「おかえりなさいませ、エルナム様」
「・・・ただいま、ホルノ。元気そうでなによりだわ」
エルナムを待ち受けていたのは馴染みある侍女だった。
長くエルナム付の侍女であり、つきあいも長い。
しかし彼女が侍女の制服を身につけている時は、エルナムの言葉にも頭を下げるのみだ。
リストライン家に仕える者とは、全てが威厳と秩序を重んじている。
その実子専属の者ともなれば、なおさらである。
エルナムが降りたった場所は正面入り口である大きな鉄柵の門である。
ホルノが、荷物を預かり門の横に控えていた衛兵に目配せした。
すぐに衛兵が門を開けて、別の衛兵がエルナム到着の報を届けるべく駆けていった。
門が開いた先には広い中庭があり、その奥に広がる巨大な屋敷。
「ふぅ・・・」
見てため息をつく。
「ギルドのお役目、そして長旅、ご苦労様でした」
ため息の意味を勘違いしたのか、気づきながらもあえてそう言ったのか。
ホルノの声にエルナムはあいまいに微笑みを浮かべて、生まれ育った屋敷へと足を踏み入れた。
百禍繚嵐 〜ヤミハライ〜
「おかえりなさいませ、エルナムお嬢様」
玄関口でエルナムを迎えたのは、屋敷にいる全ての、つまり数十人の侍女達の挨拶。
その中央で一人の男が苦虫を噛み潰したような顔で立っていた。
彼こそ、次の家長にもっとも近い立場にある長兄、ラグダフル。
久しぶりに再会したエルナムに、その兄がまず言った言葉は。
「出来損ないが。何をしに帰ってきた?」
であった。
痛烈とも言えるその言葉だが、侍女たちは無表情のまま微動だにしない。
今、この場において最も立場が高い者はこの兄である。
エルナムは、何か懸命にこらえるようにして、ただ無言で頭を下げる。
ラグダフルは何も言葉を口にしないエルナムに歩み寄り。
そのアゴに指をかけ、上を向かせる。
「父上が執務室でお待ちだ。何かお話があるとの事だが無礼をするなよ」
「は、はい・・・お兄様」
「・・・ふん。俺もお前には話がある。あとで部屋に来い」
「わかり、ました」
堪えていたものが限界を迎えそうになったあたりで、ようやくラグダフルは背を向けた。
そして自分付である執事を呼び寄せ、奥へと消えていった。
「ではエルナム様、こちらへ」
「・・・ええ」
荷物を別の侍女へ任せたホルノがよく見知った家の中を先導する。
長い廊下は派手さはなく、上品な雰囲気で整えられている。
調度品も美術品というよりは、武具の類が多いのはハンターの家としては自然だろう。
「エルナム、帰ってきたのねぇ?」
父の待つ執務室へ向かうその途中、三個目の大広間には長女であるシャルナムの姿があった。
テーブルに腰掛け、ティーカップを口に運ぶ彼女。
その後ろにはやはり専属の侍女が一人控えていた。
どうやら、茶を楽しみながら、エルナムを待ち構えてたらしい。
「はい、ただいま戻りました、シャルナムお姉様」
年はラグダフルの二つ下。
ラグダフルが22歳、シャルナムが20歳である。
ここにエルナムが加わった三人が、リスライン家の後継者達の全てとなる。
母はすでに亡くなっており、あとの家族と呼べるのは、父のみであった。
「ふぅん? お父様に呼ばれたみたいだけど、どうしてかしら?」
「いえ、私はまだ何も知りません。ラグダフルお兄様から、先ほどうかがって向かう所でしたので」
「・・・お兄様にはもう会った?」
「はい。玄関ロビーでお迎えをいただきました」
一瞬、シャルナムの顔が曇るがすぐに。
「で、お兄様は何かおっしゃってた?」
「はい。後でお兄様の私室に来るようにと命じられました」
「・・・へぇー」
何か思惑にふけるシャルナム。エルナムにはその考えが全て見通せる。
ここでは誰もが騙し合っている。自分という存在を中心にして、全ての家族が。
これから会う父もまた、その例外ではない。
「では、お姉様。エルナムはお父様のもとへ参りますので失礼してもよろしいですか?」
「うん・・・そーね。そのあとでいいから、私の部屋にも後で顔を出して。命令」
「わかりました。それでは」
ようやくエルナムは目的の部屋の前に立った。
ドアの前でホルノは、エルナムに視線を向ける。
暗に心の準備はよいかどうかの確認だ。
だが、侍女が主人に問いかけるのは無礼にあたるが、心配りができない侍女も失格である。
エルナムは小さくうなずいた。
ホルノがドアをノックする。
「御当主様。次女エルナム様、ただいま参られました」
しばらく間のあった後、老いた男の声で返事がかえってくる。
「お入りください、エルナム様」
ホルノがドアをゆっくりと開ける。
部屋の主は大きな机に座って待ち構えていた。
隣には白髪ながらも、背筋の通った執事が控えている。
さきほどの声の主であり、やはりエルナムとも長いつきあいだ。
「ギルドからの報告は受けている。主席で仮卒業。現在は特例で『英雄』の下で指導をうけているらしいな」
父の最初の一言は、ねぎらいではなかった。
エルナムはわかっていた事であり、予想していた質問だったのですぐにうなずく。
「そうか。ならば問題はないな。以後も精進を怠らないように。貴様はリスライン家の一員である事を一時として忘れてはならんぞ」
「・・・はい・・・父、上」
またもエルナムが何かを堪えながら返答をする。
この窮屈感が、エルナムにはたまらなく辛かった。
皆が体面を繕い、またそうでなければならないこの家。
「・・・」
父は何かを考え込むようにして。
しばらくして、自分の専属従者である老年の執事を見た。
「クロイツ。先日届けられた茶があったな。貴様が褒めていたアレだ。賞味したい」
ピクリと眉を跳ね上げる老執事クロイツ。
「かしこまりました。すぐに用意させましょう」
「いや。お前が煎れてくれ。この屋敷でお前の茶に敵うものなどいない」
またも眉を上げるクロイツ。
「さようでございますか? いやいや、実は先日、道具一式を新調いたしまして・・・」
それまでは静かな声で受け答えしていたクロイツの声が、心持うわずる。
さえぎるようにして父、バジが。
「ああ、そうだ。その器具で飲みたい。急がなくていいぞ。卓越した者の煎れる茶ならば待つ価値はある」
「ありがたきお言葉。すぐに。ええ、すぐにご用意いたしましょう。それでは失礼いたします。ホルノ、しばし任せる」
ホルノはかしづき、執事・侍女を統率するクロイツを見送った。
いつもの手だ。
茶を人生の趣味としているクロイツ。それを用意してくれと下がらせる。
褒めれば褒めるほど、クロイツは入念に茶を用意するから時間がかかるのだ。
カップ選びから始まって、お茶請けの選定をして、など。
「・・・」
父はまだエルナムに退室を命じない。
ただ、エルナムに視線を向けてはアゴを上下に振っている。
私はこの父の意図する所がよくわかっている。理解するまでもない。何度も繰り返してきた。
「ねえ、ホルノ」
「はい、エルナム様」
「悪いけど、お父様宛ての親書を荷物の中に入れているの。持ってきてくれないかしら」
「・・・多少、お時間がかかってもよろしいですか?」
クロイツとは違い、私とホルノは実に話が早い。
「ええ。悪いわね。親書をどこにしまったか、どんな封筒だったからも忘れてしまったから、他の書類にまざってしまっていたら時間がかかっても仕方ないわ」
「はい。うけたまわりました・・・御当主様。申し訳ございませんが、しばしの退室をお許しいただけますか?」
現在のホルノは、クロイツにこの場をまかされている。
たとえエルナムが命じていても、ここには当主バジがいるのだから許可が必要だ。
バジは、しばし間をおいて。
「感心しないな、エルナム。私宛の親書をそのように扱うとは。主人の手落ちは侍女が補完せよ。ホルノ。見つかるまで戻るな」
「はい。尽力いたします」
「あ、うむ。だがまぁ、そう急ぐ必要もない。貴様の落ち度ではないのだから」
「ありがとうございます。では、多少、お時間をいただく事になるやもしれません」
「うむ。では下がれ」
「はい。失礼いたします」
ホルノが深く頭を下げて退室した。
二人になった部屋を沈黙が支配する。
しばらくして、バジが。
「ホルノは行ったか?」
「ええ、お父様」
バジはドアまで駆け、ドアに耳をつけて足音が聞こえないか確認した。
「・・・うむ」
かなり慎重に耳をすましていたバジはドアから離れ。
「エルナムー!!」
ガバッと抱きついてきた。泣きながら。
「ああ、お帰り! お父さんは実に寂しかった。心配したぞ! 『英雄』なんぞにつけられるとは、お前も災難だった」
「お父様・・・やはりそんな事で私を呼び出したのですか・・・」
「そんな事だと!? ああ、エルナム! 私がどれほど心配した事か! 本当はもっと早くにお前の顔を見たかったのだが、ことごとく謎の妨害にあってな、こんなにも遅くなってしまった!」
「・・・」
「だいたい私は正当なギルドあがりの外部教官につくように裏から操作したのだ! なのになぜこんな事に!」
おんおんと泣きながら、バジはあまり言ってはいけない事を絶叫し続ける。
「私の名の命令書を覆す権限は司令以上だ。だがあの地区の司令は私の元弟子や縁のある者。おそらくはレイドールの仕業と私はにらんでいる!」
大陸の半分をまかされている大司令を呼び捨てである。
さらに。
「あの若僧、見所があると思って後見人になってやった恩も忘れおって! 一兵卒まで叩き落してやろうか! エルナムもそう思うだろう!?」
エルナムは首を横に振り。
「お父様、とりあえず落ち着いて」
「落ち着く? ああ、私は冷静だ、冷静だとも。なに、私の顔がきかない場所はない。場合によってはシーザニティ家にも連絡をとり、明日にでも・・・」
「そうではありません!」
声を大きくしたエルナム。
瞬時に硬直し、うろたえ、青ざめるバジ。
「・・・エルナム・・・エルナムが私に怒鳴った・・・」
しまったとエルナムが思った時にはもう遅い。
「母さん! 私とお前の愛しいエルナムがとうとう反抗期に! おお、教えてくれ! 男親の私にはあまりにも対処しがたい問題だ!」
「お父様。とりあえず座ってくださいな。私は感謝こそすれ、不満には思っていませんから」
「なぜ? 野にいるハンターなど粗野で無作法だろう!」
「いいえ。イスキ教官はすばらしい人です。実に紳士で、そして強いお方です」
「・・・」
エルナムを凝視するバジ。
「嘘だ・・・」
「え?」
「大丈夫だ、エルナムよ。脅されてそんな事を言っているのだろう。安心しなさい。そんな不埒な輩は今日にでも『英雄』の地位からひきずり降ろして・・・」
「お父様! いくらお父様でもイスキ教官を愚弄するのは許しませんよ!」
「ひい! エルナムが、エルナムが・・・天国の母さん! どうして先に逝ってしまったのだ!」
いまだ娘離れできない父だが・・・エルナムはそんな父が好きだった。
そして、このやりとりは、クロイツが戻ってくるまで続いた。
「ふう・・・」
ため息とともに、素晴らしい茶の香りがただよう父の執務室から退室すると、部屋の外にはホルノがすでに控えていた。
「申し訳ございません、エルナム様。私では親書をみつける事ができませんでした」
「そう。じゃあ、あとで私が直接、お父様に届けます」
もともと存在しないものを持ってくるのは、いくら優秀なホルノでも無理だ。
むろん、それはホルノもわかっている。いわば道化芝居の幕を閉じる儀式の会話だ。
「・・・聞こえていた?」
「私はたった今、こちらに戻ってきたばかりですので」
その嘘にエルナムは笑って。
「ありがとう。クロイツのお茶の妨害をしてくれた貴女の部下にもお礼を言っておいて。お父様とゆっくり話せたわ」
「・・・」
ホルノは否定も肯定もしない。できない立場だからだ。だが、一瞬だけ微笑んだ。
すぐに表情を引き締めて。
「次はラグダフル様のお部屋です」
「ええ」
兄、ラグダフルの部屋を訪れたエルナムは、しばし罵倒のような説教を受けていた。
その後、ラグダフルは唐突に。
「おい、ロッド。先日、貴様が作った菓子があっただろう。アレがまた食いたい」
「は。しかしアレはすぐにご用意できるものではありませんので、お時間をいただく事に・・・」
「待ってやる。俺は菓子と名がつくものに関しては貴様が一番だと思っている」
ラグダフル付の執事、ロッドは眉をつり上げ。
「は。それではすぐに。実は先日、遠方より取り寄せた調理器具がございまして・・・」
ちなみにロッドは執事長クロイツの遅くにしてできた息子である。
厨房ではよく互いの趣味に対して、紳士のする事ではないと口論している。
本人達は一緒にされたくないようだが、どう見ても似たもの同士である。
またその趣味を褒めると眉が動くのも同じであり、遺伝だろうか。
なんにしろ、親子して趣味の範疇を超えた熱意を抱くものがある。
「いいか、時間をかけて旨い菓子を頼むぞ」
「は。それはもう。可能な限り迅速にご用意・・・」
「ゆっくりでいい。貴様の菓子は絶品だからな。待つ時間すら甘く感じる」
「・・・」
感動しているロッド。すぐに我を取り戻し。
「は。では、お言葉に甘えまして最高のものをご用意いたします。ホルノ、しばらくの間、頼むぞ」
ホルノはかしずき、副執事長のロッドを見送る。
「・・・」
ラグタフルは落ち着かない様子で、エルナムとホルノを交互に見ては視線をそらす。
エルナムはホルノに軽く視線を投げかけ。
「ホルノ、私はお兄様宛てに預かっていた親書があるの。荷物の中で他の書類とまぎれているかもしれないけど、持ってきてくれるかしら?」
「はい。どういったものでしょうか?」
こうしてわざわざ聞くのも時間がかかる理由をつける為だ。
ホルノは頭の回転が速い才女である。私はさきほどと同じ理由を告げる。
「それが封書の種類を失念してしまって。悪いけど探してくれるかしら?」
ラグダフルが不機嫌な顔をつくり、口をはさむ。
「だからお前は出来損ないなんだよ。仮にも兄である俺宛の手紙をぞんざいに扱いやがって」
「申し訳、ありません」
兄の芝居に堪えきれなくなり、それでも無理に耐えたら、少し涙がにじんできた。
それに目ざとく気づいた兄が一瞬慌てたものの、すぐに威厳を取り戻し。
「ふ、ふん。まぁいい。お前が無能なのはわかっていた事だ。ホルノ、何をしてる? 主人の手落ちを少しでも補え!」
「・・・はい。ではすぐにお持ちします。エルナム様のお荷物の整理のクセは心得ておりますので、お待たせする事はないでしょう」
ラグダフルの物言いに不機嫌になったのか、ホルノが無表情のまま言い切る。
彼女は素っ気無いが、やはり私の事を好きでいてくれているようだ。
嘘だとわかっているのに私への罵倒を聞くと、こうしてなんらかの嫌がらせをしでかす。
「あ、いや。そうだな、違う。その、なんだ。まぁ急ぎの親書でもないなら、ゆっくりでいい」
確かに私は急ぎとはいっていないが、急ぎでないとも言っていない。
ただ、兄の慌てぶりに多少なりとも溜飲をさげたのかホルノは、うなずいて退室した。
「・・・」
ドアを耳にあてている兄、ラグダフル。
「よし!」
すぐにこちらを振り向き、抱きついてきた。やはり泣いている。
「エル! 大丈夫だったか? 訓練中にケガなどしなかったか!?」
「お兄様、苦しい」
「お兄様なんて呼ばないでくれ! いつものように、ラルお兄ちゃん、と呼んでおくれ!」
言うまでもなくエルというのは私の愛称だ。
これまた言うまでもなく、私は兄をそのように呼んだ事はない。
「ええ。教官はとても優秀な方ですので・・・あの、苦しいです」
「隠さなくていいぞ? きっと何かひどい事をされて脅されているんだろう?」
あの父にして、この息子あり。
「でも、もう大丈夫だ。お兄ちゃんにまかせとけ。『狂刃』だかなんだか知らないが、冤罪でもでっちあげて・・・」
「イスキ教官は立派な方です。お兄様と言えど、愚弄は許しませんよ?」
愕然とするラグダフル。よよよ、と後ずさり。
「エル、お前、まさか・・・」
「はい?」
「惚れたのか? その男に・・・」
「・・・」
さすがに予想外の問いかけだったので、すぐに否定できなかった。
カンのいい兄はすぐに気づいた。
「ふ? ふふふ? くっくっく・・・いいだろう。この兄を倒すほどの男ならば認めてやらん事もない・・・」
「お言葉ですが、お兄様では勝てません」
一瞬、何を言われたのか理解できないラグダフル。
すぐに。
「エル、お兄ちゃんをからかうとは、やんちゃな子だ。いいかい? お兄ちゃんはね、竜種ならば全てを討伐した記録もあるし、単独での任務も全て成功させているんだよ?」
このリスラインの長男は一部隊を率いているが、親の七光りとも言われている。
討伐記録もラグダフルが、リスライン家との関係を良好に保つ為、ギルドが捏造したという噂もある。
エルナムとしては非常に不愉快な噂だが、確かに兄のハンターとしての技量は疑わしいものはある。
ただ、本人もそれを知っているはずなのに、まったく意に介していないのが理解できなかった。
「でも、お兄様」
多少、気の毒に思いつつもエルナムははっきりと告げた。
「なんだい、かわいいエル」
「イスキ教官は私の目の前で、銀の火竜を瞬く間に屠りました」
「・・・」
銀の火竜と言えば、雄火竜リオレウス。その最凶に鎮座する死の代名詞だ。
ここまで言えばわかってもらえるだろうと考えていたエルナム。
しかし、無言になったままの兄を見てエルナムは、首をかしげる。
「あの、お兄様?」
「・・・解せんな」
「え?」
それまでの雰囲気とは一転し、エルナムの目の前には、見知らぬ男がいた。
聞き取れないほどの声で、何かを小さく自問する兄。
「お兄・・・様?」
「・・・ああ。すまないエル。少し考え事をしてしまった」
苦笑を浮かべるが、すぐにいつもの兄の顔に戻る。
「とにかく、だ。お兄ちゃんは許さないぞ。『英雄』なんて呼ばれてるヤツにロクなヤツはいない」
「そんなことはありません」
「ダメだ、ダメだ。エル、お願いだからお兄ちゃんのいう事を聞いておくれ!」
「私はもう大人です。自分の事は自分で決めたいと思います」
「はぅ!」
その言葉と同時に苦しげに胸を押さえたラグダフルは、よろよろと壁に手をついてこらえる。
よほどの衝撃だったのか、ヒザを地につけ息を荒げている兄。
エルナムはため息をひとつ。このままでは終わりが見えない。
「・・・惚れたといっても剣の技量です。男性としてどういう事ではありません」
我ながら下手な言い訳だと思ったが。
ラグダフルはすぐに破顔した。
「そ、そうか。うんうん。エルにはまだ早いしな。はっはっは!」
「ええ。お兄様の、はやとちりです」
「そっか。お兄ちゃんは慌て者だなぁ」
ふと、笑いをとめて神妙な顔になるラグダフル。
「そういえばさっき親父に呼ばれていたな。あのクソ親父、エルにひどい事を言わなかったか?」
これもまた、この家族を複雑にする理由の一つである。
父と兄はそれぞれの誤解というか、演じている仮面により私が苛められていると思っている。
父にしてみれば、兄が私を出来損ないとなじっている部分を見ている。
兄にしてみれば、父が私を部屋によびつけ、叱っていると勘違いしている。
わかりやすいまでの、厳格な家柄の貴族を演じているわけだ。
しかし、執事や街からの出入りもあるこの屋敷内では、その仮面をとる事はできない。
人の口に戸を立てる事は難しいからだ。
いくら優秀な執事や使用人達とて、酒にもでも酔えば口も軽くなる。
父と兄も、私以外の事では実に優秀なギルドの一員である。
またリスライン家の一員である事に誇りもある。
ゆえに、軟弱な部分は見せられない。こういった部分は男の面子の部分かもしれないが。
そんな結果がつみかさなって、今がある。
ちなみにこんな実情は話せないので、シャロンが勝手に勘違いした跡継ぎ問題というの案を借りてそのように学園へ欠席理由を報告してある。
何にしろ今は親友と認めるシャロンに本当の事は話せないのが心苦しい部分ではあったが・・・
「あのクソ親父、いつもいつもエルを執務室に呼び出して説教してるだろう?」
「いえ、そんな事ないですから。今日も再会を喜んでくださって」
「エル・・・お前は本当にいい子だなぁ。お兄ちゃんに心配をかけまいと・・・大丈夫。大丈夫だよ。すぐにでも親父は隠居させて、エルには楽にさせてやるからな」
またもガシッと抱きしめてくる兄。
「不甲斐ないこのお兄ちゃんを許しておくれ!」
喜怒哀楽の激しい兄だが、やはり憎めない。
そんな兄妹の会話はロッドが来るまで続いた。
「はぁ・・・」
やはり部屋の外にはホルノが待っていた。
「お待たせ・・・ねぇ、ロッドが足引きずってたけど、なぜ?」
「はい。どうやら私の部下があやまって三階から花瓶を落としたらしく、それがロッド副執事長のつま先に当たりました」
中央ロビーは三階まで吹き抜けになっている。そこで仕掛けたのだろう。
「・・・いい腕と褒めるとこかしら? でもやりすぎじゃない?」
「とんでもございません。清掃中に花瓶を取り落とすなどとんでもない粗相です。一歩間違えれば大惨事です」
「そ、そうよね。いくらなんでも故意なわけないわよね」
「そのようにとられるのは遺憾です。あとでその侍女は再教育いたします。私は頭を狙えと指示したのに、あの距離程度で的をはずす無能者とは」
「え?」
「なにか?」
「今、何か物騒な事言わなかった?」
「いえ?」
まっすぐ私を見るホルノ。
確かに聞こえた危険な言葉などなかったような、まっすぐな瞳。
「あ、そうね。聞き間違いみたい。仮にも好きな人にそんな事しないわよね」
ロッドとホルノ。さらにあと一人の人物を加えた三人を取り巻く複雑な噂は皆が知っている。
わざわざ本人達に確認した事はないのだが。
「エルナム様」
ホルノが微笑んだ。否定の微笑みだった。
「ロッド副執事長に、私のような女が懸想などと。事実無根でございます」
「あ、そうなんだ。ロッド恋人いないのかしらね?」
「わかりかねます。ただ女性に対して多少、鈍感ではあるかと」
一息くぎり、ホルノがかすかに眉をひそめる。
「・・・これはとある侍女から聞いた話ですが、副執事長に恋文を渡しても返事はこなかったと」
「へぇ。意外と薄情者ね」
「そうです。昼食を作ってさしあげても、仕事があるからと食しません。その侍女の顔を見ようともしませんし」
「へぇー」
「だいたい彼は女心というものがまるでわかっていません。女から想いを打ち明けているというのに不甲斐ない」
「ほうほう」
なぜか拳をかため、上を見上げるホルノ。
コレが完璧である彼女の唯一、抜けている部分であり。また最高に可愛い部分だとエルナムは思っている。
「その侍女はですね。恋文を、それこそ十夜かけて何度も書き直したのです。十夜ですよ?」
「ふむふむ」
「長すぎず、短すぎず。それでいて想いを少しでも伝えられるようにと一文字ごとに心を込めて」
「いじらしいわね」
「確かにその侍女は、自身、あまり女らしくないと自覚しています。ゆえに努力しました」
「そんな事ないわ。私が知る中で最高の淑女よ。とても素敵だわ」
「いえ。お世辞など・・・料理にしても好みのものをそれとなく聞き出し、納得いくまで練習したのです」
「一途ね」
「それなのに、あの男は! あの朴念仁は!・・・あら」
ふと我にかえるホルノ。
私の視線に気づき。
咳払いの一つすらなく、さらに私から視線をそらす事なく。
全くの無表情で。
「それでは次はシャルナム様のお部屋へ参りましょう」
言い切った。
正直、本当に強いと思う。私も見習いたい。
「ふふ、そうね」
そして私は笑って、ごまかされておいた。
最後に訪れたのは姉、シャルナムの部屋である。
今までと同じように、ドアの前でホルノが私を見る。
私はうなずきを返し、ホルノがノックをした。
ただし、私は用意しておいた腰の剣に手をかけている。
ホルノの背にも羽で装飾された剣がある。
「どうぞー」
シャルナム本人の声に、ホルノがドアのノブに手をかけて再度、私をみる。
私は深呼吸をしてから、うなずく。
ホルノがドアを開け、同時に室内へと走りこんだ。その瞬間。
視界が白く染まった。
閃光の中央から、巨大で細い剣が私に降りかかる。
それをはじき返し、室内へと転がり込む。
まだおさまらぬ白い世界。
すぐ近くでは剣戟が響いている。
「・・・ッ!」
横なぎに振るわれた銀の光をかわし、私はその地点へ突きをいれる。
柔らかい物に剣が突き刺さる感触。
「え?」
一瞬にして嫌な汗が沸きでる。
まさか?
「お姉様!?」
「甘いわねぇ、エルちゃん」
後ろから頭をポコンと殴られた。
ようやく閃光がおさまる。
色を取り戻した室内には、エルナムとホルノ。シャルナムと。その付き人であるルノーが立っていた。
シャルナムと瓜二つの顔をしているルノー。この二人も打ち合わせていた剣をおさめる。
ギルドナイト、シャルナム。
ラグダフルとは違い『白銀姫』の名で称えられる女傑。
父もまた『銀獅子』と呼ばれていた。
リスライン家の者は、ひときわ美しい銀の髪の者が多い。
人に与える印象は強く、そこからつけられた名だろうか。
また、七光りである兄を『七銀』と呼ぶ者もいる。
エルナムはこの姉に、様々な戦い方を教えてもらっていた。
私室に入る時、一合か二合打ち合うという訓練を姉が提示した時はとまどった。
何せ互いに真剣なのだから。それだけに訓練の効果は高いが・・・
やはり、この姉もどこかズレてはいると思う。
エルナムが思い出したように。
「あ、お姉様、でもさっきのは!?」
「あらま。ペギーちゃん、名誉の戦死かぁ」
「え?」
エルナムが足元を見れば、ザックリと裂かれ綿を撒き散らした、ぬいぐるが横たわっている。
「ぬいぐるみ・・・」
「エルちゃん。ギルドナイトは竜と戦うだけじゃないんだから、この手の策にひっかかてるとね。死ぬわよ?」
ポンポンと頭をなでるシャルナム。
そして、何気なく付け加えた。
「人を斬る感触は肌で覚えなさい」
と。
「・・・はい。ありがとうございました」
「んー。ルノー、ごめんね。ペギーちゃん、お亡くなりー」
「生後三日とは短命でした」
肩のあたりで切りそろえているホルノと違って、腰ほどまでの黒い髪を揺らしながら首を振るルノー。
「姉様。ひとつお聞きしますが」
「なにかしら、ホルノ」
「それはブタでしたか?」
「ブタさんに見えない?」
「イノシシかと思いました」
無表情が二人、にらみ合う図がいかに恐ろしいか。
実際に目にしないとわからないだろう。
肌をさすような緊張感の中、エルナムはホルノ? と声をかけるが無反応。
慣れているのか、神経の作りがエルナムとは違うのか。
シャルナムは鼻歌まじりに鳴れた手つきで、倒れたテーブルやらイス、ペギーちゃんの亡骸を片付けている。
「姉様に裁縫は無理です。先日、副執事長に贈ったアレもイノシシでした」
「愛があればブタさんに見えるのよ。それより貴女も毒を盛るのはやめなさい」
「毒?」
「人はあれを料理とは言わないわ」
引き続き、にらみ合い。室内の温度がますます低下していく。
この屋敷の者ならば誰でも知っている、ロッドをめぐる恋の灼熱、双璧戦争。
二人は互いに自分が得意・・・と思っている分野でロッドの気をひこうとしているのだ。
しかしロッドにすればそれらは、行き過ぎた芸術と危険な料理でしかない。
さらに言うならば、どちらかを選べば、選ばれなかった方が泣いてしまう・・・ならいいが、必ず血を見るだろう。
さきの訓練にしても、その鬱憤を晴らす為、そして恋敵へのけん制としては本気で打ち合っている気がしないでもない。
最初はついでだから貴女達も、とシャルナムが無理に参加させていたのだが。
さすがにシーザニティの養女として育て上げられたメイドである。剣の腕も素晴らしかった。
それゆえに、はたから見ていると実に恐ろしいのである。近いうち、どちらが命をおとすのではないかと。
「二人とも綺麗なのに、損してるわね」
完璧なメイドとして育て上げられている二人である。
感情をおさえるよう訓練された結果、感情を伝える事がうまくできない。
この家にきた頃よりはずいぶんと明るくなったと思うが、それでもまだ色恋沙汰に関しては幼い部分がある。
「私も人の事は言えないわね・・・」
「あらあら、エルちゃん、たそがれてどうしたの?」
見れば、きれいに直されたテーブルには、四人分のお茶の用意がされていた。
「いつもありがとうございます」
「いいのよー。アタシの趣味だし」
クロイツから茶を、ロッドから菓子作りを習っているシャルナム。
それぞれでは、その親子にはまだ敵わないが、茶と菓子の組み合わせという部分で拮抗している。
「帰郷そうそう、お父様とお兄様に色々言われたでしょうけど、気にしちゃダメよ?」
「あ、はい」
この姉も見事に、二人の演技に騙され続けている。
なのでいつもこうして気を使ってくれている。
何度説明しても、大丈夫、いざとなったら助けてあげるからね、と微笑まれてしまうのだが。
「さぁ、きかせて。色々と楽しい土産話あるでしょ?」
「あ、はい。そうですね・・・まずはシャロンって覚えてますか?」
「ちょっとおませな金髪の子ね。つっぱっちゃって可愛い子でしょ?」
「可愛いですか? あ、でも最近はですね・・・」
二人の和やかな、この家にきて初めて家族らしい会話。
部屋に入った時の事さえなければ、実に可憐で微笑ましいひと時である。
どちらも美しい銀髪を生まれ持った妙齢の美女と美少女。
そんな二人が、白いクロスの敷かれたテーブルを囲み、香りのよい茶と甘い菓子を楽しんでいる。
透き通るような声で語り、時折、微笑みの声や、恋にはにかむ笑顔
そのままの光景を切り取り、絵にすれば誰しもが買い求めるだろう。
ただ。
そのテーブルのすぐ近くで、密着するほど近づき無表情でにらみ合う双子がいなければの話であるが。
十数日の滞在後、エルナムはイスキの元へ戻るべく準備をしていた。
すでに家人や従者達は寝静まっている。
この家にいる間、実に慌しい日々であったが、やはり家族というものは暖かい。
多少、風変わりではあるが。
それでも自分を愛してくれる存在というものは、なにものにも代えがたいものである。
「私もいつか、イスキ様のそんな存在になれるかしら・・・」
小さく呟いて、頬を赤らめた。
短い間離れていただけなのに、すぐにでもイスキの顔をまた見たい、声を聞きたいと思う。
「私も重症ね」
準備を終えたエルナムはベッドに潜り込んだ。
イスキとの再会に胸を躍らせて。
その頃。
「報告を聞こう」
夜空にかかる満月は厚い雲でおおわれている。
わずかに漏れ出た光を受けていたるのは、バジの執務室だった。
正面には執事服ではなく、ギルドナイトの正装に身を包んだクロイツの姿。
「申し上げます。『狂刃』ですが、二年ほど前にあの街に現れ、記憶喪失である事。これは誤りはないようです」
「ふむ」
「街の者の評判も多少は近寄りがたい雰囲気はあるものの、行動や言動は紳士とも言えるもののようですな」
「・・・ふむ」
「あいにくと『狂刃』は街を出ていた為、本人を確認する事はできませんでした。また、肝心のエルナム様が『狂刃』のもとに配置させた者についても、同じく調査できませんでした」
「どの辺りで調査不能になった?」
「大司令レイドール様に関わる二歩か三歩手前です。直前までは近づけませんでしたので、断言はできませんが」
「やはりか・・・ふん、よく部下を掌握している」
バジはレイドールの思惑を読もうとする。
『狂刃』というコマに対する、エルナムという駒の動かし方。
英雄としての利用価値と、リスライン家の末娘という価値。
ギルドというものを知り尽くしているバジが、打ち出した結論は。
「ふん。大掛かりな仕掛けをうっているな。私をも利用するつもりだろうが・・・」
バジはレイドールを一人のギルドナイトとして高く評価していた。
そのために、今の地位へ押し上げる為に様々な手段を講じたのだ。
「民の為ならば問題ない。それが正しいものであれば道化を演じよう。しかし間違いがあるならば斬り伏せるまでだ」
そしてバジもまたギルドナイトである。自分はおろか、娘が利用されていると察知しても受け入れた。
ギルドナイトの帽子を脱いだクロイツが静かに、頭を下げる。
「その際は、どうぞ私もお連れくださるようにお願いいたします」
「うむ。頼む」
「はい。どこまでもお供いたします」
「・・・時にラグダフルはどうしている?」
「はい。相変わらずといった所でしょうか。特に鍛錬をしている様子もなく、遊びほうけているようです」
今のクロイツは執事の役割にない。
ただバジに求められた問いに、簡潔に答える。
「そうか。それでいい。家の名を継ぐだけの役割がラグダフルだ。技はシャルナムが伝えていく」
「はい」
「今日はもう休め。傷の手当てはしておけよ」
「・・・お恥ずかしい事です。現役を離れて少々、なまっておりました。最近の暗部も捨てたものではありませんな」
「『死神』が死神に迎えに来られたのでは笑えんぞ」
「いえいえ。まだまだ若い者には負けません」
「ふ。私も人の事は言えんか。老いた『銀獅子』の牙はとうに抜け落ち、爪も欠けている」
クロイツが笑う。
いつものように静かに、ではない。
実に愉快そうに、実におかしそうに。
「バジ様が老いた獅子と? 今宵は深酒をしすぎではないですかな?」
「いやいや、私も現役を離れて久しい。『狂刃』やレイドールと対峙してなお生きながらえれるかはわからんよ」
「老いたとて・・・鳥は飛び方を忘れますかな? または魚が泳ぎを忘れますか?」
「ふ」
「くっくっく・・・」
二人は苦笑して、互いを見た。
満月にかかっていた雲はいつしか霧散し、『銀獅子』バジを白銀の光で照らしていた。
百禍繚嵐 〜ヤミハライ〜 END
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