蓮の蕾 (後編)






 ・・・そこからの事は覚えていない。
 気づけば、私は家の前にいた。
 視界が霞んでいる。
 雨のせいなのか、それとも涙のせいなのか。
 ・・・どちらでもいい。
 ドアを開け、濡れたまま上がる。
 どうして・・・あんなことに・・・

 「あら、やっと帰ってきたの仄」

 台所から声がかかる。

 「・・・うん・・・」
 「あら、濡れちゃって・・・恭ちゃん、ゴハン食べずに待ってるわよ」
 「・・・え?」

 奥から恭介が顔をのぞかせた。
 
 「・・・」
 「あ・・・」

 目が合った・・・
 なぜか視線が外せなかった。
 恭介の強い視線が・・・

 「・・・濡れてるな・・・?」
 「え・・・あ・・・雨が・・・」
 「・・・」
 「傘、忘れ・・・ちゃって・・・」

 じっと恭介が私を見ている。
 どこを・・・見て・・・
 ・・・恭介の瞳の中に写っていたのは・・・私の瞳・・・
 気づかれ・・・た?

 「見ないで!」

 私はたまらず階段をかけ昇った。
 部屋のドアを開けて、ベッドに潜り込んだ。

 「恭介・・・気づいた・・・泣いてるの、絶対に気づいた!」
 
 私は声を殺して泣いた。
 麻痺していた感情が一気に噴き出した。





 「・・・」
 「あら、恭ちゃん、仄は?」
 「・・・」
 「どうしたのかしら?じゃあ、呼んで来るから先に食べてて」
 「・・・」   
 
 だが仄の部屋のドアは堅く閉じられていた。
 呼んでも返事はない。 
 諦めたように階段を下りつつ、恭介に声をかける。

 「ごめんね、仄、いらないみたい」
 「・・・」
 
 恭介は箸を手に取った。

 「なんかあったのかしらねぇ・・・」
 「・・・」
 
 それを境に、食器と箸が触れる音だけがする。
 
 「さてと、おばさんはテレビかな」
 
 流れ始めるCM。
 しばらくして。

 パリン!

 「え・・・あっ、恭ちゃん!」
 「・・・」
 
 恭介の手にしていたグラスが割れていた。
 冷たい水が恭介の手を濡らす。
 
 「大丈夫、ゲガしてない!?」
 「・・・ええ」
 「ヒビでも入ってたのかしら、ごめんなさいね、本当に大丈夫?」
 「・・・」

 恭介の視線は、砕けたグラスに注がれたまま、微動だにしなかった。
 普段と変わらない、落ちついた瞳で。
 そう・・・
 ただ、その奥に大切なものを隠すような瞳で見つめていた。
 そして一つの結論を導いた。

 「おばさん・・・仄のクラスの住所録・・・貸してもらえますか?」


 
  
 
 朝。
 泣きながら眠った翌日の目覚めは、あまり気持ちのいいものじゃない。
 
 「・・・」

 私は唇にそっと指先をあてる。
 あの時の感触がまだ残っているようで・・・
 また涙が溢れそうになる。
 初めてのキスだからじゃない・・・
 相手が明君だったからじゃない・・・
 
 「・・・恭介・・・」

 なぜか出る言葉はその一つ。
 色々な感情がごちゃ混ぜになった中で。
 ただ、一つの言葉しか出てこない。

 「・・・恭介・・・恭介!」

 気づけば泣いていた。
 今まで気づかなかったんじゃない。
 どこかで気づいていたはずだった。
 気づかないフリをしていた。
 ただ『幼なじみ』の関係を壊したくなかったから。
 だから、忘れたんだ。
 ずっと忘れていたはずだった。
 忘れなきゃいけなかった!

 「・・・あ・・・くぅ・・・」

 私が自分の気持ちを忘れなければいけない理由がある。
 「別れ」る事よりも、怖い言葉を聞きたくなかったから。
 「別れ」る事よりも、その言葉を聞かなくていいように。   
 胸が痛んだ。
 左胸が・・・ひどくうずく。
 これさえなければ、私は・・・
 恭ちゃんに・・・!

 「仄ー、電話よー」

 階下から、お母さんの声が響く。
 私は泣き声を殺して、相手を聞く。
 
 「クラスの友達で、北村って人よー」

 北村・・・?
 そんな名前の人、いた・・・?
 疑問に思いつつも、部屋の受話器を取り上げる。

 「・・・もしもし?」
 「・・・仄か?」
 「明・・・君?」
 「名前を言うと話してくれないと思って」
 
 私はすぐに切ろうとした。
 次の瞬間。
 
 「俺、広瀬先輩に呼び出されてる」
 「・・・え?」
 「あの公園だよ。今、近くの電話ボックス・・・」
 
 恭ちゃんが・・・明君を呼び出した?

 「なんで・・・?」
 「知らないよ。ただ昨日の夜に電話で言われた。話がある・・・って」
 「・・・」
 
 昨日の夜・・・
 やっぱり、気づいて・・・
 
 「・・・昨日の事、話したのか?」
 「・・・話せるわけ・・・ないじゃないの!」
 「だろうな」
 「・・・」
 「そろそろ時間だ。じゃあな、仄」
 「え、ちょっと・・・明君!?」

 電話は切れた。
 私はすぐに着替えを始めた。

 「どうして・・・なんで・・・」




 
 恭介は、指定した場所に五分ほど早く到着していた。 
 朝露に濡れた遊具の数々。
 古い思い出の詰まった場所。
 誰もいない公園はひどく静かで。
 時間の流れが止まったかのような錯覚を起こさせる。

 「靴を無くした砂場・・・か」
 
 仄が泣きじゃくっていた光景。
 セピアがかった想い出の中で、俺は懸命に探していた。
 なんとか、仄の涙をとめてやりたくて。
 いつもみたいに笑って欲しくて。
 そして何よりも、好きな子が泣いているのがくやしくて。 
 
 「・・・」

 そしていつからか仄は、自分を偽り始めた。
 穏やかで、落ちついていた仄。
 急にはしゃぐようになり、口数も増えた。

 『変わったな』

 俺がそう言えば、

 『私はもともとこうだよ』 
  
 いつも答えはそうだった。

 強がっているような、悲しんでいるような。
 そして俺は、いつも無力だった。   
 昔も・・・今も・・・
 だから、誓った。
 強がっていてもいい。
 悲しんでいてもいい。
 涙だけは決して流させないと。

 「・・・」

 そして俺は口を開いた。
 ゆっくりと近づいてくる彼に。

 「明君・・・君は仄を泣かせたんだよ」

 東 明は、俺を見据えていた。 

 「僕を呼び出したのは、そんな事を言うためですか?」
 「・・・いや」
 「じゃあ、謝れと?」
 「・・・違う」
 「何なんですか?はっきり言って下さいよ」

 言いつつ胸のポケットからタバコを取り出した。

 「先輩もどうです?」
 「・・・」
 「タバコも吸えないんですか?」

 口にくわえたタバコの先、ライターで火をともす。
 あぶるように火をつける様を見て。

 「・・・背伸びのしたい年頃・・・か」
 「なん・・・ですか?」

 その眼が俺を睨む。

 「タバコに火をつける時は、吸いながら点けるものだ」
 「・・・そうですか、どうも」
 
 憎憎しげな口調で、東 明がくわえていたタバコを捨てた。

 「で、僕の恋人を僕が泣かして・・・どうして呼び出され・・・」
 「違うだろ」
 
 俺はその言葉をさえぎった。
 
 「片思い、だ」
 「・・・先輩、今日はよく喋りますね」
 「悪いか?」
 「・・・本題に入ってくださいよ」
 「言っただろう、君は仄を泣かせたんだよ・・・」
 「だからそれが、どうかし・・・!」
 
 もう考える事はなかった。
 俺は力任せに殴りつけていた。 

 『優しくて、静かな人が好き』

 白い病室での仄の言葉。
 だから、寡黙でありたいと思った。
 そして、優しくありたいと思った。
 ただ仄だけの為に。
 そのほかの全ての人を傷つけたとしても。
 俺のただ一つの想いを、わがままを通すために。
 それも、終わった。
 もう、仄の好きな男にはなれない。
 それでも、仄を泣かせた事が許せなかった。
 絶対に許せなかった。

 「ってーな!」   
 「仄に・・・何をした?」
 「あんたに関係ないだろ!」

 東が口元をぬぐいながら、起き上がる。
 俺は歩み寄る。

 「仄を泣かす事は許さない」
 「・・・へっ、あんたに許してもらう義理はないよ!」

 殴りかかってくる。
 怒りに身を任せて。
 あいにくと・・・俺の心の中はそれ以上に怒りで燃えている。
 迫る拳が俺の顔を横殴りにする。
 
 「・・・」
 「あぐっ!」
 
 俺はその手を掴んで、力まかせにねじった。
 折れるか?
 折れればいい。
 こんな奴の腕など。仄を泣かせた奴の腕など。
  
 「もう一度聞く、なぜ仄は泣いていた?」 
 「・・・聞いて・・・どうすんだよ!?」
 「・・・」

 俺は無言で肘を背中にぶち込んだ。
 泥水を弾きながら、東の体が地面に叩きつけられる。

 「なにをした?」
 「・・・キスしただけさ!初めてだったようだけどな!」
 「・・・」
 「悔しいかい!?俺が仄の唇を奪ったことが!」

 俺の中で。
 偽っていた自分の殻を破って、本当の自分が顔を出した。
  
 「お前に仄は渡さない・・・」
 「・・・それが本音かよ!悲しませただの、なんだの言って!」

 倒れているその横腹を蹴りつける。

 「ぐ・・・」
 「仄は俺のものだ・・・あいつの過去も、今も、未来も・・・」
 
 もう一度蹴りつけようとした時、東が素早く起き上がる。
 俺を睨んでいる。

 「黙って聞いてりゃ・・・あんただって俺と同じじゃねぇか!」
 「・・・」
 「仄があんたを好きだとは限らない!」
 「だから?」   
 
 俺は東の髪をつかむ。

 「そんな事、俺には関係ないんだよ、小僧」
 「小僧だ・・・!?」
 
 動いていた口に、拳を叩きこむ。

 「俺はずっとあいつを見てきた。それはこれからも変わらない」
 「この・・・」

 なりふり構わず、俺に敵意をのせた拳を叩き付けようとする。
 それをかわす。
 バランスの崩れた瞬間に、腹へと一撃を加えた。

 「ぐっ・・・!」
 「だから俺は仄を好きだと言えなかった。別れを怖れ、自分を偽った」
 「そんなの・・・ただの臆病なだけじゃないかよ!」
 
 俺を突き飛ばし、離れる東。

 「あんたはただ臆病なだけだ!自分の気持ちも伝えられない弱虫なだけだ!」
 「仄の側にいる為なら、何でもいい」
 「・・・気取ってんじゃねぇ!」
 
 



 私は息を切らせて、それでも走った。
 そして公園にたどりついた時。
 私は信じられない光景を目にした。
  
 「!」

 叩き伏せられている明君。

 「どうして・・・こんな・・・」 
  
 明君の口元からは血がにじんでいる。
 あの優しい恭ちゃんが・・・殴りつけている。

 『やめて!』
 
 そう叫ぼうとした。
 次の言葉を聞いた瞬間、何も言えなかった。

 「・・・キスしただけさ!初めてだったようだけどな!」
 「・・・」
 「悔しいかい!?俺が仄の唇を奪ったことが!」
 
 聞かれた・・・!
 絶対に知られたくない人に!
 そして・・・

 「・・・」
 
 その時の恭ちゃんの顔・・・
 変わらない、何も表情を浮かべない顔・・・
 でも、どこかが違った。
 そして続く言葉に。

 「お前に仄は渡さない・・・」

 確かに恭ちゃんはそう言った。
 足が震えて、また涙が出てくる。
 ずっと昔に望んでいた言葉。
 それが今、現実になった。

 もう逃げられない・・・
 もう抑えきれない・・・ 
 
 私は恭ちゃんが好きだから。
 忘れなきゃいけないぐらい好きだったから。
 明かさなければいけない。
 何と言われても。
 
 「別れ」が怖かった。ずっと側にいたかった。
 だけど、もう側にいるだけなんて嫌だ。
 一緒にいたい!
 絶対に・・・ずっと一緒にいたい!
 
 「気取ってんじゃねぇ!」

 気づけば、二人が互いに殴りかかっていくところだった。   
 私は走り出した。
 
  

   

 「恭ちゃん!」

 俺の耳にその声が響いた時。
 気を取られた瞬間、東の拳をまともに顔に受けた。

 「・・・」

 口の中で、鉄の味が広がった。
 それを吐き出す。
 東を見れば、さして驚いた様子はない。
 こいつが知らせたのか・・・

 「恭ちゃん!明君ももうやめてよ!」 
 「・・・仄、悪いが邪魔しないでくれ」

 俺は東に視線を戻す。
 が、後ろから抱きとめられた。
 小さくて優しい感触が背中越しに伝わる。

 「仄、先輩もああ言ってらっしゃる事だ、邪魔すんなよ!」
 「もういい!」

 仄が叫ぶ。
 もう・・・いい?

 「なんだよ、もういいって?」
 「私は恭ちゃんが好き!ずっと昔から好きなの!」
 
 望んではいけない言葉があった。
 何度も欲したその言葉は・・・とても暖かい。
 
 「だからって、俺が諦めるかよ!俺だってお前が好きなんだ!」

 皮肉もなにもない、かなぐり捨てたような真っ直ぐな言葉。
 わかってる。
 東が俺と何も変わらない事は。
 ただ俺は逃げ続け。
 この東は追い続け。
 それだけの違い。
 だが、どちらも引けない想いがぶつかりあっただけだ。

 「・・・大丈夫よ、すぐに私の事、嫌いにしてあげるから・・・」

 仄は・・・俺を見て、笑った。
 昔の仄の笑顔で。
 懐かしい、もう二度と見る事はないと思っていた笑顔で。
 そして、ゆっくりと。 

 「なにを・・・」

 仄は着ていたトレーナーをまくりあげた。
 その下から白い肌が、俺達の前にさらされる。

 「・・・そ、それ・・・」   
 「・・・」

 左胸のあたりにくっきりと浮き上がった深い傷跡は。
 さらなる下着の下へと、なおも長く続いているようだった。

 「・・・私が一年、遅れてる理由・・・」
 
 俺は目をそむけなかった。
 かつて・・・十数時間に及ぶ大手術の結果だろう。
 どんな傷が残ったとしても、不思議じゃない。
 ただ、それを晒す事がとれほどつらいものかは・・・

 「・・・仄、もういい・・・」

 俺は着ていたジャケットをかける。
 触れた肩は確かに震えていた。

 「・・・わかったでしょ?」

 俺達から目を背けている仄。
 だが東はもう仄を見ていなかった。
 俺を見ていた。
 そして。

 「・・・そうだな。醜い傷だよ、興ざめってヤツだ」

 仄の肩が大きく跳ねた。
 俺の体が無意識に東へと動く。

 「・・・」
 
 しっかりと握られている仄の手が、それを止めた。

 「はぁー・・・バカみてーだ、俺」
 
 東が後ろを向いて、歩き出す。

 「どこに行く?話はまだ終わってない」
 「もういいですよ。仄は先輩に返しますから」
 「・・・」

 歩き続ける東は、一度だけ足を止めた。
 だが、こちらを振り向く事なく再び歩き始め、やがて視界から消えた。

 「・・・」

 俺の頬に冷たい雫が落ちる。
 見上げれば、降り始めた雨が顔を濡らした。
 二人だけになった公園で。
 俺は仄の肩を抱いた。

 「・・・恭ちゃん」
 「・・・」

 震えの止まらない仄。強く抱きしめた。

 「私は・・・」
 「・・・」
 「・・・傷・・・見たでしょ・・・」
 「・・・」
 「明君も言ってた・・・醜いって・・・」
 「・・・」

 小さな体に、大きな傷。
 少女の心に、それがどれだけの傷であるか。
 何度、涙しただろうか。
 俺は何も知らず、知らされなかった俺を恨んだ。
 もっと、強く・・・頼られる存在であれば・・・
 仄は独りで苦しむ事はなかったはずだ。

 「・・・大きな傷だよね?」
 「・・・」
 「・・・醜くて・・・気持ち悪いよね?」
 「・・・」
 
 何か手段はあったはずだ。
 時間はいくらでもあった。

 「だから・・・がんばったよ。私・・・」
 「・・・」
 「嫌われないようにって、ずっと側にいられるようにって」
 「・・・」

 どうして、今まで・・・

 「恋人になんてなれなくたって、幼なじみのままで・・・そう思ったよ」
 「・・・」
 「だから、恭ちゃんの好きな女の子にならないようにって・・・思って・・・」
 「・・・」
 「・・・思って・・・がんばったよ・・・」

 悔しくて仕方がなかった。
 怒りのやり場がなかった。

 「聞いたよね、ずっと前に・・・」
 「・・・」
 「恭ちゃんの好きな女の子って、どんな子か・・・」
 「・・・」

 俺はあの時、穏やかで落ちついた子と答えた。
 だから・・・仄は・・・
 偽り始めた。
 俺のせいで!
 俺が何も知らずに言った言葉が、仄を苦しめた!
 
 「・・・」
 「もうダメだよ、私・・・」
 「・・・」
 「自分が・・・抑えきれない・・・」

 これ以上、仄に言わせる事はない・・・
 
 「仄、俺と一緒にいて欲しい」  
 「・・・」
   
 もういい。
 この先、もし「別れ」がやってきても後悔はしない。
 今の俺を・・・いや、昔の俺を抑えきれない。 
 そう・・・
 どんなに大きい傷があっても。
 仄がこうして生きている事には比べられない。
 何にも代えがたい、ただ一つの事実。

 「・・・」
 「何度でも言う。お前が好きだよ」
 「・・・恭ちゃん・・・」

 その小さな手が、すがるように俺の背に回された。
 俺は、華の蕾を抱くように、その腰に手を回して。
 小雨の中で、キスを交わした。
 







 
 
 俺はいつものように屋上で食事をしていた。
 ベンチに一人、座って。
 あれから・・・俺の弁当は仄が作ってくれる。
 
 「・・・」

 『もう、穏やかで優しくなんてなれないかもしれないけど・・・』

 かつて俺が言った言葉。
 別にそんな事はどうでもいい。
 あの時の俺は好きな女の事を言っただけなんだから。
 仄の事を。

 「・・・」

 足音がした。
 聞き覚えのある歩調。
 俺は振り向かずにたずねる。

 「何の用だ?」
 「忠告に来ただけですよ」

 東 明。
 仄と約束したから、もう手は出さない。

 「忠告だと?」
 「もし仄を泣かせたら、今度は俺が呼び出しますからね」
 「・・・」
 
 俺は疑問とともに、振りかえった。  
 東は笑っていた。

 「お前・・・」
 「今回は完全に悪役になりましたけど・・・」
 「・・・」
 「今、仄に必要なのは先輩だって、身にしみてわかったから」
 「・・・それで、あんな事を言ったのか・・・?」

 傷を見た後の言葉。
 
 「正直、驚きはしましたけどね。好きな女なら別に気にしませんよ」
 「・・・そうか」
 「本気で好きだった・・・いえ、好きなんですから」
 「・・・」
 「だから、泣かせたら許しませんよ」
 「タバコは・・・もう必要ないみたいだな」  
 「そうですか?助かりますよ、あんなもんまずくって」
 「・・・」
 「・・・」

 秋の風は。
 なぜか暖かく感じた。
  
 「じゃあ・・・もう行きます」
 「ああ・・・」

 来た時と同じように、東が去っていく。
 ただ一度、ふり返って。
 
 「先輩、いつもそういう顔してる方がいいですよ」
 「・・・?」
 
 入れ替わるように、軽い足音が聞こえてくる。
 
 「やっぱり、ここだった」
 「・・・」

 仄は俺の横に座りこむ。
 
 「さっき明君に会ったんだけど・・・どうかしたの?」
 
 心配げに聞いてくる。

 「・・・」
 「嬉しそうに笑ってたのよ、明君」
 「・・・」

 仄が俺の顔を、きょとんと見つめる。

 「・・・今の恭ちゃんみたいに・・・」
 「俺が・・・笑ってる?」
 「うん、笑ってるよ」
 「・・・そうか、笑ってたか」

 悪い気分じゃなかった。

 「ちょっと、なによ、教えてよー」
 「なんでもないさ」
 「うわ、あやしいー」
 「男同士の話合いってヤツだよ」
 「・・・ちょっとセンス、古くない?」
 
 俺は仄を抱き寄せた。
 
 「絶対に離さない・・・」
 「・・・うん」
 
 








 長かった蕾の時は終わり。
 固く閉じていた花弁を、ゆっくりと開く。
 あたかも守ってきた想いを伝えるように。
 寂しさ、悲しさ、辛さ。すれ違い。
 それらを耐えた強い強い蕾が。
 静かに、そして力強く開いていく。

 華は散るから美しい。
 悲しくも在り、また定めでも在り。
 だが、枯れ落ちないでいて欲しいと願う事はできる。
 そんな想いが奇跡を起こしたとしても。
 誰しも、それを不思議とは思わないだろう・・・
 
 散るために咲く華など・・・
 散るために想う恋など・・・
 
 一つとして、ありはしないのだから。





蓮の蕾 END






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