『相思』


 

 

 沙奈はすでに車中にあった。横にはスーツの男がいる。

 「しかし、お嬢様がみずからお戻りになって頂いて本当に助かりました」

 運転席でもう一人のスーツが言う。対して沙奈はただ窓の外の景色を見つめている。
 その前と後ろには護衛の車が同伴していた。

 「社長もお喜びになる事でしょう、ずいぶんと心配しておいででしたから」
 「・・・会社の事を心配してるのよ・・・あたしじゃないわ・・・」
 「は?」
 「なんでもありません・・・貴方、見た事ない顔だけど・・・?」
 「ええ、新入りでして・・・これからよろしくお願いいたします」

 やがて車は廃棄ブロックへと滑り込んだ。

 「・・・ねぇ、道が違うんじゃ・・・ないの?」
 「いいえ、これであっておりますよ」

 言った横のスーツが銃を取り出した。

 「あ、貴方達・・・?」
 「なに、すぐにお父上の所へお送りしますよ。ただし、多少ばかり運賃を頂きますがね」
 「・・・盗聴されていたの?」

 沙奈は確かに父の会社へと連絡した。
 だから落ち合う場所に迎えに来ていたこの車に迷うことなく乗り込んだのだ。

 「企業のライバル間では常に諜報戦が行われております。特に武器に関わる企業ではね。通常の回線で連絡をとられたのはいささか不用心でしたな、
お嬢様」
 「じゃ、じゃあ、迎えの人達は・・・・」
 「すでに冷たくなって川の底です」
 「ああ・・・・・」

 車は廃棄ブロックの奥、街灯もなにもない場所で停車した。

 「さあ、この電話でお父様にご連絡を取って頂けますかな?」

 差し出された携帯電話を沙奈は受け取らない。

 「私達は貴方を傷つけたくはない。そして余計な手間を省き、スムーズにビジネスを行いたいのです。どうかご理解して頂きたい」

 完全な脅しだった。その口調からも、これが初めての誘拐ではないこともうかがえる。
 こういった事に素人の沙奈がどうにかできるとは思えない。
 現実は安っぽいドラマほど甘くはないのだから。
 沙奈は絞り出すような声で答えるしかなかった。

 「・・・わかりました・・・」



 「・・・ったく、どこに行きやがった!?」
 
 俺はハンドルに拳を叩き付ける。気づくべきだった。沙奈の性格なら・・・いや、俺の責任だ。あいつの事をわかってるようで、わかってなかった。

 「くそったれ・・・」
 「・・・・落ちついてください・・・」
 「こんな時に落ち着いてられ・・・」

 小娘は横のシートで窓の外の景色を見つめている。
 沙奈の姿を探し出そうと、懸命になっている。ただ怒るだけの俺とは大違いだ。

 「すまん・・・」
 「・・・いえ。本当は私・・・あ、気を悪くしないで下さいね」
 「なんだ?」

 小娘にしては妙に歯切れが悪い。珍しいな。

 「沙奈さんがとてもうらやましい・・・」
 「あん?こんな時にふざけてるのか?」
 「違います。沙奈さんには・・・貴方みたいな人がいるから。でも私には・・・」
 「そんな事か」
 「そんな事って・・・」

 俺はすでにいつもの冷静さを取り戻していた。戦いにおいて、まず冷静に。
 クール&クレバーが俺の戦闘スタイルだ。それを思い出させてくれた小娘には感謝しなくちゃな。それも言葉じゃなく、態度で示すのが男ってもんだ

 俺は小娘のえりくびをグイッとひっぱりよせ、頬に軽いキスをした。

 「きゃ・・・」

 冗談のようなキスにもで驚く小娘。初々しい反応だ。
 
 「心配するな。もしお前がさらわれても地の底まで取り戻しに行ってやるさ」
 「え・・・」

 この言葉は冗談じゃない。俺は守ると決めたら死んでも守ってみせる。
 小娘も、そして沙奈も、どちらも失いはしない。

 「帰る家、ないんだろ?」
 「それは・・・」
 「じゃじゃ馬の沙奈とこれから暮らして行くんだ。小娘一人が増えた所で変わりはしない」
 「・・・それじゃあ」

 喜びに満面の笑みを湛える小娘。やはり純真な笑顔はいい。

 「ああ。ついてこい、一緒に暮らそうぜ?」
 「はい・・・ありがとうごさいます」
 「待て待て、言葉はいらねーよ」

 俺はチッチッと指先を揺らす。

 「女は黙ってうなずくだけでいい。それが可愛いんだ」
 「・・・」

 コクンと笑顔でうなずく小娘。満点だ。

 「さ、行くぞ」
 「はい!」



 「・・・お父様?・・・沙奈です」

 と、横から沙奈の持っていた電話をスーツが奪い取る。

 「もしもし、初めまして。お嬢さんをお預かりしているものですが・・・」

 沙奈には父の声は聞こえない。
 ただスーツの男の抑揚のない声だけが狭い車中に響きわたる。

 「はい・・・では、お待ちしておりますよ。くれぐれも早計なさらぬように」

 スーツと父との電話が終わる。

 「なかなか娘思いのお父上をお持ちで・・・いや、会社思いですかな」
 「・・・ッ」
 「どちらにしろお父上は取引に応じるそうだ。すぐにご自宅にお返ししますよ」



 「沙奈はもう・・・ここらへんにゃいないのかもな・・・」
 「あきらめるんですか!?」
 「誰が?」
 「え・・・?」
 
 俺は携帯電話を取り出し慣れたナンバーをプッシュする。

 「なぁ。小娘」
 「なんですか?」
 「俺の職業は知ってるな?」
 「バーミンを狩る人・・・」
 「そう。神出鬼没のバーミンだ。どこに現れるかわからないバーミンを俺がどうやって追ってると思う?」
 「さあ・・・?」
 「この世には情報屋って便利な職業がある。いつもはバーミンの居所を聞くために利用してるんだが・・・・」

 と、回線が接続された。

 「ああ、俺だ・・・いや、今日はバーミンじゃない、女なんだが・・・ああ」

 小娘の不思議そうな目。いや、尊敬の眼差しか?
 無理もない、プロの仕事をしてる時の男の姿はカッコいいからな。それに加えて、もともとナイスガイな俺だ。惚れるなら五年後まで待ってくれ。シ
ルクのベッドで迎えてやる。

 「・・・そう・・・名前は沙奈、セカンドネームはバリネスク・・・ああ、そう。どっかの武器会社の娘で・・・なんだと?」

 予想だにしなかった答えが返ってきた。

 「プロ・・・・か、それで場所は・・・・ああ、わかった・・・あと、一つだけ頼みたい事がある・・・・ああ、すまん。振り込みはいつもの通りだ
な」

 俺は電話を切り、小娘に投げ渡す。
 そして一気にアクセルを踏み込んだ。

 「ど、どうしたんですか?」
 「あのバカ、誘拐されやがった!」
 「ゆ、誘拐!?」
 「そうだ、親父さんのライバル企業の手のもんだろうが・・・くっそ」

 企業のトップなんてものは、なめられたらお仕舞いだ。身代金を支払うよりもまず力尽くの方法でいくだろう。そして誘拐した奴等もそれを前提でや
ってやがる。それがプロってもんだ。そんな争いの中に沙奈が巻き込まれでもしたら・・・ええい!

 「シートベルトちゃんと締めてろよ!」
 「う、うん!」
 「黙ってうなずく、それが女!」
 「・・・・」

 言われた通りにうなずく小娘。躾は小さい頃からしとかないと後が大変だ。
 なんだかんだ言って、俺もいつもの調子が出てきたな。小娘のおかげか?
 風のごとき疾走する車は街のネオンの海から抜けだし、闇へと向かっていく。

 「ど、どこへ・・・」
 「廃棄ブロックだ。沙奈はそこにいる」

 流れる景色が勢いを増し・・・
 情報にあった場所からわずかに離れた場所に車を停める。
 四点式のシートベルトを外し、俺は小娘に目をやる。

 「いいか、銃声がしても絶対にここから出るなよ」
 「・・・・」
 「そしてもし俺が戻ってこなかったらリダイヤルしろ。俺の友人がすぐに迎えにくる、いいな?」

 それまですなおだった小娘が、唐突に声を上げる。

 「いや!絶対に戻ってきて!」
 「もしも、だ」

 言い含めるように優しく吐いた俺のセリフ。
 プロならば、一流ならば、常に次善の策、保険といったものを用意しておく。
 ただ、幼い小娘にはそれが理解されなかった。

 「いや!絶対に戻ってくるって約束して!」

 俺は肩をすくめるだけだ。
 女性との約束は守らなきゃならない。意外と大変な事だが、断れるはずもない。

 「まいったね・・・わかった、約束する」
 「・・・破ったらキライになるからね・・・」
 「俺は女性との約束は破った事がない。それがどんなに小さなレディ相手だろうと例外はないさ。今までも、そしてこれからも」
 「・・・」

 コクンとうなずく。いい子だ。

 「帰ってきたら、キスしてあげる」
 「・・・もちろん唇にだよな?」
 「え・・・違うよ、ほっぺ!」

 真っ赤になって答える小娘。実に初々しい。

 「残念だ。よし、いい子にしてろよ」

 俺はコートを着込み、タバコをくわえた。
 そして夜空をあおぐ。チラホラと汚染された大気を通して星が瞬いている。

 「いい夜だ・・・最高のシチュエーションだね」

 ホルスターから銃を抜いた。そしてマガジンを抜く。

 「ゴム鉄砲で撃ち合いするにゃ、ジョークの通じそうにない相手だからな」

 そして実弾を装填する。それも対バーミン用低速鉄甲弾を。
 通常のハンドガンではバーミンの堅い皮膚を貫けない。その逆の発送から生まれたこの弾丸はバーミンを殴り飛ばすように作られている。さらに衝撃
で弾頭が変形しないようにかなりの硬度を持つ鉄鋼で覆われている。鉄甲と言われるゆえんだ。
 つまりは強烈な衝撃をピンポイントで加え、叩きつけるようなダメージを与える。

 「人間相手に使うのは初めてだな」

 むろん、結果は分かっている。バーミンの皮膚だからこそ貫けないのであって、水と肉でできている人間にコイツが命中したらその部分だけごっそり
と持っていく事だろう。

 「今夜はいささか本気でね・・・手加減はナシだ」

 別に正義を気取るワケじゃない。
 犯罪が横行し殺人すらも珍しくないこんな時勢だ。
 バーミンを狩るのも一般市民が安眠できるようになどと考えた事は一度もない。
 弱いヤツが死ぬのは当然だし、強いヤツは自分で身を守る。
 ただ・・・・
 俺の愛する者を苦しめる事だけは許さない。
 地獄の底まで逃げたとしても、必ず追いつめてやる。
 
 「待ってろよ、沙奈!」

 

 

『相思』  END
to be C・・・・



 

『正体』


 

 

 「Aグループ・・・状況は?」
 『問題ありません』
 「Bグループはどうだ?」
 『同じく、変わった所はありませんが・・・』
 「わかった、警戒を怠るな」

 沙奈の横でスーツが指示を出している。この男がリーダー格のようだった。

 「・・・・」
 「お嬢さん、助けなどきやしません。例えお父上がプロをやとったとしても、所詮は寄せ集め。チームで動く我々にはかないはしません」

 それまでの経験からくる余裕か。
 スーツは緊張下の中で笑みすら浮かべていた。

 「・・・父の助けなど・・・求めてはいません・・・」
 「ならば・・・バーミンハンターの恋人ですか?」
 「・・・なぜ、それを?」
 「我々の仕事ですよ、ターゲットの周囲を調査するのは」
 「・・・・」

 スーツは笑顔を浮かべたままで。

 「確かにバーミンハンターが相手となれば厄介ですが・・・生憎と彼は三流のハンターらしく、名前すらも業界では知れ渡っていません。その程度の
相手ならば我々とて対処できます」
 「彼が・・・・三流?」

 沙奈が信じられないといった顔で聞き返す。

 「ええ。知らなかったのですか?恋は盲目とはよく言ったものです」
 「・・・・」

 そんなはずはない・・・彼は幼体よりも成体をターゲットにする超一流のはずだ。

 「おおかた虚勢を気取っているのでしょう。三流にはよくある話です」
 「そんなはず・・・」
 「お名前はええと・・・」

 パラパラとファイルをめくる。
 無意識に沙奈はスーツの手元をのぞきこんでいた。

 「・・・うん?興味津々と言ったご様子ですが・・・?」
 「・・・ええ、あたし、彼の本当の名前を知らないの」
 「なんと?データには恋人とありましたが」

 意外そうに、それでもさしたる興味はないのか、スーツの声に感情はこもっていない。

 「そう・・・だけど、名前は聞いた事ない・・・ただ一度だけ彼が名乗ったのも本名じゃなかったから・・・」
 「彼はなんと名乗りました?」
 「ただ一言、マスター・・・って」

 それまでは冷静だったスーツの声、そのトーンが跳ね上がった。
 逆に驚いたのは沙奈。

 「マスター・・・マスター=ラーカンスの事か!?」
 「え?」

 その瞬間激しい閃光と爆音が響きわたった。
 沙奈の視界が白く染まり、耳を突き抜けるような響き。
 呆然と意識を失う浮遊感。その間、わずか。
 そのわずかの時を経た車中の景色はガラリと変わっていた。

 「迎えに来たぜ・・・おっと、俺とした事が出迎えの花束を忘れた」
 「あ、貴方・・・どうして?」

 視界が戻って最初に入った顔だった。
 運転席の男の座っているシートから手がだらりと下がっている。
 横の男の胸には・・・ナイフが深々と突き刺さっている。

 「・・・・殺したの・・・?」
 「話はあとだ、逃げるぞ」
     
 俺は沙奈の手を強引に引き、車外へと出す。
 今の騒ぎで警戒に出ていたメンバーが戻ってくるはずだ。

 「貴方が・・・人を殺すなんて!」

 沙奈の前で殺しをやるのは初めてだったな。だが隠す事でもない。

 「俺はお前を取り戻すためなら神でも殺す」
 「・・・・」
 「それが俺の愛し方なんでね」

 それ以上の事を聞く事を恐れたのか、沙奈は話題を変えた。

 「・・・・・・ねぇ、マスター=ラーカンスって?」
 「どこで聞いた?」
 「車の中の人達がそう言ってた・・・ずいぶんと驚いてた・・・」

 つまらん事を・・・

 「大した事じゃないさ」
 「教えて」
 「面白くない話だぞ?」
 「いいわ。あたしは貴方の事、まだなにも知らないもの・・・」
 「・・・二年前くらいになるな。俺がまだ駆け出しの頃だ」

 走りつつ、俺は昔の場景を思い浮かべる。

 「当時、俺がよく行く酒場がラーカンスと言ってな。そこのマスターにゃ色々と世話になった」
 「それで・・・?」
 「本当に世話になったよ。銃の撃ち方、爆弾の使い方・・・そしてバーミンの倒し方とかな」

 懐かしい。あの頃は本当に駆け出しだったな。

 「じゃあ、先生なの?」
 「そんな所だ。マスターも昔はバーミンハンターでね。跡継ぎを育てたかったんだろうな」
 「跡継ぎ?」
 「酒場『ラーカンス』のだよ。彼もまたラーカンスを継ぐ者だったらしい」
 「なんか妙な・・・ものね」
 「そうだな・・・だがまぁラーカンスを継ぐ者は皆、一流だ。それも超がつくほどな。だから名前が売れていても不思議じゃない。別段メジャーって
わけでもないがな」

 逆にマスター=ラーカンスの名前が隠れ蓑になって、俺の本名が出ないのは色々とやりやすいもので、重宝している。

 「ふぅーん・・・じゃあ、あんたもそのうち『ラーカンス』って酒場やるんだ?」
 「よせよ、まだ引退する年じゃあない」
 「ふふ・・・それもそうね」
  
 俺は完全に逃げおおせたと確信した。
 追う者の気配もない。俺達は車までのわずかな距離を息を整えるように歩き始めた。

 「小娘も待ってる、ずいぶんと心配していた」
 「ごめんなさい・・・・でも、これからどうするの?」

 確かに組織だった誘拐だ。俺の使っている家には帰れない。

 「そうだな・・・ホテルにでも泊まるか?」
 「エッチなホテル?」

 冗談で言う沙奈に、俺はかしこまって答える。

 「ご要望とあれば」
 「葉月ちゃんに言いつけるわよ?」

 言うと思った。だが、今回は俺にも切り札がある。

 「いいぜ、なんせ小娘とはチュウする仲になったんだ」
 「・・・あんた、やっぱり・・・」
 「あ、ウソウソ、誤解するな」



 そして車についた時、俺はまたも自分のミスを呪った。

 「リーダーをやったのはお前のようだな?」

 二台の車が俺の車を囲んでいた。全部で・・・六人か、ちと厄介だ。
 全員が武装している。当然の事だが。

 「こいつはお前達の仲間か?」

 スーツが小娘を車から引っぱり出す。完全に不利だな。

 「知らないね。少なくとも俺の趣味じゃない」

 背後で何か言いかけた沙奈を制して俺が言い放つ。ひっかかるか?

 「そうか、では処分しよう」

 スーツが銃口を小娘の頭部にあてた。本気・・・だろうな。
 昼間、沙奈の居所をたずねてきた奴等とは大違いだ。プロってのは、これだから厄介だ。

 「わかった、俺の負けだ。小娘から銃を離してくれ」
 「ふん・・・」
 「あぅ!」

 向けていた銃口を外すスーツ、と次の瞬間、その銃床で小娘を殴りつけやがった。
 小娘の細く小さな唇のはしから・・・血が流れる。

 「葉月ちゃん!」
 「う・・・・くっ・・・」

 身動きを封じられ、傷をかばう事もできない小娘が苦しげに嗚咽する。

 「嘘を吐いたペナルティだ」
 「ペナルティ・・・か」
 
 頭の中がすぅっと冷えていく。全身から力が抜けていく。

 「ちょっと・・・どうしたの?」

 沙奈が小さな声で呟く。俺の様子が変わったのに気がついている。

 「沙奈、目をつぶってろ。耳もふさいでいろ」
 「え・・・?」

 俺は根がいいもんだから滅多にキれない。怒ってる時はまだいい。少なくとも自分が何をしているかがわかる。だがキれるとダメだ。
 俺には守るべきものはない。
 プライドなんざもとよりないし、地位もないし欲しくもない。
 ただ俺を頼り、俺を愛してくれた者だけが宝だ。

 「ね、ねぇ・・・・」

 今まではたった一つしかない宝だった。だが、俺にはもう一つ宝が増えた。
 帰る場所もなく、ただ子犬のように俺を頼ってくる小さな笑顔を得たのだ。
 それが今、俺が見ている所で。
 俺の目の前で。
 そこで。
 傷つけられた・・・・・・・・

 「葉月・・・目をつぶってろ、なに・・・すぐに終わる」
 「え・・・名前で呼んでくれたの?」

 場違いな事を言うものだ・・・・
 そして俺も。

 「気に入らないなら小娘でもいいぞ?」

 だんだんと俺の唇が笑いに歪んでいくのがわかる。
 そして心が色あせていく事も・・・

 「葉月がいい」
 「なら葉月・・・目をつぶってろ」 
 「おい、お前達・・・何を言ってる!?」

 俺の微笑が完全な笑みに変わったとき、俺はただの虐殺者となった。 
 そう・・・狂った野獣のように凶暴で、そして理知的な狂戦士に。

 「な・・・・」

獲物は六匹・・・まずは葉月に血を流させた奴からだ・・・
 爆発的な瞬発力をもって俺は接近する。まばたき一度の時間で俺は密着した。

 「お・・・」

 銃が葉月から保身のため俺に向けられた。それよりも早く俺は銃をそいつの眉間に押しつける。迷わずトリガーを引いた。
 銃声と頭蓋が弾ける音が鈍く混じる。飛び散った肉片があたりにばらまかれ、返り血が俺の顔をしたたった。

 「な・・なんだ・・こいつ・・・・」

 次のターゲットが決まる。戒めの解かれた葉月が地面に倒れ込む音を聞く頃には、俺の銃口はそいつの腹にあてがわれていた。数瞬の後、そいつの腹
に大きな風穴が開いた。

 「う、撃て!」

 恐慌状態に陥っている人間に素早い反応は無理だ。俺は死体を抱え、命令を出した奴へ走り込む。すれ違いざま脇から上方に向けて一発。間違いなく
心臓が潰れただろう。

 「こんな・・こんな・・・・」

 固まっていた二人へ盾にしていた死体を投げつけ、残る一人に盲撃ちで三連射する。心地よい響きと反動とともに、その先で肉のひしゃげる音がした
。振り返りざま、仲間の死によって倒れ込んでいた二人へ残弾を全て撃ち込む。

 「俺の大切な人を傷つける事は神だろうと許さない・・・・」

 撃ち終えた銃のバレルが硝煙を静かに吐き続けている。
 深呼吸して、いつもの自分を取り戻す。かつて先代のマスターから教わった自己催眠は常人から並外れた能力を発揮できるが、明日の晩には全身を激
しい筋肉痛が襲う。

 「二人とも・・・大丈夫か・・・?」

 見れば、二人して抱き合い地に座り込んでいる。

 「あ・・・ぁ・・・・」
 「おい、どうしたんだ?」

 葉月が俺を見て小さく振るえている。
 その肩に手を乗せようとした時、

 「いやぁ!」
 「・・・葉月・・・」

 沙奈を見れば、涙目で俺を見ている。

 「貴方・・・・血に濡れて・・・」

 俺は自分の姿を見直した。
 黒いコートにも、はっきりとわかるほど血で赤く染まり、髪も顔も血だらけだ。
 それでも俺は微笑んだ。もう後悔はない。沙奈の為ならば。

 「沙奈・・・これがお前の知らなかった俺の姿だ」
 「あ・・・」
 「戦いに濡れたこの姿こそ、お前が知りたがっていた俺だ」

 俺は意識して沙奈に教えなかったもの、見せなかった部分がある。
 知られれば飛んで去ってしまう小鳥のように。なによりも失うのが怖かったからだ。
 それでも許せない事がある。
 大切な人間が奪われ、そして傷つけられれば・・・・

 「愛想をつかしたか?なんならこのまま・・・」
 「・・・そんなつもりじゃ・・・」
 「戦って生き抜くという事はこういう事だ。俺はこの先、幾度として血にまみれようともお前を守りたい。それでもついてきてくれるか?」

 ややあって。

 「どこまでも・・・連れていって」
 「私も・・・行く!」
 「葉月・・・?」

 なにかを無理矢理に押しこんだ顔で俺を見つめる。血にまみれた俺を正面から。

 「・・・強いよ、お前達は」

 俺が差し出した手を二人が握りしめる。

 「さぁ・・・帰ろうか」
 「そうね、行くあてもないけど・・・」
 「しばらくはホテルに泊まります?」

 葉月の何気ない問いに俺が口を開いた時。

 「あ、先に言っておくけどエッチなホテルはダメだからね」
 「沙奈ぁー」
 「そんな事・・・考えてたんですか!」
 「葉月ぃー」
 「・・・さっきの約束、やっぱりなし!」
 「おいおい、ほっぺにチュウもなしかよ」
 「このエッチ!」

 チュウされるはずの頬に与えられたのは祝福のキスではなく、小さな平手。
 ブーイングをたれようとした俺の口が呼吸を止めた。漏れたのはわずかばかりの呼気。

 「・・・・・・・・・・・・・ッ」

 俺は意思とは別に二人に倒れかかるように抱きついた。
 痺れるような痛みがじんわりと広がって・・・・

 「ちょっと、やめてよこのスケベ!」
 「そうですよ、なに考えて・・・・え・・・?」

 背中に回した葉月の手が長い針に触れる・・・・
 どこから・・・撃ってきた・・・?
 サイレンサー・・・・か・・・

 「こ・・これ・・・・」
 「ちょっと・・・どうしたのよ、ねぇ!?」

 葉月の、沙奈の焦ったような声も耳に遠い。

 「隠れ・・・・ろ・・・早く・・・!」

 絞り出した声は二人を行動させるに至らなかった。
 即効性の麻酔らしく、全身が痺れ始める。
 物陰から、いくつもの気配が現れた。俺が・・・気づかなかった?
    
 「沙奈お嬢様、ご無事ですか?」
 「あなた達・・・お父様の・・・?」
 「命令を受けて参りました」

 銃器を持った男が数人駆け寄ってくる。ごていねいに動けない俺に銃を向けて。
 統率されたこの動き・・・軍隊に出動を要請したのか?
 おそらくは隊長だろう男・・・壮年の軍人が落ち着いた物腰で近寄る。
 
 「始末は我々がつけますので、どうぞ車にお乗り下さい」
 「始末・・・」
 「こいつの事ですよ」

 超一流のバーミンハンターをこいつ呼ばわり、か。

 「ちょっと待って、この人は私を助けてくれたのよ、それに・・・」
 「恋人であったと?」
 「そう・・よ・・・まさか!?」
 「察しの通りです。お嬢様の俗世との未練を全て断ち切るように言われております」

 くっ・・・

 「これも任務ですので」
 「やめて、彼を殺さないで!」
 「・・・・おい、お嬢様をお連れしろ!」
 「聞いて・・・お願い!」

 銃が向けられる。今度は実弾だろうな・・・
 ・・・くそっ・・・たれ・・・体が動かん・・・ホントに人間用の麻酔かよ・・・

 「やめて!」

 声と同時に、柔らかくそして暖かいものが俺をおおった。
 葉月だった。

 「いや、私の大切な人を殺さないで!」
 「葉・・月・・・」

 小さな体で俺を守ろうと、ただ抱きついているその姿に俺は自分の非力さを痛感する。
 軍人は銃口をそらす事はない。

 「邪魔をするなら子供といえど容赦できない」

 脅しに銃を使うタイプじゃない。そして嘘をつく必要もない。
 この警告は、この男が任務の中で許される限りの心配りである事がわかる。

 「殺すなら私も殺して」
 「バカ・・・どけ、葉月・・・!」
 「いや!」
 「この・・・可愛い女は黙って・・・」
 「可愛くなくてもいい!」
 「たいそう・・・なつかれているな、バーミンハンター。共に逝くがいい」

 軍人の指先がトリガーを絞り込もうとした瞬間だった。

 「待ちなさい!」

 視界すらかすむ中、俺は信じられないものを見た。

 「何をするおつもりで?」
 「来ないで!」

 沙奈は誘拐犯どもの死体から銃を取り上げ、自分のこめかみに当てていた。

 「近づいたら死にます!」
 「お戯れはやめて頂きたい」
 「来ないで・・・・」
 「・・・・・」

 さすがにこういった事態は予測していなかったらしく、対応が遅い。
 かと言って・・俺の体はガラクタ同然だ。

 「彼を殺さないで・・・」
 「それはきけません、私は軍人です。任務には常に服従しなければなりません」
 「お願い・・・!」

 沙奈の悲痛とも言える叫び声にも軍人は表情一つ、眉一つ動かすでもなく。

 「できません」

 これが軍人だ。
 任務を至上とし、感情を隔離する。

 「おい・・・」

 俺は顔を上げて、会話に割り込む。

 「何だ?動けないお前に勝ち目はないぞ」
 「わかってる・・・バーミンハンターの始末を頼まれたんだろ?」
 「それがどうした、命乞いか?」
 「バカ言え・・・だがな、俺が死ねば・・・沙奈は間違いなくトリガーを引く」
 「確かに・・・な」

 沙奈は強情な女だ。
 まったく・・・可愛くないぜ・・・

 「沙奈を死なせるわけにはいかない・・・だがバーミンハンターは殺さなくてはいけない・・・そうだろう?」
 「だから何だ?」
 「取り引きを・・・しないか?」
 「取り引きだと?」

 男が話を聞く気になったらしい。目尻のシワをよせて思案している。
 八方ふさがりのこの状況だ、聞くしかないがな。

 「俺はバーミンハンターをやめる。それでどうだ?」
 「そんな口約束で上は納得せん・・・」
 「証拠をみせてやるよ、俺がバーミンハンターでなくなる証拠を・・・」

 俺は空になったマガジンを抜き、入れ替える。
 軍人が素早く警戒姿勢を取る。

 「貴様・・・何のつもりだ?」
 「慌てるな・・・葉月、どいてろ」
 「・・・なにするの?」

 おそるおそる体をどかした葉月に俺は笑顔で答える。

 「お前と沙奈を守る為だ。他に何も惜しくないさ」
 「え?」

 俺は対バーミン弾の狙いを自分の右足につけた。
 ためらう事なく引き金を引いた。マガジンを撃ちきるまで。
 鈍い振動と激痛が俺を震わせる。何度も何度も。

 「貴様・・・・なんと・・・」
 
 今まで右足があった所には、ただ血と小さな肉片だけが散乱している。
 片足となった男がバーミンハンターを続ける事は不可能。
 これがマスター=ラーカンスの引退の瞬間ってわけだ。

 「これ・・で・・・信じ・・・たか?」

 麻酔がきいているとはいえ、言葉に尽くせぬほどの激痛。
 軍人は少しだけ、考えるように。そして。

 「・・・わかった。バーミンハンターは死んだ。そこにいるのはただのケガ人だ」
 「すまんな・・・」
 「任務遂行の為の譲歩だ、勘違いするな」
 「おかたいこって・・・」

 軍人でなければ親友になれたかもしれない。
 この男もまた、自分の持つ宝の為に戦っていると感じられたから。

 「・・・・そんな・・・・そんな!」

 銃を捨て、俺にかけよろうとした沙奈を他の者が押さえつける。

 「沙奈・・・すまんな、約束を破って・・・」
 「・・・・・・う・・・くっ・・・・・」

 ただお互い見つめ合ったまま時が過ぎる。
 軍人が頃合いを見て、部下に手を上げる。

 「連れて行け・・・」
 「ハッ・・・」

 そして沙奈が車の中へと消えていった。
 最低な男には似合いの結末だ。

 「バーミンハンターというものは・・・これほどのものか」
 「女との約束も守れない程度の男さ・・・」

 そう、最低な男だ。
 命を捨ててでも守ると誓ったのに、生き恥をさらす事でしか沙奈を・・・
 軍人は沙奈の乗った車が見えなくなったのを確認し呟いた。

 「・・・お嬢様も戻った事だ。本当ならここでお前を殺しておくべきだろうが」
 「そうだな、それが賢い奴のやる事だ」

 どんな些細なものでも、それが後々に危険の火種となりえるなら始末する。
 それがプロの行動だ。立場が逆ならば、俺は間違いなくそうする。

「ダメっ!」

 葉月がまたも俺をかばおうと、身をていする。

 「だが・・・私も一夜に二人もの女性は泣かせたくはない」

 よく言う。年のわりに、憎らしいほどのダンディズムを決めてくれる。

 「あんた・・・今の仕事やめて、バーミンハンターになれば俺くらい強くなれるぜ?」
 「考えておくよ。その小さなレディに感謝する事だ」
 「ああ・・・・あと一つだけ言っておく」
 「なんだ?」

 俺は笑みを消し、断言する。

 「沙奈は必ず奪い返す。たとえバーミンハンターでなくなったとしても、だ」

 片足を無くした程度であきらめられる女なら最初から愛さない。
 軍人は意外そうな顔した後、笑いやがった。戦士の顔で。

 「・・・・そうか、好きにしろ。私に与えられた命令は遂行した」
 「くえん男だ・・・名前は?」
 「聞いてどうする?」
 「さぁな?」
 「いいだろう・・・私の名は甲残という。縁があればまた会おう」
 「おお」

 軍人は残っていた車に乗り込み、夜の中に消えていった。
 やがて静寂があたりを覆う。
 
 「ねぇ・・・大丈夫!?ねぇ!」

 小さな体が俺を揺り起こす。ただ、優しく、ゆりかごのように。
 もう俺には答えるだけの力も残されていない。
 
 「そうだ・・・さっきの電話・・・」

 葉月が電話を取り出す。俺がもしもの為と手渡しておいたものだ。
 
 「・・・もしもし!助けて、お友達なんでしょ?早く・・・」

 そして俺はまどろみの中へと落ちていった。











 「ん・・・・・・・・・?」

 俺はいつの間にかカウンターで眠っていた自分に気づく。
 背中にはガウンがかけられており、それが誰のものであるか。心当たりは一つしかない。
     
「おい・・・もう帰ってきてたのか?」

 そう声をかけると、奥から優しい声がかかる。

 「ええ、道もすいてたから」

 エプロンがよく似合う美人になった。豊かなバスト、綺麗なカーブを描く腰の曲線。
 昔はただの小娘だったのに。やっぱ俺のカンは当たったな。
 
 「お店の準備もしといたからね、安心していいよ」
 「そうか、すまんな。キスの一つでもしてやろうか?」
 「・・・ふぅ、もっとしゃんとしてよね」
 
 葉月は呆れ顔で俺を見る。かつて俺を尊敬していた頃の面影はどこにもない。
 代わりに、親愛という暖かさに溢れている。悪くない。

 「あと二ヶ月先にはパパになるんだからさ、浮気なんてしてんじゃないの」
 「へいへい・・・あ、ちょっといいか?」

 黙って、そして笑顔でうなずく葉月。本当にいい女になった。実に俺好みの、な。

 「じゃ、頼む」

 俺は義足をはめた右足をひきずりながら、奥へと入っていく。
 つきあたりの寝室のドアを開ければ、大きなベッドで大きなおなかをした沙奈がいる。

 「あら貴方、どうしたの?」
 「いや、ちょっとな・・・」

 なんとも体面に困る質問だ。生まれる前からこれじゃあな。

 「そんなに心配しなくても大丈夫よ、貴方が生むんじゃないんだから」
 「そりゃま、そうなんだが・・・」
「フフ・・・元バーミンハンターもパパになったら形無しね?」
 「バカ言うな、俺は昔より強くなってるさ」
 「どうして?引退して随分なるわよ?」
 「わかってないな・・・子供が生まれれば宝が一つ増える。その分だけ俺は強くなる」
 「強がって・・・もう体力も落ちてるでしょう?」

 俺は肩をすくめる。

 「右足を失っても・・・・」

 義足をポンポンと軽く叩き、

 「セキュリティのカタログのような親父さんの企業ビルからお前を奪った男だぞ?体力が落ちてようが関係ないさ」
 「そうね・・・」
 「俺は女性との約束は破った事がないんだ。破りかけた事が一度だけあるがね」
 「・・・それだけが取り柄だもの・・・幸せにしてよね」
 「なんだ?今は幸せじゃないのか?」
 「ううん、幸せよ・・・」

 沙奈が母親の顔で笑った。
 
 「今よりも・・・もっと幸せにして」

 母親の笑顔から一人の女の微笑に変わり。
 沙奈は静かに俺の名前を呼んでキスをした。





夜包街 外伝
-the verminhunter-

 END






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