『遠慕』






 「おっと・・・すまないが、まだ準備中・・・」

 カウンターでグラスを磨いていたマスターが、開けられたドアを見る。
 一瞬、言葉を失った。
 ややあって。

 「・・・香澄・・・お前か?」

 そう言うと、香澄はにっこりと微笑んだ。

 「どう?似合うかな?」
 「・・・ああ、悪くない」

 昨夜までの長い三つ編みはなく、肩のあたりで切りそろえられた髪が揺れている。
 香澄はマスターの前に座り、銃を横に立てかける。

 「・・・・・・」
 「・・・飲んでいくか?」
 「・・・うん」

 香澄にグラスを差し出して、マスターはドアへと向かう。
 準備中の札を、本日休業の札に変えた。

 「いいの?」
 「たまには・・・な。ここの所、働きづめだったし」

 マスターは自分の分のグラスを出して、酒を注ぐ。

 「ほら、留応が飲んでいた酒よりは飲みやすい」
 「うん・・・」

 無理に微笑む香澄。
 どこか大事なピースの欠けたパズルのような。
 静かな音楽が流れるラーカンス。
 マスターは、香澄にかけるべき言葉が見つからなかった。

 「失恋して、髪を切る時代でもないのにね・・・」
 「・・・そうだな」
 「でも・・・こうする事で、私はまだ恋をしてる気分になれるの・・・」

 失った恋を大切に抱く事でなお、留応を想っている。
 マスターは言葉にならない悔しさを感じていた。
 昨日の神父が現れなければ、かつての太陽のような笑いを浮かべていただろう香澄。
 たが、留応を止める事はできない。
 かつてハンターの過去を持つマスターだからこそ。
 それぞれが持つ戦いの理由に、口出ししてはならない事がわかっているゆえに。

 「留応の事を忘れられれば・・・・楽になれるだろうが」
 「・・・・」
 「今は無理だろう、だから飲め」
 「・・・うん」

 香澄は静かに飲み続けた。
 悲しさを語るでもなく、ため息をつくでもなく。
 ただ、ラーカンスの中での思い出に身を寄せるように、グラスを傾けていた。

 「留応、死ぬのかな・・・・」
 「・・・・多分、な」

 ハンターにとって死は、最も身近な事だ。
 口に出すことに躊躇も抵抗もない。
 例え、それが最愛の者に対して発する時も。

 「・・・・いやだ・・・よ・・・・」
 「香澄・・・」

 だが香澄は未熟だ。
 事実を受け入れるよりも、まず拒絶する。
 想いが大切であればあるほど、強く否定してしまうのだ。

 「嫌われてもいい・・・死んで欲しくない・・・」

 パートナーの件を断られた夜。
 かつてあれほど強く、香澄の願いを断った留応は見た事がなかった。
 いつもムキになる香澄をからかって。
 そして可愛がっていた留応なのだ。
 そう、だから、あんなにも強く断ったのだ。
 マスターにもそれはわかっている。
 留応が死を覚悟するほどの危険な仕事というのだ。
 香澄が行った所で、何もできはしないだろう。
 それどころか、足をひっぱる可能性の方が高い。
 未熟。
 全てはそこに集約される。

 「あたしがもっと強ければ・・・ついて行けたのに・・・」
 「香澄、お前は資質がある。あと三年もすれば・・・」

 事実、まだ駆け出しともいえる期間で、香澄は一人で戦える。
 二体、いや、三体程度までなら勝利するだろう。

 「三年経って・・・どんなに強くなっても、留応がいなきゃ・・・意味ない・・」
 「そうか・・・そうだな・・・」

 香澄は横にある自分の銃を見て、うなだれる。

 「もっと上手く扱えれば・・・・」
 「Z−MASか・・・確かに化け物だからな、この銃は」

 Z−MAS(ジマス)。
 その名称はかつての名銃から戴いたと言われている。
 サブ・マシンガン並の連射性、それにハンドガン並の命中精度。
 近、中距離ならば命中確率はライフルにも匹敵するだろう。
 代価としての大きさと重量。そして動作不良の高いパーセンテージ。
 シュートポジションは肩に担ぐようにし、バレルの下につけられた照準を通してトリガーを引き絞る。
 長期戦には有利なものの、インドアでは取り回しで劣る。
 様々な特徴と欠点をもつこの銃は、マニアックという印象から逃れられない。
 射撃の腕は無論のこと、体力、筋力もかなり要する。
 これらの事から、女性が使用するには不向きだ。
 香澄がそれでも使用するのは、留応に対する虚勢。
 自分は一人前で、十分戦えるというポーズでしかない。
 銃に振り回されて、その性能の三割も引き出してはいないだろう。

 「・・・・結局、留応には置いて行かれちゃったなぁ」
 「そうだな、だが・・・」
 「いいの、言わなくてもわかってるから」
 「そうか」

 留応が香澄の身を案じている。
 その優しさが感じられるからこそ、香澄は平静でいられるのだ。

 「・・・ほら、飲みな」
 「ん・・・ありがと」

 留応の強さに惹かれ、その後につくようにバウンティハンターから、バーミンハンターへと職を変えた香澄。
 当時、バウンティハンターであった香澄は、バーミンハンターを嫌悪していた。
 獣を狩る、下品な職業。野卑で乱暴で、汚らしい。
 対してバウンティハンターは犯罪者を相手にする。
 敵は銃を持ち、頭を使って応戦してくる。
 当然、バーミンハンターよりも自分は強いと確信していた。

 「留応さ・・・何であたしなんか助けたんだろ?」
 
 マスターはなんとも複雑な顔をする。
 この時代、人助けなど酔狂の極みなのだ。

 「あいつは甘いし・・・お人好しだからな」
 「うん・・・バカよね・・・」



 留応と初めて出会った時を思い出す。
 廃棄ブロックに犯罪者を追いつめ、発砲が可能となった状況。
 香澄はターゲットとの距離を確実に縮め、仕留める寸前のところにあった。
 携帯していた武器はハンドガン。
 スライドタイプで14+1の標準型。
 肉抜きをして、軽快に扱えるようカスタムもしてあった。
 威力よりも命中度。それがモットーだった。
 その頃はZ−MASの存在すらも知らなかったし、知っていたとしても使いはしなかったと思う。
 あたしは勝利を確信して、ターゲットが身を隠すため走り込んだ廃ビルへと進入する。
 一歩一歩用心して、耳を済ませ、筋肉をいつでも緊張から放てるように。
 三階ほど上がった時だった。
 人間にしてはあまりにも激しい断末魔の声。
 それはまぎれもなくターゲットの声。
 駆けた。
 あたしは誰かに獲物を横取りされたと思いこんでいた。
 バウンティハンターの中での暗黙の了解に反する。
 怒りに身を任せ、その部屋に入り・・・あたしが見たものは。
 四散した人間を食らう幼体のバーミン。
 その目があたしを見据えた。
 無意識に銃を持ち上げ、乱射する。
 心臓に三発程度ヒットして、弾薬は切れた。
 小さな口径、銃弾はノーマル。殺傷力はなきに等しい。
 それも全てはバウンティハンターとして、標的を生かしてとらえる為の装備だった。
 自信は・・・・あった。
 この銃でもあたしの腕ならばバーミン程度、倒せると。
 バーミンは食らっていた腕を放り投げて、あたしに牙を剥いた。
 何がなんだかわからないまま、あたしは逃げ出していた。
 恐怖が全身を支配して、死が目前に感じられた。
 階段をかけおり、ビルから出る。
 重い足音はすぐそこまで迫っていた。
 振り返ることもできない。
 獣が自分の肉を食うために追いかけている。
 殺意には慣れているはずだった。
 殺意じゃなかった。
 純粋な食欲。ざらりとしたあの感覚は今も忘れられない。

 バーミン。

 それに追われていた香澄は、死の表情を浮かべていた。
 唐突な出来事だったが、バーミンハンターとしての習慣が体を無意識に動かす。
 バイクを止め俺は、一度香澄に微笑み。
 一瞬で二丁の銃を抜いた。
 ろくに狙いもつず、しかし弾丸は眉間と心臓部に収束して点になる。
 弾丸を撃ちきるまで、銃撃は止まらない。
 バウンティハンターとバーミンハンターの違いだ。
 やがて、バーミンが力なく倒れる。
 半死半生などではない。確実に絶命させた。
 そうする事でバーミンハンターの狩りは終わる。
 なかば呆然としている香澄が。

 「・・・あ、あんた・・・?」
 「君はバウンティハンターか?」
 「そうよ・・・バーミンハンター?」
 「ああ」

 その時の香澄はなんとも言えない顔をしていた。
 後から聞いた話では、バーミンハンターなど取るに足らないと思っていたらしい。
 
 「バーミンハンターなんかに助けられるとはね・・・」
 「仕方がない。バウンティよりも強いからな」
 「・・・ふん、下品なだけよ。粗雑で乱暴で・・・」
 「どうとでも」

 香澄は悪態をつく。必至に隠してはいるが、負け惜しみとすぐにわかる。
 そして不思議そうに、香澄の瞳は俺の銃を見つめていた。 

 「その銃は?」
 「特別仕様だ。君が持っているような豆鉄砲じゃ仕事にならないからな」
 「豆鉄砲ですって!?」
 「実際、効かなかったろ?」
 「そう・・・だけどさ」

 誇りを傷つけられたように香澄はうなだれる。
 どちらのハンターも、自分の扱う武器に誇りを持つ者は多い。
 
 「気にするな。バウンティハンターもバーミンハンターも必要な時代だからな」

 この慰めのセリフが香澄をえらく刺激してしまった。

 「なによ、あたしじゃバーミンは狩れないって言うの!?」
 「まぁ・・・その・・・」

 思惑とずいぶん外れた怒りの言葉に俺は苦笑する。

 「見てらっしゃいよ!あんたなんかすぐに追い抜いてやるんだから!」
 「ふ・・・・」
 「笑うな!」
 「いいさ。俺はいつもラーカンスという酒場にいる。なにかあったら顔を出せ」
 「どこにあるのよ?」
 「西、第1ブロック」

 露骨に嫌そうな顔の香澄。

 「色街じゃないのよ・・・だから男って」
 「ラーカンスはまともな酒場さ」
 「いいわ、そのうち行ってあげる」
 「頼んじゃいないぞ?」
 「あんた、むかつくヤツよね・・・」
 「じゃあな」
 「・・・・あのさ」

 バイクのエンジンを始動させた俺に香澄が、なんとも言いづらそうな表情を浮かべた。

 「なんだ?」
 「助けてくれて・・・・ありがと」
 「いいさ、運が良かったんだよ」

 それが俺と香澄の初めての出会いだった。
 懐かしい。
 さずかにZ−MASを担いでラーカンスに来た時は驚いたが。



 「何を考えているんです?」

 昂麻がのぞき込むように俺に問いかける。
 喫茶店の中、手伝ってくれると了承した昂麻は面白そうに。

 「ちょっと・・・な」
 「女ですか?」
 「勘違いするな、恋人じゃないぞ」

 冷え切ったコーヒーを一口ふくむ。  

 「香澄・・・さんでしたっけ」
 「鋭いな。そんなに香澄の事は話していないのに」
 「彼女をパートナーにしなかったのはなぜ?」
 「さぁ・・・ 」

 こんな誤魔化しも。

 「死なせたくない・・・そうですか?」
 「わかってるなら聞くな」
 「ところで」
 「ん?」
 「抱きましたか?」
 
 あやうくコーヒーを吐きそうになる。
 表情をまったく変えない昂麻の問いは、予想しづらい。

 「いや・・・一度も」
 「かわいそうに」

 しみじみと言う昂麻。

 「妹みたいなものだよ、香澄は」
 「そんなもんですか」

 そう、妹のようなものだ。
 一生懸命に俺を追いかける、そんな・・・

 「そろそろ出るか」
 「そうですね」

 伝票を持つ昂麻。

 「これからどうします?教会へ向かうのは明日でしょう?」
 「そうだな・・・武器でも探しに行くか」

 店を出た俺達は、今日一日を準備にあてる事にした。

 「いつものハンドガンではダメなんですか?」
 「悪くはないが、心許ない。多分、成体バーミンも相手どる事になるだろうしな」
 「成体ですか」

 バイクをまたぐ。
 後ろのシートに昂麻が体を預けた。

 「成体を相手にしたことは?」
 「ええ、一度だけ」
 「結果は?」
 「命からがら逃げ切りました」
 「上等だ。行こう」

 俺はバイクのアクセルを回し、行きつけの銃砲店へと向かった。





『遠慕』  END to be C・・・・





『無為』






 「哀稟!哀稟!」
 「下がって、命稟!」

 神父様の放った銃弾はバーミンの眉間を撃ち抜いた。
 哀稟という人間だったバーミンを絶命させた。

 「・・・・・哀・・・稟」

 濁った瞳に、私が写っていた。
 哀稟だった人間の瞳に。
 神父様はがっくりとヒザをつき、銃を投げ捨てて神に問うた。

 「神よ・・・なぜ!」

 神様なんているはずがない。
 神父様はもう気がつくコトだろう。
 自らの手で命稟を殺すコトで。
 私を命稟の手から救うコトで。
 神ならばどちらも救えるはずだから。
 だから神父様は私を選んだ。
 私にはそれで足りた。

 「神よ・・おお・・・・なぜ・・・このような!」

 神はいらない。
 私には神父様がいればいい。
 ずっと前からそう思っていた。
 愛されていることも感じていた。
 父として、神父としての愛に。
 それが二つに分けられた不完全な愛であることも。
 独占したかった。
 二つを一つに、そして全てを抱きたかった。
 だから。
 バーミンと化し、そして死んでいった哀稟の瞳に写る私は。
 微笑んでいた。



 命稟はゆっくりと体を起こす。
 朝。
 
 「いや・・・もう昼・・・ね」

 その裸体をさらし、窓から差し込む日差しをまぶしげに見上げる。
 乱れたベッドからシーツをはがし、体にまきつけた。
 そこに残るは麒麟の香り。

 「・・・・・・」

 何度、口づけを交わし、肌を重ね、指を絡ませ、そして朝を迎えただろうか。
 ベッドの横、木製の机の上の写真立て。
 そこに写るのは麒麟、そして命稟と・・・哀稟。

 「哀稟・・・」

 写真立てを手に取り、今はなき妹を見つめる。

 「・・・・・ふん」
 
 死んだというのに、今も神父様の心の中に住む哀稟。
 私に向けられる愛はまだ完全じゃない。
 二つの内の一つでしかない。
 
 「・・・あんたなんて、生まれてこなければよかったのに」

 同じ顔。
 同じ体。
 気持ち悪い。
 全てが同じ。
 私は一人だけでいいのに。
 神父様に愛される私だけで。
 なのに、哀稟はまだ生きている。
 私の手の届かない所で、神父様の心の中で生きている。
 私の心の中の命稟は死んでいるというのに。
 哀稟。
 消さないと。
 殺さないと。
 不完全な愛に気が狂いそうになる。
 いっそ変わってやりたい。
 あの時、私が死んで。
 哀稟が生きていれば。
 愛されて、愛されていない、この愛の苦しみを思い知らせてやれるのに。

 「女になんて生まれなければよかった・・・・」

 なればこそ、麒麟を愛するコトも。
 だからこそ、麒麟を愛するコトが。
 
 「でも、それもあと少し・・・」

 麒麟が何をやっているか。
 それが近く、死と結ばれるコトも知っている。
 盾になれればそれでいい。
 ただ一つ、麒麟よりも、自分が先に死ぬコトだけが望みだった。
 それで愛は一つになると信じていた。



 麒麟は街にいた。
 明日になれば、留応がパートナーを引き連れてやってくるだろう。
 死という演奏が序幕を迎えるのだ。
 そのための準備。

 「やっと・・・」

 否定し続けた神。
 その全てを吐き出せる。
 バーミンという存在が神の試練でない事。
 それを証明する事で、神の存在を完全に否定できる。

 「所詮は児戯にも等しき抵抗・・・」

 神がいるのならば、そうだ。
 絶対である神の試練を乗り越える事が、人である麒麟にできるはずもない。
 だが、もしも。
 もしも、バーミンがこの世から消滅させる事ができるのならば。
 それは神の試練ではない。
 かつて、命稟の命を奪い、哀稟の心を壊したバーミン。
 神父として、試練と思うしかない悲劇が試練でなければ。
 神はいない。
 
 「神よ・・・私は貴方を否定し続ける・・・」

 麒麟が向かったのは地下闘技場。
 法というものが曖昧な時代だ。
 そこに律はなく、快楽が表立つ。
 法治機関も、よほどの事でなければ動きはしない。
 窃盗、殺人程度では。
 当然、賭博などその眼中にもないだろう。

 「なにも・・・変わってませんね、ここは」

 街の中心から少し外れた場所にある店。
 一見してバーの入り口は、地下へと続く。
 そこには、屈強な男が立っている。
 場違いな客が入り込まないように、見張りをしているのだ。
 スキンヘッドにタトゥ。
 いかにもといった風体に、麒麟は微笑む。
 そして、話しかけた。

 「入れてもらえますか?」
 「あん?」

 スキンヘッドは麒麟の身なりを見て、呆れたように。

 「あのなぁ、ここはあんたみたいなヤツが来る場所じゃねぇよ」
 「まぁ、そう言わず」

 店の性質上、荒くれ者の対応には慣れているスキンヘッドも、相手が神父ではどうも要領を得ないようだ。

 「ここがどういう店か、わかってんのか?」
 「ええ。実はちょっと前まで常連だったんですよ」
 「はぁ?」
 「貴方が知らないのもムリないですけど」
 「ん、まぁ、新入りと言えば新入りだしなぁ・・・俺」

 ますます持ってスキンヘッドが困惑する。
 
 「でも、ちょっと勘違いしてるんじゃねーか?」
 「いえ、ここで合ってますよ」
 「・・・勘弁してくれよ。あんたみたいなの通したら、説教くらっちまうんだよ」

 この男、よくある腕力まかせの男ではないらしい。
 自分よりも弱い者には力をふるわない、そんな性格なのだろう。
 根はいい、というヤツだ。
 麒麟が通っていた頃の見張りは、力まかせが多かったが。
 その九割は麒麟に手をあげ、無様に倒れたものだが。

 「貴方、いい人ですね」
 「な、なんだよ、唐突なヤツだな」

 と、階段を上がってくる男がいた。
 スキンヘッドが軽く頭を下げる。

 「どうした?」
 「いえ、その・・・この神父が」

 その顔に見覚えのある麒麟は、軽く手を上げた。

 「お久しぶりですね、高欄さん。ちょつと頼みたい事がありまして・・・入れてもらえませんか?」
 「あ・・あなた・・・は・・・」
 「え?」

 高欄と呼ばれた男が驚愕の表情を浮かべたのも束の間。

 「失礼しました!どうぞ!」
 「は・・・あの?」
 「このバカ野郎!」
 
 高欄がスキンヘッドに怒鳴る。
 それをいさめるように。

 「突然来た私が悪いんですし・・・・」
 「いえ、コイツには責任を取らせます、あろう事か貴方にこんな無礼を・・・」
 「え・・・高欄さん、そんな・・・ちょっと」

 スキンヘッドが顔色を変える。
 骨の二、三本は覚悟しなければならない。

 「高欄さん、いいんですよ。ずっと来ていない私など覚えている人間の方が少ないですし、それに彼はまだ新入りと聞きました」
 「新入りでもなんでもです。よりにもよって貴方に対してこんな無礼な」

 ぐいっとスキンヘッドの腕をつかむ高欄。
 麒麟はその手をおさえた。

 「高欄さん、聞いてなかったんですか?」
 「しかし・・・」
 「私がいいと言っているんですよ?」   
「・・・・失礼しました!」

 高欄が直立の姿勢をとる。
 
 「では、入っていいですね?」
 「どうぞ、こちらへ!」

 ただ、スキンヘッドの男は展開がつかめず呆然としている。

 「あなたも来ますか?悪い事をしてしいましたし、おごりますよ」
 「え・・あの?」
 「有り難くお受けしろ」
 「でも、見張りが・・・」
 「代わりの者をやる」
 「はぁ、じゃあ・・・」

 高欄を先頭に、麒麟とスキンヘッドが並んで歩く。

 「あの・・・」
 「何です?」

 スキンヘッドがおずおずと問いかける。

 「高欄さんのお知り合いだったんですか?」
 「まぁ、そんな所ですけど、友人というわけではないんです」
 「はぁ」
 「貴方、名前は?」
 「あ、外我と言います」
 「それは闘名ですか?」
 「そんな、とんでもない!俺なんてまだ駆け出しで・・・リングにも入った事すいですよ!」

 麒麟が口にした闘名とは、闘技場での名前である。
 賭けが行われる際に、使用される。
 三文字、二文字、一文字と段階で分けられ、特に一文字の闘名を持つ事は、数いる闘技者の憧れだ。

 「そうですか、頑張って下さいね」
 「あんたの名前は?」
 「今にわかりますよ」
 「?」

 三人は長い階段を下り、やがて鉄の扉を前にした。

 「あ、高欄さん。飛び入りのシステムはまだ残っていますか?」

 高欄はニヤリと笑い。

 「ええ、もちろんです」
 
 ドアを開けると、鉄柵にかこまれたリングがある。
 上下左右をぐるりと囲むそれは、檻のようである。
 檻を中心として、無数のテーブルがあり、客は溢れかえっている。
 嬌声、怒号、拍手、様々な音が入り乱れている。
 熱気と狂気。

 「変わっていませんね」
 「ええ」

 高欄の案内で三人は一段高い、特別席へと腰を下ろす。
 だだ一人、外我が躊躇する。

 「俺、ここに座っていいんですか・・・」
 「どうぞ、構いませんよ」
 
 外我は高欄を見て、

 「座れ」
 「は、はい。じゃあ・・・」

 外我が緊張するのも無理はない。
 この席は二文字以上の闘名を持つ者か、高い地位のある客でしか座れない。
 闘名も持たず、いまだ見張りの我外にはおそれ多いのだ。

 「それで・・・頼みとは?」
 「ええ、ちょっと難しい事なのですが・・・」

 麒麟は高欄の耳に口を寄せ。

 「・・・どうでしょう?できますか?」
 「・・・・確かに難しいですが・・・」
 「無理にとは・・・」
 「いえ、させて頂きます。誇りには礼節を以て。これがここの掟ですから」
 「すいません」
 「ただ、一つ」
 「何でしょう?」
 
 高欄は黙って檻を見た。

 「ええ、いいですよ」
 「ありがとうございます。もう見られないものと諦めておりましたので」

 高欄はテーブルにそなえつけられていたベルを押し、給仕を呼ぶ。

 「そろそろ闘技が始まります。ごゆっくりどうぞ」

 給仕にオーダーを伝えた高欄は、奥へと去っていった。
 
 「・・・・・」
 「どうしました?」
 「いや、緊張しちまって、その」
 「なぜ?」
 「これから始まる闘技の面子がすごいんすよ」

 外我が熱っぽく語る。
 純粋な尊敬がそこにはある。

 「どういう方が?」
 「雹牙さんって人と、陣さんって人です」

 気がついたように外我は服の中からパンフレットを取り出した。
 何度も読み返されて、表紙やページの端がよれている。

 「なかなか強そうですね」
 「強いなんてもんじゃないんですよ!」
 
 子供のようにはしゃぐ外我。

 「雹牙さんも、これに勝てば一文字の闘名が許されますし、陣さんはここの所、無敗なんすよ!」

 パンフレットを眺める麒麟。

 「どちらも大きなナイフを持ってますね」
 「そりゃ、小さなナイフより有利だろうし」
 「そういうものですか?」
 「そりゃそうですよ。常連だったわりには素人なんすね?」
 「ええ、闘いを見る事はあまりなかったので」
 「ああ、高欄さんの仕事仲間なんですか」
 「互いに利益を得るという事では、仕事仲間と言えます」

 と、客がいっせいに騒ぎ始めた。

 「あ、始まりますよ!」

 檻の両サイドから選手が入場してくる。
 武器は飛び道具意外、ただ一つのみと決められている。
 隠し武器などの有無を明確にする為に、選手達は全裸だ。
 傷だらけの体は、どちらも大柄で怪力を想像させる。
 そのがっしりとした筋肉は、ナイフの刃すらも弾きそうだ。

 「この雰囲気・・・懐かしいですね」
 「え?」
 「いえ、なんでも・・・」

 天井近くに設置された電光掲示板に、二人の名前が照らし出される。
 雹牙の配当が幾分、多い。

 「そういえば、外我さん?」
 「はい?」
 「貴方には目指している闘技者というものはいますか?」
 「目指しているというより、憧れている人なら」
 「それは?」
 「いや、見た事もないんですけど、一文字闘名で、背中に・・・」

 二人が檻に入ると、客がさらにわいた。
 外我も思わず席を立つ。
 闘いが始まったのだ。

 「ハッ!」

 短い呼気とともにナイフを突き出す雹牙。
 わずかな余裕をもって、陣が身をかわす。
 体を回転させつつ、蹴りを繰り出すが、雹牙ももまた両腕でブロックする。
 その一瞬の攻防に、観客が嬌声を上げる。

 「最近の闘士は質が落ちましたね・・・」
 
 麒麟の呟きも届かぬほど、外我は闘いに夢中になっていた。
 勝負の行方、その決定打の一撃を見逃すまいと必至だ。
 なおも闘いは間隙なく続く。
 見た目には雹牙が攻め続け、防戦一方の陣が不利に見える。
 が、麒麟にはわかっている。
 相手の攻め疲れを待つという、ある程度の実力差が必要な戦法を陣が忠実に行っている事を。
 そんな攻防が続き。

 「あっ!」

 外我が叫んだ。
 攻めていたはずの雹牙の動きが、わずかに不自然な体勢をとったのだ。
 陣の拳が、その脇腹に埋まっている。
 好機だ。
 陣は足をからませ、雹牙を転倒させる。
 そのまま、首筋にナイフを当てがった。
 決着だ。

 「陣さんか・・・やっぱり、強い!」
 「なんとも・・・」

 一方の麒麟は落胆と廃退を目にした気分だった。

 「子供の遊び・・・ですね、これでは」
 「え・・・今、なんて言いました?」

 口調は丁寧なままで。
 それでいて怒りが浮かび上がっている外我。

 「子供の遊び・・・そう言ったんですよ、外我さん」
 「・・・・あんた、高欄さんの知り合いだからって、言っていい事と・・・」
 「私は感じたままの事を言ったまでです」
 「この・・・」

 そんな空気を破るように、高欄が二人の元へと戻ってきた。

 「お待たせしました・・・おや、どうしました?」
 「高欄さん、こいつ、闘技を子供の遊びだとぬかしやがった!」
 「・・・・」

 麒麟は涼しげな瞳で、高欄を見る。

 「誇りには礼節を以て。勝者には敬意を以て・・・それを忘れられたと?」
 「まさか。しっかりと覚えていますよ。ですが、一つ抜けていますね」

 微笑み、

 「敗者には死を以て、この言葉はもうなくなったのですか?」
 「・・・それは・・・」

 麒麟は立ち上がる。
 目は檻を見つめていた。
 そこでは雹牙都陣が互いの健闘を讃え、肩を叩き合っている。

 「馴れ合いですよね」
 「時代が変わったのです。昔はあまりにも死にすぎた」
 「それで、あんな雑魚にも一文字の闘名が与えられたのですか?」
 「てめぇ!」

 とうとう外我が爆発した。
 高欄がそれを力づくで止める。

 「・・・これが頼まれたものです」

 高欄は、一枚の紙片を麒麟に渡した。

 「どうも、お手数をかけました」
 「いえ・・・」
 「では、約束通り、やらせてもらいましょうか」
 「・・・昔のルールで?」
 「当然です・・・と言いたい所ですが、それでは礼になりませんから、今のルールで結構ですよ。ただし・・・」

 麒麟が高欄の耳もとで何事かを伝えた。
 瞬間、パッと高欄の顔が明るくなる。
 
 「では、お願い致します、私は準備に・・・」

 はしゃぐ子供のように高欄がかけていく。
 ただ、外我だけは、納得いかない顔をしている。
 
 「さっきの言葉、取り消せよ」
 「必要ありません」
 「・・・ケガしたいのか?」
 「ふ・・・」

 麒麟は服を脱ぎ、上半身をさらした。

 「何のつもりだ?」

 同時に高欄の声でアナウンスが入る。

 『お客様へ申し上げます。たった今、飛び入りの挑戦者が名乗りを上げました!』

 闘いの余韻に浸っていた客達が再び、喜びに叫び始めた。
 陣と、そして雹牙が至る所にそなえられたスピーカーに耳をたてる。
 
 『ただし、今回は特別なルールで行われます、掲示板をどうぞ!』

 電光掲示板が一度クリアされ、再び二人の名前が表示される。
 ただし、同じサイドに。

 『今回は二対一の変則マッチで行われます!』

 さすがにこれには拍子をぬかれたか、客をはじめ陣と雹牙も驚きを隠せない。
 一文字と二文字、闘名は伊達ではないのだ。
 その二人を一人で相手取る事ができる闘士はいない。
 今は。

 「では、そこでよく見ていて下さい、外我さん」
 「え・・・?」

 全裸になっていた麒麟。
 背を向けて檻へと歩き出す。

 「・・・・・!!」

 その背に信じられないものを見たかのように、外我が目をむく。
 深い十字の傷。
 外我が知る中で、この傷を持つ闘士はただ一人。

 「そんな・・・まさか・・・!」

 電光掲示板に、二人の相手の名前が表示された。

 「・・・バカ・・・な!」
 「引退したはずじゃ!」

 『神』。
 それが麒麟の持つ闘名。

 「お待たせしましたね、お二人とも」

 雹牙にしても、陣にしても、『神』を見るのは初めての事だった。
 もはや伝説と化した闘名なのだ。
 それが、今、自分たちの前に立っている。
 身長もさしてなく、筋肉が盛り上がっているわけでもない。
 信じられなかった。

 「・・・あんた、本当に・・・『神』なのか・・・」

 雹牙の問いに麒麟は微笑む。

 「そう呼ばれていた時代もありました」
 「本物なの・・・か」

 陣も、また困惑したまま。

 「さて・・・」
 
 手にしているのは細い黒塗りのナイフ。
 ただ棒立ちのまま二人を見つめる。

 『試合、開始!』

 高欄の声が響いた。
 信じがたい畏れを抱いたまま、二人は麒麟に向かって走り出す。
 間合いは一瞬にして詰められた。

 「ハッ!」
 「むん!」

 それぞれが足と腕を狙っていた。
 
 「なんとも・・・」

 これが昔ならば、間違いなく心臓か首を狙うところだ。
 麒麟は二つのナイフを、流すように弾いた。

 「く!」

 呻いたのは雹牙。
 陣はすぐさま身を転じ、足払いをかけてくる。

 「子供の遊びどころか・・・・」

 麒麟はそれを交わさない。
 軽い衝撃がすねを襲う。
 
 「・・・な?」

 バランスすら崩さない麒麟を、陣は驚き見上げた。

 「ままごとにも至らない技術ですよ・・・」

 回り込むように雹牙が蹴りを繰り出している。
 後ろからナイフを突き出す事すら出来ないのだ。

 「これで闘士とは・・・」

 半身ずらして、麒麟は蹴りをかわす。
 バランスを崩した雹牙は勢いあまり、転倒する。

 「・・・この!」
 「貴方達、弱すぎます」

 この一言が、二人のプライドを逆なでした。

 「殺してやる!」
 
 激昂したのは陣だった。
 尽きだしたナイフの狙いは心臓。

 「ほう・・・」

 続くように雹牙もまた額に血管を浮きだたせ、腹部を狙ってくる。

 「それでいいんですよ、それで」

 二つの凶器の殺意に、麒麟はやっと闘いの感触を感じた。
 
 「死ね!」

 どちらかが叫んだ。
 見た目、緩慢とも思える動きの麒麟が、見事にかわす。
 そして。

 「精進なさい」

 背を向ける格好になっていた二人へと、ナイフを振るう。

 『勝負あり!』

 陣と雹牙はスピーカーを見上げる。

 「なぜだ!」
 「まだ勝負はついてない!」

 麒麟はすでに檻から出ようとしていた。

 「待て!」

 その雹牙を見て、陣が肩に手をかける。

 「俺達の負けだ・・・」
 「なぜだ!?」

 陣が自分の背を雹牙に向ける。

 「なっ!」

 そこにはくっきりと十字に斬られた痕。
 麒麟は、いや『神』は敵を二度殺す。
 一度目は確実に殺せる瞬間に十字を刻む。
 二度目はそれを深く切り裂くのだ。

 「『神』が十字を刻む意味は死の宣告・・・でしたね?」
 「そういう事です」
 「本物・・・だった・・・」

 明確な恐怖に雹牙ががっくりとヒザを落とす。

 「一文字の闘名。そんなに軽いモノではないんですよ」

 檻から出る麒麟。
 迎えた外我は打ち震えていた。
 
 「失礼な事を言って・・・申し訳ありませんでした!」
 「いいですよ」

 服を身につけ、麒麟が微笑む。

 「私はもう行きます。高欄さんによろしく伝えて下さい」
 「はい!・・・あの・・・」
 「何です?」
 「また、ここで戦う時は・・・」
 「それは、もうないでしょう」
 「え?」

 外我の表情が曇る。

 「私はもう死にますから」
 「・・・それは・・・あの?」
 「では」

 麒麟は、出口へと向かう。
 外我はただ呆然と、その背を見送った。





『無為』  END to be C・・・・