午後五時過ぎ。
 今日もまた、ドアがノックされた。
 クセのある叩き方に、それが誰であるかすぐにわかる。
 
 「恭ちゃん、今日も来てくれたんだ?」

 ドアを後ろ手に閉めながら、恭ちゃんは黙ってうなづいた。

 「そんなに来てくれなくてもいいよ」
 
 彼は私をじっと見つめて、ただ一言。

 「・・・迷惑か?」

 私はそれを笑顔で否定する。

 「ううん、すごく嬉しい」
 「・・・」

 恭ちゃんは、お見舞いに持ってきてくれたリンゴにナイフをあてた。
 慣れた手つき。昔よりもずっと上手くなった。
 何度も私のためにリンゴを剥いてくれているから。

 「・・・」 

 白い病室。
 私しかいない四人部屋。
 消毒液の匂いが常に漂う場所。
 そこで過ごしてすでに半年。
 寂しいとは思わなかった。
 毎日のように来てくれる彼がいるから。
 無口で、無愛想で。
 でも、そんな恭ちゃんの瞳に私が映っている事がとても嬉しかった。 
 考えてみれば、小さい頃から私は迷惑をかけっぱなしだ。
 幼なじみという二人の関係。
 私はそれで満足している。
 いずれ、この瞳に映るのが私でなくなったとしても。
 今だけは、私がその瞳の中にいるから。

 「ずっと・・・今が続けばいいのにな」

 何気ない一言に、窓の外を見つめていた彼が私に視線を移す。

 「・・・」

 怒ってた。
 
 「どうしたの?」
 「・・・今のままでいいわけがない」
 「え?」
 「・・・早く、元気になれ」

 それだけを言った恭ちゃんは、お皿にのせたリンゴをくれた。
 再び視線を窓へと向けながら。
 不器用な人だと思う。
 その分、まっすぐな優しさが感じられる。
 こんな関係を壊したくない。
 いつまでも『幼なじみ』でいたい。
 私が好きなのは仕方がない。
 だから・・・

 「聞いていい?」
 「・・・」

 外を見つめつづける彼に、私は言葉を続けた。

 「恭ちゃん、どんな女の子が好き?」
 「・・・」
 
 少しだけ時間が流れた。

 「お前こそ・・・どうなんだ?」
 「私は・・・優しくて、静かな人」

 恭ちゃんみたいな・・・ね。
 私は再び、聞きなおす。

 「今度は恭ちゃんが教えて」
 「・・・穏やかで・・・落ちついた子」
 「・・・そう」

 私は服の上から、そっと左胸をおさえた。 
 恋人じゃなければ、気にしないでいてくれるだろうから。
 それは二人が中学二年の秋だった。 
 
 そして季節は巡る・・・





蓮の蕾 (前編)






 「ちょっとお母さん!」

 私は階段を慌てて駆け下り、叫んだ。
 時間は8時10分。
 ゴハンを食べてる時間はない。
 着替えたばかりの制服を整えながら、洗面台へダッシュ。

 「何で、もっと早く起こしてくれなかったのよぉ!」
 「気持ちよさそうに寝てたから・・・」
 「あーもう!」
 
 私は急いで、鏡の前に立ちドライヤーのコンセントを突っ込む。
 早くしないと、恭介が来ちゃう!
 
 ピンポーン。

 「あ、もう来た!」
 「仄(ホノカ)、恭ちゃん来たわよー」
 「わかってる、すぐ行くって言っといて!」
 
 男はいいわよね、朝の用意なんて時間かからないだろうから。
 女の髪はショートでも時間かかるのよ、もう!
 慌てまくる私。
 納得いかないまでも、なんとかきりあげて玄関へ。

 「ごめん恭介、お待たせ!」
 「・・・」
 「じゃ、お母さん、行ってくるね!」
 「二人とも気をつけてねー」

   



 私達はいつもの道を少し早足で歩いていく。
 
 「恭介、今、何時?」
 「・・・25分」
 「間に合うかな?」
 「・・・」

 と、恭介が歩く方向を変えた。

 「どこ行くの?」
 「近道」
 「あ、あそこの公園の工事って終わったの?」
 「・・・」

 無言の肯定。

 「じゃあ、余裕で間に合うね」
 
 早足だった歩調が余裕を取り戻す。
 少し入り組んだ道の住宅街、その先に見えるのは小さな公園。
 車止めの横を通って、その中へ。
 
 「わーキレイになってる」
 「・・・」

 所々、剥げていたペンキは塗りなおされ、かつての鮮やかさを戻していた。
 すべり台、ジャングルジム、プランコ。
 崩れかけたレンガの花壇も、整えられている。
 まるでここだけ時間が逆行したような感覚。

 「昔はよく遊んだよね、ここで」
 「・・・」
 「すべり台の取り合いとかしちゃってさ、懐かしいね」

 子供のころは見上げていたすべり台。
 今は、そんなに大きくは感じない。

 「覚えてる?あそこの砂場でさ、私が靴を片方なくしたの?」
 「・・・」  
 「恭介も一緒に探してくれてさ、でも結局、見つからなかったの」
 「・・・」
 「私、確か泣いちゃったんだよね」
 「・・・ああ」
 「いつから、ここで遊ばなくなったんだっけ?」
 「・・・」

 二人で暗くなるまで遊んでいた記憶は、もう遠い。
 私も恭介も、いつのまにか大人になっていたって事かな。
 なんだか、懐かしい。
 とか、ひたっていると。

 「仄」
 「え?」
 「・・・35分」
 「・・・ああっ!」

 あと五分しかないッ!
 
 「なんでもっと早く言わないのよぉー!」
 「・・・」
 「走ろ!」
 
 近道して、よけい遅くなったなんて、私のバカ・・・
 
 



 校門が閉じられる一分前。
 汗だくの私と、いつものように涼しい顔した恭介が滑りこむ。

 「なんとか・・・セーフ」
 「・・・」
   
 ゲタ箱のところで、私は恭介と別れる。
 
 「じゃね」
 「・・・ああ」
   
 恭介は二年。
 私は、一年。
 そして同い年。

 「・・・さて、と」

 私は上履きにはきかえると、教室へと向かった。
 1−A。
 中に入ると、ギリギリという時間もあいまって、ほとんどの席が埋まってる。
 私も自分の席にカバンを置き、一休み。
 朝から、何でこんなに疲れてんだか。

 「山名さん、おはよう」

 と、後ろから声がかかる。
 ちょっとハスキーボイスで独特な発音のクセがある子。
 私は体を後ろに向けながら。

 「おはよ、香」
 「どうしたんです、そんなに汗かいちゃって」
 「色々とあってね・・・」
 
 近道して遅れた事を、うまく説明する自信はない。
 
 「もしかして」
 「ナニよ?」
 「広瀬先輩といけない事、してたりして」
 「やめてよ、ジョーダンじゃない」
 「山名さん、おはよー」
 
 香と私の会話に入ってきたのは、翔子。
 ちょっとミーハーで噂好き。
 
 「で、今の話ってホントなんです?」
 「え?」
 「広瀬先輩と山名さんが・・・」
 「違うって、そんなわけないじゃないの」
 「あやしいなぁ、ねぇ香」
 「うん、ちょっとねー」

 どいつもこいつも。

 「恋人にするならもっとイイ男を探すわ」

 何気ない私のその言葉に。

 「えー、広瀬先輩ってカッコいいじゃないですかぁ」

 いかにもミーハーって感じの翔子。

 「人気、ありますよ」
 
 一方、客観的な意見を述べる香。 
 
 「そっちの方こそ、あやしいわよ。見てくれは確かにいいかもしんないけど」
 「それに加えて寡黙でクールな所がいいんですよ」
 「そうそう、何かいつも冷めてるって感じがいいわよねー」
 「たんに無口で無愛想なのよ、アレは」

 この子達も年上に憧れる時期なのかねぇ。

 「きりーつ」

 先生が入ってくると同時に、号令がかけられる。
 とりあえず、意味のない会話を終えつつ、前を向く。
 退屈な授業は、慣れないなと思いつつも、教科書を取り出した。


  
 
 
 なんだかんだで、昼休み。
 小さなお弁当を広げつつ、みんなで机を寄せ合う。
 香と翔子。それに美恵を入れて、いつものように四人。
 花の年頃の女がこれだけ集まれば、話題は一つ。
 
 「あ、美恵、C組の橘ってさ、彼女いるって」
 「え、そうなの」
 「いつも思うけど、翔子ってどっこから聞いてくるの?」
 「あたしの情報網をあなどっちゃあ、いけねぇなぁ」
 「なにそれ、ヘンな言葉」

 毎日毎日、同じような話で飽きないわよね、みんな。
 私もだけど・・・
 そんなたわいもない会話に花を咲かせ、食事を終えた頃。

 「ほーのーかー」

 男の子の声。
 恭一よりも、少し高い声で明るい。
 最近、よく話しかけてくる男の子。

 「あ、明君じゃないの、何?」

 と、私の周りのみんなが。

 「東、呼び捨てやめなさいよー」
 「失礼よ、山名さんって呼びなさいよ」
 「山名さんも、こんなヤツに君なんてつけなくたっていいのに」
 
 別に私はかまわないけど。
 それに「さん」って呼ばれるより、普通に呼んでくれたほうが楽だし。
 年上って言ってもクラスメートなんだから。

 「いいんだよ、俺は特別なの」
 「なによ、それー」
 「だって、仄の恋人だもん、俺」
 
 おいおい。

 「東、寝言は寝てから言いなさいよ」
 「山名さんには、広瀬先輩っていうちゃんとした人がいるんだから」
 「そうそう、あんたよりカッコよくて、優しくて、クールで年上の恋人がいるのよ」

 何か恨みでもあるかのように、翔子と美恵がくってかかる。
 香は、こういいうのが苦手だから、なりゆきを見守ってるだけだけど。
 
 「うるさい、独り者軍団」

 その一言が、火に油を注ぐ。

 「あー、てめー、言っちゃいけねーコトを!」
 「気にしてるのにー」
 
 明君は、そんな彼女達を無視するように、私の横に立った。

 「でさ、仄。今度の祭日さ、遊びにいかない?」
 「祭日?三日後?」
 
 突然の申し込み。
 別に予定はないけど。

 「山名さん、こいつ絶対下心ありますって」
 「ケダモノー」
 「うるせー、ロンリー集団」

 再び、明君の言葉が飛ぶ。

 「ぐ」
 「またしても、禁句を」
 「で、どうかな?」

 ・・・明君と、か。
    
 「だから、山名さんには彼氏がいるっての」
 「あんたにゃ、望みないわよー」

 って、まだカン違いしてるのが数名いるな。
 誤解を解くにはちょうどいい機会かも。

 「いいわよ。遊びに行こうか」 
 「マジ?聞いたか、お前ら?」
 「えー」
 「山名さん、広瀬先輩はどうするんですかぁ?」
 「だから、恋人でもなんでもないって、アイツとは」
 
 幼なじみなだけなのよね、ホントに。
 
 「じゃ、詳しい予定はまた今度」
 「うん、わかった」
 
 用件を話し終えた明君は、そそくさと自分の仲間の所へと戻っていった。

 「山名さん、ふたまたー」
 「あんなカッコいい先輩というものがありながらー」
 「だから、違うって・・・」

 この程度じゃ、誤解を解くにはいたらないか。
 別に解く必要があるわけじゃないけど、決めつけられてるってのが気にかかる。
 ・・・ま、いっか。





 最後の授業は体育。
 退屈な授業で疲れた頭を癒すにはもってこいよね。
 グランドに出ると、他のクラスも体育らしい。
 ジャージの色からして二年かな。
 
 「って、恭介のクラスじゃないの」

 あっちはハンドボールか。

 「恭介、一緒にやろーぜー」
 「・・・」

 なかなかイイ線いってる男の子が恭介にボールを投げ渡す。

 「山名さん、あれって広瀬先輩じゃないですか?」
 
 翔子だ。めざとい。

 「あ、一緒にいるのって君原先輩じゃない?」
 
 ついでに美恵。

 「なんなの?君原って人、有名人?」
 「えー、山名さん知らないんですか?」
 「うそー」
 「・・・いや、知らないけど」

 そこへ。

 「人気ありますよ、君原先輩」

 あまりこういう話題に入ってこない香がつぶやいた。
  
 「ふーん」
 「さしずめ、君原先輩を太陽とすると、広瀬先輩は月ってところですね」
 「そうそう、そんなカンジ」
 「・・・」

 恭介が月?
 とてもじゃないが、そうは見えない。

 「それに広瀬先輩って父子家庭じゃないですか」
 「あれ、美恵、そんな事まで知ってるの?」

 恭介は自分の事はあんまり人に話さない、というかもともと無口。

 「みんな知ってますよ」
 「カッコいい人の事はなんでも知りたい年頃なんですー」
 「さようですか・・・で、父子家庭がどうしたの?」
 「片親の人って大人っぽい人が多いじゃないですか」
 「そう、それがまた魅力的なのよねー」

 あたしだって母子家庭だぞ。
 自慢じゃないが、大人っぽいと言われた事はない。
 でも、月とまで言われてるとは。
 ホントに人気があるみたいねー。
 あんなのの、どこがいいんだか。

 「よーし、始めるぞ。集合」

 先生のかけ声に、小走りで集まっていく私達。
 ふと、恭介の方に目をやる。
 
 「・・・」

 目が合ってしまった・・・

 

 体育の時間もつつがなく終わり。
 それは帰りの事だった。

 「ついてないー」

 運悪くジャンケンで負けた私がゴミを捨てに行くはめになった。
 煙が出るからという理由からか、焼却炉は学校の裏。
 そこまで行くのもまためんどうくさい。
 
 「なんで・・・一日でこんなにゴミがたまんのよー」

 重い。
 焼却炉のフタを開け、ゴミ袋を無理やりつっこむ。
   
 「ふぅ」

 正門まで戻るよりは、出入り禁止だけど裏門の方が近い。
 ようは見つからなければいいのよ。
 私はクラブ室のわきを通りぬけ、体育館の裏へと回る。
 と、その先に二つの人影。

 「げ、先生・・・かな?」

 とっさに身を隠し、様子をうかがう私。
 よく見ると。
  
 「なんだ、恭介じゃないの。あせってソンしたぁ」
 
 でも、その横の女の子は?
 なんか真剣な顔で話してるみたいだけど。
 あ、何か手紙のようなものを・・・
 もしかして、告白?
 
 「すごい場面にでくわしちゃったなぁ」

 のぞき見という背徳感と期待でドキドキする。
 手紙を差し出された恭介。

 「お、恭介、どうする?」

 でも・・・受け取らずに何か言ってるけど・・・
 あ、女の子、泣きそう。
 もしかして、フったの、アイツ?
 恭介の分際でなんて大それた事を。
 結局、その子はペコリと頭を下げて、走っていってしまった。

 「うーん・・・なんか場慣れしてるってカンジだったな」

 うーん、という事は女泣かせというワケだ。
 その罪、重し。

 「・・・」
 「こーら、きょーすけー」

 修羅場が終わったので、声をかける私。
 こんな場面を見られたから、少しは驚くかと思いきや。

 「・・・ああ、仄」
 
 だって。面白みにかけるヤツ。
 せめて『見てた・・・のか?』とか『仄、なんでここに!』とかさぁ。
 あってもいいんじゃん。
 ・・・期待はしてなかったけど。

 「見たわよー」
 「・・・」
 「女の子、泣かせてー」
 「・・・」
 「男して最低よー」
 「・・・ケーキ、おごる」
 「・・・今から『人に言われたくなかったら』ってセリフが入る予定なのに、先に言うか?」
 「・・・」
 「ま、いいでしょ」

 


 
 恭介にいくばくかの散財をさせた後、私達は帰宅した。
 が、恭介が隣の自分の家に行く様子はない。
 なぜか、私の家の中に入ってくる。

 「なにしてんの、恭介」
 「・・・」
    
 そこへお母さんがやってきて。

 「お帰り、二人とも。ゴハンできてるけど、もう食べる?」
 「え?」
 「・・・」
 「え?って、恭ちゃんのお父さん、今日から出張で家に誰もいないから」
 「そうなの?」
 「・・・」
 「言いなさいよ、そういう事は」
 「・・・」
 「ま、いつもの事か。どうする、すぐ食べる?」
 「・・・いや」
 「だって、お母さん。少ししたら降りてくるから」
 「あら、そぉ?」
 「・・・」

 私達はとりあえず二階の部屋へと落ち着いた。

 「・・・」
 
 部屋に入るなり、しげしげと見まわす恭介。

 「座ったら?」
 「・・・」
 「珍しいもんでもあるの?」
 「・・・少女趣味」
  
 う・・・
 恭介の視線の先には、ぬいぐるみの数々。
 来るとわかってたなら隠しといたのに・・・

 「いーじゃないの、少女なんだから!」
 「・・・」
 
 高校一年だってまだ少女よ!
 ・・・多分。

 「で、でも、久しぶりよね、恭介が私の部屋に入るの」
 「・・・」
 「前に来たのはいつだっけ?」
 「・・・ぬいぐるみの数が一桁少なかった時」
     
 イヤなヤツ・・・  
 話題をそらすため、私はテレビのリモコンを手に取る。
 
 「・・・」
  
 流れ始めたCM。
 なんとなく眺めてる私達。
 
 「あ、これ見たいのよねー」
 「・・・」

 封切りされてまだ間もない映画。
 
 「でも、込んでるだろうしなー」
 「・・・」
 「恭介、最近さ、映画って見た?」
 「・・・タイタニック」
 「え、アレ観たの?面白かった?」
 「・・・そこそこ」
 「へー面白かったんだぁ」
 「・・・」 
 
 無口なヤツとついきあいが長いと、ささいな表情とか省略された言葉でわかる事もある。
 恭介がそこそこと言葉で評価するあたり、かなり良かったんだろう。
 特にやる事もなく、ただ時間だけが過ぎる。
 相手が恭介じゃなくて、恋人とかだったら嬉しい状態なんだろうけど。
 二人きりになったところで、緊張するわけでもなし。
 恭介は私のベッドに寝転がってるし。
 私はベッドを背もたれにしてテレビを見てる。
 幼なじみなんて、どこもこんなもんじゃないかな?
 私はただ画面を眺めつづけていた。




   
 「もう七時だけど・・・どうする?」
 「・・・」

 恭介が無言で立ちあがる。

 「そうよね、んじゃ下に行こ」

 私達は部屋を出て、階段を降りていく。

 「お母さん、ゴハンー」
 「はいはい」
 
 テーブルに用意されたのは二人分。

 「あれ、お母さんは?」
 「もう食べちゃった」
 
 笑いながら、リビングの方へと歩いていく。

 「だって。食べよ」
 「・・・」

 向かい合うように恭介と向かい合って座る。
 テレビの音に混じって。

 「なんか夫婦みたいねー」
 「お母さん、バカ言わないでよ、もう!」
 「恭ちゃん、仄をもらってくれなーい?」
 「・・・」
 「・・・あんたもそこで黙り込んでじゃないわよ」
 「・・・」
 「あ、そうそう聞いてよ。私ねーデートに誘われちゃったのよ」
 「・・・」

 目だけこっちに向ける恭介。
 驚いたらしい。

 「私もすてたもんじゃないでしょ?」
 「・・・」
 「年下の子。恭介より明るくて素直よー」
 「・・・そうか」
 「そうかって、もっと・・・こうなんかリアクションってないの?」
 「・・・」
 「そりゃ、恭介は今日も告白されてるようだから・・・」
 「・・・」
 
 ふと思う。

 「なんで断ってたの?もしかして好きな人がいるとか?」
 「・・・」
 
 構わず、食事を続ける恭介。

 「いるの?いるんだ?だれだれ?」
 「・・・」
 「ちょっと、何か言ってよー」
 「・・・」
 「幼なじみにも言えないのー?」
 「・・・」
 「教えろー!」
 「・・・」
 
 涼しい目の恭介。
 むかつくー。 
 
 「これこれ夫婦ゲンカもほどほどに、ね」
 「お母さん、誰が夫婦よ!」
 「・・・」

 にぎやかな食事も終わり、恭介は帰っていった。
 私も部屋に戻り、CDをかけてベッドに寝転ぶ。
 
 「あの恭介が好きになる女の子ねぇ」
  
 どんなタイプだろう?  
 そんな事、聞いた事もないし、興味もなかったからなぁ。
 
 「あー・・・気になる」

 だけど恭介の事だ。
 間違っても話す事はないだろう。
 
 「ま、そのうちわかるか」
 
 あーいう、無口なヤツに限って手が早かったりするし。


 

   
 翌日。  
 今日は早めに起き、ちゃんと朝ゴハンにありつけた。

 「雨が降るかもしれないって、ニュースでやってたわよ」
 「ウソー。昼から?」
 「うーんと、確か五時ぐらいからって言ってたかな?」
 「傘、いるかなぁ」
 「折りたたみの傘なら邪魔にならないわよ」
 「うん、そーする」
 「あとね、こっちのお弁当、恭ちゃんに渡しておいてね」

 お母さんがテーブルの上に私のお弁当と、それより少し大きいヤツを置いた。

 ピンポーン。

 「あ、来た。じゃ、行って来る!」
 「はーい、いってらっしゃい」

 あれ、でもいつもよりちょっと早いな?
 ま、いいか。また遅刻しそうになるよりはマシだし。
 私は二つのお弁当を持って、玄関へ。
 ドアを開ければ、柔らかい日差し、そして恭介が。
 
 「よっ、ほのか!」
 「・・・明君!?」

 玄関の先で待っていたのは恭介じゃなかった。
 なんと明君。
 なんでこんなトコに・・・

 「明後日の予定でも決めようと思ってさ。一緒に行こうぜ?」 
 「ど、どうして私の家なんて知ってるの?」
 「え?いや、住所録あるし」

 そういや、あったか、そんなもの。

 「んじゃ、行こ」

 歩き出そうとする明君。
 あせる私。

 「いや、でもね、ちょっと・・・」
 「?」
 「いつも一緒に行ってるヤツがいるのよ」
 「誰?友達?」
 「うーん・・・なんというか」
  
 噂をすれば。
 私は歩いてきた恭介の腕を引っ張り。

 「・・・」
 「コイツ。広瀬恭介っての」
 「・・・ふーん」
 
 明君、なんだか目に敵意が・・・
   
 「広瀬先輩ですか。噂は聞いてますよ、初めまして」
 「・・・」

 無言の恭介。
 私は恭介がこういう性格だって知ってるけど、初対面の人には失礼よね・・・

 「恭介、この子は明君。私のクラスメートで・・・」
 「恋人の東です」
 「え・・・ちょ・・・」
 
 突然、明君の手が私の肩を抱き寄せる。
 こらこら、なんてコトを! 
 それも恭介の前で・・・絶対にからかわれる!

 「・・・」
 「広瀬先輩には申し訳ありませんが、ちょっと仄に話がありまして」
 「・・・」
 「今日は一人で登校してもらえませんか?」
 
 体を放そうとするが、強く抱きしめられてそれもできない。
 年下とはいえ男の子の力にかなうわけない。
 それよりも・・・

 「・・・」
 
 恭介は終始無言。

 「恭介?」

 ただ、その視線が私に向けられた。
 すっと近寄り。
 手を差し出した。

 「・・・弁当」
 「え、あ、うん、はい」

 大きい方を渡すと、恭介は振りかえる事なく立ち去った。
 いつもと同じ歩調。
 いつもと変わらない態度。 
 予想通りと言えば、そうなのかもしれない。
 だけど・・・

 「・・・恭・・・?」

 私は無意識に左胸をおさえていた。
 古傷が・・・痛い。
  
 「・・・仄、広瀬先輩と本当のとこ、どういう関係なんだ?」
 「・・・」
 「なぁ?」
 「・・・なんで・・・・」
 「え?」
 「・・・・なんでこんな事するのよ!」
 「・・・仄・・・?」
 「私と恭介の事、何も知らないくせに!なんであんな事を言うのよ!」

 私は自分で何を言ってるのか理解できなかった。
 『私と恭介の事』。
 ただの幼なじみ。
 だけど私は。
 心に浮かんだ言葉を叫んでいた。
 激情に身をまかせ、痛みを唇に乗せて。
 
 「・・・一人で行ってよ、あんたと一緒にいたくない!」
 「・・・仄」
 「早く!早く行って!」
 「わかったよ・・・」

 彼の足が恭介が去った方向へと向く。
 かすかな足音がだんだんと小さくなっていく。

 「・・・」

 私はただその場で立ち尽くしていた。
 確かにこの瞬間、何かが私の中で変わった。  
 ・・・いや、思い出しかけていた。






 「・・・」

 秋風の中、屋上。
 朝ほどの日差しはない。

 「・・・」

 朝から昼にかけて、次第に雲が広がり、太陽が影に輝きを隠す。
 冷え始めた空の下、ここで昼食をとるものは少ない。
 特に今日のように空模様があやしい時は。
 そんな中、いくつかあるベンチに腰掛ける姿が一つあった。

 「・・・降るか」

 広瀬恭介。
 食べ終えた弁当箱をひざの上に置き、ぼんやりと空をながめる。
 いつ泣き始めてもおかしくない黒ずんだ雲。
 湿気を含んだ風が前髪を揺らす。
 
 「・・・」

 背後でドアの開く音。そして足音が響いた。
 気にするでもなく、また振り向くでもなく恭介は空を見上げたままだった。

 「広瀬先輩、朝は失礼しましたね」
 「・・・」
 
 東 明。
 
 「ただ仄に急な用事があったもんで」
 「・・・」

 初めて恭介が振り返る。
 
 「・・・」
 「あれ、怒ってるんですか、もしかして?」
 「・・・」
 「噂じゃ、優しくて寡黙な先輩って聞いていたんですけどね」

 そう言いつつ、明は恭介の近くへと歩み寄る。

 「でも、別に先輩の恋人ってわけじゃないんでしょ、仄は?」
 「・・・」
 「『ただの幼なじみ』ですもんね?」

 挑戦的な物言いの中、隠された敵対心。
 恭介にはそれが肌で感じられた。

 「・・・君は・・・」
 「はい?」
 「仄が好きなのか?」
 
 対して明は、なにをいまさらと言った表情を浮かべる。

 「ええ、恋人だって言ったでしょ?」
 「・・・初耳だ」
 「そりゃそうでしょうね、『恋人同士』ってわけじゃありませんから」
 「・・・」

 明が頭の後ろに両手を組みながら笑う。
 
 「ま、そういうわけですんで。これから仄は俺のモノですよ?」
 「・・・」
 「先輩は無口ですね」

 最期に明はそれまでとは違う笑い方をした。
 
 「・・・もう一度、言います。仄は俺のものだ。あんた邪魔だよ」
 「・・・」

 恭介はただ、視線を明から空へとうつした。
 
 「・・・」
 「じゃ、失礼しますよ、先輩」
 「・・・」

 来た時と同じく、後ろでドアの閉まる音。
 再び、恭介は独りになった。

 「降り出してきた・・・な」

 冷たい雫が恭介の頬を一筋、流れた。



 最期の授業。
 私は、ただぼんやりと終わるのを待った。
 何度も話しかけてくる明君を無視して。
 
 「・・・はぁ・・・」

 今もまだ朝の出来事が鮮明に心に残っている。
 クラスメートが朝、迎えに来る。
 別になんでもない事。
 来たのが明君でなければ。
 そこへ恭介が現れなければ。
 自分でも驚くほどに、私は取り乱した。
 『恭介に見られた』
 その事に。

 「・・・山名さん・・・」

 小声で私を呼ぶ声。
 
 「香・・・なに?」
 「大丈夫?朝から気分が悪そうだけど・・・」
 「うん・・・大丈夫」

 本当は大丈夫じゃない。
 だけど、それを香にいった所でどうしようもない。
 
 「・・・恭介・・・」

 なぜ、私はこんなにも。
 こんなにも意識した事なんてなかったのに・・・
  
 「私・・・どうしたんだろ・・・」
 
 やがて。  
 授業終了のチャイムとともに、私は帰り支度を始めた。
 もう、ここに居たくない。
 すぐに帰って、ベッドの中に潜り込んで・・・
 香達が声をかけるのも無視して、私は教室を出ようとした。
 肩に手がかけられた時。
 私は振り払う事ができなかった。
     
 「仄・・・」
 「・・・もう、話しかけないで」
 「今朝は悪かったよ、ゴメン」
 「・・・」
 「だからちょっとだけ時間をくれよ」
 「・・・いや」
 「ちゃんと謝りたいんだ。広瀬先輩にも、もう謝ってきた」
 「・・・恭介に?」
 「ああ、家まで送らせてもらう時間だけでいい」
 「・・・わかった」
  
 そして私達は一緒に教室を出た。





 ポツポツと小雨の降る中。
 あたしは小さな折りたたみの傘を出して、横に明君をいれた。

 「ありがとね、傘持ってきてなくてさ」
 「・・・うん」

 ゆっくりと歩く。
 濡れ始めたアスファルト。
 水を弾く音が靴を伝わる。
 
 「・・・今朝の、アレさ」
 「うん・・・」
 「広瀬先輩は気にしてないみたいだったよ」
 「・・・そう」

 気にするわけない。
 私と恭介はただの幼なじみだから・・・
 気にしているのは私だけ。

 「そう、なんだよ」
 「・・・え?」
 「仄さ、広瀬先輩の事、どう思ってる?」
 「・・・」
 「本当は好きなんじゃないの?」
 「・・・明君には関係、ない・・・」
 「そんな事はない」
 「・・・」

 私達はやがて公園へとさしかかった。
 色鮮やかな遊具達。
 雨に濡れ、またさび落ちていくだろう色彩。
  
 「・・・もう秋だね。葉が紅くなりかけてる」
 「・・・そう・・・ね」
 「あそこに座ろ」
 
 明君が指差したのは小さな屋根のついたベンチ。
 長居するつもりはない。
 だけど、はっきり言うために。
 『もう、かまわないで』と。
 だから・・・その指先に従った。





 恭介が自宅に戻った時、電話が鳴り響いた。
 時計は六時。
 
 「・・・はい、広瀬です」
 「あ、恭ちゃん?」
 「・・・」
 「仄も一緒かしら?」
 「いえ・・・」

 電話の向こうで、あららという声。

 「ゴハンできてるから、食べにおいでー」
 「・・・はい」
 「しかしあの子ったら、どこ行ってるんだか」
 「・・・」
  
 受話器を置き、恭介は学生服を脱ぐ。
 濡れた前髪をうっとうしげに払った。





 雨が地を叩く音は止まらない。
  
 「・・・」
 「・・・」   
    
 私と明君はどちらからともなく黙り込んだまま。
 ふと。
 明君がタバコを取り出した。
 
 「・・・吸うんだ」
 「今時の高校生なら誰だって吸ってるって、吸えない方がガキさ」

 ヒザを組み、火をつける。
 雨のせいか、それは上手くつかなかった。

 「あれ、つかねーなぁ」
 「明君」
 「え?」
 「はっきり言っておくけど、もう私に・・・」
 「・・・なぁ、仄」
 
 私の言葉はさえぎられた。
 いつもとは違う、少し低めの明君の声に。

 「俺の事、どれだけ知ってる?」 
 「え・・・急に・・なに?」
 「俺は仄の事、色々と知ってるよ」
 「・・・」
 「例えば、広瀬先輩の前でだけ無理してるとか」
 「え?」
 「違うんだよ。俺の前だと、大人しくて優しいのに・・・」

 明君が、足元の石を軽く蹴る。

 「広瀬先輩の前だと、妙に子供っぽいフリをしてる」
 「・・・そんな事・・・ない・・・」

 言葉では否定した。
 心で否定できなかった。 

 「だから、広瀬先輩は仄の事を何とも思ってない」
 「そう・・・よ、恭ちゃんは・・・大人しい子が好きなの・・・」

 無意識に恭ちゃんと呼んだ。
 そうだ・・・あの時から私は恭ちゃんの前で変わったんだ・・・

 「だから、言われなくても・・・わかってる」
 「忘れろよ、あんなヤツ」

 それができるなら・・・どんなに楽か。
 もし恋人同士になれるならと、何度も望んだ。
 そしてその数だけ「別れ」を怖れたから。
 今の私がある・・・

 「忘れるなんて・・・」

 できるわけがない・・・
 わがままでもいい、身勝手でもいい。
 私は、まだ恭ちゃんの瞳の中にいたい・・・

 明君の舌打ちが響いた。そして。

 「なら、俺が忘れさせてやるよ」
 「あ・・・」

 そして今朝のように、私は抱き寄せられた。
 私が抵抗しようと、強く見据えた時。
 唇がふさがれた・・・
  
 「・・・」
 「・・・」

 ・・・いや・・・だ・・・

 どれほどの時間、そうしていたかわからない。
 長かったような、短かったような。
 まだ呆然としている私に。
  
 「俺は本気だ。誰にも渡さない。相手が先輩だろうが幼なじみだろうが・・・」
 「・・・」
 「絶対にお前を渡さない!」
 「・・・いや・・・」

 立ちあがった。
 雨の降りしきる中へと走った。

 「待てよ、仄!」

 明君の声は後ろへと遠ざかった・・・



続く・・・





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