『00』






 Cブロックに最も近い封鎖ブロック。
 夜に包まれた、南第5ブロックでそれは行われていた。
 十数人からなる軍人が辺りを監視し、その数倍の要員が円心状に配備済みだった。
 
 「準備、全て整いました」
 「わかりました。実験に入ります」
 「成功するといいですね」
 「・・・・」
 「今は亡き磁明博士の跡を継ぐのは、助手であった貴女しかおりませんし」
 「わかっています・・・全力を尽くしています」

 白い衣服に身を包んだ女性が、助手からの報告を受けて開始を告げる。
 巨大な銀色のコンテナを連結したトレーラーが二台。
 そのうちの一台が、その厳重なロックを解かれ中から巨大なケージが引き出される。
 黒い布のかぶされたそれは、激しく揺れていた。

 「だいぶ興奮しているようですね、博士」
 「・・・・・」
 「博士?」
 「あ、ごめんなさい、何?」
 「・・・だいぶ、お疲れのようですね」
 「ええ・・・ちょっと」
 「ですが、ふんばり所ですので」
 「わかっています、私は大丈夫ですから・・・」
  
 置かれたケージを大型の銃を装備した要員達が厳重に囲む。
 全員が緊張した面もちで見つめる中、一人が布をはぎとった。
 異物がそこに在った。
 成体バーミン。
 幼体とは違い、その体は人間の二倍ほどに膨れ上がっている。
 緑色の皮膚は硬質化し、銃弾すら容易に弾く。
 脇腹から出た昆虫のような腕と、もとより在る二本の腕。
 背は肩胛骨から突き出すように、コウモリのような羽がある。
 なによりも、瞳。
 額の皮膚を裂くようにして、赤い目がそこにはあった。

 アァアアァアァァアァァアアアァァアアァ!!!!

 辺りに咆哮が散って消える。
 鼓膜を震わすそれは、激しい嫌悪感を伴った。

 「慣れないものですね、バーミンの鳴き声って・・・」
 「悲しみがそれだけ強いのよ・・・」
 「バーミンに感情なんて、あるんですか?」

 助手はいかがわしげな目を向ける。
 普通なら信じない。

 「そうね・・・」

 否定、肯定。
 二重の意味の底にある答えを助手は理解する事はなかった。

 「博士、よろしいですか?」

 後ろから、他の助手が声をかける。

 「はい、実験体をここへ」
 「はっ」

 同じく、二人の助手に連れられて一人の少年が現れた。
 その幼い顔立ちは怒りと憎しみで満ちている。
 誰に向けられた感情か。

 「この悪魔!」
 「・・・・・」

 唾棄するように少年は叫ぶ。

 「貴様、博士に向かって!」
 「・・・いいのよ。始めて下さい」
 「・・・はっ」

 少年が、助手に腕をつかまれたまま、ケージの前へと引き出される。
 成体の咆哮が激しさを増した。

 「失敗したら再調整だ。わかっているな?」
 
 助手が少年から離れた時にかけた言葉。
 少年はそれに過敏に反応する。

 「・・・・・・くそっ!やってやるよ!」

 博士が手を上げると、ケージと少年がライトアップされる。
 三つの成体の目が少年をとらえて離さない。

 「・・・05、何か聞こえるか?」

 助手がマイクを通して、スピーカーから少年に話しかける。
 少年は『05』と呼ばれていた。

 「・・・・・」
 「・・・・どうだ?」
 「・・・聞こえない、何も。ただ、ざらついた感じがする」

 少年は成体を見つめたまま、助手に答える。
 それを聞き、

 「博士?」
 「・・・50%という所でしょう。テレパスはしているようですから、次の段階へ進んで下さい」
 「はっ」

 再び助手がマイクを取る。

 「第二段階に入る。各自、準備せよ」

 その声と同時に、ケージを囲んでいた軍人達の緊張感が増した。
 無理はない。ここ、二、三回ほど暴走が続いているのだ。

 「05、準備はいいか?」
 「よくないって言ったら、やめるのかよ!」
 「では、始めろ」
 「・・・・」

 05はケージに向けていた目を一度そらし・・・・

 「お前も僕も、所詮はモルモット・・・か」
     
 再び、成体を見やる。

 「・・・・・・・」

 静かな時が、張りつめた緊張の中で流れていく。

 「ふぅ・・・・ふう・・・」

 05の額に汗が珠を作る。
 一滴、流れ落ちた。
 成体が剥いていた牙を納め、ケージを叩いていた腕をゆっくりと下ろした。

 「おお!」
 「・・・・・」

 成功したと確信した助手に対して、博士の表情は変わらない。

 「・・・くっ・・・はっ・・・はぁ・・・」

 少年のヒザが笑っている。
 ただ見つめるという行為に、どれほどの精神力と体力が消耗されているか。
 それは05にしかわからない。

 「博士。第三段階へシフトしますか?」
 「・・・ええ、お願いします」
 「では」

 助手が手を上げると、もう一台のコンテナのロックが解除される。
 そしてまた、布をかぶせられたケージが引き出された。

 「第三段階へ移行する、一層の注意をされたし」

 そのケージの中もまた、一体の成体バーミンが捕らえられているものだった。

 「05、いいな?」
 「はぁ・・・はっ・・・好きにしろ・・・」
 「第三段階、開始!」

 ケージを囲んでいた要員達が待避し、遠方より銃を構える。
 その場所から動かないのは、少年と二体の成体が捕らわれているケージ。
 まず、05は前のケージから開いた。
 ゆっくりと、成体バーミンがケージより出てくる。
 しっかりとした足取りに助手は満足そうにうなずいた。

 「これなら、成功するかもしれませんね」
 「だと・・・いいんですけど」
 
 そして、もう一つのケージ。
 牙を剥き、爪をケージに叩きつけるバーミンが解き放たれようとしている。
 05は一度、助手を振り返り無言で確認する。

 「出せ」

 05は電子ロックの解除をセットし、すぐにもう一体の成体の背後へと回る。
 ピッ、ピッという一定の間隔で鳴るアラーム。
 05はそのカウントダウンを見つめる。

 ピー・・・・

 そしてケージが開かれた。
 成体はほとんど同時に、飛び出した。

 「行け!」

 05もまた、かけ声とともに自分の成体に合図する。
 敏捷に反応するバーミン。
 一方、素のままのバーミンも、その敵意を察知して機敏に反応する。
 成体同士の闘いが始まった。

 「始まりましたね」
 「・・・ええ」
 「問題は05の精神と体力がどれだけ耐えられるか、ですが」
 「・・・・・」

 成体達は四本の腕を無尽に振り回し、もつれるように殴り合っている。
 爪で裂き、牙で食らい、究極の獣のような様相を呈している。
 体格で勝っていた少年のバーミン。
 素のバーミンは不利を感じたのか、羽を大きく動かした。

 「飛ぶぞ!」

 叫ぶ助手。
 05もまた合図を送る。

 「追え、たたき落とせ!」

 声に感応し、羽ばたかせるバーミン。
 闘いの場は地上から空中へと移る。
 高度を上げていく二体の成体。
 やがて肉眼での確認が不可能なほど上昇した。
 05だけがその姿を認識していた。

 「どうなった・・・・?」

 助手がそう呟いた時。
 高々度から落下してくる一体のバーミン。
 地上に激突し、肉片が飛び散った。
 
 「・・・・どっちのバーミンだ?」
 
 05は助手を見て、やはり無言で成功を告げた。

 「そうか・・・よくやった05!」
 「・・・・」

 助手の反応に対して、博士の表情は暗い。
 まるで成功する事が望ましくない結果であったかのように。

 「成体を回収して戻ってこい、05」

 スピーカーから助手が、各部員に成功を告げて撤収の準備を始める。
 警戒も解かれ、銃を構えていた要員達も点呼を始めている。

 「・・・・今なら・・・・」
 
 その後から舞い降りるバーミン。
 音もなく着地した成体は、少年を見やって。

 アァアアァアァァアアァァアアァアアァアアァァア!!!!

 咆哮した。
 驚愕したのは助手だった。
 『慣らし』の効果が切れたと判断したのだ。 

 「05、戻ってこい!実験は失敗だ!」
 「・・・・・・・」
 「05!」
 「もうたくさんだ!誰が戻るかよ!」
 「貴様・・・」

 成体のバーミンが吠えて。
 05はその胸に飛び込む。
 四本の腕で守るように05を抱いたバーミンは羽を大きく動かす。
 そして動き出そうとした瞬間。

 「05と成体を処理して下さい」

 マイクを取ったのは博士だった。
 軍人達は一斉にトリガーを引き絞った。
すでに囲いも解き、戦闘態勢の整っていない銃火が成体をとらえられるはずもなく。
 また急所でない場所に当たった弾丸は、硬質化している成体の皮膚を貫く事もなかった。 無数の火線がほとばしる中で、成体は05を抱えて紫の夜空へと霞んで消えた。

 「なんて・・・事だ!」
 「・・・・」

 成体を逃す事より、05が外部へ逃亡した事は大問題へと発展する恐れがある。
 すぐさま追っ手をさしむけようと指示しようとした助手を博士が止める。
 
 「なぜです!?05が・・・」
 「悪戯に事を大きくしてはいけません。00の事を忘れたわけではないでしょう?」
 「ですが!」
 「責任者として命令します。この件は私が処理しますから・・・」
 「・・・では、お願いします」

 見上げた博士の顔に、水滴がかかった。
 小さな雨が降り始めていた。



 ラボに戻った博士は、私室に入るとベッドに身を投げ出した。
 
 「あの子も・・・可愛そうよね・・・」

 実験を繰り返され、投薬漬けにされて、利用されるだけの存在。
 医学とか進歩とか、大義名分の中の犠牲が必ずしも報われるはずもない。
 私だってそうだ。
 こんな事、すぐにでもやめて逃げ出したい。
 純真な少年や少女の体を人以外のモノに変える、悪魔の所行から手を引きたい。
 それも、また無理である事がわかっているから。
 こんなはずじゃなかった。
 磁明博士に、あんなレポートさえ提出しなければ。
 こんなはずじゃなかった。
 写真立ての中で笑う、最愛の者。
 見つめながら、小さくその名を呟いた。

 「留応・・・・」

 と。

 「・・・・・・」

 博士・・・その職を遂行している時以外は一人の女でしかない。
 寂しさに、孤独に、背徳に。
 その脆い心をさらした、傷だらけの女性でしかない。
 少しでもそれを埋めるために、博士は。
 いや、今は華留という一人の女性が内線電話のナンバーをプッシュする。
 
 「・・・・・」

 耳に当てた受話器の向こうから、やがて応対の声があった。
 華留が唯一、心を許している優しい声に。

 「お願いがあるんだけど・・・」

 それだけの華留の言葉に、相手は全てを理解し、すぐに行くと伝えた。
 
 「うん・・・待ってるから・・・・ごめんね」

 最後の謝罪の言葉は誰に向けたものかもわからない。
 自分へ。
 相手へ。
 留応へ。
 
 「・・・・・」

 華留は衣服を全て脱ぎさると、写真立てを伏せてシャワールームへ入っていった。
 この身を快楽にゆだねる事で、全てを、今だけでも忘れようとしていた。





『00』  END  to be C・・・・






 05は成体の胸の中で眠っていた。
 一晩、逃げ延び、追っ手もない。
 諦めるはずがないと確信している05はなおも、神経を張りつめ続けている。
 夜が明け、明るくなった今、動くのは得策ではない。
 だが、05の精神は崩壊の寸前を迎えている。
 成体を『慣らし』続ける事は、脳を次第に、そして確実に破壊していくのだ。

 「・・・・00・・・どこにいるんだよ・・・」

 05は身を隠した廃ビルの中でそっと呟く。
 自分を生み出した悪魔を。
 親であり、兄弟であり、仲間であり、同じ存在を。
 探し出して。
 絶対に見つけだして。
 
 「殺してやる・・・僕が僕自身を殺して・・・悪夢を終わらせてやる・・・」

 それが05の最後の意識だった。
 闇に飲まれるように、05は意識を失い。
 そして成体が立ち上がった。





『成体』






 留応は平穏という最後の夜の終わりを迎えていた。
 麒麟に会って二日が経ち、今日が約束の日だ。
 空は雨で泣いている。
 
 「始まるな、とうとう」

 深い感慨もない。
 望んでいた事が成就されるという期待も、どこか空しい。
 死が全ての終わりである事も。
 その死を願う自分が何か滑稽である事も感じていた。
 だが、自分はそれを望まなければ、生きていけない。
 明確な意志を持って望んだことで、やっと抜け殻だった生から、『生』へと移り変われるのだ。
 一つ、心残りがあるとすれば。

 「香澄・・・」

 だが、今となってはどうしようもない。
 女の為に、人生を、生き方を変えられない。
 不器用なのかもしれない。
 融通が効かないだけかもしれない。
 自分を愛する笑顔を見て、いずれハンターから足を洗って。
 静かに暮らす、そんな事を考えないでもなかった。
 ただ、それに勝る感情が留応にはあった。
 それだけの事だ。
 ひどく単純なだけに、人間の性というものが恨めしい。

 「幸せになって、か」

 姉が残した言葉。
 守れないほどに、姉を愛していた留応。
 姉として、女として愛してしまったから、それだけにその死が。
 
 「もうすぐ・・・会えるよ、姉さん」

 コンコン・・・・

 ドアがノックされる。

 「留応、入りますよ?」
 「ああ」

 現れたのは昂麻。
 純白のシャツに、紺のベストがよく似合っている。
 
 「眠れましたか?」
 「おかげさんでな」
 「それは良かった。私など枕が変わると眠れませんからね」
 「そこまで神経質じゃ、ハンターなんてやってられないよ」
 「なるほど、確かに」

 昨日、あらかたの準備を終えた後、留応は昂麻の好意で泊めて貰う事にした。
 
 「で、いつごろ向かいます、教会には?」
 「そうだな、昼過ぎにでも」
 「わかりました。朝食はどうします?ここで、それとも、外で?」
 「昂麻の好きな方でいいさ」
 「では、外でとりましょうか。いい店があるんですよ」
 「わかった。着替えたら、すぐに行くよ」
 「では、外で待ってます」

 昂麻は部屋を出て、静かにドアを閉める。

 「さて、と」

 いつもの服に、いつもの装備。
 両脇に吊ったホルスターに二丁の銃をおさめ、具合を確かめる。

 「このCIGにも、ずいぶんと世話になったな」

 どれだけの命を奪い取ったかもわからない愛銃。
 五年のハンター生活の中で、一度としてジャムをおこした事はない。
 留応は、CIGに道具としての信用と、相棒としての信頼を絶対として感じている。
 もしも成体を相手するならば、どれだけのファイアパワーを発揮するか。
 わかっている。
 足止めができれば・・・その程度の威力しかない事も。

 「お前も最後の仕事だ、恨むなよ?」

 予備のマガジンをベルトに装着したホルスターに収めていく。
 ぐるりと腰を回るそれは、実に二十のマガジンを収められる。
 その内の四つ。他の銀色のマガジンとは違い、黒鉄色のマガジンがあった。
 また二つのシグには、軽量のスコープが取り付けられている。
 すべて昨日、取りそろえたものであった。

 「・・・ふぅ」

 昂麻からもらった革製のジャンパーを上から着込み、ブーツの紐を堅く結ぶ。
 問いかける、自分に。
 これでいいか?
 これでいい。
 後悔はないか?
 後悔はない。
 死ねるか?
 死ねる。
 香澄を残して逝けるか。

 「・・・・すまない」

 留応は独白のように謝罪し、昂麻が待つ外へと足を向けた。



 留応はバイクは、先導する昂麻の車の後にそってついていく。
 行き着いた先は昂麻の住んでいる場所から、ずいぶんと離れていた。
 大きな通りで車を止めた昂麻。
 そのすぐ後ろに留応もバイクを駐車する。

 「ここからは少し歩きましょう、道も混んでいますし」
 「昂麻、朝食を取るために、いつもこんな遠くまで来るのか?」
 「いえ、たまにですよ、たまに」

 留応は昂麻に連れられ、街を歩く。
 立ち並ぶ建物には卑猥な落書きがいたるところにされている。
 
 「汚い街、そう思いませんか?」
 「そうだな・・・」

 ラーカンスのあるブロックには、秩序のある性が広がっている。
 だが、ここは乱暴な性が感じられる。
 同じ色街で、こうまで違うものかと感嘆すら感じた。
 街を歩く人間達に、どこか抜き身のナイフのような雰囲気がある。

 「で、昂麻御用達の店は?」
 「もうすぐですよ・・・・ほら、見えてきました」

 指さす先には、小さな喫茶店。
 この街には場違いとも言える、柔らかい雰囲気を持つ店だった。
 
 「どーもー」

 先に入店した昂麻が、なんともほがらかに声をかける。

 「いらっしゃいま・・・あ、昂麻さん、また来てくれたんですか?」

 迎えたのは、一人の女性店員だった。
 留応は、なんとなく納得した気分だった。

 「貴女の輝くような笑顔が見たくて、足が勝手にこちらへ向かってしまうんですよ」
 「相変わらず、歯の浮くセリフですね、あ、こちらの席へどうぞ」

 案内された席へ腰を下ろし、留応は昂麻を無言で見る。
 その昂麻はメニューも見ず、自分と留応の食事をオーダーする。
 店員は笑って、少しお待ち下さいと言い残し、帰っていった。
 留応の視線にやっと気づく昂麻。
 いや、気づいていたが、無視していたといった感じだ。

 「なんです?」
 「相変わらず、好きだな」
 「英雄、色を好むという言葉がありますよね」
 「昂麻、君は英雄かい?」
 「いえ、この言葉は間違っているんですよ」
 「ほう、なぜ?」
 「英雄でなくとも、色は好みます」
 「なるほどね」

 しばらくして、オーダーの皿を持ってきた店員がテーブルへ来た。

 「お待たせしました」
 「いえいえ」

 コト、コト、と皿がテーブルに触れる音。
 その手を見て。

 「あ・・・それは?」
 「え?」
 「その指輪、もしかして・・・」
 「あ、・・・私、結婚したんです」
 「あらあら・・・まぁまぁ・・・それはそれは」
 「と言っても三日前なんですけどね」

 照れるように、そして幸せそうに店員は笑った。

 「おめでとう」

 昂麻の顔を見ながら、俺は言う。
 なんとも言えぬ表情の昂麻、すぐに笑顔を浮かべ。

 「私からも、祝福しますよ、おめでとうございます」
 「ふふ・・・ありがとう、昂麻さん」

 店員が帰っていく背を見ながら、昂麻がため息をつく。

 「ふられたな」
 「いえ、新婚の人妻もいいと思いまして」
 「・・・感心するよ」

 俺達は食事を始めた。
 確かに、ここまで足を運ぶ価値はある、そんな味だった。

 「昂麻、もう一度だけ聞くが」
 「必要ありません。私は私の利益の為に、お手伝いするだけです」
 「・・・・わかった」

 留応は再び、食事を始める。
 次の瞬間、悲鳴があがった。
 男と女、幾つにも重なった声は、店の外からだった。

 「何だ?」
 「留応、外で何か、あったのでは?」

 窓にかかったブラインドを開けると、外では人が何かから逃げるように走っている。

 「昂麻さん!」

 さっきの店員が血相を変えて走ってくる。

 「どうしたんです?騒がしいですが?」
 「バーミンが・・・バーミンが、すぐそこまで!」
 「バーミン、ですか」

 昂麻は車まで武器を取ってくる時間があるかを考えて。

 「留応さん、準備運動します?」
 「なんで俺に振るんだ?」
 「いえ、他意はないですよ、全く」

 そう言う、昂麻は震える女の肩を抱いている。

 「わかった。俺が行くよ」
 「さすがですね」

 店員がそれを止めた。

 「やめて下さい、死んでしまいます!」
 「大丈夫ですよ、彼はハンターです」
 「でも・・・迫ってるバーミンは成体です!」

 その後の反応は早かった。
 昂麻は女性から体を離し、走り出す。
 車に積んである武器ならば。
 留応もまた駆けた。
 一刻も早く優位なポジションを確保するために。

 「どこだ・・・!?」

 留応は、逃げまどう人波の後ろを見る。そのはるか先で悲鳴と怒号が上がっていた。
 一丁だけ銃を抜き、マガジンを抜いた。
 そして黒いマガジンに変える。
 スコープをのぞきこんだ先には、吹き飛ばされる人間達。
 バーミンの進路上にいた事が不運だ。

 「早速、使う事になるとは・・・」

 留応は近くに停まっていた車のドアに背を預け、衝撃に耐えられるようにする。
 足場はコンクリート、そこにブーツを押しつけるように足場を確認した。
 両手でしっかりと銃をおさえる。

 「眉間・・・いや、心臓だな・・・」

 外せば、敵意をむきだしにした成体が躍りかかってくるだろう。
 そうなれば勝ち目は薄い。
 遠距離からの攻撃、その正確さと威力が成体を倒す最低必要な条件だ。

 「そのまま・・・来いよ・・・」

 成体が駆けてくる。
 まっすぐ、留応の照準の中を。
 そのシルエットがはっきりと確認できる距離にまでなって。

 「・・・子供?」

 成体の腕には少年が抱えられていた。
 なぜ?
 その疑問よりも早く、留応の狙いは心臓から眉間へと移った。

 「フッ!」

 トリガーを引いた。
 両腕が激しく上へと流れ、肩ごと持っていかれるような反動。
 鼓膜が破れるほどの爆音、目がくらむほど激しい銃火。
 同時に、見えないハンマーを叩きつけられたような衝撃が襲う。
 背を押しつけていた車のドアが大きくへこみ、ドアのガラスが砕け散った。
 体重をかけていたコンクリートがひび割れ、沈む。
 留応だからこそ扱える弾丸だった。

 「当たったか?」

 遠すぎた。
 留応の銃弾は成体の肩に埋没しただけで、動きを止めるにも至らない。
 撃たれたバーミンが、留応へと走り出している。

 「く・・・」

 もう一度、バーミンへと狙いを付ける。
 おそらく、次はない。
 慎重にシュートポジションを取る。
 
 「フッ!」

 激しい反動に、留応の体がまたも泳ぐ。
 足場のコンクリーが砕け散り、留応の体ごと車の位置がずれた。
 二度の衝撃に、背骨がきしみ鈍い痛みが走る。
 その銃弾は、バーミンの頭部へ見事に命中した。

 「やった・・・か?」

 動きを止めて・・・・
 成体は、走り出した。

 「く・・・」

 三度目の照準を合わせようとする。
 だが、腕には力が入らない。
 
 「くそ・・・」

 凶暴なまでの殺意を含んだ成体バーミンの瞳。
 横からの散弾だった。
 貫通力のないそれは、衝撃として成体を横殴りにした。
 飛びかかろうとし、宙にあった成体は大きく吹き飛ぶ。

 「留応、今です!」
 
 昂麻が叫ぶ。
 留応は転倒した成体のもとへ走った。
 立ち上がろうと、見上げた成体の顔。
 その眉間、赤い瞳に銃を押しつけた。

 「終わりだ!」

 三度、留応はトリガーを引いた。
 支えもなく、足場も脆いタイルだったため、留応の体は簡単に吹き飛ばされた。
 転がりながらも留応は体勢を整えつつ、ヒザをついた状態で成体に目をやる。
 そこには頭部を失った成体が、力なくうつ伏せになった光景があった。

 「・・・・・助かったよ、昂麻」

 成体が完全に息絶えたのを確信して、留応は昂麻を見た。
 あと一瞬、散弾が遅かったら二人とも確実に死んでいただろう。

 「しかし、すごい弾丸ですね、それ」
 「ああ、成体の外皮を貫くが、連射ができないのが欠点だ」
 
 留応はCIGを見て。

 「そして、バレルにかける負担も大きい。マガジン二本分、耐えられるかという所だ」
 「それはまた、結構な弾丸ですね」
 「成体相手だ。仕方ないさ。それでも急所に当てなければ殺傷できない」
 「成体とは、まさに最強の生物ですね」
 「今回は飛行してなかったから、なんとか仕留められたが・・・・」

 成体の死骸を眺める二人。
 そこには、今だその胸に抱かれた少年があった。





『成体』  END to be C・・・・
       




『奇縁』






 その朝は、騒がしかった。
 まだ日も昇ったばかりの封鎖ブロック、甲夜は目をこすりながら窓の外を見る。

 「ん・・・?」

 見慣れない服装をした大人達がうろついている。
 ビルなどの中へと入っていっては、出て、また入る。
 何かを探しているような動きだ。

 「なんなんだ・・・あいつら?」

 まれにこういう事がある。
 犯罪者や追われる者が人気のない場所、つまり封鎖ブロックや廃棄ブロックに身を隠すのは常套だし、当然の行為と選択だ。
 ただ、巻き添えを食うのはゴメンだ。
 浮浪児という事だけで、殴られ、蹴られ、時には八つ当たりで殺された仲間もいる。
 大人は敵だ。
 これは全ての浮浪児に共通している事だった。

 「緋想、起きてるかな?」

 ナイフを背負い、クツの紐を堅く結びなおす。
 一人で逃げた事は何度もある。
 だが、今は緋想がいる。
 逃げ切れるか?
 考えるまでもない。逃げなくてはいけない。
 守ってみせる、そう決意したばかりなのだから。

 「もう、前の俺じゃない・・・」

 背に感じる重さが証拠だ。
 甲夜が緋想の部屋へ行こうと、ドアノブを握った時だった。

 「う・・・うー!」

 隣室で何かが倒れる音、そして声にならない緋想の悲鳴。
 甲夜は、ドアを蹴破るように部屋を出る。

 「お前ら、何してんだ!」

 外をうろついていた男達と同じ服装が二人。
 緋想の両脇をがっちりと固めて、連れ出そうとしている。

 「その手を離せ!」
 「まだいたか・・・」

 一人が緋想から手を離し、甲夜に目を向けた。
 膨らんだ左脇と冷たい目。
 本能というものが危険を察知する。

 「なんなんだよ、おま・・・」

 ナイフの柄に手をかけた時だった。
 瞬時に間合いをつめた男のアッパーが甲夜の腹に炸裂する。
 
 「う・・・げほっ!」

 強烈だった。
 素人が、少なくとも今まで甲夜が相手どってきた者とは明らかに違う動き。
 訓練を受けた人間だった。
 吐瀉物をまき散らし、甲夜がくの字に体を折り曲げる。
 辺りに胃液の臭いが立ち上った。
 その上へと倒れ込む甲夜。

 「05ではないだろうが・・・とりあえず連れていくか」

 05・・・だと?
 なんだ・・よ、それ・・・

 甲夜の意識は遠のき、体を持ち上げられる感覚を残して意識を失った。



 「こ・・や・・」
 「ん・・・あ、緋想・・・」

 気がついた時、甲夜と緋想は近くの通りに連れられていた。
 背負っていたナイフはない。どうやら取り上げられたらしい。
 まだ痛む腹をおさえ、体を起こす甲夜。
 周りには、甲夜と同じ浮浪児達が何人も集められていた。
 少年、少女と皆、年は同じくらいの浮浪児だ。
 中には甲夜の見知った顔もいくつかある。
 
 「一体・・・・?」

 状況が飲み込めないままの甲夜の前で、大人達は何かの準備を始めていた。
 一人の誘導で、銀色のトレーラーがゆっくりとこちらへ移動してくる。
 そして他の大人達は拳銃を構え、集められた少年少女を囲む。
 
 「05・・・名乗り出るなら今の内だ!後で余計な傷を増やしたくなければな!」

 一人だけ軍服を着た男が叫ぶ。
 また、05だ。
 なんなんだ・・・05?

 「仕方ない。始めるか」
      
 軍服が手を上げると、トレーラーからコンテナが引きずり出された。
 黒い布がかけられたそれは、ガンガンと中で激しく何かが暴れている。

 「・・・・」
 「どうした・・・緋想?」
 「ん・・・・」

 何も言わず、きゅっと俺の袖を強くつかむ緋想。
 明らかに怖がっている。
 野犬に襲われて、死を目の前にしても脅えなかった緋想が。

 「何が入ってるんだ・・・・?」

 布がはずされた。

 「・・・なっ・・・バーミン?」

 化け物がそこにあった。
 見たのはこれで二度目だった。
 何人もの仲間が殺されて食われて、逃げ切った時の恐怖を甲夜は忘れない。
 そのバーミンとも形が違う。
 あの時のバーミンには羽はなかった。腕も二本だった。皮膚は沈んだ土色だった。
 
 「よし、試験薬を投与しろ」

 数人が寄ってきた。
 手に持っているのは・・・注射器?

 「いや!」

 最初は赤毛の少女だった。
 腕をつかまれ、体をおさえられ、何かを注射された。

 「よし、次だ」

 そうして大人達が次々と注射器を持って、何かを投薬していく。
 甲夜も、緋想も、その何かを注射された。

 「なんだよ・・・くそっ」
 「こや・・・」

 前にあるケージの中では、バーミンが暴れ続けている。
 恐怖で身を震わせる何人もの浮浪児。
 怖い。
 あのケージが破れたら。
 バーミンが襲ってきたら。
 そう考えるだけで、気が狂いそうな恐怖がある。
 だから俺は、緋想の手を強く握った。

 「大丈夫、俺がいる、俺が守ってみせるから・・・」
 「・・・ん・・・」
 
 近くで話していた大人達の声が耳に入る。
 
 「しかし、顔写真でもくれればいいのにな」
 「そう言うな。05の資料はラボにしかないし、俺ら下っ端にはコピーも渡せんとよ」
 「辛いね、兵隊は」
 「そんなもんだ」
 「しかし、成体をつれてくるまでも・・・幼体じゃだめなのか?」
 「成体じゃないと試薬に反応しないらしいし、なにより05がバーミンを『慣らし』で呼んだら捕らえるどころの話じゃないぞ?」
 「護衛の甲残様がいるだろう」
 「トレイサーといえど、成体の相手はできんだろ?」
 「所詮は改造人間か」
 「バカ、タブーだぞ・・・」
 「おっと・・・」

 ラボ・・・?
 トレイサー・・・改造人間?

 「こや?」
 「あ、何でもない」

 時計を計っていたらしい人間が手を上げた。
 
 「反応した者はいるか?」

 軍服の指示で、さっきの大人達が注射した部分を点検しにくる。
 全員の点検を終えた大人達が、一様に首を横に振った。

 「そうか・・・撤収するぞ、成体を格納しろ」

 もとあったように黒い布をかぶせられて、ケージがトレーラーに収納されていく。
 ただ、銃をかまえていた大人達だけが動かない。
 一人の少年が。

 「おい、もう家に返してくれよ!」

 それが惨劇の幕開けだった。

 「帰る家があるのか、浮浪児ごとき・・・ゴミが?」

 軍服は冷ややかな笑いを浮かべながら、銃を抜いて。
 撃った。

 「なっ!」

 一拍置いた後、その少年は倒れた。
 胸が弾け、血と肉片が宙に舞う。

 「そのゴミどもを処分しろ!」

 悲鳴が沸いた。
 逃げ出す者、呆然とする者。
 殺される!
 俺は緋想の手を取り。
 包囲されているその中で、悪魔に魂を売った。
 近くにいた男のえりくびをつかんで。

 「甲夜、てめぇか!」

 驚いた形相、その顔には見覚えがあった。
 奇遇にも、それは先日ナイフで斬りつけた男の仲間だった。
 
 「悪いな、死んでくれ!」

 そいつを前にして、俺は緋想を連れて走る。
 鈍い衝撃があった。

 「ぐ・・・がっ!」

 撃たれている。
 何度も何度もその体が揺れた。
 銃を撃っていた男の側まで走り、それを投げつけた。
 大人達と・・・それまで生きていた盾がもつれて転倒する。

 「緋想、走れ!」
      
 足下で銃弾が砂を弾く。
 俺は強く緋想の手をつかんで走り続けた。

 「く・・・」

 肩に弾がかすった。
 血が服の中に流れこむ、熱く、ぬるりとした感触。

 「こや!」
 「大丈夫!走れ!」

 やがて、銃撃音が遠ざかり。
 俺は近くのビルに身を潜める事で、逃げ延びた。
 コンクリートのガレキに身を隠すようにして、緋想と抱き合う。
 その体は震えている。
 いや、震えているのは俺かもしれない。
 
 「い・・・たい?」

 肩にそっと触れる緋想、その白い手が赤く染まる。

 「大丈夫、これくらい・・・なんでもない」

 焼けるような痛みがあった。
 それでも俺は外へと注意をはりめぐらせる。
 目と耳で、追っ手がない事を確認する。

 「・・・・ふぅ」

 何とか守りきった。
 他人を盾にして、血煙と火線の赤い地獄から逃げ延びた。
 もう二度はいとわないだろう。
 人を殺す事に。

 「緋想・・・・」
 
 強く、その小さな体を抱きしめた。
 
 「よくぞ、逃げ延びたものよ」
 
 追っ手・・・見つかった?
 俺は近くにあった石を握る。

 「まだまだ逃げてみせる!」

 ガレキから身を乗りだし、同時に石を投げつけた。
 老人だった。

 「ほ・・・気性もいい」

 石は簡単にかわされた。
 
 「儂はお前を殺しに来たのではない、早計するでない」
 「大人はみんなウソツキだ!」
 「やれやれ・・・」

 と、後ろから緋想が顔を出す。

 「・・・ほう、予定通りか・・・いや、奇遇と言うべきか」
 「何を一人で・・・」
 「ほれ、忘れ物だ」

 老人が甲夜に向かって放ったのは、あのナイフだった。

 「このナイフ・・・は・・・」
 「それはナイフでない。刀という」
 「カタナ・・・?」
 「大事にせぇよ」

 そう笑う老人の腰には、甲夜よりも長く太い『カタナ』があった。

 「甲夜よ・・・」
 「!」

 老人は、近くのガレキに腰を下ろす。そして笑う。

「なんで・・・俺の名前・・・」
 「まぁ、それはよいではないか。それよりも、その娘どうした?」
 「どうした・・って・・・一人でいたから・・・」
 「お前さんだって、一人だったろう?」
 「そう・・だけど・・・」

 甲夜は緊張を解かないまでも、老人に対する警戒を解いた。
 何か、暖かいものを感じる。
 言葉では表現できない、つながりのようなものを。
 緋想に感じるそれとは、また違った暖かみだった。

 「その娘といると、またこのような騒ぎに巻き込まれるかもしれんぞ?」
 「なんで、そんな事・・・わかるんだよ・・・」
 「それでも、その娘と共にするか?」

 何かを知っている。
 ただ、それを聞いても教えてはくれないだろう。

 「ああ、文句あるかよ。緋想は俺の大事な宝物なんだ!」
 「・・・そうか、そうか」

 目を細めて、しわだらけの顔をもっとくしゃくしゃにして、老人は笑った。

 「女の為に戦う・・・か?」
 「悪いか!死んでも緋想は俺が守ってみせる!」
 「悪いどころか・・・その刀はの」

 老人は甲夜の刀に目をやる。

 「誇り高い戦士のみが振るえる資格を持つのだ」
 「誇りなんていらない、緋想さえいれば!」
 「ほんに、早とちりの好きなヤツだ」
呆れるように、それでも嬉しそうに笑いながら。

 「くだらない尊厳を守る。女を守る為とは、そんなものよりは遙かに上等な理由よ」
 「難しいこと・・・言うなよ!」

 それでも、なんとなく誉められているような。
 そんな気恥ずかしさを受けた甲夜が、照れ隠しに叫ぶ。

 「よくぞ、ここまで立派になった・・・」
 「え?」
 「いや・・・またいずれ、会うこともあろうな、その時は・・・」

 老人は言いかけて、そして笑って口をつぐんだ。
 そして小さな背を甲夜に向けて去っていった。

 「なんだった・・んだ?」
 「こ・・・や・・」
 「ああ、大丈夫さ・・・もう帰ろう」

 二人は手を握りあって立ち上がった。





『奇縁』  END to be C・・・・