四つ葉






 彼女との付き合いは長い。
 小学生の頃から、そう・・・女性と意識する以前からだ。
 そして俺が恋を知るずっと前から一緒にいた。
 いつしかそれが愛だとわかった時。
 俺はもう一つの愛に気づいた。
 胸が裂かれそうな愛だった。





 「今度の日曜さ、祭り行かねーか?」

 俺の隣で何気に窓の外を見つめていた敦也が、思いついたように声をかけてきた。
 いつものように四人で輪を作って昼食を取っていた俺達は、敦也の方を向く。

 「突然ね、いつもながら・・・祭りって公園でやる町内会の?」

 少し呆れたように、それでいて面白そうに安井。
 高めの身長と快活な雰囲気が特徴の女だ。

 「あたしはヒマだよー」

 呼応するように花木が答える。とろんと間延びした声はガキの頃からだ。
 チビで、笑うと目が猫みたいになる。

 「高司は?」

 安井が残った俺に聞いてくる。
 どーせ、断ったって強引に連れていくくせに。

 「ああ、どーせヒマですよ」
 「んじゃ、決定だな」

 敦也がポンと手を叩いて再びパンをかじり始める。

 「んで、どこに集合?」
 「まだ決めてない」
 「あんたねぇー」

 安井と敦也の問答はいつもと同じ。
 無計画だの、なんだのとブーたれる安井を敦也はてんで取り合わない。

 「相変わらず仲いいよな、あいつら・・・なぁ?」
 「え・・・うん」

 俺がほおづえをついて花木に声をかけると、はにかんだ笑顔でうなずく。
 それでも細い目は二人の方に向いている。
 俺もまた言い合っている二人を眺める。

 「・・・そんなもんだよな・・・」

 つい俺がこぼした呟きは誰の耳にも入らなかった。 





 俺達は皆、市営の団地に住んでいる。
 だから小学校からのつきあいってわけだ。
 偶然にも高校も同じところへ進んだものだから、今だに中学生の気分が抜けない。
 当然ながら、帰り道も同じ。電車も同じ。
 いつもどおり四人で固まってホームに滑りこんできた電車に乗りこむ。
 混雑という程度でもないが、空いているシートは少ない。
 敦也と俺が早い者勝ちと言わんばかりに腰掛ける。

 「あー」

 スタートで遅れた女性陣。

 「ちょっと、あんた達さぁ、かよわい女の子を立たせる気?」

 吊り革にブラブラと体を揺らし、上からにらみつけてくる安井。

 「あん、どこにかよわい女がいるって?」

 対して敦也の反応。そしていつも通りの問答が始まる。
 俺はそれを横目に目の前で立っている花木に目を向けた。
 彼女の視線は、楽しそうにじゃれあう二人を見つめている。

 「なぁ、花木」
 「・・・え?」

 ハッとなって花木が俺の声に振り向く。
 おせじにも嘘がうまいとは言えない彼女と。
 笑って嘘を突き続けている俺に隠し事は難しい。

 「いや、なんでもない。座るか?」
 「ううん、いい」

 自分のカンの良さを恨めしく思う。
 そして何もできない自分を情けなくも思う。  
 揺れる電車の中で、俺は随分と昔の事を思い出していた。
 まだ小学校の頃だったっけ。
 敦也と俺が悪ふざけに安井のランドセルを取って逃げ回って。
 怒って追いかける安井と花木。
 幼い年頃の男の子が女の子にちょっかいを出す。
 今になってみれば微笑ましいものだ。
 とうとう安井は泣きだし、一緒にいた花木も泣き出した。
 日頃めったに泣かない安井が泣いたので、敦也と俺はずいぶんと困惑した。
 ランドセルを返してあやまろうとした時、安井はおもいっきり敦也を叩いた。
  
 「バカぁ!」

 か細い声で、それでも大声を張り上げて。
 そして安井と花木はしゃくりあげながら家に帰っていった。
 後に残された俺は呆然となって、敦也は叩かれた頬に手をあてて立ちつくした。
 思えば、あの時から答えは出ていたのかもしれない。
 
 「高司どした?」

 ひょいと横から安井が俺をのぞきこんでくる。
 気づけば敦也は苦い顔で吊り革にぶらさがっていた。 

 「ん、ちょっと」
 「気取っちゃって、好きな女の事でも考えてたか? このっ」

 ヒジでつつきながら安井が笑う。
 屈託のない笑顔は、ついこっちまで笑顔にさせられる。
 
 「花木、座れよ。アッちゃんが立ってるのに俺だけ座ってるのもなんだから」
 「え、うん」

 立ち上がって俺は花木は座らせた。
 小柄な花木が横に座ると安井はいつも以上に大きく見える。
 この二人はいつまで親友でいられるんだろう?
 何気なく思う。
 答えは多分・・・

 「高司、今度なんかゲーム貸してくれ、ヒマでさぁ」

 隣で敦也が笑いながらそんな事を言う。
 そう、敦也と俺もいつまで親友でいられるんだろうか・・・

 「ねぇ、綾子。高司なんか暗いねぇ?」
 「んー」

 座ってる二人が何気に交わす会話。
 俺は聞こえないフリで敦也とゲームの話をしていた。





 日曜日。
 俺は支度を整えると敦也の家に電話する。
 迎えに行く時間も決めてあるので、電話の必要もないがいつものクセだ。
 学校に行く時も俺達は一緒に行っているが、その前に電話をかける。
 交わす会話はほんの数秒。

 「じゃ、今から行くから」
 「わかった」

 それだけで俺は受話器を置く。
 時計は午後一時。
 安井と花木とは祭りのある公園で直接、待ち合わせをしている。
 祭りが始まる七時までは、とりあえず二人でブラブラする事に決めていた。
 母親に行って来ると一言残して、俺は玄関を出た。
 そこからエレベーターで一階まで降りて外に。
 敦也の住む1棟と俺の4棟は目と鼻の先。
 色づけされたアスファルト、カラーロードと呼ばれる遊歩道を渡り。
 芝生を越えた先の小さめの棟がそうだ。
 エレベーターはついてないのでトントンと階段をあがる。
 その四階の奥から二つ手前のドアで立ち止まり、俺はコンコンとドアを叩いた。
 重い音とは反対に明るい声で敦也が、

 「おっす。入れよ」

 俺は言われるまま玄関でクツを脱ぎ、家の中に入った。
 敦也の部屋に入るとその性格通り、キチンと片づけられている。

 「お、いらっしゃい」

 台所から声をかけてきたのは敦也の母さん。
 敦也の父親というものを俺は見た事はない。
 そしてそれについて聞いたことはない。
 ただ、断片的に感じるものはある。
 そして敦也が母親を大切に想っている事も感じている。
 
 「で、どーする?」
 「そうだね」

 敦也の問いは今から何をするかって事だろう。
 このパターンからして、何事もする事はなく部屋でだべっている事になるだろうが。
 敦也は最近、気に入っているというマイナーバンドのCDをかける。
 LUNASEAのwish。だが悪くない。
 敦也とはここらへんの趣味も重なる。
 それをBGMにして、おばさんの出してくれた麦茶にのどを鳴らす。

 「あ、ねぇ、アッちゃん」
 「ん?」
 「好きな奴とかいる?」
 「なんだよ、突然?」

 驚いたように敦也は俺を見る。
 俺もなんでこんな事を聞いたかわからない。
 自然に口から出た。
 いつもは意識して触れないようにしていた話題なのに。

 「別に・・・いないな」

 少し考えてから敦也が答える。
 
 「高司は?」
 「俺もいない」
 「ふぅん」

 どちらも本気で聞いていないし、答えていない。
 女同士の会話ならつっこんで聞くだろうが、男というものはこういった事に淡泊だ。
 それとも俺達のようなのが少数派なのかもしれないが。
 どちらが意識するまでもなく、話題は変わった。
 他愛もない会話が続き、やがて五時ちょっと前。
 俺は敦也にそろそろ行く? と聞き、敦也は答えて立ち上がった。

 「こう明るいと祭りって気分じゃないよな」

 夕方といっても夏の日の暑さは、俺が家を出た時と変わらない。
 芝生の上を歩きながら、俺は敦也と同じように空を見上げる。
 
 「夏だから・・・ね」





 出店が外周を囲むようにして公園は賑わっていた。
 まだ日が高いという事もあってか、祭りという雰囲気は出ていない。
 かき氷とわらび餅の店だけが繁盛している。
 夜になれば、どの店も同じようになるだろう。

 「安井達、どこにいるんだ?」
 
 敦也は公園を見回し、俺もそれにならう。
 だがそれらしい影は見あたらない。
 集合場所が曖昧なのは、今に始まった事じゃない。いつもの事だ。

 「腹、へってねーか?」

 たこ焼き屋の前で立ち止まる敦也。

 「おごってくれんの?」
 「バカいうな」

 笑いながら、俺達はたこ焼きを買い、近くのベンチに腰かけた。
 町の小さな祭りだというのに浴衣姿がけっこう目立つ。

 「あいつらも浴衣だったりして」
 「似合わないって」

 二人して想像して笑いあっていると。

 パァン!

 後ろで大きな音がし、思わず振り返る。

 「驚いた?」
 「やーすーいー」

 そこには割れた風船を手にケタケタと笑っている安井。
 その後ろで苦笑している花木がいた。

 「だれが似合わないって?」
 「お前だよ、お前」

 二人は浴衣姿だった。
 お世辞じゃないが安井はなかなかなものだ。
 身長があるせいか、らしく見える。
 対して花木はちょっと着せ替え人形みたいだ。
 俺がそう言うと。

 「ほっとけ」

 舌を出してイーとやりやがった。

 「人形だってよ、そのまんまんじゃねーか!」

 隣で聞いていた敦也が意地悪く笑い出す。
 
 「・・・フン」

 そっけない態度で花木は敦也をぶん殴る。
 
 「ってー、高司はベロ出して、俺は殴るかぁ?」
 「・・・ふーんだ」

 プイとそっぽを向いた花木は、安井にヨシヨシをされている。

 「ガキ!」
 「バカ!」

 俺は肩をすくめる。
 安井と目が合うと、彼女もまた肩をすくめた。
 ひとしきりの漫才が終わり、俺達は夜店をブラブラと回りだす。
 リンゴ飴だとか、バナナチョコだとかを買いあさる女性陣。

 「ほれ、敦也、アーン?」
 「ん、あーん」

 安井が手に持っていたチョコバナナを敦也に食べさせながら歩く。
 その後ろで俺と花木が歩いている。

 「仲がいいんだか悪いんだか・・・」

 何気なく漏らす。口ゲンカも多いが笑い合っている事も多い二人。
 安井は男女に関係なく屈託のないつきあいをする。
 その中でも敦也や俺とは一緒にいる時間が長いから、傍目に恋人と映るようなシーンもある。
 そうされる事を俺が拒絶する事はないものの、嫌がる事を安井は知っているので最近は敦也にばかり世話を焼いているが。

 「・・・そうだね」

 わらび餅をつっついていた花木。
 一つをひょいと指でつまんで俺は口の中に放り込む。

 「あー!」
 「一つぐらいいいじゃんか」
 
 暗い顔から一転してホッペを膨らませる花木。

 「食い物の恨みはこわいぞぉー!」
 「へーへー」

 そして俺は、こんな事くらいしかできない。





 やがて威勢のいい音が響いた。
 すでに空は暗くなり、夜店も活気づいている。
 弾けるような音は、公園の中央に組まれた櫓の上にある和太鼓からだった。
 同時にいくつか設置してある巨大なスピーカーから音頭が流れ始める。
 
 「あ、今年も踊りやるんだ」
 
 櫓を中心として、主に女の子やオバさん達が輪をつくりはじめた。

 「ミチ、どうする?」

 花木の下の名前は道子。安井は昔からミチと呼んでいた。

 「あたしはいいや」
 「んじゃ、敦也」
 「俺ぇ?」
 「はいはい、とっとと行くよ」

 敦也は安井に手をひかれて輪の中に混ざっていった。

 「ふぅ」
 「元気ないな、花木」
 「ん、そんな事ないって」
 「そっか」

 自分でも意地悪な問いかけだ。
 多分、四人の中で俺だけが全てを知っている。
 一人が一人を知っていても、残る一人の事を知らない。
 残る一人もまた一人を知り、残る一人の事は知らない。
 
 「花木、浴衣さ」
 「何よ、また人形みたいって言う気?」
 「いや。結構いいよ」
 「・・・え?」
 「なんでもない。それより」

 俺は最後のわらび餅をかすめてほおばった。
 
 「またぁー!」
 「油断大敵ってね」
 「うー」

 
 


 踊りが一段落して、二人が戻ってくる。
 その頃、俺達はたこ焼きを一緒に食っていた。
 わらび餅の代わりに買わされたんたが。

 「おやおや、夫婦みてーだな」
 「高司は絶対シリにひかれるタイプよねー」

 言いたい放題の二人は、ほんのり汗をかいている。
 俺が何か言う前に花木が半ば笑い気味に。

 「こんなのと夫婦にしないでよねー!」
 「あらあらミチちゃん、顔が真っ赤ぁー」

 俺は苦笑するしかない。 
 そう冷やかす安井に敦也が。

 「高司だって迷惑だっての。花木みたいなガキんちょは」
 
 普段と変わらないかけ合いだ。
 そう、ずっと昔から。
 子供の頃から何も変わってない言葉。
 それでも言葉の中身は変わる。

 「・・・・・・」

 少しばかりうつむいた花木は、すぐに上を向いて敦也にパンチを入れる。
 力のこもってない拳が腹へ、派手にうめく敦也。

 「暴力はんたーい!」
 「待て、このっ!」

 逃げ出した敦也、追いかける花木。
 
 「ほい、高司」
 「ん?ああ、サンキュ」

 いつ買ってきたのか、安井が俺に冷たいビールをさしだした。
 未成年といえど祭りだ。細かい事はヤボだろう。
 安井もまた同じく、ビールの紙コップに口をつけている。

 「高司さぁ、好きな人とかいるの?」

 俺が敦也にした質問だった。
 そう言う安井の視線は、かけまわってる二人の方へと向いている。

 「・・・お前は?」
 「あんたなら気づいてるんじゃないの?」

 安井はあっけらかんとして言う。
 俺はただうなずくしかない。

 「それよりも高司は? 好きな人」

 感情のない声だった。それでいて答えは求めている。
 自分と同じ境遇の人間を探しているのか、そして連帯感と安心感を求めているのか。
 それを求めるのは安井が女だから。
 そして求めない俺は男だからか。

 「・・・聞いてどうする?」
 「別に・・・どうもしないよ。ただ教えて欲しいだけ」
 「そのうちな」
 
 それ以上の追求はなく、さして暑くない夜に安井はウチワをあおいでいた。
 




 祭りの嬌声は11時まで続く。
 が、花木の門限もあってか、俺達は10時ちょっと前に帰り支度を始めた。
 支度と言っても食い散らかしたパックやらビニールを捨てるだけだ。

 「んじゃ捨ててくる」

 さすがに女というと語弊があるが、手際よく片づける安井と花木。
 敦也と俺はその間にジュースを買い、帰ってきた二人に渡した。

 「あ、ミルクティーだ」

 俺から受け取ったジュースを見て花木が驚く。

 「高司、あたしの好みって知ってたっけ?」
 「たまたまだよ」
 「ふぅーん」

 対して敦也と安井は。

 「なんで炭酸よー」
 「うるせー、イヤなら飲むな!」
 「うっわ、ひどーい」

 安井が炭酸をつきかえし、敦也が持っていたお茶をひったくる。
 すでに飲みかけだが気にした様子はない。
        
 「ひでぇ」
 「片づけの当然の報酬よ。文句あんの」

 いくら迫力を出そうとしても女は抜けない。
 敦也は笑ってハイハイと言うだけだ。

 「おい、花木?」
 「え? あ・・・うん」
 「今日は元気ないな、やっぱり。気分でも悪いのか?」
 「ううん、何でもない。大丈夫」

 だいじょうぶ・・・
 そう言って花木はミルクティーを一口だけ飲んだ。

 「んじゃ、それぞれ男性が女性を送っていくという事で」

 たまに紳士らしい事を言う敦也。
 安井は少しばかり離れた棟に住んでいるし、花木は敦也と俺、どちらとも近い棟だ。

 「ちょっと、敦也。あんたさっきビールおごるって約束は?」

 そうはさせるかといった顔で安井が敦也の背中を叩く。
 覚えていたか、そんな顔の敦也がため息を吐いた。

 「ま、そーいう事だ。高司、そいつ頼むわ」
 「おっけー」
 
 その時の花木の表情を俺は見逃さなかった。





 俺は花木を送った後で、敦也の家に遊びに行く事を告げて歩き始めた。
 横にはチョコチョコとついてくる花木。顔は下を向いている。

 「・・・楽しかったな」
 「え?」
 「祭りだよ」
 「あ、うん」

 花木は持っていた水風船のヨーヨーをもてあそびながら答える。
 敦也に取ってもらった物だ。

 「・・・・・・」
 「・・・・・・」

 祭りの音がだんだんと遠ざかり。
 いつものカラーロードを踏み出す。
 あとしばらくもすれば帰り道となるここも、まだ人影は少ない。
 頼りない街灯と、それに照らされた時計。
 電話ボックスと木々の静かなざわめき。
 毎朝、登校の為に通る道も夜となれば印象が変わる。
 特にこんな日は。

 「・・・」

 なんとなく足下の石を蹴った。
 カラカラと乾いた音で、それはカラーロードを転がっていく。
 暗い先に石は消えていった。

 「高司さ・・・」
 「ん?」

 相変わらず下を向いたままの花木が呼びかける。
 静かな声だった、その中にわずかな涙声が混じっている。

 「好きな人って・・・」
 「いるよ」
  
 最後まで待たずに俺は答えた。
 今日はよく聞く言葉だ。

 「ふぅん・・・あたしもいるよ」
 「アッちゃんだろ」
 「・・・・・・」

 別に驚きもせず、ただ花木はうなずいた。

 「だけどさ・・・」

 花木はそこで言葉を止めた。
 敦也の心が自分に向いていない事を感じているのだろう。
 そして。

 「安井もアッちゃんの事が好き、か・・・」
 「・・・たぶん」

 今まで花木はずいぶんと苦しんだ事だろう。
 自分の愛と親友の愛の狭間で。
 告白もできず、ただ何もできず。

 「でも、今日・・・言おうと思った。だけどダメだった」

 少し笑って、花木はまた下を向いた。
 ヨーヨーが下に落ちて、歩みが止まった。

 「・・・う・・・」

 小さく嗚咽を上げ始めた花木の肩をポンポンと叩き、俺はヨーヨーを拾う。

 「好きとか嫌いとか・・・そんなもんだって」

 その言葉に花木が顔を上げ、涙もかまわず手を振り上げた。
 俺はただ、花木の手を見つめていた。  
その平手が俺の頬に当たる瞬間、急速に力が抜けてパチンと小さな音を立てた。

 「高司には・・・わかんないよ」
 「・・・・・・」

 ・・・わかるよ、花木。

 「小さい時からずっと好きだったんだから・・・」

 ・・・だから・・・わかる。

 俺は心の中で独白して、花木を見る。
 花木は手の甲で涙をぬぐって、そんな俺をにらんだ。
 いつもとは違う花木の声、仕草、言葉。
 敦也を恨んだのはこの時が初めてで、最後になるだろう。
 こんな表情をさせるほど、花木を好きにさせた敦也を。

 「花木、今日はもう休めよ。疲れてるだろうし」

 再び肩をポンポンと叩いて俺は歩き始めた。

 「・・・うん」





 花木を見送った後、俺は敦也の家へと向かった。
 手には二本の缶ビール。
 いつもの道を通って、いつも通り敦也の家のドアを叩く。

 「ほーい」

 カチャリとドアが開いて、敦也が出迎えた。
 CDはかかっていない。静かな部屋だった。
 クツを脱いで上がり込み、俺はビールをポンと投げ渡した。

 「サンキュ」

 向かい合って座り込み、敦也は灰皿を出して置いた。
 
 「高司、お前就職どうする?」

 何気なく切り出した会話、敦也はタバコを火をつけながら。

 「いや、大学か専門に行くと思う」

 昇る紫煙を見ながら俺は答えた。

 「ふぅん」

 くわえタバコの敦也が妙に大人っぽく見え、そして自分の中の妬みがあった。
 花木は多分、敦也の大人の部分を好きになったのだと思っていたから。

 「ま、俺は学校出たら就職するよ、母さんも一人じゃな」

 全てを言わない敦也、俺もその短い言葉だけで理解する。
 敦也は母親思いだし、表には出さなくても辛い事はあったはずだ。
 そんな環境が敦也を精神的に成長させたのだろう。
 だからこそ、俺は嫉妬を覚えた。
 
 「アッちゃん」

 俺の持ってきたビールの他に、敦也の出してくれたビールが3本ほど空いた時。

 「ん?」
 「花木ってどう思う?」
 「?」

 俺の言っている意味がわからなかったのか、敦也は怪訝な顔をした。

 「好きとか、嫌いとかさ」
 「はぁ? あんなの眼中ないって」

 酔いもあったのかもしれない。
 花木は確かに美人じゃない。それでも。

 「そっか」

 俺は・・・

 「もう帰るよ。俺」
 「ん、ああ?」
 
 立ち上がり、俺はただ一言だけ告げた。

 「じゃあな、敦也」










 一通の通知が来たのは一月に入る前だった。
 19歳になっていた俺は、タバコを片手にそれを開く。
 成人式の告知だった。場所は昔の住所に一番近い会場。

 「・・・成人式、か」

 今は旧友と会う事もなくなった新しい家で、俺はなんとなく思い出す。        
 高校の頃の事、祭りの事、そして花木の事。
 思い出にしてしまうには、まだ時間が足らない。

 「何を捨てて、何を得て・・・俺は大人になるんだろな」





 当日、俺は早めに家を出て昔の住所へと向かった。
 懐かしいカラーロード、忘れる事のない公園。
 何も変わっていないようで、何かが変わっている。
 散歩がてら辺りを見回しながら歩く先、そこには懐かしい面影があった。
 彼女もまた、懐かしさに浸っているのだろうか。

 「安井・・・久しぶり」
 「あー、高司じゃん!」

 少し色を抑えた晴れ着の安井は昔のように笑っていた。
 
 「ちょっとわかんなかったよ。大人っぽくなっちゃってまぁ」
 「そうか?」

 俺は肩をすくめて笑う。

 「成人式?」
 「ああ」

 俺の格好はいつもと同じ。スーツは着ていない。

 「ホント久しぶりよね、だからジュースおごってよ」
 「へーへー」

 俺達はジュースを持ってあの公園に向かった。
 あの頃よりも少し痛んだベンチに座る。

 「結局さぁ」

 それぞれの今を話した後、安井が言う。

 「高司の好きな人って誰だったの?」
 「・・・・・・」
 「いいじゃん、もう時効でしょ」
 
 時効という言葉が何を指すのかはわからないが、俺はうなずいた。

 「花木」
 「え?そうだったの?」

 よほど意外だったのか、それでも安井はすぐに納得した。

 「ミチ、いい子だからねー」

 ミチ。そう呼ぶ彼女と花木の仲はまだ暖かいらしかった。
 少しばかりの安堵に俺は胸を休める。

 「で・・・お前の方は?」
 「うん、ふられちゃった」

 コロコロと笑いながら安井は答えた。
 安井は敦也に告白したのか・・・
 
 「花木の好きな奴って知ってたか?」
 「敦也でしょ?」

 笑顔は崩れていない。それでも、どこか目だけが哀しそうに。

 「・・・ああ」
 「でもね、あたしは敦也が好きだったから」

 彼女の中で敦也はもう思い出になっている。
 当然、今でも顔を会わせる事はあるだろう。
 強がりな女性だと思った。それ以上に強い女性だと思った。

 「そっか」
 「で、高司、彼女とかいるの?」

 急に話題が変わる。
 安井にとってそれ以上、触れたくない過去だったのかもしれない。

 「いるよ」
 「えー、どんな人?」
 「二つ年上の大学生」
 「うわー、女子大生?やるねー」

 その彼女を俺は愛してない。そうは言わなかった。





 成人式の会場には懐かしい顔がたくさんあった。
 仲の良かった奴、悪かった奴。
 一様に皆が懐かしさに顔をほころばせていた。

 「花木は?」
 「さぁー?」

 俺と安井が見渡していると、背後から俺の頭を小突いたヤツがいた。

 「おっす!」

 変わってない。
 振り返った先には花木がいた。
 晴れ着は安井よりも派手で、それが妙におかしかった。

 「あいかわらずお人形さんしてるな、花木」
 「ほっとけ!」

 その横で安井が笑っていた。
 俺の心中を知ったから内心は複雑だろう。
 それでもいつもと変わらない事が嬉しかった。

 「あ、敦也だー」

 安井がそう言い、指さした時には敦也の姿があった。
 スーツを着込んでいる。
 花木がこっちこっちと手を振っている。
 俺は苦笑して。

 「おーす、おっ、高司久しぶり」
 「そうだな」

 敦也がタバコを取り出した。くわえたタバコに俺が火をつける。
 俺もまたタバコをくわえ、同じ火をつけた。

 「あ、高司、タバコ吸うのー?」

 花木の驚きに肩をすくめて笑い、敦也を見る。
 不思議とあの時に感じた大人びた印象はなかった。
 むしろ・・・

 「変わったな」
 「そうでもないよ」

 敦也の一言に、俺も一言で答える。
 そして花木を見た。

 「何も変わってないさ」

 ポンポンと花木の頭を撫でて、苦い煙を吐き出した。
 冬の息とタバコの紫煙が舞い上がる空。
 そう。何も変わってない。
 いくつ年を重ねても、俺は花木が好きだから。





四つ葉 END






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