天意無抱 〜シロガネ〜 (後編)






 「期待通りだ」
 「ッ!!」

 一と同時にラグダフルが振り返る。その手には剣。

 (いつの間に!? それに蒼い・・・剣? 見たことのない剣だが、この距離でどうにもできるはずがない!)

 メルミーユは一瞬の躊躇もなく、そのままの動きでラグダフルへ肉薄する。
 その穂先がラグダフルの胸へと触れようとした瞬間だった。

 「ぐ・・・ッ!」

 メルミーユの手を衝撃が貫く。その勢いで大きく体制を崩し転倒したメルミーユはランスを取り落とす。
 転がり、ラグダフルから距離をとりつつ、すぐさまメルミーユは立ち上がる。ランスは・・・ラグダフルの足元。
 傷は・・・深くはない。むしろ刃が触れた程度だが、痺れるような、燃えるような・・・未知の感覚。 
 とてもではないが、ランスを握ることができる状態ではない。
 それを為したラグダフルの剣は一体?

 「さすが、銀の副隊長。俺程度の腕ではまともに当てる事など無理だな」

 肩をすくめるラグダフル。
 しかしメルミーユの視線はその手の先にのみ集中している。

 「・・・その剣は・・・」

 夜の中、うっすらと蒼く明滅を繰り返す刃。
 目にするのは初めてである剣の名はおそらく。

 「紫電・・・?」

 キリンと呼ばれる竜とはまた違う種から得られる素材で作られた剣・・・。
 おとぎ話に語られるほどの伝説である黒龍にも近い、名前だけが知られる存在だった。
 メルミーユはぼんやりと、その刃の美しさに目をとられる。
 その輝きが一瞬、ゆらめいて。

 「は・・・ッ!?」

 目前に迫った瞬間、体が反応した。
 すぐさま横へ転がるとそれまでメルミーユが立っていた場所を、雷の如く一筋の蒼い線が残像を残して振り下ろされた。

 「やっぱり当たらない、か。まぁ七銀なんて呼ばれてるしな。実際、俺は剣はからっきしなんだよ」
 「・・・」

 ラグダフルの軽口もメルミーユの耳には入らない。
 刃に触れたわけではない。だがチリチリと肌にざわめきが沸く。
 まず体が理解した。そして心が遅れて理解した。

 (触れては・・・いけないッ!)

 ラグダフルは再度、剣を構えなおす。そして

 「ちなみに紫電ではないよ、メル」
 「・・・けれど、それは・・・雷をまとった・・・」
 「紫電、そしてそれを改良したものを紫電改、と呼ぶ」
 「で、では、それがその・・・」

 ラグダフルは首を横に振り。

 「封龍剣・・・絶一門、滅一門。龍壊棍やディスティハーダ。聞いたことがあるか?」
 「え?」

 一つとして耳にした事のない武器の名。

 「つまりはそういった武器に列せられる一つがこれだ。雷神剣キリンと名づけられている」
 「・・・」
 「ギルドのエリートたる君が知らない武器はまだまだある。そしてそういった武器を振るう者が住む世界もある」
 「・・・え?」

 メルミーユの困惑に対して、だがラグダフルは淡々と話を続ける。

 「俺はこれまで目星をつけた者に対して、同じような事をしては選別し続けてきた」
 「・・・」
 「力量、経験、知識、知性、そして判断力。それらを備えた人物を集め、とある作戦に臨むために」
 「・・・」

 メルミーユはラグダフルが何を言っているのか理解できぬまま、ただ次の言葉を待つ。
 その表情は、さきほどの優男のかけらなどない。
 むしろ、自分が突如襲ってきた事に、なんの疑問も抱いていない。それどころか、確かにこう言った。期待通り、と・・・理解できない。どういう事なのか。
 しかし次の言葉は、皮肉にも明確に理解できるものだった。

 「部隊、銀は。今夜壊滅する」
 「え・・・?」
 「相手は野党の一味。全ての任務を終え疲弊していた銀は善戦するも、相手の野党はその数で銀を蹂躙。隊長ラグダフルと副隊長メ ルミーユ だけが撤退に成功、生還する」
 「・・・何を・・・」

 野党? それに任務はまだ終わっていない。

 「この報告を受けた上は銀を崩壊させるほどの野党が存在する事に驚愕と危機感を覚える。後にその野党の中にかつて『英雄』と呼 ばれたハンターがいた事が発覚。この事件を機にギルドは『英雄』と呼ばれるハンターに対し、ギルドへの加入を強制する事となり 、またそれを拒否した者には監視がつけられる事となる」
 「な、なにを言っているのですか・・・」
 「同時に、銀という部隊は全ての国に知られるほど強力な部隊。それがやられるとなればギルドの統治がない国、すなわち銀以上の 戦力を望めない国では、されるがままとなると予想された。ゆえに同時にギルド統治外の国に対しても、野党の殲滅の為ならば無断 で領内へ侵入できるように各国と調整をとる事となる」
 「・・・待ってください、どういう事なんですか?」
 「これによりギルドはギルド統治外の全ての国、それまでは立ち入ることのできなかった場所へギルドナイトを派遣させる事が可能 になった。なった・・・というのは未来に使う言葉ではないが、おそらくは二年か三年後には実現している状態だろう」
 「・・・」

 メルミーユは判断力に優れた人物である。であるが、さすがにラグダフルの言葉の全てを理解する事はできなかった。
 ただ一つ。確実なことは、かなり大規模な作戦の渦にあり、噂にしかすぎない、ただの戯言でしかないと思っていたギルドの暗部が存在するという事だった。

 「自分はその作戦の一員に選ばれていた・・・という事ですか?」
 「いや。正確にはつい先ほど加えられた」
 「・・・?」
 「メルが俺を殺そうした瞬間だ」
 「あ・・・」

 そうだ。自分はラグダフルを殺そうとした。
 ラグダフルが突然語ったとある作戦というものの為に失念していたが・・・

 「そ、そうです、私は・・・あなたを殺そうと」
 「もしも、あそこでメルがランスを手にしなかったら、多少の予定変更があった」
 「え?」
 「メルは使えないと判断し、銀の他の隊員ともども死んでもらっていた。そして俺はまた使える人物を探す手間をかけなればいけな かったというわけだ」
 「・・・ま、待ってください・・・死んでもらっていた・・・って・・・」
 「さっき言っただろう。銀は野党の襲撃にあい壊滅する、と」
 「ッ!」

 メルミーユはてっきり、事実を捏造し、情報を操作するものだと思った。
 だが。

 「待ってください! 確かにさきほどのお話は、その全てを理解できたわけではありませんが、かなり大規模なものというのはわか りました。ですが、だからといって本当に!?」
 「仲間を殺すのか、と?」
 「馬鹿げた事を!」
 「だがメル。君を俺を殺そうとした」
 「あ・・・」
 「仲間を殺してでも、為すべき行動があると君は理解したはずだ」
 「あ・・・あ・・・」
 「俺が仲間に対し最も求めているのは、正義という媚薬の埒外にある覚悟。仲間の屍を踏み越えていくだけでは足りない。仲間を殺 してでも進む覚悟だ」

 確かに。
 自分はほんのさきほど、隊長の命と、救えるべき民を秤にかけた。そして決断した。
 今の自分にラグダフルの言葉を否定する事はできない。
 苦しくて、苦しくて。
 だから。
 自分が納得できる答えを求めて。

 「・・・銀の隊員を犠牲にして・・・何を救うというのですか?」

 ラグダフルは一言。

 「救うのではないよ」
 「では、何を!?」
 「創るのさ。弱き者、強き者、全てが笑い、助け合う世界をな」
 「そんな・・・事」

 嘘偽りのない言葉というものは、決して声高に語られるものではない。
 真実と事実、その二つで満たされた、旋律のごとき響きを持つ。
 それは聞く者に対して、心に刻まれる。

 「世界を創るとは、今の世の中の仕組みを変えるという事ですか」
 「ああ」
 「・・・できるのですか?」
 「できる。必ず」

 事実とは結果。その結果に対して、誰しもがそうであると確認できる。
 真実とは意思。その意思に対して、誰しもがそうであると肯定できる。
 時にこの二つは矛盾する。事実であっても真実ではない事がありえる。
 例えば人を殺した、という事実があったとする。これは結果であり、くつがえらない事実。
 これをただ正しいと思う者はいないだろう。それが善人であればなおさらだ。それが真実。
 この時点で、事実と真実し一致する。だれしもが認める人が死んだ目にも明らかな結果と、人を殺してはいけないという意思を抱く 真実。
 しかし・・・もしも、その人間が殺人鬼であったなら?
 その殺人鬼を生かしておけば、確実に何人もの犠牲者がでるとしたなら?
 その瞬間、人を殺す、という事実に正しいという真実を生み出す。
 真実とは事実の裏に人が生み出すもの。事実は変わらないが、真実はくつがえる。
 無論、それでも人を殺すという事は間違っていると言う人間もいるだろう。
 なぜなら、人は二つを秤にかけるから。
 それまでの人生で得た全てで作られた天秤で、どちらが正しいかを量る。
 ゆえに真実はいくつも生まれる。一つの結果にたいして、人の数だけの真実が生まれる。
 だから。
 事実と真実を両立させる事は困難を極める。
 それでもなお、ラグダフルは断言した。
 彼が創るという世界は、今よりも民が笑顔でいられる世界だと。
 メルミーユには、それがどんな世界であるかはまだわからない。
 民達が一切の戦いから無縁となっているのか、それとも全ての民達が戦う力を得た世界なのか。
 ただ、それらのどれであろうとも。
 それはよりよき世界。民が救われた世界。きっと・・・過去の自分のように、竜に両親を食い殺される子供のいない世界なのだ。
 その事実と、それだけの真実があるのならば。
 だが、それでも。

 「・・・銀の壊滅は・・・どうしても必要な道ですか?」
 「まだ足りない。まだ死んでいく。俺はまだまだ多くの仲間をこれから手にかけるだろう。そして、お前もな」
 「・・・そう、ですか」

 ラグダフルがメルミーユへと歩み寄る。

 「・・・一度だけだ。答えろ、メル」

 メルミーユはラグダフルが何をたずねるのか理解していた。
 なぜなら、その表情がさきほど自分を抱きしめていた表情になっていたから。
 これは彼なりの優しさなのだろう。
 仲間の血に染まりながら歩む道が目の前にある。
 いっそ死んだ方が気楽だといえるほどの地獄が広がっている。
 けれど、もう答えは決まっていた。

 「メル、君はこの作戦に・・・」
 「どこまでもついていきます」

 メルミーユはラグダフルに最後まで言わせなかった。
 それがラグダフルへの、せめてもの恩返し。
 自分は自分の意思で進むのであって、ラグダフルが一切の気に病むことはないのだという意思表示。
 一瞬、驚きの表情を浮かべたラグダフルは、すぐにメルミーユの意思を理解した。
 そしてラグダフルの表情が、いつものような軽薄なものに戻る。

 「やっぱりお前はいい女だな、メル」
 「・・・貴方は思っていたよりも、いい男でした」
 「惚れたか?」
 「ええ。ギルドナイトとしても、女としても。裸も心の中も見られてしまった事ですし、責任をとっていただこうかと」
 「・・・どこまで本気なんだ? というか、そういう性格だったか?」
 「ずいぶんと以前に言われました。考え方が硬い、と。ですのでそのように」
 「・・・こんな事しても怒らないのか?」

 ラグダフルの指先がメルミーユの胸におそるおそる伸びるが、メルミーユは微動だにしない。
 ただ、どうぞ? と笑う。

 「すまん。調子にのった」
 「変なところで意気地なしですね。別に減るものでもありませんし。それとも・・・傷だらけの体には触れるのも躊躇しますか?」
 「・・・もう一度言ってみろ」
 「ですから。さきほども見たでしょう。あの他にもまだたくさんの傷が私の体にはあります。隊長が嫌がるのも無理はな・・・ッ! 」

 すべてを言い終わるよりも早く、ラグダフルの手がメルミーユの右腕をつかむ。
 そのまま力まかせに引き寄せられ、その背中を近くの木へと叩きつけられる。

 「あうッ・・・あ!」

 さらに左手は背中へとねじあげられ、骨がきしむ。

 「な、なにを・・・むぅッ!!」

 唇がふさがれた。さきほどよりも、さらに荒々しい。
 抵抗しようとするメルミーユだが、何も出来ずただ息すらできない口付けに身をまかせるしかない。

 「・・・ふん。今回はこれで許してやる」
 「はぁッ! はあッ! ・・・な、なにを・・・」
 「また自分の傷がどうとか言ったら、そのたびに罰を与える。今みたいにな」
 「・・・」

 ああ、とメルミーユは思う。
 優しさ、というにはどうにも不器用な表現だ。
 さきほどは美辞麗句を並べ立てて、自分を口説いていた男とは思えないほど不器用すぎる。
 けれど、どうしてかメルミーユは今のラグダフルの方が魅力的に思えた。

 「わかりました・・・ですが、私からも一つお願いがあります」
 「なんだ?」
 「もう花束がどうとかいうのはやめてください」
 「なんだ? 華は嫌いか?」
 「もしも本当に私を口説くつもりならば・・・」
 「口説くつもりなら?」

 何度でも唇を奪ってほしいと、のどまで出掛かって、自分がとんでもなく恥ずかしいことを言おうとした事に気づいて、その言葉を 飲み込んだ。

 「・・・やっぱり内緒です」
 「おいおい、そこまで言ってあおずけか」
 「ご自分でお考えください」
 「あー、わかった、華でもなく石でもないなら、アレか。吟遊詩人とかの詩だろ? ふん、俺の詩を聞いたらお前、一人じゃ寝られ なくなるぞ。俺が恋しくなって」
 「どうぞ? ただ私は詩には興味はないので、難しいと思いますが」
 「あ、違うのか? じゃ、なんだよ?」
 「さぁ。なんでしょうか」

 くすくすと笑うメルミーユ。
 さきほどまでの緊張感の欠片もない会話は、今までの話が全て冗談だったかのような錯覚すらおぼえる。
 むしろ、ラグダフルの表情や口調はどこにでもいる一人の若者のような雰囲気を漂わせていた。
 仲間だけに見せる顔とでもいうべきものだった。
 それがふと、思い出したように。

 「忘れてた。紹介しよう・・・俺達の仲間だ」

 ラグダフルが軽く手を上げると、一人の影が現れた。

 「え?」

 確かにさきほどまで極度の緊張感の中にあり、周囲の気配には鈍くなっていたが・・・それでも一切の気配が感じられなかったこと にメルミーユは驚愕する。
 それを上回る驚きが、その中にあった。
 あきれた顔で茂みから現れたのは、ありえない、そして忘れることのない人物だった。

 「・・・ファイアス?」
 「久しぶり、ね。メル」
 「生きて・・・いたの・・・?」

 死んだはずだ。彼女は自分の隊である蒼とともに・・・。
 だがファイアスは笑う。

 「いい女はそうそう死なないものよ?」

 メルミーユに片目を軽くつぶってそう言うと、その笑顔を完全に消してラグダフルへと向き直った。

 「というかラル、なにやってんですか? 人を暗がりに潜ませたまま自分はチューしまくって 。しかもケダモノみたいに強引に。いつも妹さんの話ばっかしてるクセに。あー、所詮、ラルも男ですか。最低、最悪、下種、変態。だいたい、メルに手ぇ出すなって言いませんでしたか、あたし?」
 「いや、そのなんというか」
 「なんというか、なんですか、なんなんですか?」

 ファイアスの持つ黒い銃口が、ラグダフルに向けられる。

 「落ち着け、ファイ」
 「ええ、落ち着いて狙いをさだめてますよ?」
 「本気か?」
 「冗談だと思います?」
 「・・・わかった、悪かった、な、だからその物騒な・・・」
 「許すわけないじゃないですか、なにほざいてんですか?」

 バスッ! と銃弾が放たれた。

 「うおっ!」

 すんででかわすラグダフル。だだ続けざまに銃弾が発射される。
 着弾点に黄色い煙を巻き上げつつ、ファイアスは弾が切れるまで撃ち続けだ。

 「ちっ」
 「ちっ・・・じゃないぞ、麻痺弾とは言え、無茶苦茶するんじゃねぇ!」

 木々の陰から叫ぶラグダフル。

 「貫通弾でないのが優しさですよ。まったく・・・ところでメル」
 「・・・あ、あ、うん?」

 リロードしつつ、ファイアスがメルミーユに手を差し出した。
 いまだ親友が生きていたという事実に驚きを隠せない表情のまま、メルミーユも手を伸ばす。

 「また会えてよかった。こんな形だけど。いえ、こんな形だからこそ頼りになる戦友との再会は何よりも嬉しいわ」
 「・・・私もよ。死んだと思っていたから」

 手メルミーユがを握り返そうとした時、ファイアスが止める。

 「でもね。再会の握手の前に言っておく事があるのよ」
 「え?」
 「さっきラルが言った銀の壊滅のことだけど」
 「・・・」

 そうだ。自分は今、笑って親友と再会しているが・・・今夜、銀は壊滅するのだ。
 どういう方法でかはわからない。もしかしたら自分も協力するのかもしれない。
 いや、それどろこか自分の手で直接、仲間達を手にかけるかもしれない。
 だが、それ以上に辛いものが待っていた。

 「もう終わったわ。あたしが殺した。全員を。この右手で」
 「え・・・?」
 「それでも、この手を。あなたの仲間の血で染まったこの手を握れる? これからあたし達とともに戦う事ができる?」

 残酷だった。
 今まで命を預けあった銀の部隊員を殺したのが、かつての親友であり。
 その親友は、仲間の血に塗れた手を今差し出す、これからの仲間であり。
 そんな事実が、まるで当然のように手を差し出しているファイアスが立っている場所が、これから自分も生きる場所なのだ。
 けれど、メルミーユはもう決めていた。ラグダフルについていくと言ったのだから。

 「ファイアスこそ、私とともに戦える?」
 「・・・どういう意味?」
 「銀が崩壊した事を知った事や、それが親友のしでかした事とわかってもなお・・・」

 メルミーユはファイアスの手を強く握り締めた。

 「死んだと思っていた親友のあなたと再会できた喜びの方が大きい、そんな自分勝手な私と」
 「・・・ありがとう、メル。まだあたしを親友と呼んでくれて・・・」

 そうして二人は抱きあい、喜びをわかちあった。
 危機は去ったとみて、ラグダフルが木々からでてくる。

 「彼女もまた俺が選んだ一人。そして蒼の壊滅もまた俺が仕組んだ事だ」
 「え?」

 ファイアスに目をやると、彼女は少しだけ笑う。その横顔を見つつ、ラグダフルが。

 「忘れられはしないだろうな」
 「・・・まぁ、そうですね。忘れろと言われても無理です」

 だがファイアスがラグダフルに向けた言葉とは裏腹に、その口調にはすでに過去と割り切った感情がある。
 苦笑したラグダフルは、メルミーユにその続きを語る。

 「これは機密だが・・・かつて蒼と紫の同士討ちという事故があった。紫というのは毒や麻痺などの特殊弾を主とする暴徒鎮圧部隊 でもある」
 「・・・始まりはこう。ある村をギルドに反乱した野党が占拠。そしてあたし達蒼はその討伐に向かったその指令をたずさえて本部からやってきた臨時の指揮官ラルとともにね。ただ当時、その場所はギルドの立ち入りが許されていない国だったから、万一にそなえて私たちは自らも野党のような格好に扮したんだけど・・・結果、敵が野党なんて嘘もいいところ。彼らは、その村が狙われているとい う情報をもとに、こちらも極秘で野党に扮して守備任務についていただけなのだから」
 「え・・・」

 ファイアスはその時の光景を思い浮かべるように。

 「戦端は夜中、開かれた。互いが夜闇の中、剣を抜き、銃を構え、血を流した。お互いの正体も知らず、ただお互いがこれまでにな い強敵という事だけが目の前にあって。あたし達は戦った。互いの任務と互いの信じる正義の為に」

 とうとうと語るファイアスだが、その場の光景を想像してメルミーユは震える。
 相手の強さではない。相手が同胞だという事も知らず、刃を合わせる事に。

 「相手が紫だとわかったのは、全てがおわった後。彼らのテントを調査してようやく知った。結局、その件は事故として内密に片付けられた。あたし達の相手は紫ではなく、事前の指令どおり野党の集団という事になった。紫に至っても同じ。何かの作戦中に野党に、って脚本よ。・・ ・けれど蒼と紫が戦う事になった本当の理由は、上層部の誤認が原因。生き残った唯一の蒼の隊員はどこかの部隊に再編されたらし いけれど、今はどうしている事か知らないわ」
 「・・・ひどい」
 「ええ、まったく。もっとひどいのは、傷心と憤慨の心中にあるあたしに、さらなる真相を語って仲間に引き入れたラルだけどね」
 「さらなる・・・真相?」

 ファイアスがラグダフルを見る。

 「上層部の誤認というは、俺がそうなるように仕組んだ事だ。当時の俺にはまだ地位がなかった。その事故をきっかけに、俺の上の地位に座るギルドナイトの何名かに失脚していただいた」
 「ね、ひどいでしょ、この男。自分の出世の為に、ね」
 「むろん、それだけじゃない。なぁメル。何も君達を引き抜くだけならば、隊を壊滅させる必要はない。それは気づいているだろう ?」
 「・・・はい」

 それだけが疑問だった。
 銀を崩壊させた野党という真実を偽るだけなら、銀の崩壊という事実はそう必要なはずではない。

 「俺達の作戦上、現ギルドの戦力は削っておく必要がある」
 「・・・現、ギルド?」

 その反応を見てファイアスが笑う。

 「さすが、かつての学園同期の主席。頭がいいというか、察しがいいというか」
 「茶化さないで、ファイアス。つまり隊長がしようとしているのは・・・その・・・」

 さすがに事態の大きさに、それを口にする事すら躊躇する。明らかに背徳行為なのだ。
 確かにラグダフルは世界を創ると言った。
 大掛かりな作戦であるとメルミーユは思っていた。
 しかし、現ギルドという言い回しは、次なるギルド、もしくは今のギルドの体制を変えたものが予定されているともとれる。

 「言っておくが、俺は確かに現場指揮官だが、共謀者は、というより発案者は他の人物だ」
 「それは・・・?」

 ここまで大きな作戦・・・反乱ともとれる行動を起こす事ができるとなれば、そう多くはない。
 国を統べる指令であっても不思議はない、が。ラグダフルはさらに上の人物を名指した。

 「レイドール。イーストの大指令だ」
 「・・・そんな」

 東の大陸を統べる大指令。西の大陸を調整している議事会に一人で匹敵する権力だ。

 「彼が望む世界が俺達の目標だ。その通過点に今のギルドの崩壊がある」
 「・・・」
 「その為に、俺は正義と、そして仲間を捨てる覚悟のある人物を集めている。ファイの他にも俺が自ら集めた仲間達がいる。俺達がかざす部隊名は・・・『狂陣』。この陣をもって俺達は戦い、やがて同じ名を持つ一本の刃を祭り上げる」
 「一本の刃?」
 「その名もまた『狂刃』。今の世界を切り崩す刃となるだろう」
 「『狂刃』に『狂陣』ですか・・・不吉な名前ですね。狂う、などと」
 「ふふ。正気なんてとっくに失っているわ」

 おどけて笑ったのは、かつて蒼の部隊長であり、親友であったファイアスの姿。

 「ファイ・・・」

 けれど目だけが。その赤い瞳だけが決意と覚悟で燃えている。

 「だからこそ為せる事がある。竜の血ではなく、仲間の血にまみれてもなお、目指すに値する世界がある」
 「・・・そうね。その通りだわ」

 と、その時。

 「あー、疲れたー、疲れたよー」

 またも茂みから現れた新しい人影。メルミーユはとっさに身構えるが、他の二人は軽く手をあげて迎えていた。
 人影は女だった。メルミーユと同じく、金髪碧眼で幼さの残る童顔の女性。

 「あれ、なんかお話中?」
 「いや、もう終わった。そっちはどうだった?」

 意味がわからないというように、女は首をかしげる。

 「相手はシルバーソルだったのか?」
 「あ、うん。銀色。強かったよー。金色と一緒にいたから。あはははははは!」

 メルミーユは耳を疑う。
 この少女が、いや年はわからないが、単身でシルバーソルを・・・しかもゴールドルナをも同時に相手にして討伐したというのだろうか?
 しかし彼女の背負う大剣はラグダフルの剣と同じく、目にした事もない武器だった。

 「つがいだったのか。ま、さすがだな。という事は、この村を襲ったシルバーソルはまだ健在か」
 「え? なに、まだいるの?」
 「ああ。はっきりしないがな。お前が今倒したつがいに追い出されたシルバーソルが、おそらく一体存在する」
 「ええー」
 「なんだ? 疲れてるのか?」
 「クタクタだよー。もうやだー」

 それはそうだろう。見たところ負傷はないようだが、そんな激しい戦いを続けてなど。
 本来ならば、銀の部隊が損害を覚悟して全力で挑む相手なのだ。
 しかしその言葉は、少々意味をたがえていた。

 「ペイントボールぶつけてきて」
 「なんだ? 疲れてるんじゃないのか?」
 「探し回るがいやなのー」
 「あー・・・そうか」

 その意味を理解して呆然とするメルミーユ。
 彼女にとってはシルバーソルは相手ではないのだろう。
 と、ひどく現実離れした剣士の前に、ラグダフルがメルミーユを押し出した。

 「そう言うな。新しい妹の前だぞ、いい所、見せてやれ」
 「え?」

 はじめてその女がメルミーユを見た。
 途端。

 「イリアだ!」
 「え、え?」
 「イリア、イリア、イリア!」

 剣を放り出して抱きついてきた。泣きながら、わめきながら、ただ子供のように。

 「おかえり! もうもう! ダメだよ、サリナをおいて、ずっとどこ行ってたの!? でもいいよ、帰ってきたから、あはは! あはははははは!」

 わけがわからず、メルミーユはラグダフルを見る。

 「しばらく・・・好きにさせてやってくれ」

 初めて目にしたラグダフルの表情は悔悟。
 しばらくしてファイアスが金髪の女の背に手をそえた。

 「違いますよ、姉さん」

 ファイアスに姉などはいないはずだ。だいいち髪も瞳の色も違う。

 「イアス? でもだって、ほら、イリアだよ、髪の毛も目の色だって、ほら!」

 そう。彼女の目は青。髪は金。奇しくもメルミーユとまったく同じである。

 「けれど・・・違います」

 ファイアスはとても遠い声で。

 「違うの?」
 「ええ。でもイアスは姉さんの妹です。彼女も今日から姉さんの妹です」

 ファイアスが自分の事を、この金髪の女性が使ったイアスという愛称で呼んだのが印象的だった。
 それはどこか約束ごとのような不自然な、けれど優しさを感じられる気遣いのような。

 「・・・」

 金髪の女はメルミーユを見つめる。涙はそのままで、じっと見つめる。
 ファイアスがうなずく。それを見て。

 「・・・ええ。私はあなたの妹です、姉さん」
 「イリアじゃないんだ」

 愕然とした表情を浮かべた、うつむいてしまう。だがすぐに顔をあげて。

 「でもでもでも妹なんだね!?」
 「は、はい。姉さん。よろしくお願いします」

 その変わりように、メルミーユはたじろぐも、うなずく。

 「あははは、うん、お名前はなんて言うの?」
 「メルミーユと」
 「じゃあ、じゃあ、えーと、ミーユ?」
 「・・・そうですね。そう呼ばれたのは初めてですけれど」
 「あは、じゃあそう呼ぶね! ミーユ!」

 何かしらの理由があるのだろう。自分も自分の事はミーユと言ったほうがいいのだろうか?
 ・・・ミーユ。なかなか少女趣味な発音だ。

 「・・・ところで、姉さんのお名前は?」
 「サリナだよ! でも姉さんって呼んでほしいな!」
 「わかりました、姉さん」

 なんとか話をあわせるメルミーユだが、どうにも要領をつかめない。
 そこへファイアスが回復薬を手に近寄り。

 「姉さん、すりむいてますよ。さ、こっちに来て座ってください」
 「あはは! いいよ! こんなのケガのうちにもはいらないよ!」
 「ダメです、それとも何ですか? 妹の言う事がきけないんですか?」
 「う? うぅーううー」

 どうやら妹のほうが立場が強いらしい。

 「あー、そうですか。イアスのこと、嫌いなんですね?」
 「い、いやじゃないよ! ちがうよ!」
 「じゃあ、なんですか?」
 「でもでも、さっき竜の血を浴びたから!」
 「だから、なんですか?」

 確かにサリナの防具には点々と、シルバーソルのものであろうの返り血がついている。

 「サリナに触るとイアスが汚れるから。イアスはサリナの妹だから」
 「・・・姉さん」

 ファイアスは目を閉じて、一つ深呼吸をした。
 メルミーユが久しぶりにみるその癖は、ファイアスがどうしても・・・涙をこらえきれなくなった時に使う、心の切り替えの為の癖 。

 「もー、バカですね、姉さんは!」
 「ううーバカじゃないよ! サリナ、賢くないけどバカじゃないよ!」
 「バカ。おバカ!」

そういってファイアスはサリナにずかずかと近づき、逃げようとしたその背中を捕まえて抱きしめた。

 「あ、ダメだよ! 血がついちゃうよ!」
 「そんなのいいんです。それよりもケガをした姉さんをほうっておく方が、イアスはイヤなんです」
 「こんなの大丈夫だから、離れないと!」
 「あー、もう!」

 ファイアスはサリナをさらに強く抱きしめる。
 そんな光景をメルミーユは見つつ、ラグダフルにたずねかける。

 「彼女はどういう経緯で?」
 「・・・少し歩くか」

 ラグダフルの様子に気づいたファイアスが軽くうなずく。

 「さ。姉さん。おとなしく脱いでください。まずはそこの湖で汚れを流しますよ」
 「ううー、じゃあイアスも一緒にだよ!」
 「はいはい。あー、すいませんけど、ラルは席をはずしてくださいな。というか乙女が服を脱ぐって言ってるんだからとっとと、ど っか行け」

 サリナはすでに脱ぎ始めている。それを背に隠しつつ、シッシッと手を振るファイアスにラグダフルは苦笑する。

 「ああ。適当に戻ってくる」

 密林の奥へ歩き始めたラグダフルにメルミーユもついていく。
 二人の声がきこえなくなってもしばらく歩き、ラグダフルが巨大な倒木を見つけるとようやくそれに腰かけた。

 「まぁ、座れ」
 「はい。では失礼して」

 少し離れたところに、メルミーユも腰かける。
 ラグダフルが月を見上げ。しばらくして口を開く。

 「・・・彼女には双子の妹がいた。名をイリア」
 「いた・・・という事は」
 「・・・彼女もまた俺達の仲間の一人だが、唯一自分の意思ではなくこの作戦に参加している人物だ」
 「え?」
 「俺がこう言ったんだよ。俺のいう事を聞けば妹とは帰ってくる、とな」
 「・・・そんな」

 死んだ人間は帰ってこない。
 確かにサリナが見せた妹への固執は尋常ではなかったが、それほど正気を失った者を仲間になど。
 そう不安にかられたメルミーユの心中を察し。

 「・・・サリナもわかっているさ。死んだ人間が戻ってくる事などないと。けれど彼女にはそんな嘘が必要だった。事実、サリナは俺が会うまで死人も同然だったからな。あのまま衰弱死してもおかしくない状態だった」
 「それでは・・・彼女を救ったと?」
 「まさか。俺は俺の都合で彼女を騙して仲間に引き込んだ。そして彼女にとっても俺の嘘は都合がよかった。妹の為に何かをする事 で少しでも妹の存在を感じていたい、サリナにとってはそんなところだろう。まぁ、サリナを選んだのは、それだけの理由じゃないが」
 「・・・」

 悲しい人だと思う。
 愛する者の為に戦う、信念の為に戦う、欲望のままに戦う。そのどれもが戦う理由に値するだろう。
 しかし死んだ者の為に戦う事は悲しい事。
 なぜなら、決して死んだ者からは、賛辞も感謝も笑顔も与えられないのだから。
 ラグダフルは続けた。

 「・・・メル。さきほど話した『狂刃』とは別に、もう一本の剣が今回の作戦に組み込まれている」
 「もう一本?」
 「『狂刃』は表の世界にある剣だが、もう一本の剣は夜の世界にある」

 夜とは、つまりサリナのような人間が身を置く世界。そしてメルミーユが踏み込んだ世界。

 「『龍喰らい』というおとぎ話を知っているか?」
 「あ、はい」

 子供でも知っているおとぎ話だ。黒の龍を打ち倒す、最強のハンター。
 しかし、なぜ今、ラグダフルがそんな話を持ち出したのか、メルミーユには理解できない。

 「彼らは実在する。裏の人間ならば知りえる話だが多くの者が知っている事でもない」
 「え? どういう・・・?」

 いっそう理解ができない領域にひきこまれるメルミーユの疑問に、ラグダフルは答えず先を続ける。

 「そして彼らの他にも、似たような者達が存在する。もう一本の剣は、そんな日のあたらぬ世界を切り崩す為の生贄だ」
 「・・・」
 「その剣の名は『黒き灼熱』」
 「え? でも『黒き灼熱』と言えば・・・」

 会ったことはない。しかし噂では・・・。

 「表の人間には、かつてハンターの英雄の一人で、今はギルドナイトとして活躍していると知られている男だ」
 「それも嘘、ですか?」
 「情報操作というヤツさ。君が思う以上に、彼の名は力を持っている。『龍喰らい』の中にも彼に心酔・・・いや惚れている者もいるしな。『黒き灼熱』をギルドが狙っているという噂でも立てば、すぐにでも彼の元へ走るだろう。つまり、いずれこの作戦が表立って始まり、『黒き灼熱』にギルドが迫れば、『龍喰らい』の何人かを相手にする事になるだろう・・・」

 ラグダフルは強敵どころでないぞ、と笑いながら。

 「だが、まだこの作戦は知られてないし、彼につくであろう『龍喰らい』の一部に対して、ギルドが彼の味方であるかのようにも振舞っている。例えば裏の人間が持つ手配書。その黒き灼熱の項目には『手出し厳禁、発見次第報告』となっている。これは大罪を犯した彼に対しても、まず保護しようとしている、そう思わせる為の一環だ。まぁ事実はまた違うがな」
 「・・・」

 信じがたい話だった。
 おとぎ話の『龍喰らい』。それが実在して、いつか相手どることになる。
 だが、ラグダフルに不安な様子はない。すでに対抗策が用意されているのだろうか。
 それよりも、その発端となる人物はどうしているのかと、メルミーユがたずねる。
 今の話が本当ならば『黒き灼熱』の動き一つで、全てが始まってしまうのではと。

 「・・・本当の『黒き灼熱』は?」
 「彼はまだ表には出てこない。いや出てこれない。だが、夜の戦いはすでに始まっている。今はまず、『黒き灼熱』が体を癒すのが 先か、俺達が作戦に必要とするメンバーをそろえるのが先か、だ」
 「・・・」

 たったこれだけの会話で、メルミーユの知らない世界が果てなく広がっていく。
 『龍喰らい』の実在や、ラグダフルがそれを彼らと呼んだことから、複数人いるという事。『黒き灼熱』がギルドと対立している存在でありながら、それをギルド、いやラグダフルや大指令レイドールが利用しようとしてい る事。
 「まぁ、のちのち教えるさ」
 「はい・・・お願いします」

 と、その時だった。

 「ッ!?」

 月の光をさえぎるようにして、メルミーユの頭上を高速で横切る一陣の風。
 その突風で、メルミーユがたたらを踏みつつも、近くの木にもたれかかる。

 「チッ!」

 その正体を見極めたのはラグダフルだった。
 風よりも速く、月よりも輝く竜など他にない。

 「こっちが縄張りを追われたシルバーソルか! 小さいかと思ったら・・・なかなかの巨体だ!」

 サリナが討伐したシルバーソルは、これ以上の巨躯を持っていたのだろうと思うと、ますます信じられない。

 「しかし、なぜ・・・また舞い戻って・・・」

 ラグダフルは自問し。そしてすぐに。

 「蒼が流した血の香りに誘われたか」
 「あ・・・」

 竜は獰猛な肉食竜である。特に縄張りを追われ、負傷しているような火竜であれば満腹になるまで餌を求めるに違いない。
 あの村を襲い、喰らい尽くした後、おそらくはまだ近くで体を癒していたのだろう。
 そこへ新たなる血の匂い、つまり新たなる餌の匂いが漂えばそちらへと向かう。
 だが、その道中には湖で無防備にも身をさらすサリナとファイアスがいる。まず間違いなく降り立つはずだ。

 「戻るぞ!」
 「はい!」

 メルミーユはラグダフルの後を追って走り出す。
 シルバーソルが相手だというのに、恐怖心はまったくない。
 むしろ、ラグダフルがそんなに急ぐ方が不思議だった。
 なにせ、この先には、金と銀のつがいを独力で倒すほどの剣士サリナがいるのだ。
 強力な剣士にとって、力の劣る仲間はむしろ邪魔だ。
 もっとも、自分が足手まといになるというのは今まででは考えられなかったが、サリナの強さそのものが予想の範疇外だ。 
 だが。
 この時、ラグダフルはまったく別の事を恐れていた。





 「・・・これは・・・」

 メルミーユが走っていた時間はそう長くない。
 だというのに。

 「あははははははは! あははははははははははははははははは!!」

 一糸まとわぬ裸体を月光の下にさらし、一振りの巨大な剣を振るい続けるサリナを見た時、メルミーユは目を疑った。
 シルバーソルはすでに死んでいた。
 足にも、翼にも、胴にも、ただ一筋の剣傷はない。
 だが頭部だけが突かれ、えぐられ、貫かれている。
 その事実よりも。メルミーユの目をとらえて離さない光景があった。

 「あははははははははははははははは!!」

 サリナが剣を振るうたび、その白い肌に血が跳ね返り、彼女を赤く染めていく。
 すでに微動だにしないシルバーソルの死体を、何度も何度も、刻んでいく。

 「姉さん、もう大丈夫です、イアスは大丈夫です!」

 ファイアスも無傷ではなかった。とは言え、軽い擦り傷程度だ。
 
 「だめだよ、まだ出て来ちゃダメ! まだこいつは竜の形をしてる! まだ生き返るかもしれない!! まだ、まだ!!」
 「姉さん! やめてください、それ以上は姉さんの体が!」
 「サリナが守るんだから! サリナがずっとずっと守るんだから! 絶対に守るんだから!!」

 その狂乱で痛烈な絶叫とともに、血のしぶきが舞い続ける。

 「『片翼』・・・チッ、やはりこうなったか」

 サリナを片翼と呼ぶラグダフル。
 確かに血の線を引くその大剣は、まるで地に倒れてもがく竜の羽のようでもあった。

 「どういう・・・事ですか?」
 「サリナは”妹”を傷つけられると必ずああなる。妹を殺そうとした竜や・・・人を殺してもなお、殺し続ける。それが原型をとどめなくなって、ようやく止まる。そこまでしないとサリナは安心しない」
 「そんな・・・でも、あんな勢いで大剣を振り続けては!」

 見ればサリナの腕は返り血にぬれた今ですらわかるほど、赤く腫れ上がっている。
 大剣はもともとその重さを操る武器なのだ。女の力で、いや男であっても無理に振るものではない。

 「以前、ああなった時、サリナの腕の血管が破裂した」
 「早く止めなくては!」
 「・・・止めようが無いんだよ。妹以外、例えば俺が近づいても、今の状態のサリナは俺を敵としか見ない」
 「では私が!」
 「いや、危険だ。まだ会ったばかりのお前をサリナが妹として認識するかどうか・・・」

 ならば望みはファイアス。だが彼女はサリナに必死に呼びかけているものの、その凶行を止める事ができずにいた。
 ただ泣きわめていている。あのファイアスが。止めたくても、止められない、そんな顔で。
 傷つくのを恐れて足を止めるファイアスではない。
 ならば。サリナの行動を、妹を思っての行動を止める事ができないのだろう。

 「・・・」

 ならば賭けるしかない。サリナは絶対に必要な戦力であり・・・悲しい人なのだから。

 「行きます!」
 「待て、メル!」

 駆け出した。
 剣風と血煙の舞う、まるで嵐のような中へ両腕を広げてメルミーユはサリナへと。

 「姉さん!」
 「グぅッ!!」

 メルミーユの声に反応して、サリナが人とは思えぬ短い咆哮と、暗く沈んだ蒼い眼光をもって振り向く。
 そして剣を振りかぶり、打ち下ろす。
 だが、それはメルミーユの髪をわずかに斬っただけで横にそれて、地に埋まった。
 偶然だった。
 迷い無く、躊躇無く、正気無く振り下ろされた剣には殺意しかなかった。
 ただ、体が、サリナの腕が。もう限界に達しており、軌道がそれた。そんな偶然。
 そして一瞬を置いて、サリナがメルミーユに気づく。

 「・・・あ・・・ミーユ?」
 「そうです、姉さん、ミーユです!」

 途端、サリナの体が震えだした。
 そしてひらり、と宙に舞うメルミーユの髪に目を見開く。

 「あ、あ、あ、あ、あ・・・!!」
 「ね、姉さん!?」

 サリナは剣を放り出し、地に落ちたメルミーユの髪を必死に拾い集め始めた。

 「あ、ああああ・・・ああうッ、ふうッ・・・あ、あ・・・」

 涙を流し、嗚咽を漏らし、爪で地をえぐり、舞い落ち土にまみれた細い数本の髪をかき集める。
 爪が割れ、血が吹き出て、地面が赤くなっても、止まらない。メルミーユがすぐに止める。

 「姉さん、大丈夫ですか? 姉さん!」
 「こ、これ、ミーユの、ミーユの髪・・・サリナ、サリナが・・・あああああ!!」

 メルミーユは悟った。
 妹の為に狂気となる心。もし、自分が妹を傷つけたらどうなるか? 
 確実に壊れる。

 「姉さん、大丈夫です、ミーユはなんともありませんから!」
 「あ、ああ・・・ああ・・・やあああぁぁぁああ!!」

 すでに心神喪失の状態、一歩手前だった。
 メルミーユは考える。ただこの場だけを取り繕えばいい理由を。
 そうして、すぐに実行する。稚拙で穴だらけだが、サリナにとって都合のいい理由をでっちあげる。
 メルミーユは投擲用のナイフを抜き、己の三つ網をつかみ、それを斬った。
 再度、金髪が宙に舞う。そして、サリナの体を揺さぶり、自分を見せる。

 「違うんですよ、姉さん。ほら、よく見てください」
 「あ・・・ああ?」
 「実はさっき、姉さん達が水浴びをしている時に、髪を斬ったんです」
 「・・・う?」

 サリナがメルミーユを見たのは剣を振るった瞬間の、狂気にとらわれていた一瞬。
 髪の長さが変わっていても、わかりはしないはずだ。

 「姉さんが今持っている髪は、その時のこぼれ髪ですよ。ミーユも今から姉さんと一緒に湖に入って、洗い流そうとしていたんですよ?」
 「・・・あ・・・そ、そうなの? こ、れ、サリナが斬ったんじゃないの?」

 ようやく目に光が戻る。

 「違いますよ。いつまでもそんなの持ってないで、一緒に水浴びをしましょう、ね?」

 サリナが大切そうに両手にのせていた数本の髪を、メルミーユはわざと乱暴に払い落とした。

 「う・・・でも、でも、なんで髪、切ったの?」
 「それは姉さんと同じぐらいの髪にしたかったからですよ。ほらどうですか?」
 「・・・あ、あは、うん・・・あはは、サリナと一緒だよ、同じだよ・・・」
 「似合いますか? あ、姉さん、笑ってない。似合ってないんですね?」

 おおげさにすねて、背を向けるメルミーユにサリナはあわてて。

 「ち、違うよ! う、うん。うん、うん! 似合う! かわいいよ!」
 「じゃあ、一緒に水浴びをしましょう。姉さんも血だらけですよ?」
 「あ! だ、だめだよ、サリナに触ったら!」
 「イアスもミーユもそんなに気にしません。それとも・・・ミーユが嫌いですか?」
 「ちがうちがう、ちがうよ! でもでも!」
 「じゃあ、一緒に入りましょう」

 強引にサリナの手をひいて湖へと向かうメルミーユ。
 今だ湖の中にあったファイアスにサリナの体をたくし、メルミーユも衣服を脱ぎ始めた。

 「・・・メル、ありがとう」

 ファイアスが涙を流してサリナを抱きしめつつ、メルミーユに礼を言う。
 ファイアスとサリナがどれほどの付き合いがあるのかは知らない。
 けれど、ファイアスは心からサリナを案じている。今まで垣間見た、サリナに対するファイアスの表情はそれほど優しいものだった 。
 そして三人は水浴びを始めた。互いの体を洗ったりしている中。

 「まぁ、とりあえずは落ち着いたか」

 ラグダフルがごく自然に、近くの木にもたれかかった。
 次の瞬間、貫通弾がその木を穴だらけにし、ラグダフルは悲鳴をあげてファイアスの銃口から身を隠した。






 「さて・・・戻ったら忙しくなる。メルは表で、ファイは裏でそれぞれ色々とやってもらう事になるだろうからな」

 三人の水浴びが終わり、精神と肉体疲労の極地にあったサリナが眠る中で、ラグダフルはメルミーユとファイアスに告げた。

 「私は表で、ですか?」
 「今回の事件の後始末の後、メルは新しい部隊の隊長となる。銀以上の力と規模を持った部隊を編成し、野党の討伐を始める」
 「野党狩り?」

 ならば銀以上の戦力など必要ない。その疑問はすぐにかき消された。無残に。

 「中には作戦や任務中に”反乱”した同胞も含まれる」
 「・・・」

 反乱の真偽など関係ない。ただ理由としての反乱。
 ギルドナイトが邪魔になるギルドナイトを消す、その為の部隊という事だった。

 「まさしく『狂陣』、ですね」

 それに返事を返す事なく、ラグダフルはファイアスへ向き直り。

 「ファイも同じく、部隊を率いてもらう」
 「はい」
 「お前にやってもらうのは、英雄狩りだ」
 「・・・ま、なんとなく内容はわかりますが、どういった具合ですか?」
 「野にいるハンターの中でも『英雄』と呼ばれ、かつギルドへの加入を断っている者達を消してもらう。名だけの英雄ではなく、本当の実力者達をな」
 「そんなところでしょうね」

 二人の会話をきき、メルミーユは今更ながら、狂の字に誤りがない事に震える。
 ギルドナイトを殺す役目はギルドナイトであるメルミーユが。
 しかし野にいる者をギルドナイトの部隊が殺し続けるわけにはいかないし、ギルドナイトの立ち入ることのできない国もある。
 そういった場所ではすでに死んでギルドナイトではないファイアスが刃を振るうという事だ。
 そして死に行くのは、罪もなき仲間や英雄達。

 「・・・ひどい話ですね、本当に」

 そう呟くメルミーユに、ラグダフルも笑い、ファイアスもまた笑う。
 ラグダフルの笑いは、ゆるぎない決意を形にしたもの。
 ファイアスの笑いは、ゆるぎない覚悟を形にしたもの。
 そしてメルミーユも笑っていた。

 「そうまでしてしか救えない。けれどそこまでするから、全ての民を救えるのですね?」
 「ああ。約束する」

 ラグダフルが笑みを消して。ファイアスもまた無言でうなずく。

 「では・・・帰ろうか」 

 帰ると言ってラグダフルが背を向けたのは、銀が設営していたキャンプの方向だった。
 ファイアスもまた、眠っているサリナを背負い、ついていく。

 「・・・」

 すぐそこには、きっと凄惨な光景がひろがっている事だろう。
 今まで苦楽をともにした銀の部隊の皆が、血塗れて倒れている。
 メルミーユはそれを目に焼け付けるべきだと、罪を確認し、罰を受けるべきだと思った。
 けれど。

 「恨みなさい。私は貴方たちの事を忘れる。だからいくらでも恨みなさい」

 決意とともに、メルミーユも仲間達に背を向けた。
 きっとこれから先、何度でも仲間の血を浴びる。
 たかが。
 そう、たかが一部隊の殲滅ごときで、感傷や後悔に浸る暇はない。
 これから歩む自分の道に正義はなく。
 正義であるはずのギルドナイトが歩む道ではない・・・

 「・・・あ」

 ふと気づく。
 正義。
 ・・・正義?
 ラグダフルは一度として、自分の行いに正義をかがげだろうか?
 一度として、それはなかった。
 ただこう言ったのだ。
 弱き者、強き者、全てが笑い、助け合う世界を創る、と。
 だから、自分を悪とも言わない。それが正しい事だと信じているから。
 正義と正しい事は、時に異なる。
 事実と真実がそうであるように。

 「・・・ラグダフル隊長」
 「ん?」
 「私はようやく、私になれた気がします」
 「・・・よくわからんが。まぁ、それはいい事なんだよな?」
 「はい」
 「じゃあ、そんな顔を許すのは今夜だけだ」
 「はい」
 「夜が明けたら、もう涙は流すなよ」
 「・・・はい」

 忘れる事などできるものだろうか。命を預けあった仲間達の屍がすぐそこにある。
 今にもその血のにおいが漂ってきそうな、本当にすぐ近くで。
 それでも忘れる。この涙の一緒に全てを流して。
 仲間を殺す事への悔いや悲しみを感じる心も全部、今、洗い流す。
 と、ファイアスが足を止めて。

 「・・・メル」
 「なに?」
 「あんたは一人じゃないから」

 かつてはファイアスも同じ涙を流したのだろう。

 「ええ・・・私達は仲間だものね」

 仲間、という言葉がこれほど細く頼りない絆であると感じた事はない。
 だが、それはファイアスにより、さらに否定される。

 「違うわ。あたし達は親友よ。決して裏切ったりしない、強い強い絆があるわ」
 「・・・ええ」

 そうしてファイアスは止めていた足で、歩き始める。まっすぐに迷い無く。
 辺りは暗い密林。
 虫の声すらなく、風すらもなく。
 ただ、暗い夜空に浮かぶ月だけがあった。





天意無抱 〜シロガネ〜 END






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