夢幻泡影 〜ヒカゲ〜 (後編)






 「・・・やってくれる! 見事だ!」

 ロイードは罠にかけられたと知った。
 崩れた木材に防具を着せての時間稼ぎ。夜間の作戦では、ロイードも使う手ではある。
 しかしこの状況でなお、防具を捨てて囮に使うなど。
 侵入者は爆発と同時に、ロイードが爆風で体勢を崩している時には、すでにここから抜けていたのだろう。
 あの閃光も爆弾だけのものではない、おそらくは閃光玉も使っていたと、ようやく理解した。

 「くそ!」

 ロイードがテントの群れから出て、包囲網を確認する。
 立っている者は一人としていなかった。
 いや、ただ一人。
 小柄な体に、巨大なヘヴィガンをたずさえている・・・少女。
 ロイードと目があった少女は、ゆっくりと歩いてくる。
 ロイードもまた歩き出した。
 やがて互いの顔が確認できる距離まで来て、二人は足をとめた。
 少女はその裸身をさらす事に恥じらいなく、対峙している。

 「侵入者は一人、得物はガンとみせかけて、包囲網を近接で音もなく一人ずつ始末したか」
 「・・・」
 「ギルドの戦術にも熟知しているようだった。やはり暗部か?」

 少女は答えず、黒い刃を捨てて、ようやく口を開いた。

 「『魔眼の射手』、ロイード。このような結果に終わって残念だ」

 その年不相応な静かな声。感情を抑えているのではなく、感情が一切ない声だった。

 「ほう、その口ぶりだと、俺が幻想の英雄と知っていたか」
 「ずっと身代わりをさせていたのだ。感謝していた」
 「身代わり?」
 「『魔眼の射手』の後始末は『魔眼の射手』がとろう。今までご苦労だった」
 「まさか・・・実在していたのか?」
 「『魔眼の射手』の存在を知る者は五人といない。なぜなら、裏の裏を知り暗躍する貴様のような者の暗殺もまた『魔眼の射手』の任務だからだ」
 「・・・まったく、ギルドってのは深すぎる。全て知ったつもりだったが、さらに罪が深かったか!」

 瞬間、ロイードが銃を構える。偽とはいえ『魔眼の射手』に選ばれた男。
 照準に『魔眼の射手』をおさめる。全ての動きがかすむほどの迅さ。
 照準の先には、既にトリガーを引いていた『魔眼の射手』の姿があった。
 ロイードが引き金を引くよりも早く、胸に熱い感触。
  
 「・・・所詮、俺はニセモンか」

 至近距離からの銃弾に、崩れ落ちるロイード。
 そこに『魔眼の射手』の声がかかる。

 「安らかに。民の剣であり盾であった使命は終わった」
 「裏切り者にずいぶんと、優しいな」
 「貴様はギルドを裏切ったが、民を裏切ったわけではない。民の為に手段を選ばぬ。それはギルドナイトとして正しい」

 『魔眼の射手』はかがみこみ、ロイードの目を見つめる。

 「ご苦労だった。ギルドナイト、ロイード」
 「・・・少し、救われたよ・・・じゃあな、後は頼む」
 「誓おう、同胞」

 そしてロイードは笑って逝った。
 残されたのは『魔眼の射手』とステアだけだった。

 「あの・・・『魔眼の射手』様なのですか?」

 その実力を目にしたばかりの今でも信じられなかった。
 見れば見るほど若い『魔眼の射手』。その年齢は自分と同じほどだろうか。

 「そうだ」

 ステアの疑いの混じった問いに、しかし少女は即答した。

 「私は一体・・・どうしたらいいんでしょうか?」
 「・・・」

 『魔眼の射手』が立ち上がる。
 そして銃口を向けた。

 「残念だ。貴様は将来有望な訓練生。素晴らしいギルドナイトになれる逸材だった」
 「・・・貴方という秘密を守る為ですか?」
 「この身は『魔眼の射手』という銃。決して光を浴びてはいけない。貴様が漏らさぬと誓っても、可能性は全てつぶさねばならない。今までのように。それほど『魔眼の射手』は隠蔽する必要がある存在だ。お父上には、民の為に犠牲になったと伝えられる」

 自分を武器として扱う『魔眼の射手』に、ステアは覚悟した。
 少女の形をしても、コレはヒトではないのだ、と。

 「そうですか・・・じゃあ最後に一つ教えてください」
 「答えよう」
 「お名前を。ギルドの『英雄』の名を教えてください」
 「・・・」

 『魔眼の射手』は首を振った。

 「・・・残念です」
 「そうではない。『魔眼の射手』は名前がない。孤児としてギルドに引き取られ、『魔眼の射手』として育てられた」
 「・・・」

 ロイードが辛く語ったギルドの暗部。
 さきほど自分は、この少女をヒトでないと思った。
 それはギルドがそうしたから。
 ギルドはこの自分と同じほどの年の少女の全てを奪いつくしていたのだろう。
 ロイードが言った通り、正義の名のもとに。
 民を守る事は正しいと思う。まぎれもなく。
 そして民を守る為の手段の一つが目の前にあり、それが正しい事かはわからない。
 けれどその少女は自ら、手段を選ばない事が正しいとロイードに言った。
 わからないから、ステアは笑った。そして涙が浮かんできた。
 感情もなく、おそらくは楽しい思い出など持ってない、悲しい少女を見て。
 自分には楽しい思い出がたくさんあって。
 愛してくれる両親がいて。笑いあえる友人がいて。
 でも目の前で、同じぐらいの時間を生きてきた少女には、そんな当たり前が何もなくて。
 だから。
 自分に今できる事で、この目の前の少女を少しでも。ほんの少しでも。

 「じゃあ、私の名前をあげます。ステア=スタンフィード。可愛らしい名前で気に入っていたんですよ?」
 「・・・?」
 「だから、私のぶんまで、苦しむ人達を助けてあげてください」
 「・・・」
 「何もできなかった私の代わりに。もし許されるなら、それを貴方の友人としてお願いしたい」
 「わかった。貴様と私は今より友だ。そしてステア=スタンフィード。誇り高きこの名を頂戴し、貴様のぶんまで戦い続けることを誓う」

 願いを受け入れられたステアは笑顔だった。暖かい笑顔だった。
 『魔眼の射手』にとっては、今より死に逝く者の願いを叶えただけだった。
 今の言葉も心から真摯に告げた。
 しかしステアは笑う。

 「ふふふ。違うわよ?」
 「何が違う? ステア=スタンフィード」
 「戦友相手ならそれでもいいけど・・・友人なら誓うなんて言わない」
 「・・・そうか。では何といえばいい?」

 ステアは『魔眼の射手』の手を握り締めて。

 「約束してくれる? 私のぶんまで、困ってる人を助けるって」
 「・・・約束すると誓う。いや? 約束しよう・・・約束する」

 何度か言い直す『魔眼の射手』をステアは抱きしめた。
 『魔眼の射手』は困惑を隠せず、ただ約束すると続けていた。

 「ねぇ、ステア」
 「・・・」
 「貴方の事よ?」
 「ん? ああ、そうだ。私はステア=スタンフィードだ」
 「もう一ついい?」
 「まだあるのか? ・・・いや、かまわない。可能な事ならば、いくらでも約束しよう」

 『魔眼の射手』は約束という初めて口にする響きを、何故か心地よいと感じていた。
 一つ約束した時、胸の中で何かが生まれて、それが自分の心臓とともに鼓動しているかのようで。
 それはいくつあっても、邪魔になるものではないと思えたから。

 「じゃあ二つめのお願い」
 「聞こう」
 「楽しい時は笑って。悲しい時は泣いて。心に正直にね」
 「・・・」
 「あれ? 約束してくれないの?」
 「二つめといったが、二つあったぞ? いや、しかしどちらも私には難しいと思う。なんというか、楽しいというのと悲しいというのが、どういうものかよくわからない」
 「ううん、大丈夫。絶対にできるから」
 「・・・そうか。なら約束しよう。その、いつになるかわからないが」
 「うん。それでいい。でも絶対だよ?」
 「絶対に約束すると約束する」
 「あはは。うん、約束の約束だよ」

 ステアは抱きしめていた手を放す。
 それが合図だった。

 「ではさらばだ。愛する友人、ステア=スタンフィード」
 「うん。さようなら、ステア=スタンフィード。友達になれて良かった」
 「私もだ」

 ステアは目を閉じた。
 『魔眼の射手』が銃を両手で固定した。
 友人が万一にも苦しまぬよう、確実に一発で、と。
 だが。

 「・・・?」

 『魔眼の射手』がうろたえる。
 弾丸は装填してある。照準はステアを中心にとらえている。指は引き金にかかっている。
 なのに、なぜ、私は。

 「ステア」
 「う?」
 「迷わないで。かつてのステアは決して民を守る為に迷わなかったから」
 「う、う・・・」

 ステア=スタンフィード。
 頬が熱かった。何かが流れている。目標の姿がにじんだ。
 心臓が激しく鼓動する。
 わからない。こんな事は今まで一度もなかった。
 どんな任務の最中でも、『魔眼の射手』は一度として取り乱したことなどない。
 今まで何度も、何人も同胞と戦友達の命を絶ってきた。
 ある者は命乞いをし、ある者は抗い、ある者は諦め。
 しかしステアは違った。
 友人になりたいと願い、色々な約束をして。初めての事ばかりだった。

 「ステア・・・? ステア、ステア」

 わけもわからず、その名を繰り返していた。
 涙をぬぐう術すら知らない子供が、母親にすがるように。

 「うぐ・・・う」

 ついに『魔眼の射手』は銃を取り落とし、両手で胸をおさえてうずくまる。
 息ができない。目の前が真っ暗になった。
 正しい事をしているはずなのに。
 正しいと教えられてきた事をしようとしているだけなのに。
 むしろ、そんな事を今まで考えた事もなかった。
 なぜ、こんなにも自分は苦しいのだろう。
 どうして、どうして、どうして。
 今。
 彼女を殺す事は本当に正しいのか、と。
 誰かに正しいと言って欲しかった。
 今までの全てが正しいと。
 この瞬間の行いが間違ってないのだと。
 そんな『魔眼の射手』の願いは届いた。

 「・・・大丈夫」

 かつてのステアが、ステアを抱きしめた。
 少しだけ救えた、と。最初で最後だけど、自分は人を救えたのだと思った。

 「大丈夫よ、ステア。今のステアなら、きっと間違わない。それに約束の一つ、さっそく守ってくれたじゃない。悲しい時に泣けるなら、楽しい時はきっと笑えるよ」

 優しく髪をなでられる。
 初めて感じた人の温かさ。
 初めて与えられた優しさ。

 「ステア、ステア!」
 「じゃあね、ステア。がんばって」

 今は名もなき少女は、ステアがさきほど捨てた剣を手にして。

 「あ・・・」

 自分のノドを切り裂いた。







 全てを終えて、『魔眼の射手』は司令部へと戻った。
 報告を聞き終えた司令は、「ご苦労」と一言告げた。
 広い部屋には、『魔眼の射手』と司令しかいない。
 そして、次の任務を言い渡す。それがいつもの光景。
 しかしその日は違った。
 司令の横に、若い男が立っていた。
 『魔眼の射手』がいる場にいるのだから、おそらくは他の国の国家司令かと予想する。

 「『魔眼の射手』よ。今後、君の身柄は私の預かりではなくなった」

 司令が唐突に告げた。

 「それはどういう事でしょうか?」
 「さらに上の方の預かりとなる」
 「司令より、上ですか?」

 目の前の男は、この国のギルドにおける全ての権限を統括する者だ。
 さらに上となると、

 「大司令殿だよ。近々、大きな任務があり、君をぜひ使いたいとの事だ」
 「わかりました。では、そのように。いつ、どちらへ伺えばよろしいですか?」

 司令は黙って立ち上がり、横の男に深く低頭した。
 そして『魔眼の射手』の横を通り過ぎ、部屋を出て行った。
 すれ違いざま、「いつも辛い任務を与えてすまなかった」、と残していった。
 部屋に残されたのは『魔眼の射手』と若い男。

 「あの・・・?」

 男は空いた司令の席に座り。

 「私が以後、君の身を預かるレイドールと言います。このイーストの管理をまかされている者です」
 「・・・失礼しました、よろしくお願い致します」
 「そう固くならないでください。仲良くやっていきましょう」
 「は、ありがとうございます」

 若い男、レイドールは丁寧で物腰も柔らかい。
 ギルドの闇に生きる『魔眼の射手』にすれば、最も油断ならないタイプだった。

 「すぐにこの国を出ます。次の任務地はモデスト」
 「はい、準備いたします」
 「その前に、今回の任務の概要を伝えておきますね」

 大司令レイドールが、イスをすすめる。

 「次の任務は極めて秘匿性の高い大作戦です。場合によっては『龍喰らい』の投入もありうるほどに」
 「『龍喰らい』ですか」

 『魔眼の射手』と同じく、表には出ない暗部の一つだ。
 おとぎ話にもなっているほど、神格化された架空の英雄。
 内実は黒龍を専門とするギルドナイト達の事だが、表向きは一人とされており詳細は不明。
 また『魔眼の射手』とは立場と役どころが違うので、身代わりは存在しない。
 黒龍が現れるたびに入れ替るので、都合のはいい。むしろ、ギルドがそう仕向けたふうでもあるが。
 『魔眼の射手』ほどの機密ではないが、やはり実情を知る者は少ないはずだ。
 彼女が『龍食らい』について知っているのはこれくらいである。

 「その下準備としてやってもらいたい事があります。今、モデストには『狂刃』と呼ばれるハンターがいましてね。すでに英雄との呼び名も高い男。もっとも『狂刃』という名前は我々が意図的に広めたものですがね」
 「『狂刃』・・・しかし行方不明と聞きましたが」
 「ああ。ギルドの暗部で受け継がれている『狂刃』ではないよ。最後の『狂刃』イスキーナ以来、空席のままだから」
 「では、なぜそのような名を?」
 「君が知る必要はない。不満かな?」

 いっそう、親しげになるレイドール。
 『魔眼の射手』は表情には出さないが、警戒心が高まっている。
 数秒の沈黙。
  
 「冗談だよ。彼の名はイスキといってね。それにちなんだだけさ」

 レイドールは笑って、そう告げた。

 「イスキ、ですか」
 「ははは。勘ぐらなくていい。『狂刃』イスキーナと、君が監視する『狂刃』イスキは、本当に別人だ」

 愉快そうに笑うレイドール。

 「はい。失礼しました」

 『魔眼の射手』は頭を下げる。
 レイドールは真実を話していないだろう。
 ギルドがわざわざ『狂刃』と広めたのは、なにかしら意図があるはずだ。
 洒落や冗談で、そのような事はしないはずだ。
 しかしこういう場合は、知らない方がいい場合が多い。無駄な知識は時として判断を狂わせるのだから。
 レイドールは満足そうにうなずき、話を進める。

 「現在は記憶を失っている状態だ。だが腕は衰えていない。君にはこの男の監視を頼みたい」
 「監視ですか」
 「そう、現状では監視だ。具体的には『狂刃』の教え子としての立場でね。『狂刃』は仮卒業生の外部教官でもある。すでに二人の仮卒業生を受け持っているはずだ」

 現状、という部分を強調するレイドール。
 つまり、展開しだいでは、捕獲にも暗殺にもなるかもしれない。
 『魔眼の射手』は詳細をうながす。

 「三人目の教え子として、密着するのですね」
 「そう。君は他国からの生徒という事にしておく。仮卒業名簿に君の名はないから、在学中の特例といった位置づけとなるね。年齢もちょうどいいだろう。君は15歳だしね」
 「わかりました。ですが危険分子ならば、迅速に処理をした方がよいのではないでしょうか?」

 そうすれば面倒がなく確実だ。
 レイドールは、困ったように笑う。

 「確かに。けれどそれ以上に彼の力は惜しい。なるべくならば取り込みたい。疑問に思うなら火竜あたりと戦わせてみるといい。手段は問わない」
 「わかりました。機会を作ってこの目で確認いたします・・・ですが、ギルド加入の打診はされなかったのですか?」

 『狂刃』の力が必要ならば、それが最もたやすいはずだ。
 大司令は残念そうに、

 「勿論。けれど断られた。あまり無理強いして、行方をくらまされると厄介なんだ」
 「それほど危険で、また重要人物だと」
 「詳細は今は話せないが、外れでもない。教え子として、後輩として、かわいがってもらえるように尽力してくれ」
 「かわいがられる、ですか」
 「ああ、愛されるほどに。これは冗談ではなく、真面目な話だ」
 「わかりました。努力いたします」

 困惑する『魔眼の射手』に、レイドールは満足そうにうなずく。

 「話は以上。出発は明朝だ」
 「はい。では準備を始めます。失礼します」
 「そう言えば、一つ忘れていた」

 レイドールの声に『魔眼の射手』が振り返る。

 「秘匿性を高めるため、君には名がないとの事だが、どう呼べばいいのかな? 名前は今後必要になる・・・もし思いつかないなら、私に案がある。メイラ、という名はどうかな? かつて『銀髪の疾風』と呼ばれた英雄の名だ」

 『魔眼の射手』は首を振った。

 「ステア=スタンフィード、と」
 「ほう。私は知らないが、どこかの英雄の名かな?」
 「いいえ。ですが、私の名はこれ以外ありません」
 「そうか・・・では、ステア君。これからよろしく」
 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 ステアが退室した後、レイドールがふぅ、息を吐いた。
 
 「メイラさん・・・貴女が生きていれば、あの時のように騙して利用させていただくんですけどね」

 最後に彼女の姿を見た日を思い出す。
 黒龍に当てるコマとして、シュレイド城に押し込めたあの日。
 最後に自分に向けられた言葉は、

 『この嘘つき。だからギルドって嫌いなのよ。まぁ、こうなるとは思ってたけどさ』

 と肩をすくめて。そして黒龍に立ち向かった。
 
 「そして、人は救われ『龍喰らい』はおとぎ話の世界へ帰って行きました、か」

 当時、部隊長だったレイドールも参加した激しい戦いだった。
 龍喰らいも無傷ではなかったし、命を落とした者もいる。
 黒き装束をまとった同期の隊長であり戦友達も、自分以外は全て戦死した。
 ただ一人生き残ったレイドールは、その黒龍討伐指揮の功績より出世した。
 国を統括する司令を経て、今では、大陸の半分をまかされるほどに。

 「メイラさん・・・次は一人の男として、会いに行きますね」

 殴られるかもしれませんが、と付け足してレイドールは笑った。





夢幻泡影 〜ヒカゲ〜 END






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