かすみ草の咲く頃 (前編)






 日下部 桜。
 明るくて、積極的。よく気がついて、誰にでも優しい子。
 欠点なんてないんじゃないかな。
 私はその姉の霞。
 双子として桜と一緒に生まれたのが17年前。
 ずっと一緒に暮らしてきたけど・・・
 だけど、私はあの子とは全然違う。
 お世辞にも友達が多いとは言えないし、独りでいる事が多い。
 今日もいつもと同じ。
 昼食後の中庭。
 芝生の上に座り、大きな木に背をあずけて本を開く。
 暖かい日差しと柔らかい木の感触。
 昨日と同じ感触。
 何も疑問に思う事のない時間。
 予令が鳴るまでの、私の時間。
 卒業まで続くと思ってた時間。
 そんな中、彼は現れた。





 「桜ちゃん」

 背後からかかったのは、落ちつきのある声。
 そっと振り向くと、先輩らしき年上の人が立っていた。

 「珍しいね、君が一人でいるなんて」
 「・・・」

 私がその人の顔を思い出すまで、少しかかった。

 「・・・君原さん、ですか?」
 「え、うん」

 ちょっと戸惑った様子。
 私は少し笑いながら、

 「私は桜じゃありませんよ」
 「え?」
 「姉の霞と言います。初めまして」
 「え、え?」

 慌てる君原さんに、私は慣れた口調で言葉を続ける。

 「よく間違えられるんです。双子ですから当然なんですけど」
 「あー・・・ごめん」

 バツの悪そうな顔の君原さん。

 「いえ、気にしないで下さい。よくある事です」

 私は笑いながら、桜ならたぶん教室ですよと続けた。

 「しかし・・・そっくりだなぁ」
 「双子、珍しいですか?」
 「いや・・・僕の身内にも一人いるけど、二卵性だから。でも、見分けつかない」
 「私達は一卵性ですから」

 私達はその後、予令が鳴るまでの時間、色々と話した。
 桜と学校の事くらいしか共通の話題がなかったけれど、とても楽しかった。

 「それじゃ、またね」
 「はい、失礼します」

 君原先輩。
 確か、桜が所属してるハンドボール部の先輩。
 桜がなんで彼の写真を大切にしているかも、なんとなく解った。
 多分、好きなんだろうな、桜。
 羨ましいようであり、私にはもう無理な事だと思った。





 学校から家までの20分。
 いつもなら、部活動をしてない私の方が早く家につく。

 「ただいま」
 「は、おはえり、おねーたん」

 居間の方から、桜の声。
 あれっ、と思いながら居間へ行くと、桜が脇にお菓子を置いて、TVの前で寝ころんでいる姿がある。

 「桜、早いね。部活は?」
 「ふん、ひょうはやふみはっは」

 口の中のお菓子のせいで、言葉だか声だかわからない。
 私もその横に座り込み、TVに目を向ける。
 SMAPとかいう、タレントの番組。
 あ、アイドルだっかな。
 どっちにしろ、私はそういうのはよくわからないけど、桜は好きみたい。

 「ねぇ、桜」
 「・・・」
 「・・・今日、君原先輩に会ったよ」
 「え?どこで?」

 いつもならTVを見てる時、私が話しかけても気づかないのに。
 私は言葉をつなげる。

 「中庭で。私と桜を間違えたの」
 「へー、いいなぁ。私も中庭に行けば良かったぁ」
 ホントに羨ましいといったカンジ。

 「いいも悪いもないわ。私は桜みたいに君原さんに片思いってわけじゃないもの」
 ポッと紅くある桜。
 予想はしてたけど、これほど分かりやすい答えもないものよね。

 「・・・ま、まだ片思いって決まったわけじゃないもん!」
 「そうね。ごめんね。君原さんも桜の事、好きかもしれない」
 「いや、そー言われると・・・」

 途端に、のの字を書き出す桜。
 そう言えば、最近になって桜は変わった。
 こういう言い方はあんまり良くないけど、女らしくなった気がする。
 ちょうど、君原さんの写真を飾り始めてからかな。
 恋をすると女は綺麗になる。
 どこかの小説じゃないけど、本当にその通りなのかな。

 「がんばってね、桜」
 「応援するより、おねーちゃんも好きな人、見つければ・・・・」

 言い出して桜はしまったという顔をする。

 「いいのよ、桜。もう忘れた事だから」
 「・・・ごめん」
 「気にしないで」

 忘れた事。
 二年前、それがつい最近のようにもだいぶ昔のようにも思える。
 ・・・一葉さん。
 でも、やっぱり昔の事。
 私の部屋の伏せたままの写真立て。
 いつか謝る為にずっと置いたままのもの。
 でも、謝る事もいつの事になるかしらね。
 貴方が心に残りすぎてるからよ、一葉さん・・・





 真っ白な病室のベッド。
 春の訪れを知らせるように暖かさを含んだ風が窓から入り見込んでいる。
 偶然にしろ・・・・
 一葉さんが助かる見込みがないという事を知ってしまったあの日の光景だった。
 いつものように、一葉さんのベッドの脇の椅子に腰かけている。

 『もう少しすれば退院できるからさ。そしたら一緒に公園へ行こう』

 いつもと変わらぬ一葉さんの笑顔。
 いつもと違って見えたのは、私が知ってしまったから。

 『・・・・・・・・・』
 『行きたくないのか?俺達が初めて会ったあの公園・・・』

 一葉さんは知っている。
 もう自分が長くない事を。明日とも知れないその命である事を・・・
 それなのに。

 『霞にサンドイッチでも作ってもらってさ。芝生の上で一緒に・・・』
 『・・・もういい!!』
 『・・・霞?』
 『私になんて気をつかわないで!』

 やりきれなかった。
 自分が死んでしまう事がわかっているのに、私に優しくしてくれる一葉さん。
 いっそ、嫌ってくれればいいと思うくらいに辛かった。

 『おい・・・どうしたんだよ』
 『・・・私・・・私』
 『もしかして・・・聞いたのか・・・』
 『・・・』
 『そうか』
 『・・・何で今まで・・・教えてくれなかったのよ・・・』
 『・・・』
 『今まで・・・・なんでも教えてくれたのに・・・』
 『霞・・・』

 私は泣いていた。
 悲しくて、悔しくて。
 こんなにも好きなのに何もできない自分。

 『一葉さん・・・お願いだから死なないでよぉ・・・』
 『・・・』
 『一葉さん・・・一葉さぁん・・・』
 『・・・すまない』

 その時、優しく渡し(私)の手を握ってくれた一葉さん。
 それが最後の温もりだった・・・
 一葉さんが逝ったのは、それから一週間後の事。
 葬式には行かなかった。
 行けなかった。
 行ってしまったら、本当に死んでしまったと思ってしまう。
 もう二度と一葉さんの笑顔は見れないんだって思ってしまう。
 だから、ずっと家で泣いていてた。
 いっそ涙なんか枯れてしまえば、どれほどいいだろうと思うほどに。
 桜にも心配をかけて、学校にも行かずに、ずっと独りで泣いていた。
 今になってもその悲しみは、はっきりと私の心の中にある。
 思い出が必ずしもいいものだけではないと知るには、私はあまりにも子供だった・・・





 「・・・一葉さん」

 夢からさめて・・・私はゆっくりと目を開けた。
 頬に何か暖かいものが伝わるのを感じながら。
 懐かしい。
 まだ一葉さんが生きている頃の日々。
 机に目をやれば、私と一葉さんが写っている写真立てが伏せられたままおいてある。
 ふと起こそうとしたけど、手を止めた。
 見てしまえば、また泣いてしまうだろうから。

 「・・・」

 空はもう白みかけていた。
 時計は5時を少し回ったところ。
 シーツをはがし、私は着替えをはじめた。
 一葉さんと出会った公園に出かける為に。
 もしかしたら、一葉さんにあえるかもしれない・・・
 そんな夢と現実を混同できるほど、私はロマンチストじゃない。
 厚手のワンピースの上にコートを羽織りポケットにタバコとライターをつっこむ。
 初めて会った公園。
 そこへ今も出かけるのは、一葉さんが好きなものがあるから。
 ただ、それだけの為に私はでかける。





 秋の初めとはいえ、玄関を出た瞬間から冷たい風が私を包む。
 取り出したタバコをくわえて、火をつけながら私は公園へと歩き始めた。
 銀色のちょっと角のへこんだライター。
 一葉さんが入院してタバコを吸わないようにって、私が取り上げたもの。
 退院したら返してくれよ、なんて笑いながら言ってたっけ。
 でも、私が使うなんて思ってもみなかっただろうなぁ・・・

 「・・・」

 吐き出した煙が朝もやに霞んでいく。
 よく勘違いされるけど、私は俗にいう「いい子」じゃない。
 成績優秀がそのものさしなら、結構「いい子」なんだろうけど。
 煙がゆっくりと霞んでいく。
 人の通らない景色の中を15分ほど歩いただろうか。
 大きな一本の木が家々の屋根より突き出しているのが見える。

 「・・・ここだけはいつもあの頃のままなのね」

 公園というには、あまりにも小さい公園。
 柵で囲んだだけの敷地の真ん中に、大きな木とベンチがあるだけ。
 私は木に背を預ける。
 大きくて、頼りがいのある背中のような感覚。
 まるで一葉さんの背にもたれているみたい・・・
 友達に「霞って大人だよね」、なんて言われてその気になってた頃。
 ちょうど一葉さんに告白したんだっけ・・・

 『君はまだ恋に憧れているだけだよ』

 そんな一葉さんの言葉は、私のちっぽけな自尊心を引き裂いた。
 今思えば、本当にそうだったのよね。
 皆より大人の私が恋も知らないなんて思われたくない、くだらない事。
 何度も何度もアタックして。
 その度に一葉さんに断られて。
 やがて友達から「諦めたら?」なんて言われて気づいた。
 いつから私はこんなにあの人の事ばかり考えるようになったんだろうって。
 次に会った時、私は今までの事を謝った。

 『今まで失礼な事ばかり言ってごめんなさい・・・』
 『ん』
 『でも・・・私の事、嫌わないで下さい』
 『え?』
 『好きになってもらわなくてもいいですから・・・嫌いにならないで下さい・・・』
 『・・・今日の霞ちゃんさ、いつもより大人っぽいよ』
 『え・・・?』

 その意味を理解したのは、その夜ベッドの中でずっと考えた後の事だった。
 そして自分が今、初めて恋をしているのだと気づいた。
 本当に大人だった一葉さん。

 「・・・抱いて欲しかったな」

 言ってから、自嘲する。
 私はまた背伸びしている。
 愛という言葉に・・・
 大人の恋という言葉に憧れているだけの子供なのに。

 「お姉ちゃん?」
 「え?」

 いつの間にか、目の前には桜が立っていた。
 どうやら、私がいない事に気づいてここに来たのだろう。
 桜は私がたまにここに来ている事を知っている。
 逆に言えば、私が学校以外で出かけると言えば、ここ以外にはない。

 「ねぇ・・・今、何かすごい事言ってなかった?」
 「・・・さぁね」
 「・・・一葉さんの事、考えてたの?」
 「ん・・・ちょっと」
 「ふぅん・・・」

 桜を小石をコロンと蹴りながら木を見上げる。
 何気なしに、その桜の爪先を眺める私。

 「・・・タバコ、吸ってたんだ」

 私の足下でもみ消されたタバコを見ながら、桜は少し小さな声で聞く。

 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・ねぇ、お姉ちゃん」

 再び、沈黙を破ったのは桜だった。

 「え?」
 「今日さ、せっかくの休みなんだから、どこか遊びに行かない?」
 「どこか?」
 「うん、隣町までショッピングとかさ」
 「・・・いいわね」
 「決まり!」
 「・・・ありがと」
 「え?」
 「何でもないわ。そろそろ戻ろうか」
 「そうだね、まだちょっと寒いし」

 きっと私を慌てて追いかけてきたんだろう。
 桜は寝間着の上にコートという、見てるだけで寒くなりそうな姿でいる。

 「じゃ、帰ろ」

 と言って桜は私に手を伸ばす。

 「何?」
 「手、つなごうよ」

 桜は少し、恥ずかしそうにしながら私を見る。
 私は微笑みながらその手をとった。
 桜と手をつなぐなんて何年ぶりだろう?

 「お姉ちゃんの手、冷たい」
 「桜の手は暖かいわよ」

 一瞬、

 『霞の手、冷たいな』
 『一葉さんの手は暖かいわ』

 立ち止まってしまった私に引かれ、桜がつんのめる。

 「どうしたの急に?」
 「・・・ううん。何でもないわ。行こ」





 お昼になり。私と桜は朝の約束通り、隣町へと向かっていた。
 地元の駅から10分ほど揺られて着いた駅。
 すこし景色と空気の違う街が広がっている。
 改札を出た私達は、まずお腹の機嫌を取るためにマクドナルドへと向かった。

 「ね、どこへ行こうか?」

 トレイの上をあらかた片づけた桜がポテトをかじりながら私を見た。

 「そう・・・ね、どこがいいかな」
 「お姉ちゃん、行きたいところある?」

 そう言われて私は少し笑う。
 桜が『どこかに行きたい?』
 そう問いかけてくる時は、自分が行きたい所がある時だと知っているから。
 私は桜が期待している返事を返す。

 「桜は行きたい所あるの?」
 「うん、峰塚通りのアンティークショップ!」
 「峰塚通りにそんなお店なんてあった?」
 「最近できたの。友達に教えてもらったんだけど、そこのバイトの人ってカッコイイらしいの」
 「・・・浮気性ね」

 わざと意地悪に言ってみる。

 「ノンノン。単なる好奇心よ。君原さんへの想いとは比べものにならないの」
 「はいはい」

 私達は店を出た後、桜の言う好奇心を満たしに峰塚通りへと足を向けた。
 呼び込みや有線の溢れるような賑やかな通りから一本奥まった道。
 喧噪が少しだけ薄まったアスファルトを、私達は他愛もない会話を交わしながら歩く。

 「でもさ、桜」
 「なに?」
 「君原さんって結構人気あるんでしょ?」 
 「うーん、昔のウチの学校にあったRN信仰なみかなぁ・・・」
 「な・・に? RN信仰って?」
 「3年くらい前っていう話だから、先輩がその先輩から聞いた話だけど・・・」

 ・・・・・・・・・

 「・・・という話。だから二人のイニシャルを合わせてRN」
 「それで?」
 「いや・・・それでといわれてもそれだけ。あ・・・ここだ」

 話に夢中になっていたせいか、私達は目的地を通り過ぎる所だった。
 木のボードに飾り文字で『草偲縁』描かれた看板が目につく。

 「・・・そう・・・しえん、かな?」

 桜が何となく読めそうで間違っていそうな読みかたをする。

 「ま、いいや。とにかく入ろ」

 いそいそと入っていく桜に、私も桜の開けたドアをくぐる。
 チリン・・・
 ドアベルの乾いた音が染みるように響いた店内は、そう広いものじゃなくて落ちついた雰囲気だった。
 アンティークはもちろん、それを飾る棚や壁も少し古ぼけたそれでいて懐かしさを思わせるもので統一されている。
 流れている曲もオルゴール調の静かなもの。
 雰囲気だけで酔ってしまいそうな空間。

 「へぇーイイ感じのお店だね」

 桜がふらふらと棚を見回っていく。
 好奇心とかなんとかも忘れて。
 私も桜と同じく、棚を見て回った。
 ブリキのおもちゃ、カチカチと動く懐中時計、蓋を開けると鳴り始めるオルゴール。
 どれもこれもがゆっくりとした時間の流れの中にあるようなものばかりで。
 その中の一つで、私はふと目を止めた。
 指輪。
 飾りはただ一つの花弁だけがあしらわれていて、その色さえも剥げ落ちてしまった淋しい指輪。
 まるで今の私みたいな・・・指輪よね。
 手にとって中指にはめてみる。
 ちょっと小さい。

 「・・・・・・・・・」

 少し躊躇してくすり指にはめてみるとすんなりと入っていく。
 いいな、これ。

 「お姉ちゃん、何かいいものあったぁ?」

 なにやらゴチャゴチャしたものをたくさん抱えた姿の桜。

 「桜は・・・けっこうすごい事になってるわね」
 「へへへ」
 「お金足りるの?」
 「へへへ」

 首をかしげながら、

 「ちょっと貸して、ね?」
 「はいはい」

 店の人は桜が言っていた想像の人物とはかけはなれていた。

 「決まったかね、お嬢さんがた?」

 けっこう年のいったお爺さんが古いレジの前に座っていた。

 「はーい」

 当初の目的を忘れるほどの品物をずらずらと並べていく桜。

 「ほうほう、こりゃまた大変な数だ」
 「あはははは」

 和気あいあいといった雰囲気を作り出す二人。
 取り出したそろばんをパチパチしだすお爺さんに桜が、

 「レジは使わないんですか?」

 お爺さんはしわだらけの顔をもっとしわしわにして、

 「レジは間違えてくれないからの」
 「?」

 わからない答えがかえってくる。

 「ほい・・・おお、ちょうど千円だ」
 「千円?」
 「消費税はおまけにしとこうか」

 どう見ても千円という量じゃない。
 私の見立て・・・というか、値札の合計では少なくとも三千円くらいは・・・。

 「おじいちゃん、絶対間違ってるよ?」
 「レジじゃないからの、多少は間違ってるかもなぁ」

 ほのぼのと笑うお爺さんは、そろばんをちゃかちゃか振った。
 私はやっとさっきの答えの意味がわかった。

 「いいの?」
 「いいも何も、儂のそろばんは間違えても嘘はつかんよ」
 「へへへへ、ありがと」

 そういって桜は千円札を手渡す。

 「それじゃ、先に行ってジュースでも買ってくるねー」
 「あ、うん」

 パタパタと店から出ていく桜。

 「そっちの子は?」
 「あ、はい」

 呼ばれて、手の平におさめていた指輪を見せる。

 「こりゃまた古いものを」

 お爺さんはつけ加えるように。

 「メッキも剥げてしまって、最近の若い子がするには不釣り合いじゃが、ええか?」
 「ええ、構いません」

 ふとお爺さんは私の目を見て、しばらくして微笑んだ。

 「・・・なら、持って行きなさい」
 「え?」
 「もともと古い・・・とはいえ、ここはアンティークショップだから当然なんだが、そいつはちょっと値段のつけようがないからの」
 「そんなに古いものなんですか?」
 「そうさの・・・かれこれ五十年は昔のものじゃな」
 「五十年・・・・」
 「まぁ、それについては昔話もあるんじゃが・・・それはまた今度来てくれた時にでも話そうかの?」
 「じゃあ、また来ます」
 「そうかそうか、待っとるよ」

 お爺さんは嬉しそうに笑った。

 「じゃあ、頂いていきます」
 「大事にしておくれ」
 「はい」





 「おそーい」

 既に表で待っていた桜がふくれる。

 「うん、ちょっと話してて」
 「ふーん。んで、それいくらしたの?」
 「もらっちゃった」
 「え? いいなぁ」
 「あなただって大分安くしてもらったじゃないの」
 「それもそうだ」
 「ふふふ」
 「それじゃ帰る?」
 「そうねぇ・・・・」

 私はふと、ある本の事を思い出す。
 確かここらへんには書店がたくさんあるから、もしかして見つかるかもしれない。

 「私、少し寄っていくところあるから先に帰ってていいわよ」
 「そう? じゃあ私は帰るね」

 桜が抱えている袋、その止めてあるセロテープは一度はがしたあとがある。
 よっぽど気に入ったものを買ったのだろう。

 「お姉ちゃんもあんまり遅くならないでねー」
 「はいはい」

 駅へといつもより少し速い歩調の桜。

 「・・・さて」

 私が向き直った時。

 ドンッ!

 「ん!」
 「ってー・・・」
 「す、すいません」

 草偲縁に入ろうとしていたのだろう男の人と思いきりぶつかる。
 私のおでこと多分、男の人は鼻の頭だろう。
 痛かったに違いない。

 「あ、ああ・・・俺も、よそ見してたから」
 「本当にごめんなさ・・・い・・・?」

 私の中で時間が止まる。

 「そんな・・・」
 「・・・え?」

 涙が自然に・・・溢れる。

 「・・・ど、どしたの?」

 ちょっと困ったような雰囲気・・・何度も見た事のある、そんな仕草・・・

 「一葉さん!」

 そこには間違いなく一葉さんが立っていた。
 叫びながら私は強く抱きしめていた。

 「一葉さん!一葉さん!」
 「お、おい、ちょっと・・・」

 チリン・・・

 「何事じゃ?」
 「あ、店長」
 「おや、さっきの子ではないか、知り合いだったのか陽一君」
 「それが何がなんだか・・・」
 「ま、ええわ。とにかく中に入りなさい」
 「あ、はい」
 「・・・一葉さん・・・」





 私が落ちついたのはそれから一時間くらいした後。
 お爺さんは用意してくれた椅子に私を座らせて、お茶を出してくれた。
 隣には一葉さん・・・によく似た人が座っている。

 「ふむ・・・そんなに似ておったなら仕方ないの」
 「すいませんでした」
 「俺は別にいいって」

 何気に頭をかく。
 そんな仕草まで一葉さんそっくりのこの人は梓さん。
 同じ高校生で三年生だと聞いた。

 「・・・あれ?」
 「え?」

 陽一さんは私の指にはめられた指輪を見てキョトンとする。

 「この指輪って確か、店長?」
 「ああ、この子にあげたんじゃ。文句あるか?」
 「いや、別に文句はないけど・・・今まで全然売らなかったからさ。値段なんてつけられんとかなんとか言って」
 「だから値段をつけとらん。やったと言ったろうが」
 「いや、そういう問題じゃなくてさぁ」
 「あの・・・そんなに大事なものだったんですか? でしたら・・・」
 「いやいや。飾っておくよりもあんたみたいないい子がつけてくれた方が喜ぶて」
 「店長さぁ、俺とこの子に対する口調と態度が違いすぎない?」
 「そうか?んじゃ、言い直そう。この子に指輪をさしあげたんでぞさりまするぞ、陽一ぼっちゃん」
 「・・・店長、俺で遊ばないでよ・・・」
 「あの・・・」

 お爺さんはゆっくりと笑って、

 「嬢ちゃん、さっきの話じゃが聞いてくれるか?」
 「さっきの・・・昔話というやつですか?」
 「おうおう、それじゃ」

 陽一さんが一つ溜息をもらす。

 「年寄りの話は長くなるぞぉ」
 「陽一君、今日の君の仕事は茶汲み坊主じゃ」
 「げ」
 「今日は店じまいじゃ。これもバイトのうちと思って旨い茶を煎れるのだぞ」
 「へーへー」

 と、勝手知ったるなんとやらなのか、陽一さんは店の奥に続く部屋へとドシドシとあがっていく。

 「店を閉めるって私の・・・」
 「いやいや気にするでない。もともと趣味の店じゃし、知らない人と話す為に作ったようなもんじゃからの。独りも長いと寂しいもんじゃからな」
 「お一人・・・なんですか?」
 「ああ、だいぶ前に連れ合いを亡くしての」
 「あ・・・」
 「気にするでないよ。今からする昔話も似たようなものじゃから」
 「・・・・・・」
 「少し長くなるかもしれんが・・・・?」
 「ええ、私はかまいません」
 「ホントに長いぞぉ、夜が明けるぞぉ」

 お盆に三つお茶を煎れてきた陽一さんがおどけるように現れる。

 「はい・・・あ、えっと名前なんていうの?」

 お茶を差し出しながら、陽一さんはたずねかける。

 「遅れました、日下部 霞です」
 「そ、はい霞ちゃん」
 「・・・ごめんなさい、できれば名字で」
 「あ、ごめん馴れ馴れしかった?」
 「いえ・・・ちょっと思い出しちゃうから」
 「・・・そっか。ごめんね」
 「まったく心遣いの足りぬやつだの」

 いつの間にお盆から取ったのか、お茶をすすりながらお爺さんが言う。

 「それに・・・お茶請けがないんでないか?」

 確かにお盆の上には湯飲みがあと一つしかのっていない。

 「茶色の棚の一番上に羊羹があった気がするがなぁ?」
 「店長、それってこの前うまいうまいって喰って・・・」
 「儂はあったような気がするぞ? なければ今日のバイト代は考えねばならんなぁ」
 「はいはい、買ってこいって事ね・・・」

 慣れた手つきでレジからお金を出す陽一さん。

 「茶が冷める前に帰ってこいよぉ」
 「はいはいはいはい」
 「・・・」

 とても雇い主とバイトとは思えない雰囲気。
 チリンと音だけを残して陽一さんは出ていった。

 「いつもああなんですか?」
 「ほ?」
 「いや・・・こんな風に」
 「ああ、陽一君か。優しい子じゃよ。たいして給金もよくない、暇に仕事をずっと続けてくれておる」
 「・・・」
 「あの子はぶっきらぼうだが・・・こんな年寄りに良くしてくれる」
 「ええ」
 「一時期・・・儂が体調を悪くした時も色々と面倒を見てくれての」
 「・・・」
 「おおっと、こんな話、陽一君にするでないぞ。照れまくって暴走するからの」
 「ふふふ」
 「ほっほっ」





 「そんなわけで・・・その指輪は結局渡せずじまいでの」
 「・・・」

 まだお爺さんが二十歳の頃、一人の女性と恋に落ちた。
 女性の名は美幸。
 ただ、身分違いの恋だったという。
 お爺さんは由緒ある、そして厳しい家の長男。
 対して美幸さんは百姓の娘。
 家柄を重んじるお爺さんの両親は当然その仲を許すわけもなく。
 駆け落ちを決心し、その待ち合わせ場所にこの指輪を持っていったのだという。
 だが、一晩経っても美幸さんは姿を現さなかった。
 そしていつの間にか美幸さんの家き引き払われていたという。

 「後日、人づてに美幸からの手紙が届いた」
 「手紙には・・・?」
 「ずっと好いてます、その一言だけじゃったよ」
 「・・・・・・」
 「しばらくして、儂は見合いをし結婚した」
 「何で・・・追わなかったんですか、探さなかったんですか、美幸さんを・・・」

 私の責めるように言葉にもお爺さんはただ首を振るだけだった。

 「・・・探せなかったよ」
 「・・・」
 「美幸の両親は儂の両親から仕事をもらっていた。それを儂の両親は差し止めておったのだ・・・・無論、儂らの仲を裂くためにな」

 おじいさんは一つ、息を深く吐く。

 「だが、駆け落ちが事前に知られておったのだろう。何かしら理由をつけて、儂の両親は美幸の家族をどこかへ追い払ったらしい」
 「・・・そんな」
 「とても・・・顔を合わせる事ができなかったし・・・会う事など」
 「・・・」
 「結婚した後もずっと忘れずにおったし、美鈴・・・これが儂の結婚した相手じゃが、美鈴にも悪いと思っておった」
 「・・・」
 「いつしか、美鈴が美幸の事を知り、こう言ったよ」
 「・・・」
 「『貴方が美幸さんを愛していても、私は貴方を愛しています。それだけで幸せですから、美幸さんの事はずっと忘れないでいてあげてください』とな」
 「・・・よほど・・・」
 「ああ、儂の事を愛してくれたよ。美鈴の言葉を聞いて、何度もその指輪を捨てようとした」

 お爺さんは懐かしそうにして、私の手を持ち、指輪を眺める。
 いとおしさと哀しみがごっちゃになったような、柔らかい眼差しで。

 「だが、持っていればいつか美幸に会える気がしての・・・」
 「お爺さん・・・」
 「ほほ・・・少し長くなったの」

 今まで話を流すように、だけど少し淋しそうに笑う。

 「やはりお返しします」
 「いや・・・持っていて欲しい」
 「でも、そんなに思い出のつまった・・・」
 「そう・・・その指輪には悲しい思い出しかない。できれば君が優しい思い出をその指輪に吹き込んでもらえんかの?」
 「優しい・・・思い出・・・」
 「ああ、古ぼけた指輪じゃし、縁起のええもんでもないが」
 「・・・はい」
 「ありがとう、霞さんや」

 さて、とお爺さんが立ち上がる。

 「陽一君は丈夫を気取っておっても、あれでなかなか涙もろくての」
 「?」

 お爺さんはドアへと向かう。
 開けた所には背を向けた陽一さんの姿。

 「何をやっとるんじゃ?」
 「あ、お、いや」
 「すっかり茶が冷めてしまったわ」
 「ちぇ、煎れなおしますよって」
 「当然」
 「うー」

 私の横を通り過ぎる時、かすかに陽一さんの目がうるんでいた。
 ・・・聞こえていたんだろうけど、ホントに涙もろいみたい。

 「ふふふ」
 「え、何?」
 「なんでもないわ、陽一さん」
 「ちぇ」
 「さて、どうするかね?時間があるなら陽一の煎れ直した茶でも?」

 私はちらりと時計を見る。
 8時をだいぶ回っている。

 「いえ、今日はもう失礼します」
 「そうかそうか」
 「今日はありがとうございました」
 「なんのなんの、暇ならまた来ておくれ。儂以外にも喜ぶヤツがおるでの」
 「?」
 「いや、こっちゃの話じゃ。おーい、陽一君や!」
 「なんすか?」

 ひょこっと顔だけを出して返事をする陽一さん。

 「霞さんが帰るそうじゃから送って行け」
 「え?」
 「あ、そんな、いいですよ」
 「まぁまぁ、春とはいえもう外は暗い。
多少どころかだいぶ頼りないが、送り狼になる度胸もない小心者じゃから安心してええぞ」
 「誰が送り狼だっつーの」
 「・・・」

 私の中で・・・正確には昔の私が返事をした。

 「ご迷惑でなければ・・・お願いします」
 「あ、いいよ、全然。年寄りの相手よりは断然いいもんな」
 「今日のバイト代は・・・」
 「ハイソなジョークっす・・・」

 孫をからかう悪戯好きのお爺さんって感じ。

 「ふふふ」
 「ちぇ」

 肩をすくめる陽一さん。

 「それじゃ、行こうか日下部さん」
 「はい、それじゃお爺さん」
 「おう、また来ておくれ」





 「災難だったねー」
 「え?」

 草偲縁から出て最初の一言。

 「年寄りのつまんない話を長々と聞かされてさぁ」
 「ふふふ」

 でも私は知ってる。

 「陽一さんって涙もろいんですって?」
 「・・・あのジジイ・・・」

 ちぇと、クセなのかそっぽを向いて舌打ちひとつ。

 「ずっとお店の前で立っていたのも、それでですか?」
 「あーはいはい。俺は涙もろいですよ、洒落ででもあの爺さんの前でうっかり泣こうものなら、ずっといびられるから待ってたんですよ」

 すねた子供ようになげやりな、それでいて少し可愛い言い訳。

 「でも・・・そういう人、好きだな」
 「え?」
 「寂しがってるお爺さんと一緒にいて、時には看病してあげたりして」
 「・・・」

 そっぽを向きながら、陽一さんはクソジジイと小さく呟いていた。

 「優しい人なんですね?」
 「ばっか、楽でバイトの割がいいだけだって。じゃなければあんなトコ」

 バイトの割がいい、それも嘘だって知ってるけど。

 「ふふふ・・・」
 「ちぇ」

 駅が見えてくる。

 「それじゃここまででいいです」
 「ん。どこなの?」
 「隣の駅ですよ」
 「ふーん」
 「また行きますね」
 「ああ、そうしてくれ。ジジイが喜ぶからさ」
 「やっぱり優しいんですね」
 「・・・・」
 「じゃあ」
 「ああ、気をつけて」

 手をヒラヒラ振る陽一さんに私も手を振って別れた。



続く・・・





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