西第5ブロック。
 二人のバーミンハンターが獲物を見つけた。
 一流半。
 そこそこの腕前と、自信が彼らを今まで生かし続けていた。
 装備を確認して、準備する。
 バーミンはまだ眠っている。
 気づいていない。
 標的は一体。
 負けるはずもない。
 圧倒的に有利な状況。
 そして隠れる場所も多い、ハンターとしては絶好の地形だ。

 「起草・・・」

 女のハンターが隣の男の名を呼んだ。

 「なんだ?怖いのか?」
 「ううん・・・これが終わったら・・・」
 「ああ」

 起草は肩を寄せて、キスをする。
 何度も交わした唇。
 何度も触れた黒髪。
 
 「ハンター家業も終わりだ、十分な金もたまった」
 「ええ」
 「あとは静かに暮らそう・・・二人でずっと・・・」
 「うん・・・」

 強く抱きしめあって。
 二人は同時にうなずき、バーミンへと向かっていった。
 闇の中で、バーミンが微かに動いた。





『神僕』






 気づけば、常に彼の身体は血に染まっていた。
 心は平静を忘れ、怒りに満ち、そして微笑んでいた。
 悪なき罪に身を漂わせ、そして夜と闇の中で断末魔を聞きづけた。
 正義であるには力が必要であり。
 力を得るには正義が求められる。
 ただ、この世では正義は必要ない。
 純粋なる力があればいい。
 人でなくとも。
 獣としての力。
 動機も理由も、正義の下で発覚したものでなくとも、責めるものはない。
 またその力が、正義の名で飾られたものでなくとも、糾弾されはしない。
 信じない。
 正義を。
 信じない。
 公平を。
 信じない。
 慈愛を。
 信じない。
 神を。
 神を。
 神を。
 ・・・・・信じたかった。





 銀のペンダントを渡すと少年は、少し不可解そうに。
 そして麒麟の前を去っていった。

 「神を信じない、か・・・」

 少年の言うことは正しい。
 そんな愚問を尋ねた私が間違っているのだから。

 「・・・私は・・・」

 人波の中で足を止めていた麒麟が再び、歩を進める。
 その足は住処である教会に向かっていた。

 「・・・・・」

 見回せば娼婦達の笑顔。
 盛んに呼びかける嬌声はどこかもの悲しく、そして如実に現代の鏡のように。
 暴力が暴力を支配し、やがて暴走に至り。
 加速した暴走は歪んだ規則を作り出していく。
 あたかも真実であるように誇張する、銃器店の看板。
 自分の身は自分で守る。その為の銃だと喧伝する。
 誉められるべき進化と過程。
 あてはまらない例外が武器。
 武器の進化とは、つまり暴力の進化。
 進化した武器から身を守る為に、さらなる発展が求められる。
 発展した暴力は、再び加速する。
勢いを増した嵐のように、全てを蹂躙しながら。
 終わりのない悪夢。
 ループしつづける。
 いつまでも。
 いつまでも。
 不可視の螺旋は回り続けるのだ。
 だが、人はそれを平然と受け入れる。
 なぜなら人は、その悪夢の中で生きているのだから。
 泥水をすするがごとく、懸命に。
 冷笑に心を隠蔽しつつ、狡猾に。
 失うことでしか、生を感じられない世界。
 奪うことでしか、死を感じられない世界。
 
 「どうも・・・今夜は考えすぎる・・・」

 いくばくか歩き続け。
 麒麟はいつしか、西第5ブロックの中にいた。
 廃棄ブロックのすぐそばという事もあり、人の姿はまばらだ。
 そこに麒麟の教会はある。
 木製の巨大な戸を開けて、中へと入る。
 はめこまれたステンドグラス、それを通した月の輝きに十字架のオブジェが照らし出されていた。
 麒麟はその前に立ち、クロスを見上げる。

 「・・・泣いている、か」

 酒場、ラーカンスでの留応の会話。
 私はまだ泣いている・・・
 留応、彼もまた同じく泣いていた。
 あの瞳を思い出す。
 彼もまた私と同じ、犠牲者なのだ。
 在るべきはずの神の・・・悪戯の犠牲者だ。
 ただ一点、違うとすれば。
 彼は神の不在を受け入れた。
 そして私は神の存在を否定したという事。

 「留応=アリエステルに、神の恵みがあらん事を」

 十字を切る。
 私が私で在るために。

 「そう、私は神父で在り続けなければならない・・・」

 ダンッ!

 背後で扉が激しい音とともに開いた。
 麒麟がゆっくりと振り向くと、一組の男女だった。
 男の身体には至る所に血が滲んでいる。

 「神父様!」

 女が肩に抱きかかえていた男を床に寝かせ、かけよってくる。

 「神父様!お助け下さい!」
 「・・・どうしたのです?」

 私の前で女はひざまずき、両手を堅く合わせた。

 「起草が・・・バーミンと戦って・・・それで・・あの・・・」
 「ほう、彼はバーミンハンターなのですか?」

 普通の人間ならば、バーミンと戦ってなどとは言わない。
 襲われたと言うだろう。

 「は、はい・・・それで、今も追われて・・・どうか、かくまって下さい!」
 「もしや貴女もハンターですか?」
 
 微かに残る硝煙の臭い。
 銃を持っていない所を見ると、弾薬が尽きてうち捨てたか。

 「・・・それは・・・」
 「正直におっしゃいなさい。神は常に公平であり、全てに救いをもたらします」
 「・・はい、私もハンターです」
 「そうですか、ではこれを」

 腰のホルスターから黒塗りのナイフを抜き、女に手渡す。

 「・・ナイ・・・フ?」
 「見た所、武器を持っていないご様子。それをお貸ししましょう」
 「・・・え?」
 「戦士には剣を、弱者には加護を。それが神の恵みですよ」
 「そ・・んな!こんなものでバーミン相手に・・・」

 私は女の頭上を通り過ぎ、視線を扉へと向けた。
 女もつられて視線を流す。

 「あっ!」
 
 バーミン。
 幾分かの負傷を負わせているようだが・・・
 あの程度では手負いの獣としての力が発揮される。
 
 「神父様!銃は!銃はないんですか!」
 「残念ながら」
 「そんな・・・」

 バーミンは足下に寝かされていた男を見て。
 目を見開いた瞬間、報復の一撃を頭蓋へと叩きつけた。
 血袋が破裂したかのように、命はあっけなく絶えた。
 
 「ヒッ・・・」

 完全に脅えきっている。
 駆け出し、か。
 それとも慢心からのミスか?

 「こんな所で・・・死ぬもんですか!」

 追いつめられた人間の心理は単純だ。
 攻撃か逃避か。
 女は前者を選んだ。
 果敢にて、蛮勇。
 女が張りつめていた筋肉を緊張から解き放ち、バーミンへと走り出す。
 ナイフでバーミンを倒すとすれば、狙いは限られる。
 眉間、心臓。
 この二点のみだ。

 「はぁ!」

 おそらくナイフ戦の経験などないのだろう。
 正面から標的へと、突っ込んでいく様を見て思わず言葉が漏れた。

 「無様だな・・・強者であった者の堕落とは・・・」

 バーミンと女の影が重なった瞬間。
 はじき飛ばされた女は規則正しく並ぶ長椅子に激突し、その破片を飛び散らせた。

 「あぅ・・・ああっ!」

 砕け散った木片が腹部を貫通している。
 致命傷だ。

 「さて」

 私の方へと向き直るバーミン。
 興奮しているらしく、牙をむきだし唾液も垂れ流したまま、睨んでいる。
 吠えた。
 不快な咆哮だ。
 大きく腕を振り上げ、バーミンが接近する。
 床を踏み抜くような足音が教会の中で響く。
 
 「神よ、我に加護を与えたまえ・・・・」

 十字を切り、バーミンのうち下ろすような爪をかわす。
 そのまま背を走り抜け、倒れた女の元へと駆ける。

 「神父・・・様・・・」
 「貴女、死にます」
 「・・・・・」

 一瞥し、転がっていたナイフを拾い上げた。

 「あんたも死ぬのよ・・・怖くないの?」
 「私には神がいますからね」
 「ふふ・・・変な人ね・・・」

 バーミンは再度、咆哮し、麒麟へと走り出していた。
 対して麒麟は、ただ立ち待つ。
 腕を大きく振りかぶるバーミン。
 見つめる麒麟。
 風を切る音が巻き起こり、爪が麒麟を引き裂こうとする。
 麒麟は、微笑みを絶やすことなく。
 黒衣に爪が触れる瞬間だった。
 バーミンの眉間にはナイフが柄の根本まで埋まっていた。
 動きの止まった巨体。
 麒麟がナイフを抜くと、バーミンはゆっくりと後ろへ倒れた。

 「・・・・・」

 呆然と霞む視界で見た現実は、女にとって信じがたく。
 その光景は恨み言を発せさせた。

 「どう・・して・・・助けて・・くれなかったの?」
 「私は神を信じていませんからね」
 「え・・・・?」
 「私が神父である理由は神を否定する為ですよ」
 「・・・・・」
 
 私の言葉は女に理解されないまま。
 目の前でその命が鼓動を止めた。

 「・・・そう、私は神を信じない・・・・決して」

 血に塗れたナイフを麒麟は見つめた。
 バーミンも・・・
 そして人間の命を幾度となく絶った黒い刃。
 全ては神が為に。

 「もっと早く気がついていれば・・・・私は・・・・」

 弱者も強者も全ては公平であり。
 背負った業を克服する為の人生。
 全ては神の元で。
 そんな幻想の中で生きていた麒麟。
 平穏に満ちた三年間は、だが一人の少女の死によって幕を閉じる。

 「神がいれば・・・神が・・・いれば・・・」

 消え入りそうな呟き。
 拳を握りしめ、麒麟はクロスを見上げ。
 
 「哀稟・・・」

 呼んだ名前は本名ではない。
 孤児であった少女に付けた名。
 哀稟。
 もう一度、呟いた。囁くように。
 笑うと猫のように目が細くなる、そんな少女だった。
 つややかな桜色の唇が印象的な、美しい少女だった。
 麒麟が殺した少女だった。
 神父である麒麟が殺した。
 神の下僕が命をあやめた。
       
 「神の試練というには・・・あまりにも!」

 人を殺すたびに思い起こす。
 バーミンを殺して思い出す。
 同じ血の色、臭い、そして嫌悪感。
 命の脆さに対する絶望と儚さ。
 同質なのだ。
 神が唯一、与えた公平。
 だから否定し続ける。
 神を。
 
 「・・・・・」

 麒麟は一つため息をつく。
 考えても仕方のない事だ。
 今、すべき事を完遂しなくては。
 
 「全ては哀稟が為に・・・」
 「まだそんな事を言ってるんですか?」

 麒麟はゆっくりと振り返る。

 「哀稟は死ぬ運命にあった。弱い存在だったから」
 「貴女という人は・・・」

 開け放たれていたドア、その向こうから現れたのは女性。
 無感情な表情からは、心をうかがい知る事はできない。

 「弱者は死ぬわ。そこに転がってるハンターのように」

 女が笑った。冷たく。
 その微笑みは、猫のように目を細めて。
 桜色の唇が柔らかく、つり上がる。

 「命稟・・・」
 「そうでしょ、神父様」

 哀稟が成長した姿がそこにはある。
 双子の姉、命稟。
 麒麟の贖罪。
 神父としての存在意義。
 
 「それよりも、仕事にかかりましょう。時間もあまりないはずです」
 「・・・そうですね」

 麒麟は命稟に歩み寄り、肩を抱く。
 桜色の唇に触れ、口づけを交わす。
 血臭と硝煙の香水は、あまりにも命稟に合いすぎていた。
 悲しいまでに、命稟の香りだった。
 『死』の香りだった。





『神僕』  END to be C・・・・





『信用』






 太い銃撃が響いた。
 朝が始まったばかりの廃棄プロックで、留応はバイクを止めた。
 
 「どこだ?」

 なおも銃撃は響く。
 ハンドガンのように軽くなく、マシンガンのように連続したものでもない。

 「昂麻だな・・・相変わらずか」

 再びアクセルを回し、留応は銃音に向かって走り出した。



 「まずは!」

 肩に響く、命を削り取る確実な反動。
 眉間、当たった・・・・?
 いや、まだ生きている。
 
「なんとも・・・敬服しますよ、その生命力!」

 ダメ押しにもう一発。
 幼体のバーミンにしては、よくもった。
 ただ、言えるのは。
 
 「相手が悪かったんですよ、相手がね」

 崩れ落ちるバーミン。
 生物としての出来損ない。
 
 「次は・・・次のバーミンは・・・?」

 遮蔽物のない場所で、昂麻は視線をはわせた。
 純白のコートは点々と返り血で飾られている。
 その下の赤いシャツは汗で肌に密着していた。
 若くはない痩身は、激しく躍動している。
 ブロンドの長髪が乱れ、前髪は汗で額に張り付いている。
 駆けている。
 命を賭けるゲームの中で。

 「そこ!?」

 振り向きざま、数歩の距離まで突進していたバーミンの腹部へと散弾を打ち込む。
 むろん、死にはしない。
 が、よろめいたバーミンをしとめるのはたやすい。
 十分な殺傷圏内にあるにもかかわらず、昂麻は駆ける。
 銃床でバーミンの頭部をうち下ろすように殴りつける。
 土煙を立てて、血だまりに伏したバーミンの胸部にショットガンを密着させる。
 
 「ふっ!」

 呼気とともに引き金を引く。
 飛び散る肉片。
 数度、全身を痙攣させてバーミンは息絶えた。
 快感のような色彩の恐怖が、背中に走る。

 「私を食いたいですか?食いたいでしょう?」

 その感情を誤魔化すように、そして侮蔑するように、声を上げる。

 「産み、増やす為に栄養が、肉が、欲しいのでしょう!」

 五体のバーミンに囲まれてなお、昂麻は戦い続ける。
 恐怖よりも不快感。
 許し難い生の具現。
 死をもって償うべき存在。
 バーミン。

 「そこ!」

 新たな目標へと照準を合わせる。
 障害物のない場所において、人間とバーミンが戦う。
 圧倒的に人間が不利である。
 そう勘違いする人間は多い。
 機動力、筋力、生命力で圧倒するバーミンに対して、人間は非力。
 ゆえに武器を持つ。多くは銃。
 それですら対等ではない。
 しかし銃の性能を生かす事で、人間はバーミンをかくも圧倒する。
 命を賭けて、という条件でのみ。
 生きたい。
 抗いたい。
 殺したい。
 そう思う心がバーミンへ好機を与える。
 昂麻は違った。
 自分の生を考えていない。
 本能のように突き上げるような感情に身を任せて、戦い続ける。
 つまり快感と恐怖のはざま。
 立っていられないほどの恐怖をまといながらも。
 不貞の存在を消し去るという快感に震えている。
 それがさも正当であるかのように。
 
 「生まれてきた事を・・・悔やむ事ですね」

 三体目のバーミンを仕留めた瞬間だった。
 四体目に向けて引き金を絞った時。

 「ん?」

 弾切れ。
 躊躇なく昂麻はショットガンを捨てる。
 コートを脱ぎ去り、その下のホルスターに手をかける。
 予備のライフル。
 ただし、扱いは容易ではない。
 威力だけを求めた結果としての、命中精度の低下。
 昂麻の練度もまだ低い。
 
 「当たる・・・?」

 素早く狙いをつけて放った銃弾。
 さきほどよりも大きな轟音。
 眉間には当たらず。
 心臓にも当たらず。
 上腕を吹き飛ばした。
   
 「なんとも・・・・考えが甘かった」

 わずかにバーミンの身体が傾く。
 二発目は完全にはずれた。

 「いや・・・まぁ・・・」

 バーミンは肩から血を流して、飛びかかってきた。
 あいにく、飛揚する標的をとらえるほどの腕は昂麻にない。
 彼は戦闘の素人なのだから。

 「ひゃ!」

 奇妙な声を上げて、その場から飛び退く。
 世辞にも華麗といえぬ身のこなし。
 次に昂麻がとった行動は。

 「引き際ですね」

 二体のバーミンから逃げる事だった。
 手に持っていたライフルも捨て、身軽になる。
 同時に手榴弾を取り出し、ピンを抜く。

 「これで・・・なんとか」

 後方に投げた。
 数秒後に爆音。
 考えもなしに放った手榴弾の爆風で、昂麻がつんのめる。
 転倒。
 跳ね起きる。

 「ぺっぺっ!」

 口の中に入った土を唾液と一緒に吐き出した。
 走る。
 ひたすら振り返る事もなく、走り続ける。
 そして黒いバイクと交差した。
 二つが同時に動きを止める。
 
 「おや?」
 「・・・昂麻、相変わらずだな」
 「留応、いい所に。後ろのバーミンを何とかしてもらえませんかね?」
 「ふ・・・」

 バイクを降り、脱いだメットを昂麻に投げ渡す。
 まだおさまらぬ爆風を裂いて、二つの影が突出する。
 
 「さすが。なんとも落ち着いてますねぇ」
 
 苦笑して。
 留応の顔から表情が消える。
 瞳が鈍い光を放ち。
 すでに両手には、ハンドガンが握られていた。
 交互に留応の肩が反動に泳ぐ。

 「惚れそうですよ」
 「気持ち悪いことを言うな」

 目前には息絶えた二体のバーミンが伏している。
 両手の銃はスライドアウトして止まった。
 弾丸を撃ちきるという行為は愚かである。
 敵を倒したと油断した所に、思わぬ伏兵が潜んでいる場合もあるのだ。
 プロならば、最低一発の銃弾を残しておくべきなのだ。
 ただし、それは人間相手の場合。
 バーミン相手にそんな事を考えていれば、命はない。
 好機に全力を尽くす。
 バーミンハンターの鉄則だった。

 「またいつもの趣味か?」

 マガジンを交換しながら、からかうように問いかけた留応に。

 「失敬な。学術的探求心と言って欲しいですね」
 「それは失礼」
 「で、留応。こんな所にどうしたんです?」

 戦闘時とはうって変わり、トーンの低い落ち着いた口調。
 それに慣れている留応は気にせず、話があると告げた。

 「では、私の家へ・・・」
 「いや、そこらの店でいい」
 「そうですか、今のお礼におごらせてもらいますよ」

 穏和な表情に血塗れの開襟シャツとネクタイ。
 昂麻の内情をよく現していた。



 比較的安全とされる南の第4ブロック。
 留応と昂麻は、小さな喫茶店で落ちついていた。

 「で、話とは?」
 「あいかわらず率直だな」
 「職業柄、そうなってしまうんですよ」
 「まだ続けてるのか、医者なんて職業を」
 「当然です・・・と言っても、診療はもう止めて、今は研究に打ち込んでいますが」
 「そうか」

 血を浴びた昂麻のシャツは、近くの店で買った濃紺のコートの下に隠れている。
 今のように整然とした身なりで彼を医者と紹介しても疑う者はないだろう。

 「仕事を手伝って欲しい」
 「お断りします」
 「早いな・・・」

 留応は苦笑する。
 予想はしていたが。

 「別に私は金が欲しくてバーミンを殺しているわけではないですし」
 「そうだな。ハンターの免許も取得していないし、当然賞金も支払われない」
 「わかっているじゃないですか」
 「研究のタイトルも知ってるさ。命の探求」
 「その通りです」
 「その為にバーミンを狩っているんだろ?」
 「多少、違いますが大方のところは」

 留応が。
 では、なんだ?
 そう眼差しで尋ね、テーブルに置かれていたコーヒーを一口ふくむ。

 「許せないんですよね。不完全な生と、その結果が」
 「それはバーミンの事か?」
 「ええ、生理的にも嫌悪してしまいます」
 「それで殺すか。自分が危険な目にあっても」
 「昂麻という個体の生の在り方ですから」

 昂麻がレモンティーに口をつける。
 コーヒーと紅茶の芳醇な香りが入り交じる。

 「報酬は昂麻、君にとっても利になると思う」
 「ですから、金などは」
 「俺の死の瞬間だよ」
 「・・・・・・」

 かつて、昂麻が俺に放った言葉に。
 俺がどのような死を迎えるか、見届けたいと言った事がある。
 医者と哲学の合間に存在する昂麻の探求心が求めているのだ。
 俺の死の瞬間を。
 俺という結果を。

 「そんなに危険な仕事ですか?」
 「ああ、多分・・・俺は死ぬ」
 「いいでしょう、手伝います」
 「即決だな。いいのか?」
 「当然です。バーミンの死とは比べられない価値がありますからね」
 「ずいぶんと俺の命を買ってくれてるな」
 「命ではありませんよ、生き方です」
 「そういうものか」
 「ええ」

 留応は昂麻に、麒麟と写真の少年の事を話し始めた。
 不可解そうに昂麻が聞く。

 「たかが人捜しが、そんなに危険なんですかね?」
 「さぁな。だがその麒麟という男、かなり腕が立つ」
 「神父なのでしょう?」
 「俺の銃よりも早くナイフを抜いた」
 「ほぅ・・・」

 昂麻は感嘆し、神父への興味を隠さず現した。
 留応の腕を知るからこそ、信じがたいものだった。
 そして留応の性格を知るゆえに、信じられた。

 「ぜひ会ってみたいですね」
 「ああ、明日その神父の教会に行く。ついてきてもらうぞ」
 「むろんです」

 昂麻は大きくうなずいた。
 留応もまた、うなずく。
 友情もなく。
 信頼もなく。
 義理もなく。
 利害関係を結ぶ、信用があるだけだった。
 それは戦う者において、最も安心できる関係だった。





『信用』  END to be C・・・・







『夢現』






 甲夜はカーテンの隙間から差し込む朝日で目をさました。
 野犬にやられた傷が多少痛む。
 だが、それを霧散させるような心地よさがある。
 少年が戦士へと成長した昨日の夜。
 外見は何も変わっていない。
 ただ、心と瞳が変わったのだ。

 「・・・緋想」

 たった一つの宝物の名前。
 何にも代え難い、少女の名を呟くと自分が確固たる存在だと知る。
 快感に震えた。
 生きている。
 自分は、今、緋想という存在を得て生きている。
 ただ生きる為に、生きているんじゃない。
 守る為に生きていると。
 
 「手放しはしない・・・決して・・・」

 自分の他に少女を養うという事は、並大抵の事ではない。
 甲夜は浮浪児なのだ。
 収入のあてもない、危険な事をしていつ命を落とすかもわからない。
 それでもやっていける。
 不思議な確信と自信があった。
 甲夜はベッドに立てかけていたナイフを手にする。
 
 「これさえあれば・・・何でもできる」

 抜けば、血脂の一滴として残っていない。
 
 「俺が・・・守るんだ」

 ドアをノックする軽い音が部屋に響いた。
 慌てて甲夜はナイフをホルスターにおさめる。

 「緋想?入っていいよ」

 カチャリ、とドアノブが音を立ててゆっくりと開く。

 「・・おは・・よ」
 「ああ、おはよ。よく眠れた?」
 「・・・ん」

 緋想は持っていたサンドイッチを近くのテーブルに置いた。
 二つのカップ、濃いコーヒーの香りが眠気を散らす。

 「朝食、作ってくれたんだ」
 「・・・きの・・う・・・ごめ・・・なさい」
 「いいよ。ケガも大した事ないし」

 甲夜はにっこりと微笑んだ。
 緋想が心配そうに笑う。

 「それより、せっかく煎れてくれたコーヒーが冷めちゃう。食べよう」
 「ん・・」  

 緋想は甲夜のベッドに腰掛け、また寄り添うように身体を寄せてくる。
 その体温が薄い服越しに伝わってくる。
 穏やかで柔らかい感触だった。
 甲夜のシャツを夜着としてる緋想は、それがはだけているのも気がつかない。
 下着は見えそうだし、胸元のボタンも半分ほどしか止められていない。

 「あの・・緋想、あのさ・・・」
 「な・・に?」

 と、そこで言うのを止めた。
 女に不慣れなボーヤと思われたくない。
 実際経験としては一度としてないのだが、虚勢を張った。

 「なんでもない」
 「・・ん・・」

 これからもこういう事はちょこちょこあるだろう。
 そんな思いで、今は慣れようと心がけた。
 前屈みになりながら、懸命に。



 少年は逃げまどっていた。
 束縛から逃れたのは夜。
 そして朝を迎えて、追われている事に気がついた。
 必至で走り続けた。
 自分が今、封鎖ブロックに踏み込んだ事すらもわからず。
 ただ、人のない場所、人のない地区へと移動していた。
 白い服は泥と土にまみれている。
 何度となく転んだのだろう。
 ヒザの部分は破れ、血のにじんだ肌が露呈している。
 それでも少年は走り続けていた。
 一体でいい。
 幼体のバーミンを。

 「はぁ・・・はっ・・・はっ・・・!」

 心肺機能が悲鳴をあげている。
 足の筋肉も疲労ではちきれそうだった。

 「早く・・・見つけないと・・・」

 廃ビルの迷路を回り続ける。
 追いつかれる前に。

 「はぁ・・はぁ・・・」

 角を曲がった所だった。
 その道の先、少年の視線の先に、一人の影があった。

 「あっ!」
 「そんなに急いで・・・どこへゆく?」

 しわがれた声だった。
 老人。
 背は縮み、白い髪は後ろで束ねられている。
 黒装束は帯で結ばれ、そこに挟み込んだナイフは長い。
 少年はすぐに方向を変える。

 「はっ・・・くっ!」
 「・・・むん」
 
 老人の手が動いた。
 風のように一瞬、きらめく何か。
 それは軌跡を描き、少年の足へと吸い込まれた。

 「あぐっ!」

 激痛に転倒した少年は、自分の足を見る。
 人差し指ほどもある針だった。

 「老人をあまり走らせるな」
 「・・・くっ・・はっ・・・」

 それでもなお立ち上がり、逃げ出そうとする少年。

 「失敗作とはいえ・・・まぁ、見上げたものよ」
 「う・・るさい!」

 殺意をともなった瞳がまっすぐ老人へと突き刺さる。
 対して老人は哀れむように目を細める。

 「なぜ逃げた?死が待っている事を知りつつ」
 「今までだって・・・死んでたようなもんだ!」
 「・・・そうか」
 「来る日も来る日も・・・俺はモルモットじゃない!」
 「・・・・・・そうか・・・・・・」
 
 息を荒げ、少年は叫ぶ。
 怒りに身体が震えていた。

 「だが、研究所・・・いや軍からは逃げられぬ・・・」
 「・・・」
 「戻るか、死を選ぶか・・・答えるがよい」
 「く・・・・」

 少年にとって、どちらも同じ意味の選択だった。
 選んだ選択肢は。
 再び老人に背を向けて、逃避する事だった。
 
 「哀れな・・・どこまでも・・・哀れな・・・」

 ひきずるように運ぶ足には、まだ針が深く刺さっている。
 仕留める事は容易。
 少年が壁づたいに角を曲がっていく。
 視界から消えた少年に向かって、老人は呟く。

 「悲しい時代よの・・・なればこそ、死が救いか」

 老人が動いた瞬間。
 少年の望んでいたモノがあらわれた。

 「バーミン!」

 幼体のバーミンは、食事をしていた。
 バラバラになった人間のバーツがその足下に転がっている。
 少年を認め、バーミンが牙をむいた。
 それを見て、満足そうに少年が笑った。

 「ぬ・・・バーミンと?」

 歓喜するような少年の声に、老人は走り出す。
 角を曲がり、少年を目に留めた時、すでに遅かった。
 口を血と肉片で飾ったバーミンは少年の前に立ちふさがっている。

 「慣らした・・・か」
 「あんたが死ぬんだ、甲残」

 バーミンに身を隠すように、少年が勝ち誇る。
 甲残がいかにトレイサーといえ、バーミンに勝てるはずないと踏んでいる。
 そう思うのも無理はない。
 甲残は老体の上、銃を所持していないのだから。
 また、少年はトレイサーという本質を知らなかった。

 「行け!殺せ!」

 少年のかけ声に反応して、バーミンが殺意をむき出す。
 甲残はナイフの柄に手をかけた。
 それはカタナという物だった。
 鞘から抜いた刃は曇り一つとしてない、命を奪う輝きがある。

 「俺は逃げる。あんたを殺してどこまでも!」
 「生への執着・・・哀れにも美しい華よの・・・」

 バーミンが唸りつつ、太い手を振り上げた。
 刀を払った。
 薄紙を裂くように、ヒジから先が宙に舞った。
 バーミンが痛みに吠える間もなく、甲残は刀を振るう。
 二度、三度と。
 気づけば、少年はバラバラになったバーミンの死を前にしていた。

 「ひ・・・・」
 「あきらめよ」
 「・・・ばけ・・・もの・・・」
 「・・・・・」

 老人は悲しげに少年を見つめた。
 失敗作である少年を。

 「そうさのぅ・・・完成品もまた化け物よ」

 どこか虚空を見つめるような眼差しで、甲残は少年に呟く。
 全てが空しく、それでいて否定するでもない。
 かつては怒りがあったような、それすらも無駄と考えたような。
 少年には理解できない表情だった。

 「・・・え・・・?」
 「では、逝け」

 少年は死を感じなかっただろう。
 刃の軌跡が首を通り過ぎ、一瞬の後。
 頭部は地へと転がり落ちた。

 「今に儂も逝く。恨み言はその時に聞くでの・・・許せい」

 甲残は二つに分かれた少年に背を向けた。

 「いずれは、儂も死す命運・・・」

 だが、まだ早い。

 「その為にも犬でなくてはならん。裏切りのための忠誠に身をゆだねるのみ・・・」

 甲残は来た道を戻っていった。
 ただ一度、殺めた少年の亡骸に目をやって・・・



 食事を終えた二人は、天気を見て散歩に出る事にした。
 今日は太陽の光がよく届いている。
 紫のカーテンも、いつもより少なく感じた。

 「ちゃんと着込めよ。外は寒いんだから」
 「・・う・・ん・・」
 「あれ、ロザリオは?」
 「こ・・・こ・・」
 「どこ?」

 服をひっぱって、肌に触れていたロザリオをひっぱり出す。
 胸元が大きく開けた瞬間、白い膨らみが目に入った。

 「・・・あ」
 「ど・・した・・の?」
 「な、何でもない!」
 
 それを覆うように、甲夜は厚手のコートをかけてやった。

 「あり・・とう」

 甲夜は頭を二、三度頭を振って、緋想の手を取った。
 それでもまだ、柔らかそうな膨らみはまぶたに焼き付いて消えない。

 「じゃ、行こうか」
 「・・・ん」

 アパートを出て、甲夜は当てもなく歩き始めた。
 目的もなく外に出るのはこれが初めてではないだろうか。
 常に金、食料の為に走り。
 余裕がある時は、いつも家で眠っていた。
 危険を減らすには外に出ない事。
 当然の事だった。
 だが、今の甲夜はどうだ。
 どんな時より。
 そう、大金の入った財布をする事に成功した時よりも、晴れ晴れとした笑顔だった。

 「たまにはこういうのもいいな」
 
 冷たい外気の中、つないだ手だけが。
 日に焼けて生傷だらけの手と、白く小さな手のつながりだけが暖かかった。
 
 「こういうのを、すがすがしいってのかな?」
 「ん・・・きもち・・いい」

 他愛もない会話と、思い合う笑顔を交わしながら、歩き続ける。
 何者にも侵されない二人の時間。
 いつまでも続けばいい。
 暖かい感触、離したくない。
 甲夜の笑顔を失いたくない。
 緋想は、昨晩までにはなかった気持ちを心に溢れさせていた。
 お金、その代償行為に身体を求めるだけが、緋想の中の男だった。
 男は、自分を抱くことで生活を送る金をくれるだけの存在だった。
 ロザリオが胸の上で揺れている。
 ただの金属の塊でしかないそれは、しかし優しい感触がある。
 甲夜が守ってくれる証。

 「・・こや・・・」
 
 腕をからめた。
 甲夜の堅い腕に私の胸が押しつけられる。
 年齢のわりには、大きめだから。
 腕がちょうど膨らみの間におさまるように、すり寄った。
 
 「お、おい・・・緋想・・・ちょ・・・」
 「こ・・のま・・・ま」
 
 甲夜が何か言う前に、私は強く腕を抱いた。

 「う・・ん」

 照れたようにそっぽを向く甲夜。
 守って貰うからじゃない。
 代償行為としてじゃない。
 私を抱いて欲しい。
 身体も心も、全部抱いて欲しい。
 そう言うと甲夜は怒る。
 なぜかはわからないけど。
 だから、こうする。
 少しでも、甲夜が気持ちいいと思うから。
 私は女だから。
 好きな人が気持ちよくなると、私も気持ちいいから。
 求めて欲しい。
 いつでも。
 いつでも、私は甲夜ならいい。
 そして消して欲しい。
 今までの男達の形を。
 心に残る嫌な笑いを。
 体に残る嫌な感触を。
 私の好きな甲夜の色と形で、何もかも埋めて欲しい。
 何もいらないから、何もかもわからなくなるほどに。
 優しくてもいい。
 激しくてもいい。
 ガラス細工のように扱われても。
 激しく蹂躙されてもかまわない。
 ただ甲夜である事だけでいい。

 「こや・・・」
 「どうしたんだよ、今日は・・・」
 「ない・・しょ・・・」
 「ちぇ」
 
 やがて、私達は曲がり角にさしかかった。
 その先にも、代わり映えのない道が続くだろう。
 その分だけ、私はこうしていられる。
 ゆっくりと角を曲がった。
 変わらない景色が続いているはずだった。





『夢現』  END to be C・・・・





『断片』






 「これは・・・」
 「・・・・・・」

 幸せの先に現れたのは地獄だった。
 代わり映えのない景色が続く事が当然だったはずなのに。
 私の前には、血の水たまりがいくつもあった。
 血臭。
 死臭。
 嫌な臭いが・・・ただ漂っている。
 無機質に。
 見せつけるでもなく、隠すわけでもなく。
 そこにさらされていた。
 不思議と嫌悪感がなかった。
 吐き気がこみあげるでもなく、私は平然と見つめていた。
 人が死ぬ事もバーミンが死ぬ事も当たり前。
 言葉には出なくても、心の中で私の奥で何かが囁いていた。

 「・・・緋想、見るな!」

 慌てた声を上げて、甲夜が私の目を手でふさいだ。

 「誰が・・・こんな・・・」

 気持ち悪そうに甲夜が呻いていた。
 私は甲夜の手をどけた。

 「緋想、見るな、ダメだ!」
 「だい・・じょぶ」

 惨憺とした光景が、幸せな時間を途切れさせた。
 私は近づいていく。

 「おい・・・緋想・・・?」

 少年が一人。バーミンが一体。
 バラバラの破片をかき集めれば、それを形作るだろう。

 「・・・・」

 少年の首に目を向けた。
 呆然とした表情が、死の時間で止まっている。
 そこに感じる何かがあった。
 瞳の中に、私が何かを感じた。
 何かはわからない。
 確かな何かがある。
 確かめたい。
 何があるか。

 「緋想、もう行こう・・・」
 「・・・ん」

 甲夜が私の手を握ったから。
 私は甲夜に従った。



 Cブロック。
 全てのブロックは、ここを中心にして、東西南北に分けられている。
 四つに分けられたブロックは、さらに第1から第10まで区別されている。
 その中にはバーミンが大量発生し破棄されたブロックや、軍などの機密により封鎖されているブロックが点在している。
 またこのCブロックには、一般人が立ち入る事は決してできない。
 そこに何があるのかも、知られていない。
 そのセントラルブロックの中でも、最も警戒が厳しい場所があった。
 ラボと呼ばれている施設だった。

 「む?」
 「待ってたんですよ、甲残」

 体躯の大きな男が片手を上げた。
 その他にも二人のメンバーがいる。
 甲残がラボに帰ってくるのを待っていたようだった。
 顔ぶれは甲残が所属するグループのメンバー。
 当然のことに、その全員がトレイサーだった。
 かと言って、これが存在する全てのトレイサーではない。
 どれだけのトレイサーが存在するか。
 それは甲残にもわからない
 闇に紛れ、暗に潜る。
 そして与えられた任務を、忠実に達成するのがトレイサーなのだから。
 様々なタイプの人間がいる。
 男と女。
 若人と老人。
 黒髪、金髪、栗色。
 見た目、統一性のないこれらのトレイサーが唯一、共通するとすれば。
 生物学上では『人間』と呼べない事だけであろう。
 
 「首尾はどうでした?」

 出迎えの言葉に続いて、問いかける。

 「そのような愚問を。誰に向かって訊ねておる?」
 「・・・そうでしたね」

 問いかけた体躯の大きな男は頭をかく。
 次に三人の中で、一番若い男が甲残の肩に手をかける。
 痩身だが身長はメンバーの中で突出しており、それは甲残の倍近い。
 
 「爺さん、ケガとかないっすか?」
 「まだまだ現役じゃよ・・・試してみるか?」
 「冗談でしょ、勘弁してくださいよ」

 そんな笑いの中にも、敬意が感じられる。
 就任してから三十年経った今も。
 トレイサーという任務を現役でこなしている甲残に。
 
 「それよりも、集まって何をしておる?」

 甲残の問いに、最後のメンバーが答えた。

 「新しい指令が降りたのよ」

 女。
 黒髪は長く腰のあたりまでもある。その理性的な外見は美麗。
 甲残が所属するこのグループのリーダーでもあった。

 「ほう。聞かせい」
 「ええ。でも、ここじゃなんだから」

 甲残を交え、四人は専用室へと向かった。
 体躯のよい男と、痩身の男が先を行く。
 その後に、リーダーの女と甲残が続いた。
 行き交う者達は、全てが敬礼を持って答える。
 尊敬と、畏怖と、恐怖と、羨望と。
 人間相手に向ける感情、そして人間でないものに対して向ける感情が入り交じった、そんな視線で、四人を見る。

 「甲残・・・実験体は、苦しんだ?」
 
 前の二人に届かないような、小さい声だった。

 「いや。死すら感じなかったろう」
 「そう・・・貴方を向かわせてよかったわ」
 「なぜ、そのような事を言う?」
 「だって餓雷だと、力技だし・・・楼円は相手が実験体だと、過剰に憎んで弄ぶから」
 
 甲残はたしなめるように、

 「お前さんは甘いな。それでよくトレイサーなど続けられるものだ」
 「お前さん、も、の間違いでしょ?その貴方は今年で何年目かしら?」

 自分の口調をまねられ、それどころか痛い所をついて言い直してくる。
 甲残は苦笑する。

 「ふむ。若いのに、うるさい娘だの。嫁の貰い手がなくなるぞ?」
 「フフ・・・ありがとう」
 「嫁の貰い手がないと言われて、礼を言うか?」
 「違うわよ・・・・」
 「よい、わかっておる」

 専用室の自動ドアが横にスライドする。
 室内に入った四人は、テーブルを囲むようにそれぞれソファへと腰かける。
 ここは彼らの私室のようなものであり、様々な物が置かれている。
 オーディオ、カーペット、テレビ、LANマシン。
 ベッドも三つ、布団が一組。
 トイレ、バス、キッチンも完備されている。
 作戦会議などで、長い時間を過ごすに不備な点はない。
 連日連夜の会議も作戦の規模によっては、珍しくないのだ。
 当然、隠しカメラや盗聴器のクリーニングも、彼ら自身が行っている。
 
 「コーヒーでも煎れようかしら」
 「あ、偲音。俺がやるから座ってろよ、な?」
 「そう?じゃあ、お願いするわね」

 立ち替わり、餓雷がキッチンへ向かいコーヒーを煎れ始める。
 と、甲残の隣に座っていた楼円が耳元で小さく。

 「爺さん、アイツね。リーダーに惚れてんすよ?」
 「ほう、それは知らんかった」
 「マジ?気付いてくんなきゃ。あんなわかり易い反応してるってのに」
 「ほっほっ、若い者はよいな」
 「年長者からも言ってやってくれないっすかね?諦めろって」
 「なぜ諦める?よいではないか、好いておるなら」
 「釣り合わないっしょ、リーダーと餓雷みたいなイモは」
 「人は心よ。外見など関係あるまい?」
 「古い人はコレだ」
 「おお、儂はかなり古いぞ」

 三人の席にそれぞれコーヒーが置かれた。
 甲残だけは、茶がおかれた。

 「ふむ。では頂くか」
 
 愛用の湯飲みに口をつける。
 他の三人もそれぞれ、カップに口をつけた。

 「・・・・餓雷」
 「はい?」
 
 甲残は眉をひそめる。
 
 「茶がぬるい・・・」
 「え?他のみんなと同じですよ?」
 
 困惑する餓雷に、

 「ダメよ餓雷。甲残は熱いお茶しか飲まない偏屈さんだから」
 「これ、誰が偏屈か」
 「だって、これ以上は・・・舌、火傷しちまうよ」
 「ふふ・・・甲残、煎れ直してあげるわ」
 「おお、すまんの」

 軽い足取りでキッチンへと向かう。
 その後ろ姿を、ぼうっと眺めている餓雷に。

 「これ、餓雷」
 「え?はい?」
 
 慌てて、振り向く餓雷。

 「どうやら、ヌシの言った通りのようだな」
 「だから、そう言ってんじゃないっすか」

 餓雷の慌てた反応を見て、甲残は楼円の言葉が本当だと確信した。
 
 「なんだよ楼円、甲残も、何を納得してるんです?」 
 「アレを好いておるのだろ?」
 「げ・・・・楼円、お前・・・」

 恨みがましい目で餓雷は楼円を睨んだ。

 「ひゃははは!」
 「甲残に言うなってあれほど・・・」
 「儂に知られて困るか?」
 「いや・・・だって・・・」
 「まぁ、まかせておけ。仲を取り持ってやろう」
 「だから、それが困るんですよ・・・」
 「なぜだ?」
 「まぁ・・・その・・・」
 
 楼円がまたも甲残に囁く。

 「餓雷、自信がないんすよ。だから、ふられるのが怖いってわけ」
 「余計な事を言うな!」         

 ふむ、と甲残が腕を組む。

 「男は度胸よ、のう餓雷」
 「いや・・でも・・・」
 「当たって砕けろというヤツだ」
 「砕けたくないんですよ!」
 「なんと、まあ・・・そう来るか」
 「ひゃはは・・・ぎゃははは!」
 「笑うな!」

 と、そこへ偲音が湯飲みを持って帰ってきた。

 「なに?やけに賑やかだけど・・・?」
 「おう、実はの・・・」
 「待って、ストップ、甲残、言わないで下さい!」
 「ひゃははは・・・・ひゃはは・・・げほっげほっ!」
 「・・・・?」

 楽しそうに話し始めた甲残を、必至で止める餓雷、それを見た楼円はせき込むほど笑っている。
 偲音は何がなんだかわからない。

 「あ、どうぞ」
 「おうおう、すまんの」
 
 受け取った湯飲みに、さっそく口をつける甲残。
 テーブルにはお茶請けが置かれた。
 細かい所に気がつくあたり、餓雷とは違う。
 
 「どう?」
 「うむ。いつも思うが、うまい茶だの」
 「じゃあ、もうさっきみたいな事は言わせないわよ」
 「ん?」
 「さっきの・・・ほら、嫁の貰い手がないって」

 上目遣いに微笑む偲桜。
 冗談とわかっていても、多少は気にしていたらしい。
 甲残はなんとも可愛げのある偲音の表情に、シワを寄せて大きく笑った。

 「おお、訂正するぞ。実はここにも・・・」

 話題がそれて安心しきっていた餓雷が再び慌てふためく。
 楼円もまた収まりかけていた笑いを吹き出した。

 「な、なによ、二人とも・・・」

 どこにでもある光景だった。
 好きな女性に告白できない小心者。
 それをからかって笑い転げる若者。
 お節介だと自覚していない年寄り。
 自分の事と知らず、困惑する女性。
 なんとも微笑ましい関係だった。
 こんな時代でなければ、そのたった一点を除いて・・・





『断片』  END to be C・・・・