夢幻泡影 〜コハルビヨリ〜






 イスキは街を歩いていた。
 右にはエルナムがイスキの袖をつまみ。
 左ではシャロンが腕をからませている。
 その少し後ろ。影を踏まない程度の距離をあけて、ステアがついてきている。

 「ちょっとシャロン、腕!」
 「なによ? 今日からしばらく訓練はお休み、そして初日の今日はみんなでおでかけなのよ?」

 はたから見れば三人の美女と美少女を連れ歩く、軟派な男である。
 しかし彼女達に囲まれている英雄『狂刃』は、微笑すら浮かべていない。
 ただ無表情に、むしろ苦悩するかのように歩いていた。
 三人がそろってイスキの教えを受けるようになってから半年が経っていた。
 諸所の事情により、明日から三人の弟子はイスキの下から離れる事になっている。
 エルナムは実家へ。
 シャロンは学園へ。
 ステアは、自分の国の学園へ。
 それぞれの事情を考慮した結果、イスキは訓練を一時中断。
 三人が戻り次第、再開と決定した。
 しばらくは会えないという事もあり、シャロンの提案で皆一緒に街に出てきたわけである。
 イスキとしては、教え子の普段見られない一面を見れるのではないか。
 ひいては、それが人に愛されるようになる手助けになれば、という思いもあった。
 なにより弟子の望みは、何であれ叶えてやりたいものだ。
 エルナムとステアも特に反対する事なく、こうして街に出てきたのだが。
 ぴったりとくっつく二人に、イスキは疑問の渦を生んでいた。

 (不可解だ。この二人の変化。むしろ、変貌と言えるほどの現象は何が原因なのか?)

 目標であった仲の悪い二人の和解。それは実に上手くいったと自負している。
 たまに口論するようではあるが、それは互いを理解しようとする行為でもある。
 ただ問題は、口論の原因にほぼ自分が話題にあがる事だ。
 二人の思考をイスキは考えに考えた。
 結局。

 (若者の、それも女性の心を計るには私はまだ未熟という事か)

 子供心すらまだ理解できずに、失敗のたびにベッドの中で毛布にくるまって反省を繰り返す日々は変わっていない。
 女心というのは、世の男性全ての謎と耳にした事もある。自分ではいまだ到底及ばない場所なのだろう。
 それでもイスキは前進を感じていた。
 この三人の面倒をみるようになってから、子供に泣かれる回数がずいぶんと減ったのだ。
 以前はある程度の心構えがなければ、微笑む事も難しかったイスキ。
 今では、気づけば微笑んでいる事が多い。
 徐々にだが、子供達から避けられる回数も減っている。
 それは間違いなく、この二人のおかげだろう。
 笑顔に囲まれて暮らす日々は、いつしかイスキにも微笑みを与えていた。
 ただ一人。
 ステアだけは、微笑む事がない。
 しかしイスキは知っている。
 彼女が時折、自分の名に謝り、涙する夜を過ごしている事を。
 自分の名に泣く行為の意味をイスキは知らないし、たずねる事もない。
 けれどそれがステアにとって大切なものだとは感じられた。
 いつか自分に話してくれる時がきたならば、真摯に受け答えようとも思う。
 今日、皆で街に出ることが、少しでも気晴らしになればとも思ったが。

 「・・・」

 ステアは無言で後ろを歩いている。
 そんなステアに何を思ったのか、声をかけたのはシャロンだった。

 「ステア、ちょっとこっちきなさいな」
 「はい」
 
 先輩に呼ばれたステアは、すぐにシャロンの左側へ。
 シャロンは右手をイスキにからませたまま、ステアの手をにぎった。
 反射的にその手を振り払ったステアだが、シャロンはそれを追いかけて強く握った。

 「ステア。アンタが自分に触れられる事を嫌がるのは知ってるけど、今日くらいはね」
 「・・・」
 「別に先輩命令じゃない。今日はお休みだから。友達としてさ」
 「・・・」
 「どうしても嫌ならしょうがないけど」
 「・・・」

 何も答えないステアに、シャロンはまたダメか、と溜息をつく。
 ようやくステアが口を開いた。

 「・・・嫌というわけではありません。ただ私は・・・」
 「シャロンもたまには良い事を言うわね」

 ステアの言葉をさえぎるように、エルナムがイスキの陰から頭を出して微笑んだ。

 「あたし達は仲間であり・・・友達なのよ? 仲良くしたいと思うのは自然でしょ?」 
 「友達・・・ですか?」
 「そうよ、友達。戦友。そして親友、かな」

 照れたように笑うエルナム。
 訓練中の凛々しさよりも、今は年相応の笑顔だった。
 ステアの心の中の友の笑顔が、それに重なった。

 「私は先輩達の友達である資格があるのでしょうか?」 

 それを聞いた二人は目を合わせて。

 「ふふふ。友達に資格になんて要らないわ」
 「もし資格なんてものが必要だとすれば、共通の思い出くらいかな」

 ステアは考える。
 この二人の先輩と共通の思い出というものが、自分にあるかどうか。
 確かに共に訓練をした時間の記憶はある。
 夜中に呼び出され、一緒に酒を飲んだ記憶も。
 しかし、どれが思い出に該当するかは判断がつかない。
 
 「・・・思い出・・・」

 とうとう真剣に考えこんだステアを見て、二人はまた笑った。

 「ステア。あなたは石頭すぎるわよ。シャロンみたいに、だらしのない女性は論外だけど」
 「ステア、難しく考えすぎよ、アンタ。エルナムみたいに可愛くない女になっちゃうわよ」

 一秒後、二人は笑顔のままにらみ合い。
 二秒後、お互いの襟首をつかみ合い。
 三秒後、イスキにひきはがされた。

 「ステア。私にもよくわからないが」

 イスキはもがく二人を完全に押さえつけながら。

 「はい」
 「今、こうしている事もまた、思い出の一つになるのではないだろうか?」
 「・・・そうですか? 何かを為しているわけでもないですが?」
 「これは私の所見なのだが。思い出した時に、心地よいと感じられれば、それは思い出ではないだろうか?」
 「心地よい・・・」

 ステアは、ステアの顔を思い出す。
 彼女の笑顔、言葉、そして約束。
 どれを思い起こしても、胸が締め付けられ、けれど温かくなる。
 ステアはイスキを見る。
 雄雄しく、優しく自分に語りかける英雄『狂刃』。
 出会ってまだ半年だが、こうして自分に微笑んでくれる機会は何度もあった。
 それを思い起こすと、確かに心地よい。
 二人の先輩にしてもそうだ。
 何だかんだと自分の世話を焼いてくれる。
 二人とも酒癖が悪く、脱がされた事も何度かあったが。
 思い出してみれば、心地良い。
 多分、これは楽しいという事だ。

 「理解できた気がします、教官」
 「そうか、私もまだ至らぬが参考になったようでなによりだ」

 いつしか動きを止めていた二人が、イスキの言葉に聞き入っていた。

 「教官、素晴らしいお言葉、そしてお考えです。やはりあたしが、その・・・好きになった・・・」
 「さすがイスキ様! アタシの思い出はイスキ様でいっぱいです! むしろ愛でいっぱいいっぱいです!」

 言葉を恥じらいで濁すエルナムと、通りの人々にすら聞こえるほどの声量で叫ぶシャロン。
 三秒後には、またしてもイスキにひきはがされている。

 「教官」

 ステアがイスキに近寄り、長くの疑問を口にした。

 「む?」
 「質問があります。どうかお答えください」
 「そうか。では聞こう」
 「はい。私は教官に愛されているでしょうか?」
 「・・・ふむ?」  

 その言葉に二人の先輩が動きを止める。

 「ちょ、ちょっとステア!」
 「アンタ、いつの間にそんな大胆少女になったのよ?」

 第三勢力の出現に、血相をかえるエルナムとシャロン。
 イスキはそれを無視して。

 「塗れたように輝く黒髪は魅力的だ」
 「・・・髪、ですか」

 ステアが自分の髪に触れる。

 「うう」
 「この展開は・・・」

 エルナムとシャロンの苦悩をよそに、イスキは続ける。

 「漆黒の瞳は、私の全てを吸い尽くす」
 「瞳・・・」

 そして決めゼリフである。

 「そして、ステア、その名の響きは何よりも気高く美しい」
 「この名が・・・」

 イスキの成長をうかがい知る事のできる一幕であった。
 台詞の基礎は一緒であるが、創作も混じっている。
 イスキはかつてエルナムとシャロンに効果があったこの言葉の様々な派生を考え、編み出していた。
 女性に対して好印象を与える有効な手段として。
 もとは酒場でおねえちゃんを口説く軟派な台詞であるが。
 今ではイスキの手により、皆に愛される為の手段の一つとして昇華していた。

 「あ、ステア落ちたかも」
 「げ」

 二人はいまだ見たことのないステアを見ていた。
 赤くなっているわけでもなく、照れているようでもない。

 「教官のお言葉は難解すぎて、よくわかりませんでしたが」

 外野と化した二人が頭を抱える。

 「あれだけ直接的に言われてどこが難解よ!?」
 「ニブいというより、ヘンよ、あの子」

 ステアは褒められる事に慣れない子供のような表情だった。

 「この名を気高いと、美しいと言ってくださった事。それはとても嬉しいと思います」
 「そうか。ならばステア、その名に恥じぬように、これからも頑張りなさい」
 「はい」
 
 二人は考える。
 どうにも男と女の会話ではない。
 親と子。それもどちらも不器用な親子の会話といった空気だ。

 「ま、まぁ、新たな危機が起こったわけじゃなくて安心したわ」
 「そ、そうね。アタシはともかく、エルナムには危険だったわね。胸的に」
 「そうそう、ステアって15歳なのに、どうしてあんなに育ってさよなら親友!」
 「甘い、親友!」

 エルナムの拳をヒラリと避けるシャロン。

 「ふふふ? シャロン、そろそろ決着をつけましょう」
 「そうね? イスキ様に愛される女は一人だけなんだから」

 辺りの空気が一気に冷たくなる。
 冬の寒波すら及ばぬ、氷に包まれたかのような世界。
 突如、ステアが辺りを見回した。

 (殺気・・・? この三人といるとまれに感じる特殊な殺気・・・)

 ギルドの監視員がついているという話も、敵対組織がいるという話も聞いていない。
 しかしあの大司令ならば、自分には内密に何かしらの手をうっていてもおかしくはない。
 ステアは妙な気配に気づかない振りをしつつも、緊張を緩めない。
 
 「シャロン。あなたはいい友人だったわ。けれど、これも女としての業よね・・・」
 「そうね、エルナム。同じ男性を愛さなければ、こんな別れ方もせずにすんだのに・・・」

 二人が前傾姿勢になる。

 (殺気がふくらんだ? かなり近い・・・複数・・・二人か。街の人込みにまぎれているな)

 ステアは今だ殺気の居場所をつかめず、警戒態勢をとる。
 すぐ後ろで、殺気の主が互いの拳を握り締めた時。
 
 「それでは、そろそろ食事にしよう」
 「はい、教官」
 「そうですね、イスキ様!」

 冬の風は吹き飛び、春が訪れた。

 (殺気が消えた・・・見事な)

 一瞬にしてかききえた殺気。普通ならば、残り香のような気配が漂うのだが、それすらもない。
 考えられない事だが。

 (私を試しているのか? それとも攻撃を中止せざるをえない何かがあったのか? いずれにしても一瞬にして殺気を鎮められるのは・・・厄介だな)

 ステアは殺気というものを持たない。なればこそ相手に気配を悟られない。
 逆を言えば、冷静でいられなくなった時点でステアは自分を見失うだろう。
 戦闘でそのような状況に陥れば、必ず死ぬ。
 しかし今の相手はあれほど激しい殺気を発しながら、一瞬でそれを霧散させた。
 つまり己の感情を完全に掌握しているという証拠だ。
 どんな状況下であっても、自分を見失う事はないだろう。
 何度も感じているが、いまだにその正体は不明。

 (しかし殺気と言うには・・・)

 殺気は確かにある。鋭利で冷たく、息苦しい圧迫感。
 けれど、ぬめるように絡みつく殺意がないのだ。
 それが一番の謎だった。
 
 「ステア、どうしたの?」
 「あらあら、なんか考えこんじゃって」
 「・・・いえ、なんでもありません」

 二人は、今の殺気は感じていないようだった。
 優秀とはいえ訓練生、しかたないだろう。ならば、

 (思い出。大切にしたいならば)

 ステア以外、初めて自分を友達といってくれた二人の先輩。
 いつかは失う関係かもしれない。
 しかし、今だけは・・・失いたくない。

 (私はこの二人を守る為にも闘う。ステア、これは正しい事だろうか?)

 ステアにとっては、初めて自ら決めた事だった。
 
 (しかしイスキは、あの殺気に気づいていないのだろうか?)

 平然としているイスキ。
 自分よりもおそらく腕は上。だというのに、一瞬の緊張すらなかった。
 ふと気づく。
 殺意のない殺気など、構うにあたわずと判断したのだと。

 (英雄『狂刃』。さすがといった所か)

 ステアは納得し、三人の後ろを歩き始めた。
 『魔眼の射手』であり、15歳にしてギルドの暗部で踊る少女。
 恋を知らない少女は、いまだ殺気と嫉妬の区別がつかなかった。
 




 食事を終えた後、一行は宿へ戻った。
 三人の弟子はそれぞれ、明日の準備をしている。

 「悪いわね、シャロン」

 シャロンの部屋に訪れていたエルナムは、そう申し訳なさそうに笑った。

 「ああ、いいのよ。後輩訓練生の世話くらいアタシ一人で十分だし、校長にはアタシからも言っておくから」

 年に一度、数日間の期間で行われる、仮卒業生による訓練生への指導。
 シャロンはそれに参加する為の準備をしているのだ。
 なかば形骸化している慣例のようなものである。
 教官たちが聞かせて語る授業というものは、無味乾燥なものが多い。
 対して、仮卒業生の話というものは、現実味溢れるものだ。
 ゆえに、いまだ実戦を知らない訓練生からすれば、有意義なものであるはずだ。
 というのが表向き。
 実際は、仮卒業生達の、骨休めと報告である。
 よって強制ではなく、任意の出向。
 不満がなければ、そのまま帰ってこない。
 参加する仮卒業生は、全体の半分くらいといった所だろうか。
 イスキのような外部教官の下で、厳しい実戦を続ける仮卒業生の休息という考え方もある。
 いかに厳しい教官であろうとも、ギルドにかかわる行動を理由なく拒否させる事はできない。
 また、自分の教官が外部教官として不適格だと判断すれば、それを報告する事もできる。
 これにより、外部教官は一定以上の質に保たれているのだ。
 とは言え、エルナムもシャロンも、現状に一切の不満はないので帰る必要はない。
 むしろ、イスキの側にとどまっていたというのが本音なのだが。 

 「でも、主席と次席は強制参加ってのはねー」
 「表向きの部分を保つためだもの、仕方ないわ」

 二人の手には校長から直接の帰校命令書が届いていた。
 あくまで表向きは、仮卒業生による指導なのだ。
 優秀な生徒が訓練に参加しないのは不自然である。

 「まぁ、ゆっくり休んでくるわよ・・・エルナムの妹達にイジメられるかもしれないけど」
 「ふふ。そういうあなたも慕われてたじゃない」
 「あー・・・思い出したくない。やっぱり男女別で訓練ってのはおかしいわよ」
 「何言ってるの。あそこは学ぶ場所よ。当然の事だと思うわ」
 「そんなんだから、エルナムお姉様なんて呼ばれるハメになんのよ」
 「うーん、それもそうかもね、シャロンお姉様」
 「・・・」
 「・・・」

 苦い過去に二人がうつむく。
 ため息とともに、シャロンはエルナムの旅支度を見ながら。

 「それよりもエルナム。アンタの方が大変じゃないの?」
 「あ・・・うん・・・でも、自分の問題だから」

 エルナムの家、リスライン家は複雑である。
 いわゆる貴族というものだ。
 エルナムの家ではギルドに関わる者を多数輩出している。
 同じくギルドにかかわりのある名家、シーザニティ家との親交も厚く、東と西のギルド貴族とも言われている。
 現在のリスライン家には、兄と姉がいる。エルナムはその二人の末の妹だった。
 今回の急な呼び出しの内容としては、だいたいの察しがついている。

 「跡目争いとか聞くと、アンタやっぱり貴族様ってカンジよねー」
 「やめて」
 「・・・そうね、ごめんなさい」

 普段ならば、茶化す所だが、シャロンは素直に謝った。
 今の軽口にしても、少しでもムキになって殴りかかってくれば気が晴れるかな、という思いだった。
 しかし、このエルナムの反応からして、他人が口を出せる種の問題ではなさそうだ。

 「ごめん、ありがとう」

 シャロンの心遣いに、エルナムは微笑む。

 「どーいたしまして。ま、リスライン家の跡目に興味がないなら、辞退すればいいだけでしょ?」
 「ん。でもそういう問題でもないの。あたしが選ばれるわけじゃないと思うから」

 またしても暗い表情になるエルナム。シャロンはその肩を少し乱暴に叩き。

 「あー、暗いのはナシ。しばらく会えないんだから、今夜は飲むのよ」
 「・・・そうね、じゃ乾杯」
 「何に乾杯?」

 二人はしばし考え、それぞれが同時に口を開いた。

 「じゃ、あたし達の友情に」
 「エルナムの小さな胸に!」

 無言になる二人。

 「シャロン。空気、読めない? 今まで感動的な流れだったのに、どうしてそういう言葉がでてくるの? 気遣いのできない女って、はしたないわよ。時には下品とも思われるわ」
 「エルナムさ、よくそういう恥ずかしい言葉が出てくるね? だからアイルーかぶりとか、石頭とか言われんのよ 」

 同時に笑顔になる二人であった。





 「・・・」

 荷造りを終えたステアは、隣の部屋からの聞こえ始めた騒ぎに耳をかす事なく、ベッドに潜り込んだ。
 急務という事で、大司令レイドールに呼び出されたのだ。
 今回の任務とは別件という事だが、『魔眼の射手』が呼び出される以上、明るみに出る内容ではないだろう。
 現在、ステアはイスキの監視という任務を負っているが、どうやら代理要員はすでにこの街に到着していると報告 があった。
 自分は『魔眼の射手』という秘匿された立場だ。
 代理要員にしても『魔眼の射手』の存在は知らされていないだろう。
 ゆえに、お互いが顔をあわせる事はない。

 「・・・」

 正直、あまり気乗りはしない。
 むしろそういった気分を感じるようになった自分に驚く。
 信じる正義に疑いはない。
 民の為、国の為、ギルドの指針に従う。
 
 「ステア・・・」

 ただ、昔と違うのは、ステアの笑顔と交わした約束。
 強制力はない。監視者がいるわけでもない。
 約束というものを履行できなかったとしも罰則があるわけではない。
 逆にいえば、約束を果たした所で、地位や名誉、報酬が与えられるわけでもない。
 しかし。

 「ステアとの約束は絶対に守ると約束した」

 彼女のぶんまで戦い、守り、そして泣き、笑う。
 それらはまだ果たせていない。どれだけ時間がかかるかもわからない。
 けれど、その約束を守ろうとしている時の自分の心は、心のどこかに生まれた何かを暖かくさせてくれる。
 心地よい、と思う。
 これも思い出なのかもしれない。
 ステアは微かに微笑んだ。それに気づき、
 
 「ステア・・・私は今、少しだけ笑えたようだ」

 と、呟いた。





 「さて、明日からどうしたものか」

 ここ最近は、弟子達に合わせて自分の予定が決まっていた生活だった。
 いきなり一人になってしまうと、やるべき事が見つからない。

 「・・・ふむ」

 イスキもまた軽い旅支度を始めた。
 弟子達が戻るまで、他の街のハンター達とふれ合うのもいいかもしれない。
 自分にはない知識や技術を得ることができれば、と。

 「それに街には弟子を持つハンターも多いと聞くからな」

 先達に出会い、弟子の育て方のなんたるかを学ぶ。
 思いつきにしか過ぎないが、これはこれで実りある行動になるかもしれない。

 「少しばかり遠出するか」

 この街はおろか、モデスト国内では多少、有名になりすぎている。
 ギルドから名指しで使者が来るというのは、そういう事だ。
 どこか自分を知らない人の住む街で、教えを乞うのも勉強になるだろう。





 翌日の朝、四人は街の外までともに歩き、そして立ち止まった。
 ここからはそれぞれが別の道だ。

 「それでは教官、しばらくのお別れですが・・・その・・・お気をつけて・・・」

 エルナムは言葉尻を本心とは違うものにしてしまいつつも、イスキに頭を下げてから歩き出した。

 「イスキ様、アタシがいない間に浮気しちゃダメですからね?」

 シャロンも手を振り、歩き出した。

 「教官も街を出られるとは知りませんでした」
 「うむ。昨夜の思いつきでな。君達よりも早く帰る予定だから、訓練の事は安心しなさい」
 「・・・わかりました」

 ステアの心によぎったのは代理要員がこの動きを把握しているかどうかだった。
 だが、ギルドナイトの、それも監視をまかされる人物が、目標の動きを見失うなど手落ちはしないだろう。

 「では、教官」

 ステアはそれだけを言って、エルナムと同じように頭を下げると、歩き始めた。
 イスキは四人の背を見送った後、自分もまた歩き始めた。

 「快晴だな」

 旅立ちの行く先を祝福するように、雲ひとつない青空で、太陽が輝いていた。





夢幻泡影 〜コハルビヨリ〜  END






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