かすみ草の咲く頃 (後編)






 あれから一ヶ月。
 私はちょくちょく草偲縁に顔を出している。
 漫才じみた二人の関係を見て、陽一さんの煎れたお茶とお爺さんの話を聞きに。
 G・Wは店を閉めるというので、今日も寄ってきた。
 特に予定もない私は、明日から何をするかなと考えつつ電車に揺られる。
 帰宅した途端、

 「おっねっえーちゃーん!!」

 ドタドタと玄関まで走ってくる桜。
 その手には何やら券らしきものを持っている。

 「映画!」

 それだけを言って、大きく息を吐く。

 「なに?」
 「誘われた!」

 また深呼吸を一つ。

 「誰に?」
 「君原先輩!!」
 「へー良かったわね、桜」
 「うん!で、相談なんだけど」

 深呼吸の代わりに私の肩をガシッとつかむ。

 「な、なに?」
 「一緒に来て!」
 「何言ってるのよ?」
 「いいから、来て、お願い!」
 「ちょ、ちょっと。私が行ったら邪魔に・・・」
 「説明するから、私の部屋へGO!」

 靴をぬぐ暇すらろくになく、私は連行された。
 何なのよ、まったく・・・

 「・・・で?」

 相変わらずぬいぐるみだらけの桜の部屋。
 私はだいたいのいきさつを聞き終えていた。

 「というわけなの。お願い! 相手にしなくていいからさ!」
 「コンパねぇ・・・」

 どうも君原さんの友達が彼女を欲しがっているらしく、それでパイプ役を頼まれた桜が事情を知っている私を連れていこうというらしい。

 「もうこんなチャンス二度とないかもしれないの!」
 「拝まれても・・・」
 「お・ね・が・い!」
 「ふぅ・・・わかったわ・・・で、何時?」
 「ホント! 好きよぉぉぉぉぉ!!!」

 ドサっとおおいかぶさってくる桜。
 揉むなぁ!

 「私にそのケはないわよ、桜」

 ピョコっと起きあがり。

 「うん、私も」

 だいぶパニックになってるなぁ。

 「それで何時なの?」
 「夜の7時から上映で、隣町の駅で6時に集合。ご飯を食べてから映画館へ」

 条文を暗記していたかのように唱える桜。

 「それじゃ余裕をもって5時に出発しましょうか・・・」
 「うん!」
 「その代わり、ちゃんと告白するのよ?」
 「え・・・?」

 お爺さんの影響かな?
 ちょっと意地悪してみたりする。

 「じゃないと私は行かない」
 「そ、そんなぁー」
 「どうするの?告白するの?しないの?」
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・する」

 私はにっこりとうなずいた。
 その夜は大騒ぎだった。
 私の部屋で桜は衣装合わせ、というか自分の持ってる服は子供っぽいとかなんとかで、私のクローゼットを引っかき回すようにあさる。
 高い服、安い服、おかまいなしに着替え、そのたびに私に似合うか聞いてくる。

 「ねぇ、これ似合う?」
 「・・・桜」
 「え?」
 「その服って私が着たら似合うと思う?」
 「そりゃお姉ちゃんは何着ても似合うわよ」

 まるで私をモデルみたいに言ってくれる。

 「それじゃ桜だって何着ても似合うわよ」
 「何で?」

 この子は・・・・

 「私と桜は顔と当然、髪型だって同じなのよ? 私が似合って桜が似合わないなんて事あるの?」
 「・・・」
 「・・・ね?」
 「わかってないなぁ、やっぱり」
 「え?」

 呟いた時のその表情は、今まで私が見た事のないものだった。

 「ううん、何でもない」
 「変なの」

 結局数時間かけてどったんばったんしながら、時折階下のお父さんとお母さんに怒られつつも、なんとか着ていく服は決まった。
 用意が済んで、桜が私の部屋から出ていく時、

 「ありがとね、お姉ちゃん」

 と一言残していった。
 私は複雑な想いでそれを受けとめた。





 その夜。
 私はベッドから抜け出して、コートを羽織った。
 行き先は公園。
 いつものようにタバコと、一葉さんのライターをポケットに突っ込んで。
 通りがかりに桜の部屋をのぞくと、何やら寝言を言いつつ眠っている。
 私はトントンと階段を降り、靴をはく。
 できるだけ音がしないようにドアを開け、外に出る。
 何度、こうして公園に出向いただろう。
 誰もいない街、寝静まった街。
 薄暗い街灯が照らす路をたどり、私は公園へ。
 思い浮かべるのは一葉さんの姿と声。

 「・・・」

 だけど最近・・・
 柵の中に入り、私はいつものようにあの木にもたれかかる。
 くわえたタバコ、カチンという乾いた音をかすかに漏らしてライターの火をつける。
 やけになって煙に咳込んでいたのはいつの頃だったか、もう思い出せない。
 おいしくもなんともないタバコ。
 なんで一葉さんは吸っていたんだろーなぁ・・・
 あの人は、タバコ吸うのかな?

 「・・・」

 似ているだけ。
 それはわかってる。
 今、私の胸にある感情が「好き」というものじゃない事も。

 「陽一さん・・・か」

 悪い人じゃない。
 優しくて、恥ずかしがりで。
 ちょっと自分の心を隠すのが下手な人。
 純真な、子供のように・・・

 「私は・・・もう好きとか嫌いで人を好きになれないなぁ」

 陽一さんの事が気にかかるのも、一葉さんがまだ私の心にいるから。
 それだけ。
 そんな私を陽一さんはどうみてるんだろう・・・?
 多分、気づいてる。
 私が陽一さんに昔の恋人の影を追っているという事を。
 だけど、何も言わない。
 店から出る時、

 『またねー』

 なんて、いつも明るい顔と声で見送ってくれる。
 迷惑だろうなぁ・・・なんて思っても私は、まだ一葉さんを見ていたい。
 バカよねぇ・・・
 それに自分勝手で。

 「星がきれい・・・」

 見上げた空、よく晴れた夜。
 私の足下に雫がひとつ、ふたつ染みをつくった。





 「桜、もう行くよー」
 「ちょ、もうちょい!」

 すでに玄関で靴をはきながら、私はまだ鏡の前でドライヤーと格闘している桜に声をかける。
 見分けをつけるという事で、今日の私はポニーテール。
 対して桜は・・・

 「お待たせ!」

 結局ストレートで落ちついたらしい。
 時計を見れば5時30分。
 駅まで10分。電車がうまく来れば時間ちょうどに着く。
 自転車の二人乗り。
 タップに私は足をかけ、

 「今日は桜がエンジン」
 「はぁーい」

 文句も言わずにサドルに座る。

 「飛ばすよぉ?」
 「オッケー」

 軽やかに進み出る自転車。
 さすが運動部所属の足、速い速い。
 予定より早く駅に到着した私達はすぐに改札を抜けて、ちょうど滑りこんできた電車に乗り込む。

 「ふぃー」
 「ほっ」

 やっと一息つく。
 時間は5時40分。
 なんとか間に合いそう。

 「やばかったやばかった」

 桜がまだ息の荒い声でそんな事を言う。

 「ホントよ、私はいいけど桜はまずいでしょ?」
 「へへへ」
 「もう」

 電車の窓から見る風景は、もうだいぶ見慣れたもの。
 草偲縁に行く時にいつも見てるものね・・・
 今頃、陽一さんは何してるんだろう・・・

 ガタン・・・

 軽い抵抗とともに電車が停車する。
 アナウンスが到着を告げる。
 少し余裕を見つけた私達はとくに急ぐ事もなく電車から降りる。
 改札を出て、待ち合わせ場所に向かう。
 『香蜜屋』というお花屋さんの前がその場所。
 着いたのはちょうど5分前。
 だけど色々な花の香りが漂ってくるお店の前には、君原さんはいない。
 遅れてるのかな?

 「いないわね、君原さん」
 「うーん」

 桜もキョロキョロと辺りを見回している。
 そして時計は6時を回る。

 「・・・来ないわね」
 「ううーん」

 相変わらず落ちつかない様子の桜。

 「私、ちょっとその辺りを見てくるから」
 「お姉ちゃん、私も行く」
 「桜はここにいて。入れ違いになると困るから」
 「あ、うん」
 「すぐに戻ってくるから」

 
 
 そう言ってお姉ちゃんは、通りに出ていった。
 ・・・心細い。
 考えてみれば学校以外で君原先輩と会うのってコレが初めてなのに。

 「うー」

 かと言って今から追っかけるわけにもいかないしぃ・・・
 でも先輩が時間に遅れるなんて珍しいなぁ。
 部活とかの時でも遅れた事なんてないのに、何かあったのかな?

 ブォォォオ・・・ン
 
 と、近くでバイクの停止する音が聞こえる。
 なんかすごく大きいバイク。ナナハンとかいうのかな?
 二人ともヘルメットもかぶってなくて、何だか言い争って・・・
 え・・・言い争いながらこっちに来る?

 「だから、もっと早くしろって言ったろーが!」
 「悪かったよ!」
 「だいたい俺はただの付き添いだぞ?遅れてシャレにならないのはお前だろーが」
 「ああ、はいはい」

 ・・・君原先輩・・・だ。
 それじゃ、もう一人の帽子をかぶってる人が彼女が欲しいって言ってた友達かな。
 それにしては会話がなんだか・・・

 「んでお前の愛しちゃってやまない桜って子はいんのか、もう?」

 ・・・!?
 聞き間違い?
 私の?
 愛してって・・・?
 え、え、え?

 「バッ、もし聞こえてたらどーすん・・・」

 もう目の前まで来ていた君原先輩と私の目が合う。

 「・・・」
 「・・・」

 沈黙してしまふ。
 じょ、冗談・・・?
 にしては・・・なんだか、アレ?
 と、とりあえず、

 「こ、こんににちわ」

 うわ、ど、どもった!?

 「桜ちゃん、遅くなってごめんね」

 だけど、さっきまでとはうって変わって、いつもの君原先輩の落ちついた表情。
 やっぱ、聞き間違いか。
 ・・・うーん。それはそれで残念・・・でも、なんか気にかかる。

 「アレ? 日下部さんじゃんか」

 もう一人の帽子をかぶった人が私を見て驚く。

 「んじゃ、兄貴の友達ってのはまだ来てないのか?」

 と、君原先輩にたずねている。

 「何言ってるんだ陽一、この子が俺の後輩の桜ちゃんだって。日下部 桜ちゃん」
 「日下部・・・桜?」
 「そ、そうですけど・・・」

 私は返事をしつつも・・・
 なんだか話が見えない。

 「あれ、っつーことは・・・どういう事だ?」
 「だから、桜ちゃんの友達が来てないって事だろ?」
 「いや・・・ん?」

 陽一と呼ばれた人はさっきから私の顔をちらちらと見つつも、ウンウンうなってる。

 「よ、陽一さんでしたっけ?」
 「あ、うん」
 「私ってそんなに誰かに似てます?」
 「似てるというかうりふたつ」

 私の頭に閃き一閃。

 「あ、もしかして・・・」

 言いかけた時、

 「桜、君原さん見つからないわ・・・」
 「あ、お姉ちゃん、君原先輩達、今来たよ」
 「おや、桜ちゃんの連れてきてくれた子って霞ちゃんなんだ。ごめんね、遅れて」
 「こんにちわ、君原さん」
 「・・・」

 ただ一人、陽一さんという人が、呆然としている。
 で、君原先輩が自己紹介を始める。

 「僕の名前は君原 春樹っていっても二人とも知ってるね」

 まさか君原さんも私がお姉ちゃんを連れてくるとは思わなかったみたい。

 「それで、こっちにいるが僕の弟で・・・」
 「ちょっと待った」

 陽一さんがそれを止める。

 「そっちの子・・・」

 とお姉ちゃんを指さす。

 「はい?」

 落ちついた姿勢で答えるお姉ちゃん。

 「日下部・・・霞さん?」
 「あ、はい。そうですけど・・・」

 少し怪訝な顔。
 対して、

 「ふー・・・そっかそっか」
 と言って帽子をとる陽一さん。

 「あっ」
 私とお姉ちゃんはそれを見て同時に驚く。
 一葉さんにそっくりだぁ。

 「・・・陽一さん」
 「いやぁ、双子だったんだね日下部さん。実は俺たちもそうなんだよ、似てないけど」

 ん?
 この二人知り合いなのね?
 私は君原さんと顔を見合わせる。
 が、君原さんもこの二人が知り合いだったという事に驚いているみたい。
 んー・・・私の知らないところでドラマが展開されてるなぁ・・・

 「じゃあ、君原さんの友達で彼女が欲しいって言ってたのは陽一さんの事だったんですね?」
 「あ。それはね・・・」

 と、何かを言いかけた時、陽一さんの顔がゆがむ。

 「う・・・まぁ、そんなと・・・こ」
 「じゃあ、私が来ても意味なかったですね」

 お姉ちゃんがくすくす笑う。

 「いや、それにはわけ・・・ぐ」

 またも、さっきと同じように。

 「それじゃ、ちょっと遅くなっちゃったから、もう映画館のほうに行こうか?」

 君原先輩が少し大きい声でうながす。

 「兄貴・・・」
 「なんだ陽一?」
 「だんだんジジイに似てきたな・・・」
 「ジジイ?」
 「何でもねぇ・・・」

 小声でのやりとりは私にはよくわからないものだった。
 
 



 G・Wという事もあり、映画館はケッコー混んでたりする。
 空席も四つ並んでるトコロはなくって、結局私達は二人ずつで離れて座る事になった。
 その際、君原先輩が、

 「まぁ、みんな知り合いみたいなもんだけど、一応コンパという形で男女別で座ろう」

 と言ってくれた。
 つまりパイプ役同士の私と君原先輩。
 そしてお姉ちゃんと陽一さん。

 「今更、そんなのにこだわらなくても・・・つっ」

 陽一さんって、なんだかよく顔のゆがむ人だなぁ。
 上映5分前。
 私の横には君原先輩がいる。
 落ちついた横顔で、ぼんやりとCMの流れているスクリーンを眺めてる。
 告白するんだよね、今日。
 お姉ちゃんとも約束したし・・・
 でも、今こうしてると、やっぱり恐い。
 告白して、そして断られて。
 今までみたいに一緒にいられなくなったらと思うと。
 再び、先輩の横顔を見る。
 何を考えてるのかなぁ・・・?





 今、俺の横には桜ちゃんがいる。
 しっかし陽一のバカ。
 危ないったらありゃしない。
 それに一言多い。
 そりゃあ、告白するって条件でアイツに着いてきてもらったし、時間ギリギリまでドライヤーと格闘して遅れたのも俺のせいだ。
 だが、言うかフツー?
 予定では、映画が終わったら2・2に別れて解散って事だったけど・・・
 こうも知り合いが固まったとなるとムリっぽいし、不自然だよな。
 という事は・・・どうしよう?
 ふと、横を見ると桜ちゃんはCMの流れているスクリーンをボーっと見ている。
 パイプ役同士、特に気にするという事もないってカンジだ。
 告白するんだよなぁ・・・
 フられて、部活とか気まずくなったら・・・
 やっぱ、今までまま過ごした方が・・・
 って、俺は女か!
 クジグシ悩むよりは当たって砕けろだ!
 ・・・砕けたら痛そうだな、しかし・・・





 「しっかし奇遇だね、まさか日下部さんが来るとは」
 「ふふふ、残念だったわね陽一さん」

 日下部さんが笑う。

 「彼女候補探しの邪魔に来ちゃったんだから」

 苦笑して俺は手を振る。

 「ああ、そんなもんいいの。俺だってもともと付き添いなんだから」
 「付き添い?」
 「そう、見てみ、兄貴の様子」
 「え?」

 俺は5段前に座ってる兄貴を指さして言う。

 「さっきからキョロキョロと落ちつない」
 「そう言われれば・・・」
 「兄貴、今回コンパとか言ってるけど、もともと桜ちゃんとデートしたくって無理矢理口実つけてるだけ」
 「え?」

 首の後ろで手を組みながら、意地の悪い顔で陽一さんが笑う。

 「ホントは口止めされてんだけど、俺が今日つきあってやる条件に告白するってのつけたから」
 「・・・ふふふ」

 日下部さんが今度は桜ちゃんを指さす。

 「私の妹も、落ちつかないでしょ?」
 「ん? ・・・そう言われればそんな気も・・・」
 「桜もね、私に付き添いに来てって言ってね。私もある条件つけたの」
 「・・・まさか」
 「そういう事」

 肩をすくめる俺。

 「面白い二人だな、まったく」
 「これで安心して見てられるわ」
 「俺も」

 日下部さん、君の横顔をね。





 映画が終わり。
 私達四人はそれぞれの感想を言い合いながら、まだ肌寒い館外へと出た。
 冬が去ったとはいえ、まだコートの放せる寒さじゃない。
 日もすっかり落ちて人の通りも少ない。

 「さってと」

 陽一さんが、にやりと笑い・・・
 いつもお爺さんと話している時のような・・・顔で君原さんを見る。

 「帰るか、兄貴? 映画も終わったし、コンパってカンジでもなくなったし」

 また、意地悪してる。

 「・・・え・・・帰っちゃうんですか先輩?」
 「あ・・・」

 私はヤレヤレと溜息をつきながら、陽一さんの背中に回って肘でつつく。

 「陽一さん」
 「わかってるって、ちょっとからかってるだけ」

 桜と君原さんは、どちらともなく見つめ合っている。

 「な、なぁ陽一」
 「なぁんだぁい?」
 「く・・・そ、そのメシ食ってかないか?」
 「いや、俺は腹減ってないし」
 「お、お姉ちゃんは?」

 私はちょっと考えて、

 「うん、私もお腹へってないから・・・君原さんと行ってきたら、どう?」
 「え・・・う・・・んと」

 とまどう桜に、声をかけようとしている君原さん。
 笑っちゃ悪いけど、なんだか滑稽な二人。

 「兄貴もそうすれば? 俺は日下部さんと遊んでるから」
 「そ、そうか・・・?」

 君原さんが桜に何事か聞いて、桜もうなずく。

 「それじゃ、行って来る」
 「じゃ、じゃあね。お姉ちゃん」

 ぎこちなくも二人は横に並んで、大きな通りのほうへと消えていった。
 ま、二人になれば大丈夫だよね。
 お互いが好き合ってるんだし。

 「さて、一件落着かな」
 「そうですね」

 体の力が少し抜けて、私達の中に少し沈黙が流れる。

 「どうする?」
 「え?」
 「いや、あらかたメインが終わったからさ。暇ならどっこ行こうか?」
 「・・・」

 陽一さんの問いに、私はふと思う。
 草偲縁の外でこうして会う事は初めてだ。
 だから意識してしまう。

 「あ、陽一さんの行きたいところで・・・いいですよ」
 「ふーん、日下部さん、俺の事を男だと思ってなくない?」
 「は?」
 「だって行きたいところならいいって、例えばホテルとか?」
 「・・・」

 冗談を言ってるのだろう、陽一さんの顔はいつものおちゃらけた態度。
 だけど、私は笑わずに。

 「行きたいんですか、ホテル?」
 「は・・・? いや、えっと・・・冗談」

 初めて見る陽一さんのうろたえた顔。

 「・・・」
 「・・・ごめん」

 この『ごめん』を聞いて、やっぱり陽一さんは私の心の中を知ってる事に気づく。
 昔の恋人の身代わりにさせられている事を。
 それでも、私に優しいところが陽一さんらしい。
 これ以上、私は陽一さんと一緒にいない方がいいのかもしれないと思う。
 私はいい。
 ただ一葉さんを追っているだけ。
 でも陽一さんは、こんな私に気を使ってくれている。
 ただでさえ優しい陽一さん。
 なんだか、それに甘えてるだけのようで、心苦しい。

 「陽一さん」
 「ん?」
 「今日はもう帰ります」
 「・・・え?」
 「また・・・」

 言いかけた時だった。
 陽一さんが私の手を強く握った。

 「・・・」
 「・・・痛い・・・です」
 「あ・・・」

 パッとはじけるように手を放して、私を見つめる。
 陽一さんは、何か言いたそうで・・・

 「ごめん」
 「いえ・・・」

 また少し沈黙。

 「だけど・・・やっぱり少しだけ付き合ってくれないかな?」
 「・・・」
 「そんなに時間も取らせないから」
 「・・・はい」





 私は陽一さんの少し後を歩きながら、その足音についていった。

 「・・・」
 「・・・」

 どちらからともなく会話は絶えて、私達はただ歩いていた。
 見慣れた風景を横目に私は気づく。
 この少し奥まった通りの名が峰塚通りという事。
 そしてこの先に何があるのかを。
 陽一さんが足をとめたのは、休店と札のかかった草偲縁の前だった。
 ポケットから鍵を取り出し、シャッターを開ける。
 前にいつでも店に入れるようにと、お爺さんから鍵を預かっていると聞いている。
 ガラガラとシャッターを押し上げ、ドアの鍵も開ける。

 「さ、入って」

 陽一さんはそのまま店の奥に消えていく。
 私は電気のついていない店の、いつもの場所に落ちつく。
 今では私の為にいつも出されている椅子に腰をかけ、陽一さんを待った。
 思えば・・・
 最初に陽一さんに会ったところ。
 草偲縁か。
 あらためて店内を眺める。
 なんとなく懐かしくて、暖かみのある雰囲気。
 そして少し寂しげな・・・
 そっと、くすり指にはめられた指輪を撫でる。
 お爺さんの大切で哀しい思い出の詰まった指輪。
 花弁は枯れるでなく、色落ちした古い古い指輪。
 優しい思い出を、とお爺さんに頼まれたけど。
 私にはやっぱりムリみたいね。
 『好きな』陽一さんも結局は一葉さんに重ねているだけの卑怯な女。
 そう・・・私はこれから陽一さんが私に何を言おうとしているのか・・・
 多分、知っている。
 それでも私はついてきた。
 話を聞き終えれば多分終わってしまうだろう、陽一さんとの関係を少しでも長く続けたい為に来たのだから。
 一分、一秒でも、一葉さんがここにいる、そんな錯覚が欲しかったから。
 陽一さんが私の心を知っているように。
 私も感づいていた。
 それがうぬぼれであれば、ただの傲慢な勘違いであればと何度も思った。
 でも・・・違った。
 今日、さっき気づいた。
 奥から陽一さんが現れた時、私はどんな顔をしていればいいだろう。
 少なくとも・・・もう微笑む事だけはできない。
 カタン・・・
 陽一さんがいつものように、コーヒーを持ってきたくれた。

 「はい・・・いつもと同じブラックだよ」
 「・・・」

 私は黙って頭を下げて、それを受け取った。
 陽一さんはいつもお爺さんが座っている場所に座り、コーヒーを一口ふくむ。
 私も、まだ熱いコーヒーに口をつける。
 無音の中、私は陽一さんを見つめていた。
 見れば見るほどそっくりで・・・そして見れば見るほど一葉さんは死んだのだと思い知らされる。
 ここにいるのは君原 陽一さんという全くの別人なんだから。
 カップを置いて、陽一さんはお店に入ってから初めて私をまっすぐに見つめた。

 「多分・・・」

 一つ区切って、言葉を続ける。

 「君の事だから、俺が今から何を言おうとしてるか・・・ぐらいはわかってると思う」

 私はうなずいた。
 視線を・・・そらして。

 「そして俺も君がなんて答えるかがわからないほど・・・にぶくない」
 「・・・それなら!」

 思う間もなく、声をあげてしまい・・・
 そして続く言葉をとめた。
 それなら・・・言わないで。そしてこのままずっと・・・
 ・・・そんな事を言って私は、まだ陽一さんに身代わりをさせるつもり?

 「でも言わせて欲しい。そして聞いて欲しい」
 「・・・はい」

 脆くて・・・偽りの関係はもうおしまい。
 私は陽一さんを見つめた。
 初めて『陽一』さんを見つめた。
 そうして初めて、色々と違うところに気づく。
 似ていたと思っていた仕草も違う。
 私を見る瞳の色も違う。
 だけど・・・違うとわかったのに、なんで?
 どうして胸の鼓動が速まるの?
 一葉さんに似ているから・・・じゃなかったの?
 それとも私は・・・
 どこかで陽一さんを・・・・

 「霞さん・・・俺は君が好きだ」
 「・・・私は」

 一葉さんが忘れられなくて貴方を見ていた。
 それは間違いない。
 でも・・・それがわかってて、今私は目の前の陽一さんに。
 まるで一葉さんに告白した時のような気持ちになっている。
 どうして・・・・?

 「私は陽一さんを・・・一葉さんに重ねて見ていました・・・」
 「・・・知ってた。自分でも卑怯だと思う・・・」

 卑怯・・・それはわかってる。
 陽一さんに言われても・・・当然・・・
 涙が溢れる。 
 下を向いて、悟られないようにしても、こぼれた雫が床に小さな音を立てる。

 「俺は・・・俺が霞さんの恋人に似てるって事で、それを利用してた」
 「・・・?」
 「俺がその人に見られている限り、俺はずっと霞さんを見てられるって。へたな事を言わなければ、君はまた草偲縁に来てくれるって・・・」

 陽一さんは自嘲するように言葉を続ける。

 「でも何だか兄貴を見てたら・・・情けなくなったよ。好きな女の子に告白する事もできないで、何が好きなんだってね」
 「・・・陽一さん・・・」
 「だから、俺は告白する事にした。俺が君を好きになったのは本当の事だし、前の恋人が気にならないというわけでもない、けど」
 「・・・けど?」
 「昨晩、やっと気づいたよ。君も君の過去も含めて、霞さんの全てが俺は好きになったんだって・・・」
 「陽一さ・・・ん」

 私は・・・もう言葉を発せなかった。
 これだけ想ってくれている人がいる。
 私の今も昔も全部を好きだと言ってくれる人がいる。
 なのに・・・私は・・・

 「・・・返事は今、もらえなくてもいい」
 「・・・」
 「今度、草偲縁に来た時にでも・・・くれれば」
 「・・・はい」

 私はそれだけを言って、顔を見られないように立ち上がった。

 「あ、送ってい・・・」
 「いえ・・・今日は一人で・・・」

 背中を向けたままの私に、陽一さんはそれ以上何も言う事なく。
 ただ、いつものように。

 「じゃあ、また」

 と言った。





 駅についても。
 私は家に帰らなかった。
 そのまま公園へと向かう。
 誰もいない夜の公園。
 木にもたれて、今日の・・・陽一さんの言葉を思い出す。
 今も昔も全部の私が好き・・・

 「私だって・・・陽一さんが好き・・・」

 だけど。
 この気持ちが本当なのか・・・やはり一葉さんの想いの延長なのか。
 間違っていれば、私はまた陽一さんを身代わりにさせるだけ。

 「・・・一葉さん・・・」

 私は・・・どうすればいいの?
 陽一さんを忘れれば楽になれるの?
 それとも・・・一葉さんを忘れてしまえばいいの?
 苦しい・・・・
 好き・・・一葉さん・・・・
 でも陽一さんの事も・・・好きなの・・・・

 「はっ・・・うぅ・・・くっ・・・」

 どうしようもなく涙が・・・
 こんなに何回も何回も泣いてしまう・・・
 一葉さんが亡くなった時、枯れたと思うほど泣いたのに・・・
 
 



 「・・・霞」
 「え・・・?」

 目の前には陽一さんが・・・いや、一葉さんが立っていた。

 「一葉さんッ!」

 抱きついた。
 強く強く。
 いるはずがない。
 ここにいるはずが、生きているはずがない。
 わかっていても・・・・そこには確かなぬくもりがあった。
 私はただ抱きしめていた。

 「霞・・・あんまり時間もないから」
 「え・・・?」

 見上げると、哀しい顔の一葉さんが微笑んでいた。

 「時間って・・・?」
 「ちょっと・・・無理して来たから」

 一葉さんは、私の体を放して小さい子に語りかけるように口を開いた。

 「霞・・・俺の事、今でも好きでいてくれたみたいだね」
 「・・・」

 何度もうなずいた。涙がこぼれてもかまわない。 子供だと言われてもかまわない。
 一葉さんに、今の私を見て欲しかった。

 「ありがとう」

 くしゃ、と頭を撫でてくれる、大きな手。
 すこしゴツゴツしてて、それでいてとっても暖かい。

 「でも・・・好きな人がいるだろう?」

 ピクン、と私の体が揺れた。

 「どうして・・・知って・・・」

 やめた。
 一葉さんはいつも・・・私が何を隠していてもすぐにわかってしまう。

 「でも・・・陽一さんより・・・一葉さんの事が何倍も・・・何倍も!」
 「霞・・・」

 ・・・?
 なんだか・・・一葉さん姿が・・・薄れていく?

 「俺も霞の事が大好きだよ。忘れて欲しくない・・・」
 「私が一葉さんの事、忘れるはず・・・!」

 一葉さんは人差し指で私の口をそっと押さえる。

 「でもね・・・霞が俺の事をひきずって・・・幸せになれないのはもっとつらい」
 「・・・」
 「それに。霞が陽一君を好きになったのは、俺に似てるからだけじゃないだろ?」
 「・・・」

 確かに・・・でもそれを認めてしまえば私は・・・・

 「もっと自分の気持ちに素直に・・・自分の好きっていう心を大切にして欲しい」
 「一葉さん・・・」
 「時間がかかっても・・・陽一君はきっと待っていてくれるだろうから」

 また・・・一葉さんは私の頭をそっと撫でる。

 「俺の最期のお願いだ」

 頭にあった手が私の唇に触れる。

 「幸せになって欲しい・・・本当の恋を知った今だからこそ・・・」
 


 

 「・・・」

 夢・・・か。
 私はもたれていた木の根本でうずくまっていた。
 こんなところで眠ったから、一葉さんの夢を見たのかな。
 でも・・・・本当に夢だったの?
 あの一葉さんは、まぎれもなく私の知ってる一葉さん。
 私の事をよく知っていて。
 時間がない・・・そうとも言っていた。

 「・・・そっか」

 私はまだ一葉さんに心配をかけている
 そして・・・
 本当の恋。
 やっぱり、一葉さんは私が憧れていて・・・
 それに初めて気づいた私。
 でも、それだって私の大切な恋の思い出。
 初恋だったのよ・・・ね。
 ありがとう、一葉さん。
 そして・・・ごめんなさい。
 霞は好きになった人について行きます。
 一葉さんにもらった大切な喜びと、少しだけ哀しい思い出とともに・・・





 あれから一ヶ月。
 予想通りというか、君原さんと桜はめでたい展開を迎えた。
 私は、というと。

 「いらっしゃいませ」

 ドアベルの音に振り返り、お客さんを迎える。
 草偲縁でアルバイトとして雇ってもらっている。

 「ういーす、霞さん」
 「あ、陽一さん」

 入ってきたのはお客さんじゃなくって、陽一さん。
 今日はお休みのはずだけど。

 「あれ? 今日はたしか・・・?」
 「ん。遊びに来ただけ。ジジイいる?」
 「またそんな言い方・・・知りませんよ、もう」
 「居たってどーせ聞き取れないって。耳遠いだろーし」

 さもおかしそうな、でもいつものパターンだと。

 「ほほう、陽一君は何かね。儂をもうろくジジイと言うか?」
 「・・・げ」
 「合気道、銃剣道、空手道をもろもろ会得し、戦争経験者の儂が・・・もうろくか?」
 「・・・お加減いかがかなと思いまして・・・」
 「うむ。肩がこっておるな」
 「はい・・・」

 またも小声でジジイとかなんとか。
 いつもの調子の二人。
 一葉さん、私はとても幸せです。
 こんな優しい人達の和の中にいる事・・・それがとても暖かくて。
 私の中で何かが開くような、そんな気持ちです。

 「ああ、霞さんや。すまぬがお茶を煎れてもらえんかの?」
 「はい、いつものお茶でいいですか?」
 「ええ、ええ。かすみさんが煎れてくれればなんでも玉露じゃ」
 「チョーシいいジジイだ・・・」

 お爺さんが私に向けてくれた笑顔、それが急に真顔になる。

 「何か言ったかの?」
 「いいえ、気持ちいいですか?」
 「まぁまぁじゃ」
 「ぬぬぬ・・・」

 私は奥の部屋に行き、いつものようにお茶を煎れる。
 お爺さんは私を雇う際に一つだけ条件をつけた。

 『ここを自分の家を思って欲しい』

 ですって。
 ふふふ・・・
 ポットのお湯が沸騰しているのを確かめて、湯飲みを用意する。
 と、お店の方から二人の話し声。

 「爺さんよ、霞さんを嫁みたいにこき使うなよなー」
 「なんじゃそれは。だいたい霞さんはお前のモンじゃなかろーに」
 「バッカ、俺の彼女だよ。何度言わせる気だっつーの」
 「だから、何度も聞いておるだろう、どうやってだまくらかしたんじゃと?」
 「うぬぬぬぬぬぬ」
 「ほっほっほっ」

 やっぱり、相変わらず。
 私は煎れたお茶とコーヒーを持ってふたりのもとへと戻る。
 おじいさんが、お茶を一口飲んで、

 「やっぱどこぞの男が煎れたお茶より格段に旨いのぉー」
 「むぅぬぬぬぬ・・・二度と茶なんて煎れてやるか」
 「バイト代も出んくなるぞ?」
 「ぬぎぎぎぎぎき・・・」
 「ふふふ・・・」

 その時、またドアベルがチリンと音を立てた。

 「あ、いらっしゃーい」

 お休みなのに、癖なのか陽一さんがお客さんを迎える。

 「おっす、陽一」
 「こんにちわー」
 「兄貴、どしたの?」
 「桜まで・・・?」
 「ああ、儂が呼んだんじゃ」
 「お爺さんが?」

 私がお爺さんを見ると、お爺さんはニヤッと笑う。

 「おんしら、明日は休みじゃろう?」
 「ああ、そうだけど」

 陽一さんがいぶかしげに・・・多分、お爺さんが何かたくらんでいると思いながら。

 「今日は宴会をする。儂が決めた」
 「はぁ?」
 「え?」
 「大丈夫じゃ。お互いの親御さんには儂が電話を入れておいた。今日は夜通しで呑むんじゃ」

 ドン、と一升瓶をレジの前に置く。

 「あのなぁ爺さん。俺や兄貴はともかく、霞さんや桜ちゃんは女の子だぞ?」
 「桜ちゃん、酒なんて飲めないでしょ?」

 陽一さんと君原さんは、それぞれに苦笑している。
 だが、桜は。

 「私、イけるクチだよ?」
 「・・・」

 君原さんが陽一さんに目配せして、陽一さんが私に。

 「霞さんは・・・やっぱ飲めないよね。当然だよね」
 「私も・・・桜くらいは飲めますよ?」
 「・・・」
 「ほっほっほっ」





 後で、というか宴会中にわかった事だが、男性二人はぜんぜんお酒に弱かった。
 一時間でできあがり、2時間で潰れてしまった。
 それをお爺さんが足蹴にしつつバカにする。

 「男が女子より先に潰れるとは、なんとも情けないのぅ」
 「・・・くそジジイ・・・おぇ・・・」
 「ほっほっほっ」

 そして・・・
 いつの間にか桜も潰れて、私とお爺さんは私が煎れたお茶を一緒に飲んでいる。

 「今夜はすまんかった。年寄りのわがままにつきあわせてしまって」

 ほんのり赤みがさした顔でお爺さんは頭を下げた。

 「いえ、そんな」
 「ふ・・・霞さんや、陽一君といつまでも仲良くな」
 「・・・はい」
 「その指輪も幸せじゃろうて。君のような優しい子のところに落ちついて」
 「・・・」
 「これで安心して・・・」

 と、ゆっくりお爺さんは目を閉じて、床に倒れ込んだ。

 「!!」

 慌てて、抱き起こす私。

 「ぐぅ・・・」
 「・・・・・・」

 まったく・・・人騒がせなんだから。

 「でも・・・」

 私は部屋を見渡す。
 思い思いの場所で寝ころんでいるみんな。
 大切な人ばかり。
 君原さん。
 お爺さん。
 桜。
 そして・・・陽一さん。
 安らかな寝顔。
 もうあの人に重ねはしない。
 あの人を忘れないためにも。
 陽一さんを愛してるからこそ。

 「私は・・・幸せです」

 誰に言うでもなく私の言葉は静寂に消えた。
 ただあの人に届くように。
 私はそっと呟いた。
 色落ちした花弁の指輪を抱きしめて。 
 私はそっと呟いた・・・





かすみ草の咲く頃 完







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