「・・・くっ・・・」

 ヘヴィガンが震えるのはその重みのせいではない。
 辺りには血臭。いや、すでに死臭となっただろうか。
 ぬめるような濃い赤の香りは、数刻前まで先輩であった隊員達のものだった。
 ギルドナイトとして実戦に出て間もない彼女にとって、今、目の前に広がる光景は悪夢以外の何者でもなかった。
 高く、濃く、深く、生い茂った密林。
 昼である今も夜のごとく全てを暗く変えている。
 その中において、敵の姿は確認できない。
 しかし。

 「ぐっ!」

 背を合わせて周囲を警戒していた隊長が短いあえぎとともにヒザを地につく。
 無傷を保っているのは、これで彼女のみとなった。
 この闇の中、敵には明らかに自分達の姿が見えているのだ。

 「隊長・・・!」
 「『赤』が・・・オレの部隊が・・・こんな、こんな一方的にッ!!」

 腹を押さえる手の間からあふれ出る鮮血。
 辺りをうかがうも、やはり銃声以外は物音一つすらない。 
 その銃声ですら、巧みに位置をかえているためか、場所を特定する事ができない。

 「隊長、隊長!」
 「こんな、はずが、あって、たまるかッ!!」

 隊長は手にしていたライトガンをもって、周囲へと散弾をばらまいていく。
 その反動のたびに、出血はひどくなる。
 
 「出血が!」
 「黙れ! 足手まといが意見するかよ!」
 「あ!」

 銃の柄で殴りつけられ、地を転がる。 

 「天才だがなんだか知らんが・・・いざとなればこのザマだ!」
 「つ・・・」
 「こんな所で・・・オレが! オレは!」
 「隊、長・・・」
 
 学園を卒業した彼女は、その後、あてがわれた部隊で必死に任務を達成し続けた。
 確かに自分は天才などと呼ばれていた過去があるが、それでも実戦は想像よりも厳しかった。
 くじけそうになった事は何度もある。
 だが、そのたび、いつか共に戦いたいと願う友の姿を思い起こし、折れそうな心に渇を入れた。
 その甲斐あって、『赤』への配属が決まった。
 『赤』の隊長は優しかった。
 そう年もかわらずして、一部隊の隊長、それも『赤』をまかせられているという事もあり、尊敬もしていた。
 初めて会ったときの隊長は、期待していると笑って迎えてくれた。
 寝室に呼ばれた時も・・・少しだけの落胆はあったものの、それでも身をまかせる程度の親愛さは持っていた。
 そうして肌を重ねる回数だけでなく、笑顔を交わす回数も増えていった。
 昨夜も、お前はもっと強くなれると、励ましてくれた。
 そんな一言が。
 足をひっぱっていると自覚している彼女にとって、どれほど救いになり、どれほど励みになっていたか。
 しかし、今。

 「行け、新人!」
 「え?」

 すでに隊長はを名前で呼ばず、ただ、目測であたりをつけたであろう方向を指し示す。

 「オレは死ねん! 時間を稼げ、わずかでもかまわん!」
 「・・・」

 それは確かに正しい命令だろう。
 『赤』の隊長を務めるほどの経験豊富なギルドナイトと。
 実戦に出て間もない新人の命とでは重みが違うのだから。
 ゆえに彼女は、ただうなずいた。





 この三年で時代は激しく動いていた。
 発端となったのは、ギルドの部隊である『銀』の崩壊。
 ギルドの隠蔽もむなしく、その事実は瞬く間に広がった。
 当初、様々な噂が流布する中、最も多く、そして細部にまで語られるのは以下の逸話だった。

 銀は野党による攻撃を受け、崩壊。
 その隊長と副隊長だけが生き残ったが、隊長はその後別任務で死亡している。
 残る副隊長は、今現在、各地で野党狩りをしているギルド最大規模の部隊『七銀』の副隊長となっている。
 そしてその『七銀』の隊長はかつて『黒き灼熱』と呼ばれた英雄。

 というものが、最も語られる噂だった。
 確かにいくつかの事実に沿っている噂である。
 実際、銀という部隊はなくなったのだ。
 そして『七銀』という通常の五部隊に相当する人数を、一部隊としてまとめた最大規模の部隊が『銀』の崩壊直後に構成された。
 その隊長が『黒き灼熱』という事も、『七銀』が戦果をあげ続けている今では有名な話だ。
 しかし、ただ一つ。
 このよくできた噂をする人々の中で納得できない事実があった。
 それは野党ごときに『銀』が遅れをとるだろうか、という一点。
 だが、それも時間が経つにつれて、しだいに真実味を帯びてきていた。
 『黒』と呼ばれる野党の存在。
 その発生も、ちょうど『銀』の崩壊と時期をともにしている。
 昨今もギルドの部隊はいくつも襲撃を受け、時によっては死人も出している。
 並の野党ではまず無理であるし、そもそもそギルドに自分から歯向かう事など自殺行為だ。
 加えて、『黒』という名はギルドが各部隊に竜の色を名前に使う事から、それを皮肉し挑発しているのだろう。
 その上、伝説の龍の色となれば、ギルドとて挑発とわかっていても、放っておくわけにもいかない。
 そんな時勢もあり、人々はますます想像をたくましくする。
 今ではほとんどの者が『銀』は『黒』に倒されたと。
 そして、ギルドはそれに対抗するため『七銀』を作った、と口々にしていた。

 




ムゲンホウヨウ 〜軍勇割拠T〜






 「それでは行って参ります」

 広い屋敷の中、その中でも最も手入れされた中庭にエルナムの姿はあった。
 『蒼』の隊長を務めるギルドナイトとなった彼女の背は正義という荷を背負っても、なお、まっすぐに伸びている。
 現在の『蒼』というものは、かつての『蒼』とは意味が異なる。
 以前は『赤』や『蒼』といった部隊は厳選された部隊の代名詞であった。
 しかしその名は現在、役目を意味するものとなっており、多数の『赤』や『蒼』が存在する。
 攻勢的な部隊が『赤』、『蒼』であり、防衛的な部隊が『緑』や『桜』という性質のみを残している。
 一方、『銀』は多少、人数の拡大があったとはいえ、唯一的なものというのは変わっていない。
 ただ一つ『金』に至っては、以前とまったく同じ役目である首都ブレイブ防衛の任を堅持している。
 エルナムの部隊は正式には『蒼・エルナム隊』と呼称される。

 「また生きてご報告に戻る事、ここにお約束いたします」

 そして、各国を転戦しているエルナムの横顔は、ゆるぎない強さを浮かべている。
 そう、”各国”の転戦である。
 過去とは違い、今やギルドが入ることのできない国はグリード、ただ一つとなっていた。
 この背景には、やはり『銀』という最強の部隊すら破れるほどの野党の存在。
 それが各国の危機意識を増大させた為だった。
 どの国を探しても『銀』以上の部隊など存在しないのだから。
 そんな折、各国へギルドからある申し出がなされた。
 野党・竜種の討伐を目的とした部隊の国境無断通過や駐留というもの。
 当時、各国の野党の被害は『黒』の存在に後押しされたように、被害が拡大していった。
 もとはといえば、その勢いをつけたのはギルドではないかという話も当然出た。
 だが野党の数が増えたとはいえ、その後、ギルド統治下での野党の被害そのものはかつてと同程度であったし、『銀』が野党に敗れたのはあくまで噂とされている。
 たとえそれが真実であったとしても、冷静に考えれば、何度もギルドの部隊が遅れをとるはずもない。
 結局、現状のぎるど統治下の安定を見る限り、ギルドの抑止力は代わることはない。
 ただ、野党の数や規模が大きくなったという話だ。
 それに『銀』ともなれば激しい任務を課せられる。
 その消耗をつかれたのではないかというのが、各国共通の現実的な推察と意見だった。
 そうして一国、また一国と、ギルドを受け入れる国が増えていった。

 「・・・」

 『銀』の崩壊は悲劇であったが、それを礎として世界はギルドという楔によって確実に一つになりかけている。
 グリードがなぜギルドを受け入れないか・・・それはわからない。
 しかし、いつかきっと、全ての国の為、世界の刃にとなって戦う事のできる日が来ると確信している。
 そうなれば、国をまたいで逃げる野党も追跡できる。
 竜の被害に合っているのがわかっていながら、手が出せないという状況もなくなる。 
 そして、いつか。

 「皆が笑顔でいられる世界が来るはず」

 浮かべた強い笑顔。しかし、昔ながらの優しさは微塵もかげる様子はない。むしろ、深い包容力を漂わせている。
 エルナムは、強くなり、優しくなり、大きくなった。
 それは二つの大きな悲しみを乗り越えたからだろうか。

 「父上の願った世界は、すぐそこまで来ています」

 エルナムが立つ前には、木々と花々で埋めつくされたこの中庭には、二つの墓標がある。
 エルナムの父、バジ=リスラインと。
 兄、ラグダフル=リスラインのものだった。

 「・・・」

 ラグダフルの戦死と・・・バジ、そして老執事クロイツの自殺から、三年近くが経っている。
 家督を放棄した姉シャルナムはエルナムにリスラインをまかせ、ギルドナイトを引退した。
 そして、現在はリスラインの技を継ぐ後継者育成の為に弟子を連れて各地を修行している。
 もっともその弟子がルノーであるから、そう長い時間はかからないだろう。
 むしろ、行く先々で問題を起こしていないかどうかが気がかりだ。

 「ホルノ姉さん、あの二人から連絡はあった?」

 すぐ側に控えているホルノは一瞬、ビクリと体を固まらせるも。

 「いえ、まだありませ」
 
 そこでエルナムがホルノの唇に指で触れる。

 「はい、やり直し」
 「・・・まだあり、いえ・・・ない、わ」
 「まったく。いい加減慣れてほしいなぁ、姉さん?」
 「・・・その、なんとも」
 「ふふふ。大好きよ、ホルノ姉さん」

 エルナムが正式なリスライン当主となってまずした事は、姉であるシャルナムと相談してルノーとホルノの双子を、すでに故人であるがバジの養子とした事だった。
 二人は身分や出自などを理由に拒否した。自分達のような者がリスラインを名乗るなどとんでもない、と。
 しかし、エルナムの『長い間ずっと姉妹のようだったわ。だからこれからは本当の姉妹になってほしい』という言葉に涙し。
 シャルナムの『私が長女で、ルノーが次女で、ホルノが三女かしら。あらあら、エルナムちゃんはまた末っ子ねー』という言葉にはにかみ。
 二人は最後には、うなずいたのだった。

 「当主様。そろそろ出発のお時間です」

 と。
 そこへ、屋敷の中からエルナムに時間を知らせる為にロッドがやってくる。
 ちなみにこのロッドは現在も屋敷に仕えているが、こちらは養子となってはいない。
 もちろん、エルナムは彼にも養子の件をもちかけたのだが拒否された。
 双子もエルナムがロッドに養子になるように話をもっていったのを知っているため、否という返事を聞いて愕然とした。
 家族になれると期待していただけに、その落胆ぶりは尋常ではなかったが、エルナムはそんな二人を見てもそれ以上ロッドに養子の話をしなかった。

 「ホルノ様も。日課の読書のお時間が過ぎております。書室に紅茶などをご用意しておりますので、冷めない内にどうぞ」
 「は、申し訳ありません、執事長」
 「謝罪などされる必要はございません。昔の事はお忘れになり、ご自分のお立場にふさわしい振る舞いをどうか」
 「も、申し訳・・・ありま、せん」
 「ですから、そのように・・・」

 エルナムがやれやれとため息をつく。

 「ちょっとロッド、あたしの姉さんをいじめないでよ?」
 「いじめて、などと心外です。これからのホルノ様はリスラインとして多様な知識を得ていただく事が必要かと思いま・・・」
 「そこじゃないでしょ」
 「と、言われますと?」
 
 はて? と、過去のクロイツの仕草を思い出させる首のかしげかたでロッドは疑問を浮かべる。

 「ほら、見なさいよ。ホルノ姉さん、ちょっと涙目になってる。あーあー」
 「わ、私には何も思い当たる事が」
 「ホルノ姉さんに『様』とかつけて呼ぶからでしょ」
 「それは当然です。確かに過去、私の部下であった時期はありましたが、今ではリスライン家の息女たるホルノ様をそうお呼びしてなにが不自然でしょう。ホルノ様もそうお思いになり」
 
 ませんか? と続けようとしていたロッドの言葉が止まり、かわりに額から冷や汗が滝のように流れ出す。

 「・・・う、うぅ・・・」
 「あ、泣いた。完全に泣いた。最低」
 「え、えーと、当主様。こういう時はどうすればいいのでしょうか・・・」
 「そうね。あの時、あたしに養子の件を断った時のセリフなんてどうかしら?」
 「ぐはっ!」

 ロッドがよろめく。その顔は主人に裏切られた子犬のような表情。
 そう。ロッドが拒否した理由として返ってきた答えは。
 
 『家族同士では・・・なんというか・・・結婚できません。その、これ以上はどうかご勘弁を』

 最初、なんの事かと思ったエルナムだが。
 双子がリスラインの養子となった今、自分もリスラインに名を連ねれば当然、結婚はできない。
 エルナムは笑って、これからは執事長として仕えてくれるかとたずねたら、二つ返事が返ってきた。
 自分の父が死んだ屋敷に含むところはあるかと思いきや、いらぬ心配だった。
 エルナムのそんな考えが顔に出ていたのか、ロッドは笑って、『主が死路を歩むならば、お付き合いするのが父の性格でしょう』と。
 エルナムにとって、確かに不幸な出来事だったが。
 けれど、今、エルナムは幸せだと言える。
 特にこんな光景を前にすると。   

 「執事長・・・私もぜひ聞きたいと思っていましたが・・・どうして養子の件を・・・?」
 
 涙をぬぐいつつも、ホルノがたずねかけた。

 「そ、それは言えません。どうかご勘弁願いま・・・す」
 「また・・・また、そういう言葉を遣われるわけですね」

 ホルノがその言葉、その口調を再び耳にして、何かを決意し。

 「・・・執事長。あなたはさきほどこうおっしゃいました。リスライン家にふさわしい振る舞いをせよ、と」
 「それは、確かにそうですが・・・」
 「私は卑しい身なれど、今はホルノ=リスラインです。そのホルノが命令します。エルナム様の申し出を・・・」
 「え? ちょっと待って。今、なんて?」

 勢いづいていたホルノだが、その瞬間、エルナムがにらむ。

 「エルナム様・・・そう聞こえたのは間違いよね? ホルノ姉さん?」
 「も、もちろんです。さあ、執事長。エ、エルナ、ムさ・・・からの養子の件を拒否した理由を述べなさい、今すぐ」

 ちらちらとエルナムを見るホルノ。
 『様』の、さ、まででかかったが、確実な一歩と判断したエルナムはうなずいた。

 「ま、よしとします。さ、どうするのロッド?」
 「ぐ・・・おおぉぉぉ」

 ふらふらと倒れこんだ先には、ロッドの父、クロイツの墓標。
 エルナムの指示により、クロイツの墓標もまた二人の墓標の近くにある。
 生前そうであったように、数歩控えるような距離でクロイツもまたこの中庭で眠っていた。
 
 「ち、父よ。どうかこの愚息に活路を・・・!」
 「ケンカばっかりしてたから、きっと笑って見てるわよ」
 「・・・い、言われてみればそう、かもしれません。いえ、きっと、そうでしょう」

 クロイツとロッドの口ゲンカ。
 菓子と紅茶の話になると、二人とも子供のように言い争っていたのも懐かしい記憶。
 目をあわせた二人はどちらともなく笑いだした。
 
 「ふふふ」
 「ははは」

 そうしてエルナムとロッドが、笑いあい懐古している中。

 「さあ、執事長。命令に従いなさい」
 「かはっ!」

 ホルノが現実に引き戻した。 
 あとじさるロッド、詰め寄るホルノ。
 二人を見ながら、エルナムは思う。

 「あたしはここまで上ってきたよ。『蒼』の隊長まで」

 イスキの元で共に励んだ親友は、自分とは違う道を歩んでいる。
 エルナムのように天才と呼ばれる者はそうじて戦闘を主とした部隊、それも上位の部隊へ編入される。
 エルナムはイスキとの訓練。そして実戦を経て、新たな力を開花させ、今では屈指の双剣使いとなっていた。
 流麗にて豪胆な姿から『銀麗』と呼ばれるようになったのは、剣技の美しさだけでないだろう。
 見るもの全てを奮い立たせるような情熱が、その赤い瞳にはある。
 炎のように彩られた赤い瞳に、皆、魅せられるのだ。

 「けれど、シャロン・・・あなたは私の手の届かない所にいるのかもね」

 シャロンもまた新たな能力を発露していた。それもイスキの元にいる間にそれは完成を見るほどに。
 ギルドナイトがおもに専攻するランスとライトガン。
 だが、シャロンの才能はヘヴィガンを手にした時、開花した。
 初めて扱ったわけではないが、イスキの指導により、卓越した成長を見せたのだ。
 同時期に双剣に才能を見出したエルナムと比べれば、その成長の速度の違いはエルナムがよくわかっている。

 「私が天才? バカらしいわね。天才っていうのは、シャロンのような人を言うのよ」

 再会が楽しみでならない。
 自分もそれなりの地位に上ったが、きっとシャロンはその上にいるだろう。

 「シャロンが上官になったら・・・ふふふ、きっとケンカが耐えなくて、あたし達の部下は苦労するでしょうね」

 そして、再会を望む理由はもう一つ。

 「それに・・・今なら、シャロンを超えてるはず!」

 かつて自分は足元がよく見えた。悲しいほどに。
 しかし、見よ。
 エルナムが視線を落とせば、そこにはかつて何よりも願った二つの大きなふくらみが。

 「ふふふ・・・どうしてくれよう。いっそ顔をはさんで息の根を止めてやろうかしら」

 エルナムは空を見上げる。
 この空のどこか、この空の下で、この空色の瞳をしている親友はきっと、誇り高く戦い続けているだろうと。

 「シャロン。会いたいなぁ。はやく今のあたしを見て欲しいわ」






 うなずいた彼女がポーチから閃光を取り出し。
 最後の別れとばかりに背の隊長に。

 「行きます!」

 と叫んだ。
 しかし・・・返事はなかった。
 振り返れば、すでに隊長はおぼつかない足取りで逆方向へと歩き出していた。

 「・・・く」

 どうしようもなく悔しくて。
 どうしても涙が止まらなくて。
 それでも駆け出した。装填は散弾。ただ時間を稼ぐだけの弾種選択。
 たとえ命中したとて、せいぜい皮一枚、血の一滴を流す程度の威力。ただの目くらまし。
 自分はここで死ぬ。隊長も・・・多分。
 あっけない終わり方。
 敵はただの盗賊だか野党だかのたぐい。いくら数が多くても、その内の一人すら目にする事もなく。
 失敗するはずもない任務はずだったというに、こう見事にしてやられている。
 そして、何もできないまま、自分の人生はおしまい。
 死ぬのは怖い。
 けれど、もっともっと悲しい事は。

 「ごめんなさい・・・」

 今も彼女はどこかで戦っているのだろう。
 そしてきっと、正義を貫くために強くあるのだろうと。
 自分はその隣に行くことはできなかった。
 それだけが、本当に悲しかった。 
 と。

 「ぐ・・・」

 背後で苦痛の声があがる。
 振り返れば。
 四肢を地に投げ出したまま、微動だにしない隊長の姿。
 そして。

 「隊長・・・あ・・・」

 隊長の正面、その密林の陰からゆっくりと歩いてくる人影。
 この密林が作り出した不自然な夜のような、黒い防具と黒い銃を持った一人の女。
 辺りを見回しても、他に現れる人影はなかった。
 今になれば、もう認めるしかない。
 隊長はもっと前からわかっていたかもしれない。
 だが、敵が一人だと認めたくなかった。

 「本当に・・・一人?・・・もしかして・・・黒?」

 今、ギルドの部隊を襲い続けているという例の野党なのだろうか。
 それならば・・・いや、そうでなければ、部隊がたった一人に全滅させられるなどありえない。
 確かに『赤』を相手どるなど、ただの野党には不可能だ。
 同時に『黒』とはそれほどの相手だったのかと、歯噛みする。 
 しかし瞳はそらさない。

 「黒だかなんだか・・・知らないけど・・・」

 夜の襲撃者は銃をかまえることもなく、歩み寄ってくる。
 正面から対峙しても、遅れをとる事はないだろうという自信なのか。
 それとも弾丸が最も威力を発揮する距離まで、ただ近づいてきただけなのか。
 そして互いの顔がわかるほどに距離が詰まり。

 「・・・片目?」

 カブトからのぞくのは目もとだけだったが、右目の上には眼帯がかぶせられていた。
 開いているのは、左の瞳のみ。
 その瞳が彼女を奮い起こす。その色が怒りと憎しみを沸き起こす。

 「・・・アンタが! アンタみたいなヤツがその色の瞳を持ってるなんて、許せないッ!!」

 その叫びを受けても、襲撃者はただ立っていた。
 すでに有効射程距離。しかし銃をかまえる気配すらない。それが彼女の心に火をつける。

 「・・・馬鹿にして」

 しかしそんな激情とは裏腹に、彼女の体に染み付いた勘が告げる。
 一切の勝ち目はない。
 ・・・そう、奇跡が。それも一度では足りない奇跡が起きない限り。

 「馬鹿にして!」

 しかしそれでも。
 自分の窮地と、隊長が死んだ悲しみと絶望でヒザをつく前に、そこまで見下されていた事が彼女を奮い立たせる。

 「あんたなんか、あんたなんかッ!」

 怒りとともに引き金を引く。
 だが、襲撃者の体がわずかに揺れて、ただそれだけだった。
 威力の低い散弾とはいえ、傷すらつかない防具など。
 しかし、これこそ一つ目の奇跡だった。
 もしこの時。
 彼女があと少しだけ冷静であったなら気づいたかもしれない。
 襲撃者が己の腕に絶対の自信をもっていたとしても。
 なぜ散弾を浴びたのか、浴びてしまったのかという事に気づく事ができていれば。
 襲撃者は動かなかったわけではない。
 動けなかったのだと。
 だが彼女は。
 
 「う、くっ」

 すぐさま通常弾へと装填しなおす。
 再び銃口を向けた時、襲撃者はついにようやく、ゆらりと銃をあげる。

 「アンタ、なんかッッ!!」

 そうして涙で視界を埋めて打ち出した弾丸は。
 なぜか、闇を作っていた頭上の木々の葉を打ち抜いた。
 
 「え・・・?」

 気がつけば彼女は背を地につけていた。
 ゆっくりとその側に立ち、わずかに差し込んだ陽を隠すようにして見下げる襲撃者。

 「ああ、そっか・・・」

 簡単な事に気づく。
 自分よりも遅く銃を上げ、そして自分より早く撃った。   
 二度目の奇跡を彼女は手にする事はできなかったのだ。
 襲撃者はとどめとばかりに、銃口を彼女に向ける。

 「さっさとやれば・・・でも覚えておきなさいよ。きっとあんたは倒されるわ」
 「・・・」
 「そう、あんたと同じ色の瞳のギルドナイトにね!」
 「・・・」

 ふと二人の間に静寂が降り・・・とどめの銃声は鳴り響かない。
 彼女は閉じていた眼を開ける。
 襲撃者は銃口を外すことはないものの、引き金の指には力がこもっていない。

 「・・・アンタ、よくわかんないね」
 「・・・」
 「多分、勘違いだろうけどさ」
 「・・・」

 ため息のように、ゆっくりと息を吐いて。

 「その瞳はもしかしたら、涙が枯れちゃうほど泣いた後なのかな、って。でもまだ泣き続けてる、そんなカンジ」
 
 一瞬だけ。
 銃口が揺らいだ。
 
 「ふぅん・・・そっか。じゃあいいよ。恨まないから。でも一つだけ頼んでいい?」
 
 襲撃者は無言。それを肯定ととったのか。

 「アンタとさ、同じ色の瞳のギルトナイトにあったら伝えて。ごめんなさいって」
 「・・・」
 
 だが。
 襲撃者は赤い瞳を一瞬だけ閉じて。
 首を横に振った。

 「けち。それだけは恨むわ」

 そして。
 彼女の視界は密林の生んだ夜より深く黒く染まった。
 
 「・・・」

 襲撃者はカブトを脱ぐ。
 どうやら最初の散弾がカブトの隙間にもぐりこんだらしい。
 額から血が一筋、生暖かい線をかたどっている。
 だが、かまわず襲撃者は、隊長の男を死を確認する。
 まったく予想通りの行動をとった男だった。
 『赤・ガルナーク隊』の最近の損害率の激しさは、この男が隊員を身代わりにしていた為だと確認もとれた。ゆえに処罰が下された。
 そう。
 襲撃者の女は『黒』などではなかった。『魔眼の射手』と呼ばれる存在。
 彼女の任務はギルドナイトの間引き。
 『黒』に加え、各国に人員を派遣している現在のギルドには余剰戦力などない。
 そんな現状で保身のために隊員を盾にする者など害悪でしかない。
 居合わせた他の隊員は・・・ただ不幸だったとしか言えない。
 『魔眼の射手』の立つ場所に居合わせた不幸。
 その姿を見ることがなくとも、魔眼からは逃さない。
 これもまた任務の一つ。間引きは、『黒』の仕業と見せかける為の手段も兼ねているのだから。
 ゆえに、一切の例外はない。

 「・・・」

 『魔眼の射手』は力なく横たわる女ガンナーの体を、赤い瞳で焼き付けるように見つめていた。
 そして。

 「・・・謝るのはアタシ。ごめんね、ファナ・・・約束、したのにね・・・」 

 あふれた涙は、額から流れ込んだ血で赤く染まっていた瞳を、血涙となって洗い流し。
 彼女そのものの色である、空色へと戻す。
 
 「会いたいよ、エルナム・・・会いたい・・・」

 小さく小さく続くそれは、懺悔のようであり、後悔のようであり。
 それでも救いを求めるようにファナラドがうがった穴から、わずかに見える太陽に手を伸ばす。
 ふと、一つ吹きすさんだ風が木々をゆらした。

 「けど・・・もう、会えない、会えるはずがない・・・今のアタシを見られたく、ないッ・・・」

 葉と枝が絡まりあうと、もとより穴などなかったかのように密林は夜へと戻る。
 わずかに差し込んでた陽が途絶えると、小さな嗚咽もまた、闇に混じって消え。

 「・・・」

 無音となった。





続く・・・




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