がそんなに幸せなんだ?」

 その神父はずっと微笑んでいる。
 まるで憂いなど何もないかのように。
 甲夜は無性にいら立つ。
 
「ケッ」

 苦々しく唾を吐き捨てた。
 生きていく事すら難しい浮浪児の甲夜にとって、大人の笑いほど嫌いなものはない。
 そして甲夜は仕事に移った。
甲夜と神父との距離がゆっくりと縮まっていく。
 相変わらず神父の顔は笑ったままだ。
 あと三歩。
 二歩。
 そして甲夜が神父とすれ違った瞬間。
 甲夜の手には銀のロザリオが握られていた。
 
 「へっ、マヌケが」
 
 聞き取られないような小声で罵倒する。
 と、背後から。

 「そうでもないですよ?」
 「なっ!?」

 振り返れば、そこには微笑んだ神父が立っている。

 「く・・・」
 
 すぐさま走りだそうとした時、甲夜の肩を神父の手がつかむ。

 「バカヤロ!離せ!」
 「まぁまぁ」

 暴れ回る甲夜を神父が押さえつける。
 振りほどけないほどに強い力だった。
 少なくとも、華奢なイメージがつきまとう神父のものではない。

 「ロザリオは神に信仰を捧げるためのものですよ?」
 「知るか!」
 「じゃあ、あなたには必要ないのでは?」

 甲夜は暴れるのをやめ、あきれた。
 どこの世界に、信仰するためにロザリオを盗む浮浪児がいるというのだ。

 「売るんだよ!金に変えるに決まってるだろ!」
 「なるほど。じゃあ、あなたは神を信仰していないと」
 「・・・・あんた、バカだろう?」

 甲夜はもうどうでもよくなった。
 盗んだロザリオを神父に投げ返す。

 「返す。あんたみたいなヤツに関わってるヒマなんてないからな」
 
 背を向けた時、またも甲夜の肩に手がかかる。

 「何だよ!?もう返しただろ!」
 「そう言わず答えて下さい。神を信じているのですか?」

 そして甲夜は叫んだ。

 「信じるわけないだろ!」
 「それはなぜ?」
 「神様なんていたら、俺達みたいなのがいるわけない!」
 「・・・そうですよね」
     
 神父は微笑んで笑った。

 「では、差し上げましょう」
 「?」
 
 そう言って神父は甲夜にロザリオを渡した。

 「同情か?」
 「そうだと言ったら?」
 「・・・もらっとくよ。一人で食っていくなら、受け取らないけどさ」
 「男の子ですね、あなた」
 「あん?見てわからないか?」
 「そういう意味じゃないですよ」

 受け取ったロザリオを、甲夜はいぶかしげにしまい込む。
 相変わらず、神父は微笑んだままだ。

 「じゃあな。変な神父・・・さん」

 『さん』をつけるあたり、彼なりの感謝なのだろうか。

 「ええ、それでは」
 
 甲夜は神父と別れ、雑貨屋へと足を向けた。
 これなら高値で売れるに違いない。
 自然と笑顔がもれた。
 やっとまともな物を食べさせてやれる。
 もしかしたら服も買ってやれるかもしれない。

 「へへっ、ラッキーだったな」

 甲夜は浮浪児である。
 珍しくはないが、生き甲斐を持つ浮浪児は珍しい。
 甲夜には守っている者がいる。
 その子は今か今かと、甲夜の帰りを待っているだろう。

 「待ってろよ、もうすぐ暖かいもの持って帰るからな」

 そこには色んな感情が混ざっている。
 男としての虚栄心。
 弱さに対する抵抗。
 失いたくない束縛。
 そして最後に。

 「・・・ついでに、アレも頂いておくか」

 甲夜は中年の男に目を付けた。
 悪く言えば欲が出たのだ。
 できるなら、このロザリオを売らずに渡してやりたい。
 そんな純粋な想いから出た欲だった。

 「今日はラッキーな日だ」

 失敗するはずがない。
 根拠のない自信があった。
 すれ違いざまに、サイフを抜き取る。
 そのまま何気なく通りすぎて、仕事は終わった。

 「楽なもんだな」

 甲夜は路地裏に入り込み、人気のない物陰で獲物の中身を確認する。
 その結果は予想よりも上々だった。
 つい頬がゆるむ。

 「よし、今日は上がりだ」

 振り返った時、甲夜は運と不運の切り替わった事を認識した。
 二人組がこちらを見て、にやけた笑いを浮かべている。
 
 「よう、甲夜。こんな所でなにをやってる?」
 「へへっ、久しぶりだな甲夜」
 
 見知った顔だった。
 そして甲夜が最も嫌いな顔ぶれだった。
 
 「あ、ああ」
  
 ゆっくりと近づいてくる二人が何を考えているか。
 こいつら、また、俺からたかろうってのか・・・
 弱肉強食なのだ。
 弱い者が悪い。
 論理や理屈などを抜きにして、敢然たる事実。
 そして今、甲夜はまぎれもない弱者だった。

 「出すモノ・・・あるんだろ?」
 「この前みたいに手を焼かせるなんてマネしないよな?」

 くやしさに歯がきしむ。
 甲夜はまだ15歳。身体すらまだできあがっていない。
 対して二人は20を越えている。身長も甲夜とは大きく差がある。
 勝てるわけがない。
 わかっていても。

 「金ならないよ」

 言葉が考えるより先に出た。
 されるがままでは、飢え死にしてしまう。

 「また、そう言うか」
 「お前もバカだよな。ケガするだけ損だってのに・・・」

 一人がポケットから手を出した。
 その拳が甲夜の顔を横殴りにする。
 よける間もなく、甲夜は地面に叩きつけられた。

 「くっ・・・」

 口の中に鉄の味が広がった。

 「出す気になったか?」
 「ない!」

 手ぶらで帰るわけにはいかない。
 叫んで、俺は二人をにらみつける。

 「おっ、ヤル気か」

 立ち上がろうとした時、手に堅い物が触れた。
 無意識にそれを握る。

 「いい度胸だよ、甲夜」

 二人は気づいてない。
 ゆっくりと立ち上がって、俺はそれを後ろに隠す。
 棒のような感触だった。

 「さてと・・・」

 何の緊張もない様子で二人の内、一人が無造作に近寄ってきた。
 俺は棒を一気に振り上げ、力まかせに肩へと叩きつけた。
 そいつが驚きの声を上げ、それは激痛の叫びへと変わった。
 俺の顔に何かが飛び散った。
 ぬるりとした暖かい感触。

 「こ、甲夜・・・お前・・・・」

 もう一人が信じられないといった様で俺を見つめる。
 俺は手に握ったものを初めて見た。

 「ナ・・ナイフ・・・・?」

 見た事もないナイフだった。
 腕ほどの長さの刃は、血に染まってなお鈍く輝いている。
 足下にはこのナイフのホルスターが転がっていた。
 木製で、筒のような形をしている。

 「なんだよ・・・それ・・・・」

 さきほどまでの傲慢な態度が脅えに変わっている。
 俺が視線を向けると、仲間を見捨てて走り去った。
    
 「う・・・・う・・・・・」

 倒れたまま、傷の痛みに耐える男。
 強者と弱者が一転した。
 
 「こう・・・や・・・助けて・・・」

 俺はその奇妙なナイフを振り、血を払ってから筒のようなホルスターを拾い上げる。
 
 「こうや・・・おい・・・」
「・・・いいザマだよ。今まで、俺をさんざんいたぶってくれた礼だ」
 
 助ける気など、さらさらない。
 こいつらに俺は何度となく殺されかけた。
 弱肉強食。
 殺す者にも殺される者にも罪はないのだから。
 そして今、甲夜は強者の立場に立っている。

 「じゃあな」
 「お・・・い・・・」
 
 路地裏から立ち去る。
 運がよければ助かるかもしれないし、悪ければ死ぬかもしれない。
 どうでもいい事だった。





『窮鼠』  END to be C・・・・





『決意』






 甲夜は南の第2ブロックへと帰ってきた。
 封鎖されたブロックだが、浮浪児にしてみれば最高のねぐらだった。
 なぜ封鎖されたか、そんな事はどうでもいい。
 損傷の少ない建築物は、雨風がしのげるのだから。
 そんなビルの群の中、甲夜は二階建ての建物へと入っていく。
 造りはアパートのような感じだ。
 階段をトントンと上がり、数あるドアの一つで立ち止まる。
 右手は紙袋に包まれた食べ物でふさがっている。
 奇妙なナイフはホルスターについていた紐で背負うように持っている。
 ドアノブを回した。

 「ただいま」

 甲夜がドアをあけた瞬間、その身体に抱きついてきた。
 柔らかい感触と、優しい香りがした。

 「お、おい緋想」

 年上であるはずの少女は、甲夜の身体を強く抱きしめた。
 帰りの遅い母親を待っていたかのように。

 「大丈夫だって、ケガなんてしないし・・・それよりも」

甲夜は手にしていた紙袋を下ろす。

 「今夜は満腹になるまで食べられるぞ」
 
 が、緋想は甲夜の服の一点に目を止めていた。
 返り血があった。

 「あ、これは、ちょっとあってな」

 バツが悪そうに言い訳する甲夜。
 緋想の無言の視線が痛い。

 「大丈夫だって。心配するなよ」
 「・・・」

 甲夜はこんな緋想の顔が苦手だった。
 彼女が自分を心配してくれている事はわかる。
 だが、彼女は浮浪児が生きるという困難さを知らない。
 
 「あ、そうだ。緋想、コレやるよ」

 甲夜は胸ポケットから、銀のロザリオを差し出した。
 どうしたの?
 そんな顔で、緋想がそれを見つめている。
 
 「盗んだもんじゃないぞ。ヘンな神父に貰ったんだ」

 それを聞いて安心したような緋想。
 そして首を横に振る。

 「大丈夫だって。当分、食うには困らないだろうし。やるよ」

 それでも緋想は受け取らない。
 売れば金になる事も、そして金があれば甲夜が危険な事をしない事もわかっているのだ。

 「あーもう・・・ほら」

 白い手に甲夜はロザリオを押しつけた。
 柔らかい肌の感触と生傷だらけの甲夜の手が一瞬、ふれあう。

 「・・・・・」
    
 困ったような緋想の顔。
  
 「たまには男らしい事、させてくれよな」

 柄にもなく、甲夜は照れながらそっぽを向いた。
 緋想は笑って、ゆっくりとうなずいた。





 その夜更け。
 緋想の隣の部屋で眠っていた甲夜は、ふと目を覚ました。
 その元凶であるナイフを手に取る。

 「殺したかもしれない・・・」

 今になって実感がわいた。
 人殺しなど珍しくもなんともない時代だ。
 だが、少なくとも自分は人に殺されず、殺さず生きてゆくものだと思っていた。
 だからスリを糧としていた。
 足にも自信はあるし、横取りされてもまた稼げばいいと。

 「・・・・・」

 しかし今日は譲れなかった。
 甲夜にとっては三日くらいなんともないが、緋想はそうじゃない。
 年上とはいえ、女だ。体力も甲夜とは違う。
 だからムリをした。
 ムリをして、そして人を傷つけた。

 「俺は・・・・人殺しになったのかな・・・」

 それでもいいと思えた。
 生まれて初めて守りたいものができたのだから。
 生き甲斐というものを手に入れたのだから。
 その代償に何を失っても不思議ではない。

 「このナイフで・・・俺は緋想を守り続けるんだ・・・・これからも」

 ホルスターから抜けば、血の染みがある。
 それをタオルで軽くふき取ると、白銀の輝きを瞬時に取り戻した。
 
 「こんな物を拾うなんて、思いもしなかったけど・・・」

 甲夜は窓から外を見る。
 星空の中で、月だけがひときわ輝いていた。

 「神は本当にいるのかも・・・」

 今夜だけは信じても悪くない、甲夜はナイフをベッドに立てかけ、再び眠りに入った。





 同じ頃、隣の部屋の緋想はロザリオを見つめていた。
 甲夜からの初めての贈り物だった。

 「・・・・・」

 不安げに部屋の壁を見つめる。
 その向こうには甲夜が眠っている。
 もう、だいぶ迷惑をかけた。
 かくまってくれて嬉しかった。
 だがこれ以上、甲夜に無理をさせるわけにはいかない。
 
 「・・・・・」

 この一月、本当に緋想は安らいだ。
 自分を人間扱いしてくれて、そして女として扱ってくれて。

 「ごめ・・・な・・さい」

 たどたどしい言葉で、緋想は甲夜に謝った。
 そして紙にペンを走らせ、ベッドの上に置いた。

 「・・・・さよ・・なら・・こーや・・・」

 緋想は立ち上がり、上着を着込むと一度だけ壁に目を向けた。
 もう会わないだろう。
 ふと気づいて、ロザリオをベッドに置いて。
 そして。
 ベッドに置いた紙に、ペンを付け足す。
 緋想はロザリオは首にかけ、服の下へとしまいこんだ。
 銀の冷たい感触が肌をさす。
 そこには甲夜の残した暖かさが感じられた。





 廃棄ブロック。
 人間のいない場所には、音がない。
 深夜ともなればなおさらに。
 緋想はアパートを出ると、歩き始めた。
 西の居住区へと。
 たった一つの使命ともいえる行動。
 どこかいるはずの兄を探しだして・・・・
 その存在がゆえに殺さなければならない。
 緋想が持つ、たった一つの存在意義がそこにあった。
 一人歩く緋想。
 その影の存在に気づいたモノがあった。
 獣。

 「・・・・・あ・・・」

 野犬は軽快な足取りで、緋想へと走り寄る。
 そして緋想は。

 「・・・・・・」

 ただ見つめていた。
 見つめて、ゆっくりと両手を差し出した。
 
 「しぬ・・・んだ・・・」

 自殺はできない。
 生き続けて兄を殺したくない。
 野犬の出現を緋想は、無意識に望んでいたのかもしれない。
 いや、野犬である必要はない。
 牙を・・・自分を引き裂く何かを、求めていた。
 そして緋想と野犬が重なり合う寸前。
 
 「どけ!」

 横からの強い力が緋想を吹き飛ばした。
 血が一つ舞った。

 「こ・・・や?」
 「このバカ!」

 腕には野犬の牙が深く食い込んでいる。
 甲夜だった。
 もう片方の手には抜き身のナイフ。
 それを野犬の背中に突き刺した。
 腕をとらえていた牙の力が弱まる。

 「く!」

 刀身を抜いて、今度は首の付け根へと。
 野犬は一瞬、目を大きく開いてから絶命した。
 地面に落ちた野犬から血がにじんでいく。
      
 「緋想、なんだよコレ!」

 腕の傷にもかまわず、甲夜は紙片を見せた。
 緋想がさきほど書き残した手紙だった。

 「あ・・・う・・・」
 「俺をそこいらのヤツと一緒にすんなよ!」
 「・・・う・・・・」

 甲夜は知っている。
 緋想がこれまでどう生きてきたのかを。
 記憶も一年以上前のものはなく、言葉もしゃべれない。
 そんな彼女が生きていくために選んだ手段。
 いや、残されていた手段。
 
 「そりゃ、俺だって男だけどよ!そんな緋想は嫌いだ!」

 緋想と初めて会った時、同じように襲われていた。
 ただし野犬ではなく人間の男。
 暗い路地裏で、なすがままにされていた。
 服ははぎとられていた。
 口には布がつめこまれていた。
 よくある事だったし、珍しくはなかった。
 普段の甲夜ならば気にせず、無視しただろう。
 今でも、なぜ彼女を助けたのかはわからない。
 ただ、助けたい。それだけだった。
 だらしなくスボンを下げている男を気絶させるのは簡単だった。
 急所を後ろから蹴り上げただけで、悶絶した。
 その後は、緋想に自分の上着をかけて、がむしゃらに走った。
 走ってアパートに連れ込んだ。

 「確かに俺は緋想を助けた。だけど、見返りを期待したわけじゃない!」
 「・・・・」
 「お前を助けたくて、それだけだった。今も変わらない!」

 その晩、甲夜は落ち着くまでここにいていいと告げた。
 一人でずっと暮らしてきた甲夜にとって、久しぶりの話し相手だったし。
 なによりも、同じ年頃の女の子だ。気分もいい。
 そして、その夜。
 深夜に甲夜の部屋がノックされて、その先から裸身の緋想が現れた。
 これには甲夜も跳ね起きて、すぐにシーツをかける。
 言葉を話せない緋想は、一枚の紙を渡した。

 『私にできる事を』

 たったそれだけの言葉。
 甲夜は泣いて、怒って、それを破いた。
 自分の好意が、行動が、その動機が。
 全て現代という中で否定された気分だった。
 
 「自分だって、なんでそうしたいのかはわかんないけど・・・だけど!」

 緋想には不思議な魅力があった。
 甲夜は彼女に惹かれる自分に気づいている。
 それが恋という、かつては誰もが抱いた感情である事に気づきはしない。
 時代が人の感情を否定し、忘却を強いた結果だった。
 でなくば、生きていけないのだから・・・

 「・・・こ・・や・・・・ごめ・・なさ・・・」

 涙を浮かべ始めた緋想を黙って抱きしめる。
 
 「お前は俺が守るんだ。お前の為じゃない、俺の為に守るんだ」
 「・・・・」

 緋想が甲夜の背中に手を回した。
 初めて。
 男というものが暖かく、大きな存在であると知った。    
 甲夜は自分のせいで死ぬかもしれない。
 それでも。
 今はその温もりに、身をもたれかけていたかった。





『決意』     END to be C・・・・