誰もが尊び、誇り敬う『金』の隊長。
 ギルド貴族、シーザニティ家の当主。
 それは全てが完璧な存在。
 ひとつ、女性として。
 流れる金髪と、透き通る青い瞳。
 気品、礼節、格調、それら全てを清廉で結い上げたかのような雰囲気。
 優しさと温かさを含んだ微笑は絶えることなく、見るもの全てを慈愛で包む。
 時折、ほつれ髪をもてあそぶ白い指先は妖艶となりて、女神の悪戯と人を魅せる。
 ひとつ、ギルドナイトとして。
 操るは槌。
 破壊を目的としたあらゆる塊をもってして、当然のごとくその目的を遂げる。
 首都ブレイブに現れる害を全て、その力でもって叩き潰す。
 槌をもってして、『金』をもってして、正義をもってして。
 アリエステル=シーザニティ。
 彼女はまさしく、英雄であり、ギルドナイトの頂点だった。





ムゲンホウヨウ 〜軍勇割拠U〜






 シーザニティ家当主アリエステルは、その休日もまた、屋敷の書室で忙殺されていた。
 あの夜、彼女の祖父であるロイエスタル=シーザニティは現役を退き、家督をアリエステルへと譲っている。
 黒龍に対して、完全なる無傷、完全なる勝利を収めたロイエスタルは、しかし、己の絶頂をこの夜限りと語ったのだ。
 あとは朽ちていくのみの老兵に、シーザニティは務まらぬと隠居。
 今では完全にギルドの任務から退いていた。
 そして。

 「ほれ。今度はこの菓子などどうじゃ?」

 アリエステルが息抜きとばかりに中庭に出てみれば、そこにはいつもの光景。
 さんさんと陽が降り注ぐテーブルには、笑顔のロイエスタルと。

 「んーぅ」

 小麦色の肌をもった黒髪の少女、ミラの姿がある。
 今日も今日とて、二人はこうして笑いあう。
 戦い果てた老人と少女。いや、少女というのはミラにとって失礼かもしれない。
 あどけない顔立ちは変わらずとも、今や大人の女性と言える年だ。
 そして、どちらもアリエステルにとって大切な家族。

 「ミラ、あまり食べ過ぎてはいけませんよ?」
 
 アリエステルはテーブルに寄り、その黒髪をさらりと撫でる。
 そして口の周りをぬぐってやると。

 「ぁぅ」

 ミラは子猫のように、むずがり微笑む。
 あの夜、ミラは声を失った。
 灼熱にノドを焼かれ、今ではせいぜい声ならぬ音を吐き出す程度しかできない。
 それでもミラは微笑みを失わない。声などなくても心は通じる。そう、わかりきっているから。
     
 「アリス、休憩かの?」
 「はい。ここ三年間、ずいぶんと慌しい事でしたが、最近は落ち着いてきましたし」
 「そうさな、よう遂げてくれた」

 アリエステルとロイエスタルの間に、わずかばかりの沈黙。
 アリエスタルが笑みに乗せたのは、わずかばかりの責めと、それ以上の決意。
 ロイエスタルが視線に乗せたのは、わずかばかりの負いと、それ以上の覚悟。

 「ふふふ」
 「くくく」

 そして互いの全てを許すように笑う。
 ギルドというものは黒い。
 二大貴族と称されてるシーザニイティとリスラインは、まさにその中心だったと。
 かつては何も知らぬ身だったアリエステルは、しかし今、全てを知り尽くしている。
 ロイエスタルが行っていた事、その全てをアリエステルは知ったのだ。
 結果として、それを正義というのならば間違いはないだろう。
 だが、その正義は正しいと断言できる行いではない。
 だからアリエステルは責める。
 けれど、それは必要な正義。ゆえに決意をもって臨み続ける。
 だからロイエスタルは負う。
 自らの歩んだ血の道をたどらせる事。そしてどう思われてもかまわないという覚悟を。
 結果、アリエステルは、ロイエスタル以上にギルドナイトとなった。
 自分の夢も恋も心も捨てて、正義をとった。
 誰かがやらなくてはいけない、そしてその誰かに最も近い場所にいるのが自分であるという理由で。

 「ぁーあー」

 次の菓子をねだるミラにロイエスタルがいっそう笑う。
 ミラは何も知らない。アリエステルはそれでいいと思う。
 この屈託のない笑顔には屈強な意思があると、あの夜に知った。
 だから汚れて欲しくないと。それだけがアリエステルの望みだった。
 そして・・・知られてしまったもう一人の姉妹。

 「姉貴、こんなトコにいたのか。ミラ、お前ほんと食ってばっかだなー。お、でも、うまそう、ちょっとくれ」
 「ぁぁぁー!」

 ミラの皿からひょいとつまみあげた菓子を口に放り込む、赤毛の女性。
 野性味を含む艶美と香立つような色気。
 一切の媚がない強さゆえに、男女問わず惹かれてしまうのも不思議ではない。
 実の姉妹ではなくとも、アリエステルを姉貴と呼ぶこの女性の名は、リン。
 ギルドナイトであり、シーザニティ当主アリエステルの付き人である。
 さらに言えば筆頭侍女という、この屋敷の全てを決定する権限をも持っていた。

 「あら、リン」

 一応はギルドの制服を着ているものの、勝手な装飾や加工を繰り返しているため、すでに原型はない。
 少なくとも、胸元をさらし、腕まくりをしたギルドナイトというのは他に存在しないだろう。
  
 「書類できたか? 本部のオッサンたちの催促がしつこくてさぁ」

 あーあーあーと抗議するミラを片手であやしつつ、困り顔でリンがたずねる。
 アリエステルは苦笑して。

 「ごめんなさい、もう少しかかるわ」
 「はー? アタシの立場ってもんも考えてくれよー。またここの侍女達に”当主様のお仕事を補佐するのは筆頭だけが許された栄誉です”とか。またあーだこーだ言われるんだぜ?」
 「別に気にしないでしょう、貴女なら」
 「ま、そーだけどな。けど、鬱陶しくてさー」

 そんな愚痴を口にしつつも、リンは笑う。
 アリエステルが被った闇をリンが知った時の事を、彼女は忘れられない。
 軽蔑されるとか、責められるか、どちらかと思ったあの瞬間。

 『ギルドが正しいとかはわかんないけどさ。姉貴の選んだ道なら間違っちゃいないさ』

 と言ってそれまで断っていた、表だってのギルドナイトへの加入を受け入れた。
 そして、アリエステルに最も近い立場で、表と裏の全てを補佐するに至っている。

 「ローベルタなんてすげぇぞ。あの女さ、もうアタシの顔見るたびにチクチクと」
 「彼女は仕事熱心だから」

 無論、そんなことなど露ほども知らない、屋敷の者達は二人をうとましく思っている。
 突如としてアリエステルが屋敷に連れて帰ってきた二人は、そのまま彼女の付き人となった。
 アリエステルの修行時代にパーティーを組んでいたというだけで、礼儀も知らない者がシーザニティ当主の付き人などと、と。
 シーザニティ家は、多くの剣士、銃士、給仕を養成、養育している。
 むろん、その中にはシーザニティ家の者に仕えるべく、特別な教育を受けた者もいる。
 そういった者達からは、特に嫌悪されていた。
 特にミラ。
 日がな何もせず、加えて前当主のロイエスタルのお気に入りとなって、気ままに過ごしている。
 だが、そんな事を気にする二人ではない。
 よって今日も今日とて、それぞれは勝手気ままに振舞っている。

 「あ、そうだ姉貴。例の『黒』ってヤツ。新しい報告書あがってるけど読む?」
 「その浮かない顔からして・・・進展なしみたいね」
 「あー、ほとんどの項目が依然調査中のままでさ。話になんないね」

 『金』の隊長に宛てられた報告書を勝手に開封するというのは許されない行為であるが。
 当然、この二人の間にそんな壁など存在しない。
 そして、リンはさりげなくアリエステルの耳に口を寄せ。

 「調査に出した奴、三人とも空振りで戻ってきた。負傷もあるが命に別状はない」
 「・・・そう」

 二人にとって、この三年間で最も傾注したのが『銀』の隊長であるアザァとの再会。
 しかし各国を転戦として、激務をこなすアザァに、私用で会うなど許されないだろう。
 けれど、いずれ会う機会もあるだろうし、手紙を送るくらいならと、したためたのだが。
 アザァからの返事はない。遣いを出してみても、常に入れ違いや、会うのを拒否されたなどと続く。
 不審に思ったアリエステルとリンは、ついに偵察を出した。
 しかし、結果は今リンが報告した通りだった。
 お互い、目を見合す。
 こうまで露骨にされれば、確信へと変わる。
 何者かが、自分達とアザァの接触を妨害している。
 その理由はいくつか考えられるが。

 「アザァ様は・・・やはり偽者?」
 「多分なぁ」

 『黒』という部隊に滅ぼされた『銀』。
 その信用の失点を失うべく、『黒き灼熱』という名を馳せた英雄の威光をもって、名誉を回復しようとした、そんな所だろうか。
 だが、アザァの顔を知る上にギルドナイトである二人に、それを知られたくないという理由で妨害されたのだろう。
 二人はそう結論づけた。
 もっと深刻な理由があるならば、偵察に出た三人の命はなかっただろう。
 
 「生きていらして欲しいわね」
 「どっかの女と仲良くやってんじゃないの? ほら、あの銀髪とか、ちっこい黒髪とかさ」
 「ふふふ。懐かしいわね。あの人達も元気かしら」
 「殺しても死にそうにないぜ、あいつら。黒髪のとかもそろそろいいカンジの女になってそうだし」
 「そうね、可愛らしかったし。ふふふ」

 かつての思い出に笑う二人。

 「・・・」

 そんな二人を見ながら、満腹になったためか腕の中で眠るミラの髪をなでていたロイエスタルが呟く。
 娘と、その親友に向けられた、老いた男のまなざしはとても暖かく柔らかい。
 しかし。
 今、ロイエスタルの口元には。
 
 「・・・『狂刃』、か」

 その刃が振るわれるたび、ギルドの正義は強く大きくなっていった。
 それは救える者をさらに多く、救える場所をさらに広くした。
 そして、最後に振るわれた『狂刃』イスキーナは、最も多大な効果を得たが。
 ・・・正しくはなかった。
 この年になってようやく思う。
 正義は正しくあっては行えないのだと。
 ゆえに正しくあろうとするならば、正義を捨てる必要も時にあるのだと。
 この後悔を少しでも晴らしたい。

 「・・・くふ」

 などと、思っただけで自嘲が漏れる。
 そんなものは自身、建前だと。長らくギルドナイトであった自分への慰みだとわかっている。
 これから自分が向かうべき場所、その道を踏み始めるための言い訳。
 あるのは、ただ、ただ、期待。
 だから。
 今、ロイエスタルの口元には。
 深い笑みがある。

 「正義が振るいし刃、『狂刃』・・・それにワシが刃向かう事になるとはの」

 ここに在るのは、すでにギルドナイトではなく、隠居した、ただの老人なのだ。
 なればこそ、”正義”に抗うことになんの遠慮があろうか。
 言い訳といえど、確かに過去の後悔を晴らしたいという思いがないわけでもない。
 だが、そんな些細な事よりも。
 おそらくは黒龍よりも、手ごたえのある”敵”がいる。
 しかしそれは、ギルドナイトのままでは対峙することがかなわない。
 だから、ロイエスタルはギルドナイトとシーザニティを捨てたのだ。
 最愛の家族であるアリエステルすら騙して。
 それも仕方ない。
 
 「・・・龍の相手はもう飽いた。冥土の土産に、あと一花は咲かせて・・・」

 いや、と首を振るロイエスタル。

 「血の華ならば咲くではなく裂く、か。さて、今回の『狂刃』とは、はてさてどのような者なのか」

 嬉しそうに笑うロイエスタルの腕の中で、ミラは変わらず穏やかな寝息を立てていた。
 



 
 「へっくし! あー、誰か噂してるー」

 黒髪を揺らして、あまりいいカンジではない仕草で鼻をすする。

 「先生ぇ・・・もう少しこう、その姿相応の慈愛に満ちたカンジになりませんかぁ?」
 
 呆れ顔でスヴェツィアが声をかける。

 「そ、そんな事言われても。そ、それよりもゴハンまだ?」
 「もう出来ますー。あ、アザァさーん、お皿出しておいてくださいー」
 「へいへい」

 慣れた手つきで、テーブルの上に皿を並べていくアザァ。
 かつて全ての窓に下げられていた黒いカーテンは、今や一枚としてない。
 そう、もはや窓をふさぐ必要はなくなったのだ。

 「はい、どーもー」

 そして皿に料理を盛り付けていくスヴェツィア。
 彼女も今では、一人前のハンターとして活躍していた。
 努力の甲斐あって、単身での雄火竜リオレウスの討伐にも成功をおさめた。
 手にした武器はメイメーラと名付けられたクイーンレイピア。
 毒剣使いとしても、まずまずの知名度を得たスヴェツィアだった。
 そんな彼女が用意していく料理を眺めながら、メイラが。

 「ん。いい香り。味も期待できそうね」
 「そろそろ免許皆伝ですかねー?」
 「ふふふ、そうね」

 身重になった自分の体を慮って、毎日こうして手伝いにきてくれる優しい弟子にメイラは目を細める。

 「毎日ありがと。あなたも忙しいでしょうに」
 「いえいえー。腕があがって、報酬も多くなりましたから、生活にはずいぶんと余裕ができたんですよー」

 そこに人の悪い笑顔を浮かべたアザァが。

 「独身だしな。金も時間も有り余ってるわけだ」
 「もー、ほっといてくださいよー」
 「夜の蝶もいいが、そろそろ身を固めたらどうだ?」
 「冗談言わないで下さいー。一人の男に縛られるなんてゴメンでーす」

 そう言うだけあって、スヴェツィアの容姿は磨かれていた。
 髪や爪の手入れは欠かす事はなく、流す目には憂いと潤いと誘い。
 確かに戦いを生業にするだけあり、肌にはいくつかの傷跡がある。
 しかしそれをあえて隠さず、しかし晒さず、傷の先に続く肌をじらす様な服をまとっている。
 この色と傷で身を飾る小悪魔こそ、街の男達が月下の夜をともに過ごしたいと願う女。
 唯一の例外であるアザァを除いての話だが。

 「けど、アザァさんなら縛られても・・・いえ、むしろ本当に縛っちゃいます? アザァさんになら・・・ポッ」
 「いつまでもバカでいてくれ。酒の肴にはちょうどいい」
 「ひどーい。じゃ、まずお酒でーす」

 と、スヴェツィアは酒を注いだグラスをアザァの手に直接持たせる。

 「ん、ありがとよ」

 そう。
 今では部屋に黒布を下ろすのではなく、アザァ本人が役に立たなくなった瞳に黒い目隠しをしている。
 回復の兆しにあった瞳は、一転して悪化をたどった。
 微かな灯りですら、アザァの目に写る全てを白く染め上げてしまう。
 しかし、さすがというべきだろうか。
 アザァは、それでもまるで目が見えているかのごとく日常を振舞っている。
 多少複雑な事も手伝いがあれば、まさに見えているのでないかというほどに自然だった。 
 そしていつものように三人の食事が始まる。
 にぎやかで、微笑ましく、温かい雰囲気。

 「ねぇ、アザァ」
 「ん?」
 「この子の名前、そろそろ決めておかない?」
 「男か女かもわからないのにか?」
 「二人分、考えておけばいいじゃない」
 「そうだなぁ」

 考え込むアザァと、答えを待つメイラ。
 いかにも幸せな夫婦の空気であるが。

 「でもアレですよねぇ。男の子だったら、すっごい女ったらしになるんでしょうねぇ」

 いつものようにスヴエツィアの余計な一言で、空気が一変するのであった。
 そんな光景は、誰が見ても幸せだと言えるだろう。

 「・・・女の子の方がいいわね」

 皮肉だった。
 この光景が決して長く続くはずがないと、三人が三人ともわかっている事。

 「おいおい、オレのどこが女たらしだ」

 喜劇だった。
 それぞれが仮面を深く被りつつも、演じる役目を心地よいと思っている事。

 「うあー、アザァさん自覚ないんですねー」

 悲劇だった。
 過去の愛が深すぎる者と、歪曲の愛にすがる者と、愛を知らぬ者である事。

 「冗談よ。男の子でも、女の子でも。早く顔が見たいわ」
 「・・・そうだな」
 「そうですねー、早く産んでくださいー、こー、ポーンと」

 救いなのは。
 それら全てを今だけは忘れる事ができる事、そのただ一つだけだった。
 いまだ。
 陽は高く、夜はまだ訪れない。
 しかし。
 陽は沈み、夜は繰り返される。
 そして。
 いつか必ず、月のない夜が訪れる。










 正義とは正しい。
 そう思っていた時期があった。
 正義だけが正しい。
 そう思わなければ、生きていけない時期があった。
 正義とは何だろうか?
 そう思い始めた途端、体が重くなった。
 正義とは正しいのだろうか?
 そう思い始めた途端、心が重くなった。
 それでも体は動く。剣を振るう、弾丸を装填する。
 心は正義の為にと。目の前の子供を見殺しにしても、よく多くの子供を救う為に、足を止める事もなく。
 それが正義であり、救うという事。
 そんな、狂いそうな時間の中、一つの悲劇が起きた。
 仲間との殺し合い。今でも悪夢としか思えない出来事だった。
 それは上層部の誤認。
 私達は仲間同士で殺しあったのだ。
 全てが。
 どうでもよくなった。



 後日。
 当時の隊長に部屋に呼び出されたあたしは、真実を知る。
 あれは仕組まれた出来事だったと。策謀した人物もわかっていると告げてきた。
 あたしは、問いつめた。仲間の仇を、と。
 隊長である、銀髪の男は笑いながら。

 『目の前にいるだろ。オレが上に行くためには仕方なかったんでな』

 と。
 瞬間、あたしは剣を抜いた。

 『命令だ、止まれ』

 体が凍りつく。
 ギルドナイトとしての反射に近い。体が硬直してしまう。
 上の者には絶対服従。だからこそ、ギルドは力を持てるのだから。
 
 『・・・チッ』

 そんなあたしを見て、隊長は苦々しい顔となる。
 そして。

 『なぁ、ファイアス。正義って、なんだろうな?』
 
 隊長は呟くように、あたしに問いかけた。
 今、その答えを持ち合わせないあたしは、ただ仲間の仇としてにらみつける。
 
 『答えを知りたいか?』

 あたしは・・・うなずいた。
 隊長は子供のように笑って。
 
 『正義ってのはな。この世で一番幸せな、夢物語のタイトルの事さ』
 『・・・』
 『絶対に有り得ないからこそ、万人を酔わせてくれるんだろうよ』

 そして、隊長はあたしから視線をそらし。

 『万人が酔うのは、そうでもなければ生きていけない理由や現実があるからだ。近しい者を失った者ほど、正義という言葉に酔いしれて・・・大切な事を見失う。そんな奴らが集まれば、その力そのものがまた悲しみを生んでいく。悪循環さ』

 その言葉が何を指しているのか、などと考える余地すらない。
 隊長があたしから視線を移して見ていたのは自分の帽子。ギルドナイト、その隊長の印である黒い帽子だった。
 隊長はその帽子を手にとり。 

 『なんてな。デカい事を言ったが、世界の全てを救うってのはオレには無理だろうな』

 そして。
 帽子を握りつぶした。 
  
 『だがな。もし、一滴でも涙を止められる為になら、オレはどんなに冷酷にも、悪魔にもなれる』

 そこに今までの笑いはなかった。
 ラグダフルといえば、親の七光りとも噂される人物。
 数戦の任務中、確かにそれを実感したものだが。

 『・・・』

 七光り、など。
 今のこの男を見たら、ひどく出来の悪い冗談だ。
 だが、それにしてもギルドの中心にいる彼が、まるでギルドを否定するような言葉の数々と行為。
 あたしはこの事を報告するだけで、彼は処罰を受けるはずだった。

 『ギルドナイトの条件ってのは何だと思う?』
 
 また質問を投げかけられる。
 あたしは、剣を掲げる。ギルドナイトとは強さだ。強さがなければ何も守れない。

 『ま、そんなもんだろうな。期待はしてなかったが、残念だ』
 
 呆れ顔でラグダフルは、肩をすくめる。

 『自覚はしてないだろうが、お前は本当のギルドナイトの条件を満たしているよ。そういうヤツをオレは今、集めている』

 立ち上がった隊長は、あたしと正面から目を合わせながら。

 『ギルドナイトってのは、常に殺し続け、生き続ける者だ』

 ・・・。
 否定はしない。
 だが、それは正義の為だ。

 『勘違いしている顔だな?』

 隊長は、なおもあたしに近づく。

 『自分の心を殺して、なお、迷わない者という事だ。正義という言葉に盲目し、ただ剣を振るだけの者の事じゃない』

 そしてあたしの肩に手をかける。

 『オレと来い。そして共に世界を変えろ』

 隊長は想像すらしていない事を言い放った。
 世界を変える? ギルドがあるからこそ、保たれている世界を変えるなどと。

 『全てを救うなんて事は誰にもできないだろう。だから、オレはオレのできる事を全力で為す』

 ようやく、隊長が笑う。
 しかし、それは今までのような斜に構えた軽薄な笑いではなく、さきほど垣間見せた子供のような笑いでもなく。

 『とは言え、オレのようなヤツができるのは、どれだけ力を尽くしても流れる涙を止める事くらいだ』

 だから、と言い足し。

 『お前は、涙すら枯れてしまった人たちを笑顔にしてくれ。オレには出来ないことをお前にやって欲しい』

 その優しい笑顔のまま、手を差し出してきた。

 『ギルドの正義などという夢物語よりも・・・己の心で夢を現実にしろ、もはやお前はわかっているはずだ』

 そして今まで一層、力強く。

 『ギルドは正義という名の悪だ』
 『・・・』

 あたしはそれでも迷う。
 隊長の言うことは・・・正しいと思う、あたしが導くことのできなかった、踏み出すことのできなかった事でもあった。
 しかし、ギルドというのは、今までのあたしの全て。
 どれだけ疑念にとらわれても、今までの全てを否定する事が怖かった。
 正義のためにと、見殺しにした人たちや、仲間の事を思うと、隊長の手をとる事ができなかった。
 目頭が熱くなる。
 ここで隊長の手をとる事は、自分だけが許しを求めているようでいて。
 手をとりたい。ギルドを否定してでも、本当の自分の心のままに生きたいと。
 それでも。
 体は震えるだけで、言葉すら出なくなり、立っていることもままならなくなり。
 あたしは、ヒザをついた。
 もれそうになる嗚咽、手で口をふさいで懸命に耐える。
 だが。

 『あっ・・・むっ!』

 手をとられ、乱暴に立たされたあたしは、口をふさがれた。
 隊長の荒々しい口付け。
 今まで、そういった事を一切しなかった隊長が、こんな時、こんな場面で、男になる。
 続けざまに両手をとられ、壁に押し付けられ。
 ようやく開放された唇から、言葉を搾り出す。

 『・・・隊長は、卑怯ですね、こんな時に』
 『言ったろ、オレは涙を止める為なら何でもする。それが気休めでも誤魔化しでも、な。・・・ま、今のは男相手にはしたくない』

 わかっている。
 これが踏み込めなかったあたしに対する、優しさだという事が。
 その不器用さに、あたしは少しだけ笑い。
 全てを覚悟した。

 『・・・隊長についていきます』
 『隊長として命令したわけじゃない。ラグダフルと呼べ。長ければ好きに呼べばいい』
 『わかりました・・・では、ラルと?』
 『いいねぇ。惚れられてるカンジがして、実にいい』

 両手を離され、ようやく全てを開放した隊長、いや、ラルは、いつものような軽薄な男に戻っていた。
 だが、もうあたしは知った。
 この仕草の全てが演技であり、牙を研いでいる男の姿であることを。

 『・・・惚れてなど、いませんよ』

 肩をすくめながら、ラルは。

 『そりゃ残念だ、最初で最後の口付けにしちゃー、色気がなかったな』

 ・・・それを聞いて。
 つい、口走ってしまった。

 『・・・別に最後でなくともいいですけどね』
 『ほう? ほーう? やっぱり惚れたか、このカッコよすぎるオレに?』

 その顔がなんとも腹だたしい。
 無性に蹴り飛ばしたくなる衝動と、鼓動の早くなった胸を抑えつつ、あたしは顔を背けて。

 『・・・上と下の関係でないというなら、強制は受けませんが・・・条件があります』
 『なんだ? 火の中、水の中程度なら条件にすらならないぞ?』

 認めたくは無いが、今のラルに惹かれるあたしがいるのは事実。
 仲間を殺した男であり、ギルドに敵対する男であり。
 ・・・流れる涙をただ無くしたい、そんな夢に命を賭ける男。
 いい男だと、思う。

 『あの、ですね。あたしを部下ではなく、女として扱うというなら・・・その、浮気は禁止です』

 ・・・我ながら、言ってて恥ずかしい。背中を向けていないと、とうてい口にはできない。
 けれど、こんな事は誠実な関係を結ぶならば当然だろう。
 もっとも、ラルほどの男なら、当たり前だと即答・・・?
 返事が返ってこないので、振り返ってみれば。

 『・・・』
 
 ラルの腕を組み、ブツブツとうなっていた。

 『浮気ってどこまで行くと浮気なんだろうな? 口付けくらいは大丈夫として・・・』

 あたしは部屋の隅、ラルのものであろうライトガンを手にとった。
 装填されている弾は・・・麻痺弾。手ぬるいとも思ったが、今、手持ちの弾丸は無いので仕方なかった。

 『おいおい、冗談だよ。浮気? はっはっはっ! オレは紳士だし、なにより、お前みたいな美人をモノにしたら、他に手を出すはずもな、うおっ!!』
 『剣の腕がないなんてご謙遜ですね。結構、動けるじゃないですか?』
 『待った、本気か! うおっ、うお、うぐぁ!!』
 
 結局。
 八発中、命中は三発。

 『・・・ぐぐぐぐ・・・』

 痺れたまま、倒れているラル。
 近寄り見下ろすあたしを見て、顔を青くしたラルは。

 『オ、オレは・・・オレは、こんな所で死ねん! 為すべき事が、あるッッ!!』

 ・・・その理由は、知っているものの。
 手足を痙攣させながら、あたしに哀願するラルの哀れさは、表現のしようがない。
 あたしはため息をつき。

 『浮気は許しませんよ?』
 『・・・はい』
 『それでいいんです』

 そしてあたしは、かがみこみ。
 唇を重ねた。



 「う・・・ん?」

 あたしは、ゆっくりと目を開ける。
 朝日はまだ昇っていない。
 
 「・・・懐かしい夢」

 そう大きくないベッドだが、隣には安らかな寝息が聞こえる。
 寒かったのか、シーツを頭までかぶってしまっている、サリナ姉さん。

 「・・・」

 最近は姉さんも、うなされて起きることはなくなった。
 涙すら枯れてしまい、ラルが救えなかった姉さん。
 そして。
 あたしが最初に笑顔をしてあげる事ができたのが、姉さんだった。
 とても悲しい人で、とても愛の深い人。
 今も思い出す。
 ラルがあたしに姉さんを紹介した時の事を。

 『彼女はサリナ。腕はお前よりも数段上だが・・・妹を失った今、見ての通り涙も枯れた女だ。まかせる』

 最初はどう話しかけても、何も答えない。言葉すら届いていなかった。
 何度も何度も、懸命に話しかけて。
 あたしは苦肉の策とばかりに、彼女を姉さんと呼び、妹にして欲しいと願った。
 それまで、一切が無反応だった彼女が、初めてあたしを見て。

 『サリナの・・妹? ・・・サリナの? 妹・・・』

 自分で呟いた言葉を、何度も繰り返し、反芻し。
 そのたびに、あたしはうなずいた。

 『サリナ姉さん、と呼んでもいいですか?』
 『・・・うん・・・サリナ、お姉さん。サリナ、お姉さんだよ・・・だったん、だよ』
 『あたしの姉さんです、今だって、お姉さんですよ』
 『サリナ、お姉さん?』
 『はい。あたしはファイアスです。妹の名前、覚えてくれました?』

 言葉を慎重に選びながら、初めての会話を進める。

 『・・・ファイア・・・イアス? イリア?・・・』
 『・・・いいえ、ファイアスです。でもイアスって呼ばれて、それもいいな、と思いました』
 『イリ・・・イアス?』
 『はい、そうですよ』
 『サリナの妹? イアス? ・・・イリア?』
 『違いますよ、イアスです。もー、今度間違ったら、姉さんなんて嫌いに・・・』
 『イヤ! イヤイヤイヤイヤ!!』

 それまでとはうって違い、激情のままあたしはサリナ姉さんに抱きつかれた。

 『ゴメンね! だから嫌いにならないでね!』
 『ウ、ウソですよ、冗談です、姉さんを嫌いになんてなりませんよ』

 サリナという女性の心の全ては、妹という存在を中心に回っていたと実感した瞬間だった。
 ここまで壊れてしまうほどに。
 
 『イアス、は、サリナの妹なの?』
 『姉さんが、いいと言ってくれれば』
 『うん・・・うん! うん! イリアはサリナの妹だよ!』

 そうして、姉さんは笑ってくれた。
 妹の身代わりの自分としてでしか、笑顔は浮かばないが・・・
 それでも嬉しかった、あたしが、誰かを笑わせる事ができたという事が。
 そして、その嬉しさに、つい涙をこぼしたが。

 『その涙を止めるほど、オレも野暮じゃないんでな』

 と、ラルがあたしの髪を乱暴になでた。
 ・・・それでまた余計に泣いてしまったが。

 「姉さん、ありがとうございます・・・」

 姉さんの金髪に優しく触れる。
 この人はあたしに、自分のような者にも誰かを救える、という実感と自信をくれた。
 それは今まで得たどんなものよりも、素晴らしいものだった。

 「・・・」
 
 いつか・・・しかし、必ず。
 あたしは、姉さんの本当の笑顔を取り戻す。
 その為なら、なんでもするだろう。
 そう、何でも。





続く・・・


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