厚い雲からわずかに月がのぞく夜。
しかし夜空は昼のように明るい。
街を焼く炎が天まで届き、絶え間なく続く銃火の閃光。
戦場だった。
ここに竜はいない。ただ、ただ、人と人が戦う戦場だった。
そこから少し離れた場所。滝へと続く途中の小高い丘の上に一人のギルドナイトが立っていた。
そこからは全てが見渡せた。
何の表情もうかがえない瞳に、燃え続ける街の赤色が映っている。
そのギルドナイトはこの作戦の指揮官であったが、護衛の一人もつけず立っていた・・・いや、待っていた。
やがて。
ギルドナイトの背後の森から、待ち人があらわれた。
「炎がよく見えるな・・・『狂刃』。結局、私はこの作戦を阻止できなかったわけか」
そう声をかけた男は、ゆっくりとギルドナイトの横へと歩み寄る。
黒髪が風に流され、黒い瞳には炎が映っている。
「燃えている。長い年月と苦労によって築かれた街、そして罪のない民が燃えている」
怒るわけでもなく、責めるわけでもなく呟いた。
『狂刃』と呼ばれたギルドナイトは微動だにせず、街を見下ろしたまま口を開く。
「私は正しい事をしている。義を為すべくここにいる」
「ギルドナイトの正義、か」
「そうだ。より多くの街、より多くの民を救う為には仕方ない事もある」
それを聞き、男はかつての『狂刃』を思い起こすように。
「正義というものは立場によって変わるものだ。ギルドナイトも同じく・・・だが、お前の正義は別の所にあったはずだ」
しかし帰って来た答えは。
「私はギルドナイトだ。ギルドの正義が私の正義であり、そこに微塵の揺らぎもない」
「・・・そうか・・・やはり私は救えなかったんだな」
街が燃える。
「『狂刃』・・・いや、イスキーナ。私は別にあの街を守ろうなどとは思っていなかった」
「・・・」
赤い炎の群れはなお激しくなり、二人を照らし上げる。
「私が救いたかったのは見も知らぬ他人ではない。ただ、お前だけを救いたかった」
「私に救いなど必要ない。私が民を救うのだから」
「だから己の命をも捨てるか? こんな仕掛けにのってまで」
「私は何も知らされていない。それは私が事情を知る必要がないとギルドが判断したからだ」
「その事情を全て知っているにもかかわらず、なお踊るか。正義の舞台裏で」
「私はギルドナイトだ。舞台の表であろうと裏であろうと、為すべきことは正義のみ」
男が握り締めた拳から血が滴り、地に垂れた。
「こんなものは正義ではない。ギルドの統治領を増やす為の・・・ただの侵略だ。そしてお前はこの後、裏切り者の反逆者として処刑される! お前は『狂刃』の意味を知っていたのだろう! なぜ、受けた!?」
「・・・」
それからは無言。
イスキーナは何も語らず。男はただ見開いた瞳でイスキーナを凝視する。
そうして。
最後までイスキーナは男と顔をあわせる事なかった。
男は目を閉じ。ゆっくりと口を開いた。
「すでに討伐隊がお前を探している・・・ここもすぐにかぎつけられるだろう」
再び目を開けた男はイスキーナに背を向け歩き出す。
苦しげに、しかしその感情を打ち払うような声で。
「殺されるならば、せめて私の手で眠らせてやる。イスキーナ、お前を晒し者などには絶対にさせない」
数歩離れた男は、再びイスキーナの方へ振り返る。
その手にはすでに抜いた剣。
対するイスキーナもまた、剣を抜いていた。
「だが、これだけは言っておきたい」
男はイスキーナを見つめ。
「イスキ。お前と出会えた事。それだけは間違いなく・・・」
男の声をかき消すような爆音が街で響いたが、イスキーナの耳には届いた。
だが、男は今のイスキーナがそれに答えるとは思っていない。
思っていなかったのだが。
今夜初めてイスキと呼ばれたイスキーナは笑って、一言だけ呟いた。
それを聞いた瞬間、男は全てを理解し、ギルドを恨み、憎み。己を恥じ、責め。
剣を捨て、その手をとろうと駆け出した瞬間。
イスキーナの胸に弾痕がうがたれた。
イスキが足をのばし、やってきたのは記憶の始まりの地だった。
いまだギルドの統治下に入っていない数少ない独立国家の一つ、グリード。
現在、イスキが居を構えているモデストと隣接した国である。
「二年か。早いものだな」
二年前。
この街の近くにある河に傷だらけで打ち上げられていたのを通りかかったハンターに発見され助けられた。
全身傷だらけで、意識も混濁していたイスキ。
ただ唯一、過去の記憶につながりがある思えるのは、目に焼きついた赤い景色。
それが何の赤なのかは思い出せない。
その次にある記憶はイスキを救ってくれたハンターが住む家だった。
「元気だろうか」
ハンターは美しい女性だった。快活な女性のランサー。
「このあたりだったと思うが・・・」
イスキは過去の記憶を掘り起こしながら、かつて自分が療養した街を歩いていく。
やがて、目当ての家を見つけドアをノックしようとドアの前に立ち。ふと夫婦の名を思い出す。
すぐさま夫婦の名前は浮かび上がった。
「ふむ。さすがの私とて、恩人の名を忘れるほど愚かではないな」
女性の方の名は、このグリードでは最も有名な英雄と同名である。
その名は、かつてこの街が生み出した英雄であり。
数年前に単身、この街へ向かってきた老山龍に戦いを挑み相討った女傑。
親達は、そのハンターとしての栄光にあやかるわけではない。
人を守るという尊さを持てるようとその名をつける。
この街に生きる全ての者とっての恩人。
そしていつまでも、彼女がこの街を救ってくれたという事を忘れまいと。
街の中心部には、彼女が当時使っていたランスを模した墓標がり、憩いの場として人々に愛されていた。
「まさしく、英雄、か」
イスキがドアをノックする。
「はーい?」
家の中から女性の声とともに、足音が近づいてくる。
ドアを開けて現れたのは、最後に見た時よりも黒い髪が伸び、美しくなった懐かしき顔。
「あ・・・あーあー、イスキさん!」
一瞬首をかしげた女ハンターはすぐに笑顔を浮かべた。
イスキもまた、軽く頭を下げて。
「お久しぶりです、メイラさん」
と、彼女の名を二年ぶりに口にした。
「ほんとですよ、もう! あれから音沙汰ないから心配してたけど、元気そうでなにより! さ、入ってください!」
驚きの笑顔のまま、メイラと呼ばれたハンターは家の中へイスキをひっぱりこんだ。
食事の用意をしていたのか、家の中は香ばしい匂いが漂っている。
そして二階へあがり小さなバルコニーある部屋までイスキを連れて。
「ほらほら、懐かしい顔のお客さん!」
部屋の主は開け放たれた窓の横に置かれた大きな椅子に腰掛けている。
瞳を閉じたまま、しかし、いつものように顔を空へ向けていた。
ふいに風が、ゆらり、と彼の白い髪を撫で付けていく。
懐かしい光景だった。
「お久しぶりです」
イスキの声に郷愁がこもる。イスキにとっては唯一、記憶のある過去。
「その声・・・イスキ、か?」
若者もまた懐かしそうに、イスキに笑いかける。
しかし、いまだ目は閉じられたまま。
「その後、体は? 胸の傷は癒えたのか?」
「ええ。問題なく。貴方の方は・・・」
問いに答えるように、若者はゆっくりとまぶたを開ける。
その瞳は白い霧がかかったように霞んでいた。
「人影程度の見分けはつくが、太陽がでているとそれもかなわない・・・全てが白い世界さ」
「では、やはり・・・」
若者は笑い、そして首を横に振った。
「捨てた剣は、もう拾えないようだ」
「残念です・・・アザァさん」
百禍繚嵐 〜カゲロウ・ハクジツ〜 (前編)
「それで?」
三人で食事を終えた後、アザァはイスキに向かって問いかける。
食卓のあるこの部屋も含めて、アザァの部屋以外の全ての窓には、黒い布がかけられいた。
陽の光が直接入り込まない場所ではある程度は物の見分けがつくらしく、その物腰はとても視力がない等しいとは思えない。
少しでもアザァの負担を減らそうというメイラの気遣いが見てとれる。
「わざわざオレの顔を見に来たわけでもないだろう? 冗談の一つも言えなかったアンタが、美人の奥さんを見に来たと言うなら笑ってやるが」
「もー、やめてよ、人前で・・・照れるでしょ」
クネクネとしながらほほを押さえるメイラにアザァは呆れつつ。
「まぁ、頭の中身はご覧の通り、可愛いもんだが・・・で?」
「ええ。実は教え頂きたい事があって、お訪ねしました」
「ほう?」
「アザァさんとメイラさんはかつて師弟の間柄だったとか?」
「ん?」
メイラが表情はそのままで動きを止めた。そしてアザァを見つめる。
しかし、一方のアザァはそれに気づかず。
「ああ、そうだ。手間と時間をかけたワリには、たいして強くならなかったがな」
アザァは楽しそうに笑ってメイラを見る。
そこにはすねたメイラがほほをふくらませていた。
「ひどっ。あなたはそう言うけどね? この街のメイラさんって言ったら超有名よ?」
「ほー」
まるで信用してない顔のアザァにメイラはますますムキになる。
「類まれなる美貌、類を見ない腕前。言い寄る男は星の数。たまには女の子も寄ってきちゃう。だけど、そんな美人ランサーの正体は、かわいい若奥様なのでした! それを知った人たちは涙を流して酒に逃げ・・・」
「で。何を教えて欲しいって?」
「はい。弟子の育て方を」
メイラはくるりと回ってポーズを決め、ビシリと二人を指差す。
「二人して無視!」
「ほう、弟子をとったのか?」
「ええ。事情がありまして。三人の少女達の相手を頼まれました」
「さらに無視!」
イスキはその三人の少女が、ギルドナイトの卵とは口にしなかった。
隠す事でもないが、わざわざ言うべき事でもない。
「ほうほう。美人か?」
「皆、素直でかわいらしいものです」
「うらやましいな。ウチのはこんなんだしな」
今度は逆回転に回ったメイラが二人を指差し。
「どこまでも無視した上に、こんなの扱い! よーし、お前らいい度胸だ! 夕食は抜き!」
「で、何を教えて欲しいって? オレの体はこんな状態だし、アンタだって相当な腕前だろう?」
「技術的な事ではなく、接し方を。どうにも私は人の感情を察することに疎いようです」
「あー、それは知ってるがな。じゃあ、どれくらい鈍いか試しやる」
アザァは無視し続けられ、ついに床に座り込んでメソメソとしているメイラを指差して。
「あの女はなんでああなったと思う?」
「・・・」
イスキは考える。さきほどまで再会を喜んでくれたはずなのだが、言われて気づけばなぜか今の状態だ。
「さて・・・食べすぎでしょうか?」
「お前さん、アレだよな。わざとやってんなら、いい根性だ」
「違うと? では、どうしてですか?」
「弟子達も、そうとう苦労してそうだな。いいか、女心ってのは複雑怪奇だ。ハッキリいって理解できん」
「やはり貴方でもそうなのですか。そのあたりをぜひとも、お聞かせ願いたい」
「わかった・・・オレとしても苦い過去だがな」
アザァは過去の経験から、とくとくと語りだす。
体験談を交え、女という生き物の恐怖をイスキへ伝える。
最初は淡々と語っていたアザァだが、後半には手振り身振りでその恐ろしさを伝えていた。
聞き終えたイスキは神妙な面持ちで、しかし首をかげながら。
「なんとも難しい。私は半分も理解できませんが」
「オレが導いた結論としての三か条はな・・・女を褒めるな、女に惚れるな、女に近寄るな、だ」
「しかし私の弟子は皆、少女ですので」
「ああ、わかってる。実際、さっき言った三か条を守るのはムリだ。オレもムリだった」
アザァはシクシクと泣きながら床のホコリを指で集めているメイラを後ろから、右腕だけで抱き上げ。
「きゃっ!」
「いい女だろう? 惚れるなって方がムリさ。オレはこいつがいなきゃ生きていけない」
「ア、アザァ?」
「弟子の時のこいつも、今のこいつも愛してる。そうすると相手の気持ちもわかるようになるもんだ」
「ほう。そうなのですか?」
「師弟愛も、男女の愛も相手の気持ちを大事にする事は同じだろ」
真っ赤になっているメイラの顔を見て、イスキは一つうなずき。
「今の彼女の気持ちならば、私にもわかります」
「ほー、言ってみな」
「無視され続けたので、怒り心頭なのでしょう。顔が真っ赤になっています」
「・・・それはもう終わった所だ。本当に気の毒だな、お前さんの弟子」
アザァはメイラの頭をぽんぽんと叩き。
「弟子の育て方はコイツに習うといいさ」
「と、言われると?」
「コイツには生意気にも弟子がいる。参考になるかもしれん」
「そうなのですか?」
イスキがメイラを見る。メイラはうなずき。
「明日も一緒に討伐の予定。参考になるかはわからないけど、一緒に来ます?」
「お邪魔でなければ、ぜひともお願いしたいと思います」
「わかりました。では明日はお昼から酒場に行きましょう」
そこでアザァが一言。
「ついでにコイツも鍛えてやってくれ。オレやアンタから見れば未熟もいいところだしな」
「もう! いつまでたってもそうやって。さっきも言ったように! この街のメイラさんと言えばね?」
メイラが胸を張り、二人に対してなおも言い聞かせようとする。だが。
「イスキ。今までどうしてたんだ? 夜は長い。話、きかせてくれよ」
「ええ」
「・・・」
男二人は昔を懐かしむようにして、完全にメイラを視界に入れていない。
「さ、咲き乱れた花々も、透き通る湖さえも、このメイラさんの前では枯れてしまうほど!」
そんな中でも、メイラは耐え、そして攻勢に出るも。
「いい酒がある。オレの部屋に行くか。月でも見ながら飲むのもいいもんだ」
「そうですね。私も貴方の話を色々と聞きたいと思っていました」
「く・・・この街のメイラさんと言えば、太陽の輝き、星の瞬きさえも霞んでしまう超美人ハンター!」
それでも一人戦い続けるメイラ。
「オレの過去、ね。たいしたモンじゃないし、言えない事も多い」
「私など語りたくても語れない身です。うらやましい」
「ぐぐ・・・そ、そう! その美しさと強さは、神を越えると言われ、大陸の全てに知られるほどの・・・!」
アザァは懸命に叫ぶメイラに一言。
「自分で言ってて恥ずかしいならやめとけ」
「あああん!」
イスキは街に宿をとるつもりだったが、二人の強い誘いで街の滞在中はここに泊まる事になった。
「彼の話はとても興味深い」
イスキから見れば、女心の機微というものに精通しているようである。
だが本人にそれを言うと苦笑して否定した。
彼は女心を学問とまで言った。深遠なる謎に満ち、その解は永遠の謎でもあると。
彼にしてそこまで言わせるのだから、自分などではとうてい無理であろう。
しかし、ただそうして気楽そうに女性の話をしてる時、彼の心はどこか虚ろだった。
表面上は皮肉めいた自嘲を浮かべ続けていたが。
第三者のイスキが聞いていても、大切な何かが欠けているな不完全な感覚。
人の心がわからないイスキに、それが何なのかはわからなかった。
だが彼の話を要約すれば。
「人を愛する、か」
自分は人の感情を察する事に疎い。なによりもまず、自分の感情が希薄だという事も自覚している。
過去の自分・・・つまり、記憶を失う前の自分はどうだったのだろうか?
誰かを愛し、そして誰かに愛された事があったのだろうか?
二年前のあの日。
通りかかったメイラに救われた自分は瀕死の重体だった。
大きな河に打ち上げられたイスキには多くの傷と。とりわけ深い胸の銃弾。
メイラがいなければ、間違いなく死んでいただろう。
自分は何をして、そのような状態になったのだろうか?
思い出そうにも記憶は、完全に白く。
数日間の昏睡ののち、目覚めたイスキが覚えていたのはイスキという名前だけだった。
ありがたかったのは、アザァもメイラも、何も追求してこない事だった。
ただ二人はこう教えてくれた。
イスキはハンターだと。筋肉のつき方、武器を握りなれた手。そしてなにより瞳を見て断言した。
事実、体が回復したイスキはアザァの武器を借り、軽く振ってみた。
瞬間、自分の体が戦う技術を思い起こす、奇妙な感覚が走る。
体に染み付いた技術と経験。それは頭の中以上に、肉体に宿っていた。
その後イスキは、アザァたちに教えられ、ギルドにハンター登録する事となった。
あいにくと、このグリードはギルドの統治下にない為、隣の国のモデストへと移り住んだ。
無論、グリードにもハンターはいるし、『英雄』と呼ばれるものもいる。
しかしイスキのように身元の定かでない者は、なかなか受け入れられない。
ギルド領から逃げ込んできた犯罪者が多くなってきている今は特にそうだった。
だがギルドは違う。あからさまな偽名でも登録は可能だった。
ハンター登録さえすれば、他国でもギルト領であれば、煩雑な手続きをしなくとも依頼は受けられる。
こういった点からして、イスキにはありがたいものだった。
そして二年。
気がつけば『狂刃』という名で呼ばれ、ギルドの目にもとまり、ギルドナイトの卵を育てている。
思えば色々とあったものだが。
だが、その間、一度として誰かを愛した事はなかった。
「弟子達は私を慕ってくれていると思うのは・・・思い上がりだろうか?」
どのみち考えたところで、どうとなるものでもない。
イスキは明日の行動を考えながら眠りに落ちていった。
翌日。
イスキはメイラとともに、酒場へ向かう。
メイラの弟子とは、いつも酒場で待ち合わせしているという事だった。
「お弟子さんは、どんな方ですか?」
イスキはメイラの弟子の年や性格など、まだ何も知らない。
「そうですね・・・一言で言えば、乙女というか」
「乙女、ですか?」
酒場に入るとメイラはカウンターに立っている給仕に軽く挨拶をしつつ、三人分の朝食を注文する。
給仕は見慣れぬイスキを目にして首をかしげるも、深くは追求してこない。
この街のメイラと言えば、絶大なる力を持った強者であり、かつ、性格も温厚な美女である。
彼女が連れているならば、何も勘ぐる必要はない。
奇しくもアザァだけが、それを信じていないというのが悲しいところであるが。
二人がテーブルに腰を落ち着け、メイラがさきほどの続きを口にする。
「弟子と言っても・・・おしかけみたいなものなんですよ。ちょうど、あたし達がこの街にやってきた頃に知り合って」
「ではこの街の人ですか」
「いえ、そうじゃないみたいです。どこかの国の小さな村の出身だそうですよ。強くなる為に街に出てきたと本人は言ってますが・・・」
メイラは苦笑して。
「どうも本人は人生を楽しむ事に忙しいらしくて。いえ、確かに強くなってはいるんですけど、他の事も一生懸命というか」
「はぁ」
どうにも要領を得ないイスキであったが、ふと気づいたようにメイラは。
「あ、でも、ある意味イスキさんの相談事に、一番力になれるのが、あの子かもしれませんね」
「と、言うと・・・?」
先をうながすイスキだったが、メイラは立ち上がり。
「こっちよ、スヴェツィア」
と、店の入り口に向かって声をかける。
イスキが目をやれば、そこには一人の若い女性が満面の笑顔でこちらへ向かって歩いてくる。
年はエルナムやシャロンと同じ頃だろうか。
ただその雰囲気はハンターの誰しもが持つ厳しさが全くない。
かと言って、一般人かと言えばそうではない。まったくの自然体だった。
「先生、ごめんなさい。ちょっと昨晩、色々あって遅れましたー」
スヴェツィアと呼ばれた女は、メイラの隣に腰かけつつ笑って頭を軽く下げる。
「はいはい。別にいいわよ、いつもの事だし」
メイラも特に気にしたふうでもない。これが日常なのだろう。
「で、今度の恋人はどうなの? えらくご機嫌だけど」
「なんというか新鮮ですね。吟遊詩人ってのはキザなだけかと思ってたんですけど、やっぱりサマになってますよ、色々」
「ふぅん?」
「常に女性を意識してるというか。優しさとは違った気遣いがなんとも、くすぐったいカンジでこれがまた」
「なかなか点数高いみたいね。ちょっと見てみたいかも」
「そーですね。先生の頼みとあれば仕方ないです。いつでもアザァさんと交換しますよ? ええ、仕方ありません」
メイラが困ったような顔で。
「彼はやめときなさい。寡黙そうに見えて、かなりの数の女を泣かしてるわよ?」
「今は先生が泣かされている途中、と。でも別にアザァさんなら、泣かされたいかなぁ、とか。カゲをふくんだ男の人の横顔って魅力的で・・・」
ほほを押さえながらクネクネとしつつ、スヴェツィアがちらりとメイラを見た瞬間。
そこにメイラの笑顔はなかった。
「すいません、自分、調子のりました!」
立ち上がり、体を九の字に曲げて頭を下げるスヴェツィア。
しばしの沈黙。
「・・・ふふふ」
ようやくメイラの顔に笑顔が戻り。
「素直な弟子は好きよ。さ、お座りなさい」
「は、はい・・・あ、ところで先生」
スヴェツィアはイスキを見つつ。
「こちらはどなたですか?」
「ああ、紹介するわね。こちらイスキさん。ハンターで、かなりの腕前よ。今日は私もお世話になるんだから、失礼のないように」
「え? 先生が?」
「言っておくけど、あたしなんか話にならないわ」
「はぁ・・・世の中広いんですねぇ」
メイラが次にイスキに目をやり。
「イスキさん、この子がスヴェツィアです。私から見てもまだ未熟なので、よろしくお願いします」
「私の力の及ぶ限り、喜んで」
「未熟者ですが、よろしくお願いしますー」
スヴェツィアがペコリと頭を下げ、イスキもまた軽く頭を下げる。
イスキからすれば、若者と言えばエルナム、シャロン、そしてステアと言った、いわゆる硬い相手のイメージしかない。
一番くだけた雰囲気のあるシャロンでも、言葉の節々には時折、強い意志がこめられている。
しかし、このスヴェツィアというハンターからは、そういったものが全くない。
これがギルドとは無縁な若者なのだろう、とイスキはとりあえずの結論を出す。
エルナム達のように気負う必要がないという事が、やはり大きな違いだろうか。
「それでイスキさん」
「なんでしょうか?」
色々と考えていた所へメイラからの声がかかり、イスキは二人に視線を戻す。
「最近はリオレイア討伐を中心にしているんですが、それでよろしいですか?」
「ええ、構いません。私は何をすればよいでしょうか?」
「そうですね。できれば、私達の動きを見てもらって、悪い部分を指摘してもらえれば、と」
「わかりました。では、後方で補助にまわりましょう」
三人は運ばれてきた朝食に手をつけつつ、細かな打ち合わせを始めた。
三人が食事を終えて、討伐に向かい始めた頃。
アザァはいつものように窓際の椅子に腰掛け、瞳を閉じて空を見上げていた。
当然、何も見えない。
たとえ目を開けていたとしても、そこはただ、ただ白い世界。
それでも日の暖かさがまぶたを通して伝わってくる。
風があれば髪の揺れや皮膚でそれを感じる。
物音が立てば、聴覚がそれを教えてくれる。
こうしている今も、常人では聞き取れないほどの微かな物音を、アザァは捉えていた。
そして、常にかたわらに置いてある二本のハンターナイフの内、一本の柄を握る。
「ずいぶんと時間が経ったが・・・」
そうして、ただひたすらに、こうして過ごしてきた二年間。
白日の下の静寂に身を置いた結果、少しずつだが確実に目の代わりの感覚が鋭くなっている。
さび付いた刃を研磨していくように。それは幾分か輝きを取り戻していたが。
「・・・足りないな、まだ」
アザァは呟き、笑う。
「まぁ、少しずつ埋めていくさ」
アザァはゆっくりと鞘から刃を抜く。
ハンターナイフの鞘におさめられていたそれは、しかし赤い刃。
巧妙に偽装された柄の先に輝く牙は、天地と呼ばれる双剣の一本であった。
立ち上がり。
そして刃を軽くまわし赤い軌跡を宙に描くと、アザァは一言呟いた。
続く・・・
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