「言い訳」 (後編)






 そして開場時間。一般客がドッと流れ込む。
 着替えが終わり、優歌の所に戻ると、すでに客がついていた。
 見れば、すでに長い列を作っているところもあるが、優歌の場合は、ポツリ、ポツリといった感じだった。

 「着替えてきましたー! 見てください、スゴイですよ!」

 ハチマキを揺らしながら、『魅衣』が、祥子の手をひっぱる。

 「ちょ、ちょっと、あんまり引っ張らないでよ・・・」
 「モリガンですよ! それも超ステキ!」
 「おー、ハマってるねー」

 その言葉に無言でウンウンとうなずく横山。
 こうして改めて、明るい場所で見ると、色の白い祥子に、その衣装はピッタリと言えた。

 「それに、『璃宇』先輩と『刹那』先輩も! ハマってますよねー! スゴイスゴイ!」

 今度は、横山と永島の手が引っ張られる。

 「そっちもいいじゃん。けど、やっぱ暑そうだな」

 横山は長袖とマント。永島にいたっては、フード付の皮ジャンである。

 「これくらいなら平気だってー」  
 「・・・」

 本当に平気そうな永島と、すでに額に汗を浮かべてる横山。

 「さて。じゃあ、とりあえず、『魅衣』は『由宇』ちゃんと売り子ね。男性陣は、ゾーン行ってな。12時になったら戻ってきて」
 「りょーかい。行くかー」
 「あ? ああ」
 「あ、優歌。コレ、今回のコース。よろしくー」
 「あいよ」

 横山がパンフレットを優歌に渡した。
 ダンテとレオンの後姿を見送り、優歌は祥子と『魅衣』に簡単な説明を始める。

 「とりあえず、今回は完全な女性向けなんで、客は少ないから。こっちが1000円で、こっちが500円」

 机の上に積まれた二種類の本に、何気なく目をやる祥子。
 一方は、京と庵が表紙で、もう一方はリュウとケンが表紙だ。

 「絵、お上手ですね」

 この世界は完全に素人の祥子が、素直に賛辞を述べる。
 確かにオフィシャルの絵柄とはまったく違うが、キャラの雰囲気はそのままだ。
 でも、と付け加え。

 「1000円って高くないですか?」

 ペラペラとは言わないが、30P前後のそれに1000円というのは高い気がする。
 優歌はそれを違う意味で解釈し。

 「んー、やっぱ800円くらいにしとくべきだったか。けど、今回はコレでも赤なんだよねー」
 「大丈夫ですよ。優歌さん!」

 『魅衣』が1000円の方の本をパラパラと見て、

 「こんなに描きこんでるし、ラフとかもないですし!」
 
 横から祥子がのぞきこみ。

 「・・・え?」

 それは、目もおおわんばかりの、痴態をさらす、京と庵の姿。

 「・・・こーゆー本、だったんですか?」
 
 愕然としつつも、責めるような、しかし、すでに諦めた表情で祥子がつぶやく。

 「ん? 女性向けって言ったじゃん」
 「あ、『刹那』先輩に聞いてなかったんですか?」
 「え、まぁ、本を売るとしか・・・それに、こういうの初めてなんで」

 『魅衣』と優歌が目を合わせるも、

 「ま、いいか。とりあえず値段はそういうコトで。あとスケブはリクエストなしだったら三冊まで預かっといていいから」
 「わかりました!」
 「じゃあ、アタシ、挨拶まわり行って来るから、よろしくー」

 と言って、優歌は自作の本を数冊持って、人ごみの中へと消えていった。

 「じゃあ『由宇』さん、ここに座ってください」
 「え、あん、うん」
 
 『魅衣』がイスを組み立て、祥子にすすめる。
 そして、
 
 「売り子、初めてなんですよね。でも、別に難しいコトなんてありませんから!」
 「そ、そうなんだ」
 「じゃ、ここに座っていてくださいね、私はちょっと横のサークルの人に挨拶してきます!」
 
 そういって、『魅衣』は両隣の机で似たように座っている人に話しかけ始めた。

 「なんか・・・色々とマナーがあるのかしらね」

 おそらくは全然知らない人だろうに、妙に会話が弾んでいる『魅衣』と、知らない人。
 祥子にとって、ここはもう異世界である。
 なるべく大人しくしておくのが賢明だろう。
 そう思い、姿勢正しく、チョコンと座り、人の流れを眺めていた。
 目の前を色んな人が行き来する。
 わき目もふらず素通りする人、本をチラチラと見る人、そして祥子を見る人。

 「・・・なんか、私も売り物みたいだわ」

 確かに恥ずかしい衣装ではあるのが、モリガン・リリスは他にもいる。
 それも自分より布地が薄かったり、ちょっと透けていたりと、すごい事になっている人もいる。
 そういった中では、祥子のモリガンは、地味と言えた。
 なのに、視線を常に感じる。どこか、自分の衣装に変なところでもあるのだろうか?

 「あのぅー」
 「え、はい」

 遠くを見ていたせいか、客が目の前にいたのに気づかない祥子。
 あわてて、

 「ごめんなさい、えっと、どっちですか?」
  
 立ち上がり、二冊の本を手に取り、客にたずねる。

 「両方・・・3冊ずつください」
 「3冊ずつ? ですか? えっと、はい、ありがとうございます」

 と言って、500円を渡して、5000円を手さげ金庫におさめる。
 昔、スーパーのレジでバイトしていた感覚がよみがえる。

 「ん・・・?」 
 
 それからようやく、客の顔を見たがまだ中学生くらいの女の子である。
 その子は本を受け取ったあとも、祥子を見ていた。
 こんな年の子に、売ってもいいのかしらね?
 と思いはしたが、頼りの『魅衣』は、横でお店を開いている人といまだ歓談中である。
 ま、いいか、と思い視線を戻すと、女の子はまだそこに立っていた。

 「どうしたの? あれ、お釣り、まだだっけ?」
 「あ、違います・・・えっと、お姉さん、ゾーン行かないんですか?」
 「ゾーン?」
 「あっちのコスプレゾーン・・・できれば写真、欲しいなぁと思って」 
 「写真?」

 見れば、その子の友達らしい二人の子ががんばってー、と声をかけている。
 それで、3冊ずつ買ったのだろう。
 つまり、本を買うから写真を撮らして欲しい、という事なのだろうか?
 とにかく、不可解な世界なのだから、そう考えるのが妥当だろう。
 なら、これだけ高い本というのもわかる気がする。

 「えーと・・・でも、なんで私なんか写真にとるの? ほかにもいっぱいいるじゃない?」

 ゾーンと呼ばれる場所では色んなキャラが決めポーズをとって、撮影されている。

 「おねーさん、とっても美人だし・・・モリガンかっこいいです」
 「あ、あら・・・そう?」 

 憧憬の視線。そう言われて悪い気はしないし、無下に断るのも忍びない。
 しかし、こんな格好で写真を撮られるというのは、やっぱり恥ずかしい。
 
 「ダメ・・・ですか?」

 すでに、女の子は泣きそうである。
 6冊の本を抱えて、肩を小さくしている。

 「あー、ちょっと待ってて・・・『魅衣』ちゃん! ちょっと!」
 
 呼ばれたのに気づいた『魅衣』が話していた相手におじきして、戻ってくる。

 「どうしたんですか、『由宇』先輩」
 「えっと、この子達が本買ってくれたんだけどね。写真が欲しいんだって。そういうものなの?」
 
 『魅衣』が女の子の方を向き、即答で。

 「ごめんね。これから忙しくなるから。お昼になったらゾーン行くからね」
 「ちょ、ちよっと・・・」

 有無を言わせぬ内容に、祥子が驚く。
 
 「6冊も買ってくれたのよ? 写真くらい・・・」
 「でも『由宇』先輩、今日は売り子なんですよ? 巡回しおわった人たちが来るのがこれからなんですから」
 「巡回?」
 「つまり、目当てのサークルを回り終わった後の青田刈りですよ。今回はそういう人たちがメインですから」 
 「・・・ああ、アレかな」

 確か、並んでいる時、横山が地図に蛍光ペンで線を引いていたような。
 『魅衣』はさらに、中学生の女の子に、

 「それに撮影許可もらってる? まさかケータイのカメラとか使う気じゃないよね?」
 「え・・・」

 後ろで待っていた二人の女の子が、あわてて持っていた携帯電話を後ろ手に隠した。

 「ダメじゃないの、そんなの。ルールは守らないと」
 「・・・はい」

 言われるままに言われて、女の子は二人の友達の所へと戻っていった。
 三人はそのまま、人ごみの中に混じっていく。

 「・・・ひどくない、今の?」
 「当然です」

 かなりきつい口調で責める祥子に、『魅衣』はキッパリと言い放った。

 「撮影許可をとってない上、ケータイカメラなんてダメですよ」
 「何でよ。いいじゃないの」
 「あのー・・・本気で言ってます?」
 「本気よ」

 『魅衣』は、なんともいいがたい表情で、

 「そんなのアリだったら、隠し撮りされ放題ですよ・・・とくに、モリガンとかやってると」
 「・・・隠し撮り・・・」

 しばらく考えて、祥子はやっと納得した。
 ゾーンに行かないんですか、と聞かれたのは、撮影できるのが、そこだけだからと。
 そして撮影するのには、どっからか許可をもらわないとダメ、というコト。
 でなければ、いつ、突然に撮影されるかわからない。
 つまり、コスプレをしている人間を保護しているのだろう。

 「・・・うーん。理解はしたけど」
 「はい、そういうコトです。でも、まるでコスプレ初めての人の質問みたいですねー?」

 キョトンとする『魅衣』。

 「あー、久しぶりだから、そう、ド忘れ」
 「はぁ・・・でも、そういうコトなら、楽しんでくださいね!」
 「あ、うん」

 別に全部バラしてもいいのだが、ここまでくると勢いがついてしまっている。

 「ところで、『魅衣』ちゃんさ、昼になったらあそこに行くの?」
 「ええ、そうですよ。さすがにずっと売り子じゃ、面白くないですから!」
 「え、じゃうダレが売るの?」
 「いつも通りなら、『刹那』先輩が。あ、でも今回は『璃宇』先輩もですかね」
 「へー・・・」

 永島は慣れていそうだが、横山は祥子と同じく初めてである。
 その上、今はダンテのコスプレをしている状態だ。

 「ぷっ」
 
 対岸の火事が、いっきに自分の家まで燃え移るのである。
 売り子をすると知ったら、どんな顔をするだろうか。
 祥子は微笑んだ。





 一方、横山は背中に刺した柄だけの剣を握ったまま、硬直していた。

 「すいませーん、こっち目線もらえますかぁ?」
 「次、こっちにもお願いしまーす」

 見もしらぬ女の子に囲まれ、あっちを向いたり、こっちを向いたり。
 そのたびにポーズを変えればいいのだが、当然、なれない横山は首だけをクルクル回している。
 少し離れた場所では、永島もポーズを決めていた。

 「・・・キツい・・・」
 
 その上、暑い。当然、カツラもムレる。
 しかし、どう切り上げればいいのか、そのタイミングもわからない。
 とうとう、限界がきて、カクンとヒザが床におちる。
 そのモーションはまるで、体力ゲージがなくなった瞬間のダンテに酷似していた。
 そのため、瞬間、一気にシャッターが押される。
 横山にとっては、もう、ワケがわからない。
 
 「じゃ、すいません、ちょっと外しますー」

 そんな横山に気づいたのか、永島が横山の側にやってきて。

 「ちょっと休むかー?」
 「た・・・助かった・・・」

 すぐにゾーンを抜けようとするが、

 「すいません、一枚だけ、ツーショットでお願いしていいですか?」
 「あ、私も」
 「私もお願いしますー」

 キリがなかった。



 
 
 「ホントに忙しくなってきた・・・」
 「だから言ったじゃないですか?」

 相変わらず、列を作るというものではないが、それでも客足がとだえる事はない。
 しかし、こうった本がこうも需要があるというのは、どうなんだろうか。
 正直、祥子もこういった事に興味がないわけではない。
 しかし、

 「あ、はい、500円のお釣りです」

 お釣りを渡しつつ、祥子は思う。
 男と男がその・・・アレな本なんだよなー。
 『魅衣』を見れば。

 「ありがとうございましたー!」

 と、なんの疑問もない様子だ。

 「・・・深いわ、この世界」





 やがて12時を回り。

 「お疲れ様ー、調子どう? 売れてる?」

 大量の本を抱えて、優歌が戻ってきた。
 その後ろには、グタグタになった横山と、それに肩を貸す永島の姿。

 「アレ、みて」
 「ダンテとレオン? イイ感じだよねー」

 優歌の本を買った女性が、そんな声をあげる。
 実際、祥子から見ても、ダンテに扮する横山は新鮮で、カッコイイかな、とも思っている。

 「で、どうしたの、コイツ。そんなグッタリとして」

 祥子が横山に寄り、額の汗を拭く。
 そして自分か座っていたイスに、横山を座らせる。

 「いやー、ずーっと女の子に写真とられててねー。俺から見てもイイと思うよ、ダンテ」
 「・・・ふーん」

 永島の言葉に気をよくする祥子。
 自分の恋人が誉められるというのは、自分が誉められるのと同じくらい嬉しい。
 しかし。

 「逆ナンとかされてたりー。あのカスミの子とか可愛かったよねー」
 「・・・ふぅん?」

 ピクっと祥子の肩が跳ねる。
 慌てた横山がすぐに口を開く。

 「いや、待てって、別に何にも・・・」
 「・・・ふぅん! 『魅衣』ちゃん、行くんでしょ! あっち!」

 ガン、とパイプイスを蹴り、祥子はコスプレゾーンへと向かった。

 「なんか荒れてんね、『由宇』ちゃん」
 「ねー、どうしたんだろーねー」

 永島と優歌は、まるで他人事のように、コスプレゾーンへと向かう二人を見送った。



 

 「・・・聞いてないぞ?」

 横山はダンテのまま、イスに座り、客を待っていた。

 「言ってないからねー」

 優歌から受け取った同人誌を流し読みしながら、永島は答える。

 「アンタもたいてい、ヒドイやっちゃねー」

 優歌が、客から預かったスケッチブックに絵を描きながら突っ込む。

 「はぁ」

 昼に戻ってきた優歌とまともに話をしてわかった事があった。
 永島と優歌は似た者同士。つまり、恐ろしくマイペースなのだ。

 「それに、男の手伝いはいらないって言ってなかったか?」
 「ああ、それは午前の話。午後はヒマになるから。もともと俺と優歌だけでやるつもりだったし」
 「じゃあさー、俺、抜けてもいいか?」
 「なんで? ああ、さっきのカスミの子のとこにいくとか? おっきかったからねー」
 「な、なにが・・・?」
 「胸」
 「・・・頼むからさぁ、そういうコト、祥子に言わないでくれよ・・・」

 とにかく、と、横山は立ち上がり。

 「ちょっと祥子の様子を見てくる」
 「なんだ、最初からそう言えばいいのに、心配なんでしょ?」
 「まー・・・なんだ、ナンパとかなぁ」
 「基本的には禁止なんだけど、マナーの悪い人はどこにでもいるし。行っておいでー」
 「ん。2時30分に帰るんだよな?」
 「まー、片付けもあるから、10分前には戻ってきてー」
 「オッケ。じゃあ、優歌さん、ちょっと行ってきます」
 「あいよ。悪かったね、こんなの売らせちゃって」
 「いえ・・・じゃあ」

 そうして、横山はコスプレゾーンへと向かった。
 あとには二人だけが残る。
 シャッシャッとイラストを描く鉛筆の音だけが二人の間に流れる。

 「・・・」
 「・・・」
 
 予想通り、客足は減り、ただ何もない時間だけが過ぎていく。

 「・・・ねー」
 「・・・なに?」

 最初に口を開いたのは永島だった。

 「あの二人を見てどー思う?」
 「・・・それが聞きたくて、連れてきたの? 別に今回、手伝いなんていらなかったんよ?」
 「まぁ、そう言わずに。率直な意見を聞かせてよ」
 「いいんじゃないの? 多少、ジェラシー目立つけど」
 「アレくらいが可愛いんじゃないの。男心のわかんない人だねー」
 「・・・なんかつっかかるね、今日は」

 イラストを描く手を止めて、優歌が永島を見る。
 永島はすでに優歌を見つめていたままだった。

 「・・・なに?」
 「べっつにー、たださぁ、優歌って俺のどこがいいのかなぁーと思って」
 「またその話?」

 やはり、優歌はそっぽを向いて。

 「何回も言ってるし、何回も言わせるこっちゃないでしょうに。一目ぼれなの」
 「・・・そっか」

 永島は立ち上がり、優歌に。

 「ちっょとタバコ吸ってくるから」
 「あいよ」

 優歌は再び、イラストを再開した。





 会場の外に設置されている喫煙ゾーンには、よく知った顔があった。

 「ねぇ、そこのダンテさん。火、貸してもらえますー?」
 「え、あ、どう・・・ぞ、ってか」

 横山は永島のくわえていたタバコに火をつけてやる。

 「ふぅー」

 煙を吐き出した永島の顔を見て、横山が怪訝な顔をして。

 「なんかあったか?」
 「・・・お前さ、ホント、親友だよなー」
 「な、なんだ、それ」
 「隠し事ができないってコトー」

 永島はタバコの火に視線を落としたまま。

 「俺、優歌と別れよっかなって。今日が最後かなーって」

 いつものような軽く、間延びした口調だったが、そこにはいつもと違う真剣さがあった。

 「・・・なんだ、それ」
 「俺さ、優歌のコト、最初は好きってほどじゃなかったんだよ。座ろっか」
 「ん、ああ」

 部屋に設置されているベンチの、一番奥に向かう永島。
 
 「今朝も言ったけどさ。優歌が俺のどこが気に入ったのか、よくわかんないし」
 「ああ、言ってたな」
 「最初はそれで良かったんだけどねー。同じ趣味の友達って程度にしか考えなかったし」
 「・・・お前、そういうヤツだったっけ?」
 「昔はね」
 「昔か」
 「お前だって、昔は今とぜんぜん違ってたよ。もっと陰鬱としてた」
 「・・・」
 「俺もそう。気の合う人以外には興味も関心もなかった。ただ態度にださなかった。そして昔はそれが出来た」

 横山は短くなったタバコを灰皿に押し付ける。

 「けど今はそれが辛い。意味、わかる?」
 「・・・最初は好きってほどじゃなくて、今は好きってコトなんだろ?」
 「さすが。確かに優歌は祥子ちゃんみたいに、面倒見よくないし、気配りもできない」
 「・・・」
 「それに、オシャレとかも興味ないみたいだし、流行にも、うとい」
 「・・・」
 「けど、何かひかれるものがある。そんな何かを優歌からは感じられるんだ」
 「・・・なら、それでいいんじゃないのか?」
 「普通ならそれで満足できる、いや、するべきなんだろうけどね」

 新しくくわえたタバコに、横山が、また火をつけてやる。

 「だけど、人はそうすぐに変わらない。昔の俺が思うんだよ」
 「ん?」
 「一目ぼれ。それが、俺が優歌を信じられない理由なんだよ。見ただけで、人を好きになれる? 何かを隠すには都合のいい言い訳にしか思えない」
 「信じてやれないのか? なのにつきあったのか?」
 「言ったろ。昔はそれで良かったって。でも今は理由が欲しい。けど、今のまま続くなら、俺は、俺に言えない程度の何かで、優歌がつきあってるとしか思えない・・・」
 「お前はわがままだな・・・」
 「そうだよ。俺は昔の自分が嫌いなんだ。だから、そう変わらない今の自分にも自信がない。こんな俺を好きになってくれるなら、その理由が知りたい」
 「・・・じゃあ、逆に聞くけどさ」  

 横山はもうわかっていた。
 その顔には笑いさえ浮かべていた。
 自分よりも、器用で、人付き合いが上手い。
 そう思っていた親友が、本当の恋を知るのが初めてだったとは。

 「お前は優歌さんのどこが好きなんだ。今のお前は?」
 「・・・え?」
 「言葉にできるか? ハッキリとコレだって理由を今すぐ、俺に言えるか?」

 考えて、永島が愕然とする。
 何度も言葉を吐き出そうとする唇が、開いては閉じる。
 ようやく。

 「それは優歌の・・・こう、暖かさが心地いいんだよ。何ていうか・・・その」
 「そう。何ていうか、わかんないんだよ。人を好きに・・・心から好きになるとな」
 「・・・」
 「だから、理由をつけるのさ。好きな人に自分の心を知ってもらいたいから、何とか言葉にする。都合のいい言い訳でも、なんでも、言葉にして伝えようとするんだ」
 「・・・」 
 「お前さ、今、すごくカッコ悪いぜ?」

 笑う横山。

 「そーゆーお前は、すごくカッコイいいよ」

 永島も笑い返す。

 「じゃあ、カッコ良くなってこいよ。善は急げだ」
 「・・・ありがと、な」
 「まぁ、俺も経験者だからな」
 「そうだな。先輩だよなー」

 永島は、すぐに優歌のもとへと戻って言った。

 「・・・」

 一人になり、冷静になって今の自分のセリフを反芻する。

 「・・・うわ、恥ずかしー」 

 



 優歌は、まだイラストを描いていた。
 いつもと変わらない優歌。 
 ゆっくりと歩いて近づく。
 そして気づいた。

 「あれ・・・?」

 今朝、会ったばかりの時は、ほつれていた三つ網はキッチリと結いなおされている。
 鉛筆を握る右手に小指には、小さなアクアマリンのリングがはめられている。
 その爪先には淡いピンクのマニキュア。
 唇にも、同色のルージュがひかれている。
 まっさらのYシャツの首元からわずかにのぞく、ペンダントのチェーン。
 どれも、派手にならないように抑え目にされたものだ。
 なによりも、今朝は間違いなく、そういった事はしていなかったはずだ。

 「・・・そっか」

 本を買いに行った時だろう。
 毎回、時間がかかりすぎると思っていた。
 むしろ、回を重ねるたびに、時間がかかるようになっていた。
 
 「俺ってホント、カッコ悪いなー。けっこうフェミニストのつもりだったんだけどなー」 

 『魅衣』などには、優しく振舞っている。祥子にも。
 しかし、一番、身近にいる優歌。
 彼女にもそうしていただろうか?
 むしろ、そうだとしても、それではいけないのではないか?
 誰にでも優しくする事は、とても簡単な事だ。
 けれど、特別な人ならば、その人だけに出来る事がある。

 「ただいまー」
 「おかえり」

 優歌は隣に腰を下ろす永島に目もやらない。
 ただイラストを描き続けている。
 机の上にヒジをのせ、その手のひらに頭を乗せて長島は優歌に声をかける。

 「ねー、優歌」
 「なによ」
 「ねー、あのさ」
 「なに?」

 眉をひそめて、完成間際のイラストから、永島へと顔を向ける。

 「早く言いなって」

 その言葉を口にする前に、ふと、気づく。
 俺、初めて言うなー。

 「好きだよー」
 「はっ・・・?」
 「だから。俺、優歌が好きだよー」
 「え・・・は? ああ? え・・・」

 唐突な永島の言葉をようやく理解したのか、みるみる優歌の顔が赤くなる。

 「・・・なに、言ってんのよ・・・」

 そして、そっぽを向いてしまう。
 それは永島の予想通りだった。
 今までも、そうだったのだろう。
 思えば、告白された時も、優歌はそっぽを向いていたような記憶がある。

 「今までは聞くばっかりだったし。俺ねー。その長い黒髪が好き」
 「う、うるさい、なんなんよ、突然」
 「あとね、気が強いところも好き」
 「黙れって、なに考えて、こんなとこで」
 「まだあるよ。実はスタイルいいとか」
 「ばっ、だまれ、うるさいって・・・」
 「でも一番に好きな部分は、そうやって恥ずかしがる仕草だなー」

 ずっとそっぽを向いたまま、優歌は固まっていた。
 
 「う・・・」

 一瞬だけ、小さな嗚咽のようものが聞こえたが。
 すぐに優歌は永島を振り返り。

 「いーかげんにしろって、ったく、恥ずかしいやっちゃね! スフゲ取りに着たら渡しといて。アタシはトイレ行ってくる」
 「はーい」

 スケブを渡すと、優歌は走って行ってしまった。





 しばらくして。
 『魅衣』と祥子が戻ってくるなり、永島は質問責めにされた。
 横に座っている横山は、すでに話を聞いているので、とくに驚かない。

 「ちょっと、なんかしたの? さっきさ、優歌さんとすれちがったんだけど・・・」
 「泣いてましたよ! ケンカしちゃったんですか!?」
 
 永島は苦笑して、

 「ん。俺が悪いんだ」

 横山も。

 「そ。コイツが全面的に悪い」

 それを見て祥子が怒り出す。

 「なに笑ってんのよ。男が女を泣かすなんてサイテー!」
 「そうですよ、優歌さんがかわいそうです!」

 とは言いつつ、祥子が思うに、明らかにいつもの横山とは違う。
 正義感とか、道徳に関しては、暑苦しいくらいうるさい男なのだから。
 たとえ永島の事だとしても、こうしてヘラヘラとしているはずはない。
 また永島にしても、ケンカして相手を泣かしたにしては、罪悪感すら感じさせない顔をしている。

 「・・・なんか隠してるわね」
 
 横山と永島が顔を見合わせ。

 「祥子ちゃんには、もちろん『魅衣』ちゃんにも今回は内緒ー」
 「ま、そういう事だ。オトコノコの秘密ってヤツだな」
 「気持ち悪いコトを言ってんじゃないの!」
 「で、だ。祥子、それに『魅衣』ちゃん。頼みがある」

 突然、話題を変えられた上、頼みごととは。
 けれど、横山の真剣に口調に、二人はうなずき。

 「なによ?」
 「なんですか?」
 「優歌さんが泣いてたのは見なかったコトにしてくれ。当然、俺も永島も、優歌さんが泣いていたコトなんて知らない。そういうコトにしてほしい。それで全部、オッケーなんだ」

 腕を組んで祥子が、

 「まぁ、いいわ。オトコノコの秘密なんでしょ。つきあってあげるわよ」
 「いいんですか、『由宇』姉さん! なんか男の人の勝手な都合で優歌先輩が泣かされてるなら・・・」
 「『魅衣』ちゃん、このバカコンビはも、こんなんでも結構、いいヤツらなの。だから大丈夫よ」
 「・・・わかりました」

 会話の中に不審なものを感じ、横山は祥子に近づき耳打ちする。

 「・・・『由宇』姉さん?」
 「なんかさ、『魅衣』ちゃんに、やたら気に入られてさー」
 「なんかあったのか?」
 「さー、ただ強引にナンパしてきたヤツラにケリいれただけなんだけど」
 「それだ」
 「やっぱり?」

 



 優歌が戻ってくると、すでに片付けは終わっており、後は帰るばかりとなっていた。
 着替えも終わっており、時間は2時40分と、予定を少しオーバーしていた。

 「あ、遅かったですね、気分でも悪かったんですか?」

 『魅衣』の問いに、優歌はいつものように。

 「あー、ちょっとね。なんでもないって。それより撤収準備してくれたんだ、さんきゅ」
 「いえ」

 優歌は、横山と祥子に向き直り。

 「じゃあ、今回はありがとうね、助かった。次回も、良かったら来てよ」

 軽く頭を下げて、

 「『魅衣』帰ったらさ、部屋のかたづけ手伝ってくんない?」
 「ええ、いいですよ!」
 「じゃあ、またねー」
 「お疲れ様でした!」

 と言い残し、二人は帰っていった。

 「おい・・・」
 「んー?」
 「ちゃんと言ったんだよな?」
 「え、だから優歌、今、ずいぶんと照れてたよー」
 「俺にはわかんなかったけどな。さすが」
 「ちよっとなんの話よ?」

 二人は声をそろえて。

 『オトコノコの秘密』
 
 と言って、やはり、横山だけは殴られた。










 後日。
 永島のもとに一通の手紙が届いた。
 差出人は優歌。
 封を開けると、中からは一枚の便箋に一行だけ。

 『うれしかった。ありがとう。大好き』

 とあった。
 最後の、き、の文字は水に濡れて、にじんでいた。 
 それを見て、永島は実感した。

 「優歌・・・俺の恋人・・・」

 頬と胸が急に熱くなり、恋というものを実感した。
 今度、顔をあわせた時、そっぽを向くのは自分かもしれない。
 苦笑して、その手紙を机の中へとしまいこんだ。





「言い訳」 END






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