その男はイスキが訪れた家の近くで影を潜めていた。
「チッ」
舌打ちした男の名はグーラー。年は三十あたりだろうか。
その鋭い目つきには、不満がありありと見て取れる。
モデストからえんえんと歩き続け、たどりついたのは隣国グリード。
そして監視していた人物が出会ったのは黒い髪の若い女。
「いい気なもんだな、どこぞの英雄様は」
選ばれた精鋭が集うギルド、その中でもさらに選ばれた存在である暗部。
それに属する自分がなぜこのような、くだらない任務につかなければならないのかと。
こんな任務は表の役目だ。
「だが・・・何か裏もあるようだしな」
数日前。
直属の上司である部隊長から受けた指令書は、とあるハンターの監視だった。
与えられた説明は、前任の監視者が別の任務に入った為、臨時でこの街に対象がいる間だけ監視せよ。
それだけだった。目標がどういった人物で、何をしでかしたのかは知らされていない。
重要なのはこれが任務であり、気にかけているのは、部隊長よりもはるか上からの指令であるという事。
今回のように指令書という形で任務を与えられるのは、そういう事だ。通常ならば事細かな説明がある。
グーラーは考える。
部隊長の上となると部隊を束ねる大隊長、その上の団長、さらに司令、大司令となる。
司令から上の世界は、グーラーではとうてい理解できない。
ギルドの階級以外にも、ギルド貴族と呼ばれる二つの名家や『龍食らい』などの存在。
単なる階級や立場以外の命令系統が複雑に絡んでいる。
ギルドというのはそれほど巨大な組織だが、全てのギルドナイトが正義を掲げいてる。
しかしそれが全て正しいのかと言えば、そういうわけでもない。
正しいというものは主観によって、時によって、場所によって、様々な状況により変わるもの。
ゆえに暗部がある。正義であるのに、正しくない正義。それを正す存在。
「滑稽といえば滑稽だ。まぁいいさ・・・」
グーラーは指定された目標、イスキという男が休んでいる民家を監視しながら考える。
今回の指令――おそらくは団長あたりからの発令であるとアタリをつけているが――そんな上の人物がなぜ野のハンターの監視など命ずるのか。
確かに目標は英雄と呼ばれるだけあって、確かに独特の雰囲気はある。
人として、ハンターとして、強い。それは間違いないだろう。
もし自分があの英雄と戦ったならば、と結果を予想し。
「ふ」
笑う。わかりきった結果だからだ。
竜と戦う事と、人と戦う事は違う。
たとえ相手が二つ名を持つ英雄だろうと、もし戦いとなればグーラーは己の圧倒的優位を確信していた。
戦うとは相手を倒す結果を求めるもの。剣と剣を抜きあって正面から対峙するとなど愚行だ。
日ごろ、そういった戦い方とは無縁なハンターには、不意打ちこそ正攻法。
確かに竜と戦い続けるハンターは、気配や物音に鋭く反応する。
しかし、そういった気配や物音を殺す技術を持った、そう、自分のような存在は例外だ。
察知される要素がない存在に、ハンターは脆い。過去の経験からもそれは明白。
なればこその自信だった。
なんにせよ、グーラーにとって、これはチャンスだった。
なぜ自分が選ばれたのかはわからない。しかし、上から目をかけられている事にかわりはない。
指令には続きがあった。
もし監視対象イスキが不審な行動をとったならば処理せよ、と。
「『英雄』を倒せばどれくらいの手柄になるのかねぇ」
不審な行動など監視者である自分の裁量一つだ。たとえ捏造であっても、その真偽を定める術はない。
そもそも、こういった言葉で指令が与えられてる以上、処理が可能ならば実行せよ、と判断するのが正しい。
むしろ理由など後付でもかまわないだろう。
ただ注意するべき事は、極力、表ざたにする事を避ける事。
ここはギルドの統治下ではない。
そんな場所でギルドナイトが人を殺したなどと表に出れば、手柄以上の失態でしかない。
無論、そんな失敗をするグーラーではないが、万が一の可能性というのはどこにでも転がっている。
理想的なのは事故に見せかける事。
そしてそれは相手がハンターであれば、そう難しい条件ではない。討伐依頼の最中に狙えばすむ事である。
討伐に失敗したハンターの死体が見つからない事など日常だ。まさか竜の胃の中まで探すわけもいかない。
ならば、わざわざ街中で危険を犯すよりも、監視対象が依頼を受けるのを待てばいいだけだ。
たださきほどの女と情事を楽しみにきただけというなら、また話は別だが。
「とにかく好機はいくらでもある・・・前任の監視者は未熟だったのかね? それとも怖気づいただけか?」
人ひとり殺すだけで覚えがめでたくなるのならば、こんな楽な事はないだろうに。
かつてグーラーにも民の為、国の為と想い、戦っていた時期が確かにあった。
しかし、それは長い戦いと深い策謀の中、いつしか磨耗し。やがてすり切れ。違うものにとってかわった。
「すぐにケリはつく」
グーラーは己の片手剣の鞘を軽くなでつけ、目を閉じる。
そうして再び目を開けて夜空を眺めるグーラー。
それはもう、殺人を手柄として嬉々として語る男の顔ではなかった。
「俺は・・・上に昇る。駆け上がる。何をやっても、誰を殺しても」
鎧の上から、胸に忍ばせている友の形見に手をあてグーラーは微笑む。
「お前さんがくれた命、無駄にはしない」
民の事など、国の事など、ギルドの事など、全てがどうでもよいもの。
そして、もはや正義というものが何だったかとわからなくなった。
ただ、一人の男の顔だけがいつまでも心に残っている。
「だから安心して、そこで見ていてくれよ。男の胸元は少々、居心地悪いかもしれんがな」
グーラーが歩んできたのは暗い道だった。
その道中、傷ついて、血を流して。やがて絶望の底に落とされた。
心が歪み、ねじれて、涙は枯れて。やがて正義の意味を見失った。
それでもやはり。
「あんなくだらない戦いなんぞ、もう・・・二度と起こさねぇ」
その瞳に込められたたった一つの意思こそは、グーラーさえも否定できない一つの真実。
彼は、やはりギルドナイトだった。
百禍繚乱 〜カゲロウ・ツキヨ〜 (前編)
翌朝。
監視対象者、イスキの後を追ってやってきたのは酒場だった。
グーラーは自然な足取りで、イスキとその連れの女が座ったテーブルの近くに背を向けて座る。
やがて、さらに一人の女がやってきた。
話を聞いている限り、最初の女はメイラという。
そして後からやってきたのが、そのメイラの弟子でスヴェツィア。
何気なく、三人の会話に聞き耳をたてていたのだが。
スヴェツィアの一言がグーラーの眉を跳ね上げる。
『そーですね。先生の頼みとあれば仕方ないです。いつでもアザァさんと交換しますよ? ええ、仕方ありません』
アザァ・・・その名を耳にしたグーラーは記憶を探る。
確か。ギルドが行方を捜し続けている『英雄』の一人がそんな名前だったと。
グーラーは束ねた手配書を取り出し、めくっていく。
「・・・偶然、なのか?」
そこにはアザァという名の男の詳細が記されている。
ノーブルの英雄『黒き灼熱』。
現在は、ギルドに所属。とある部隊の隊長という地位にある。
・・・というのは、ギルドの訓練生でも知りえる程度の情報だ。
暗部であるグーラーの持つ手配書には、さらに続けて真実が記されている。
過去、ギルドに多大な貢献をした実績あり。
しかしその直後、十数人のギルドナイトを殺害後、逃亡。
発見次第要報告。手出し厳禁。
「・・・ただ・・・同じ名前という事もある」
むしろ、その可能性の方がはるかに高い。
ギルドナイトを殺して行方をくらましている人物が、たとえギルド統治にない国にいるとしても本名は使わないだろう。
様々な可能性を考えはじめるグーラー。
どれほどの間、そうして思考していただろうか。
すでに目の前の三人は、食事を終えて出発する寸前だ。
現状の任務と、そしてグーラーの野望の為には、後を追うのが当然の選択。
しかし、このアザァという男の確認もまた重要。
「・・・これで人違いだったら、かなりのマヌケだな」
グーラーは三人に気づかれないように、静かに酒場を出た。
そしてイスキが昨日、泊っていた家へと向かう。
危急を要する事ではないかもしれない。
あの女はその”アザァ”と生活しているのだから、ここは三人についていき、まずイスキを処理する。
それからでも”アザァ”の確認は遅くはないはずだ。
しかしイスキの方はどう動くかわからない。このまま行方をくらます可能性とてないわけではない。
本来の任務を一時的にとは言え放置してまで、今すべきことではない。
「だが、もしも本物ならば」
今回、与えられた任務以上の手柄となる。一気に自分の地位が押し上げられる事は間違いない。
少なくとも団長階級。この先、忠実にギルドに仕えたとして十年かけても得られるかわからない。
そんな好機が目の前にある。まだ可能性ともいえない確立だが・・・確かめずにはいられなかった。
グーラーは昨夜イスキが泊っていた家の前まで来ると、周囲を見回す。
人気はなし。
グーラーはあらかじめ、腰の後ろに差した片手剣をわずかに抜く。
キン、とごくごく小さな音を立てて、剣が鞘から輝く。
相手は英雄。音とも言えぬ音をたてる事すら、命取りになりかねない
「・・・さて」
音もなく家の中へと侵入するグーラー。
しかし、まず目に入ったのは奇妙な光景。全ての窓が黒い厚い布で覆われている。
わずかに漏れ出る陽光を頼りに歩を進めていく。
一階に『黒き灼熱』の姿はなく、グーラーは二階へと続く階段に足をかける。
ここまで一切の物音も、気配もさらしてはいない。
戦闘を主としない、監視、諜報、暗殺に特化したグーラー。
暗部の中ではとりわけ珍しい存在ではないが、それゆえにその中で一流とされる者は際立った技量を持つ。
グーラーもその一人である。加えてグーラーの戦闘技術も決して低くない。
無論、暗部の中で戦闘に特化した者と比べれば遅れをとるだろう。
暗部の戦闘に特化したものは、単体で集団を殲滅する力を持つ。
だが、こと一対一の戦闘ならば彼らと同じ程度の働きはできると自負している。
つまり、もし戦闘になっても確実に処理できる、と。
グーラーは階段を昇り終え、自分が探す人物の部屋をすぐに悟る。
いくつかの部屋があるが、ドアが閉まっているのはただ一部屋。
念のため、開け放たれた部屋の中も確認するが、無人であった。
グーラーは唯一閉じられたそのドアに耳を当て、中の様子を探る。
「・・・」
音はなし。
ただ、気配だけがある。
それは静かな。とても静かな空気をまとっている。
その穏やかな息遣いをともなって伝わってくる気配に、イスキがまとっているような強者の空気は感じられない。
強きモノというのは、視線をあわせずとも近くにいるだけで存在感が伝わってくる。
竜にせよ、人にせよ、それは質は違えど、どちらも圧迫するような感覚。
しかし、このドア越しの気配にはそれがない。
人違い、か・・・とグーラーが思い始めた時、中から声が聞こえる。
『ずいぶんと時間が経ったが・・・』
男の声は、やはり波のない海のごとく。
『・・・足りないな、まだ』
それでいて、どこか吸い込まれそうな。
『まぁ、少しずつ埋めていくさ』
言うなれば、夜の海。
見るもの全てを引き込むような・・・暗く深い無限の黒水。
そしてグーラーは続く音を聞き逃さなかった。
刃が鞘から滑る音を。
(抜いた? 気づかれた?)
バカな、と。
自分に非はなかった。たとえ竜であっても、自分に気づくはずもないほどの隠密を維持したはずだ。
それを否定するかのように。
キシリ、と木のきしむ音。
(何の音だ・・・イス? 立ち上がった? 来るのか?)
全神経を聴覚へ集中するグーラー。
ヒュン・・・ヒュン、と刃が風を切る音。
それは次第に早まり、唐突に止まった。
沈黙と静寂。
グーラーの額に汗がにじむ。
ドアの向こうから、暗い海がさらに広がっていく。
ただこうしているだけで、足元が濡れていくような感覚。
それはしだいに水位を増していく。
ひざを越え、腰へと届き。胸までつかり、首を絞めていく。
そうしてようやく、グーラーは己の誤りに気づいた。
(この俺が・・・)
海、などと。
そんな生易しいものではなかった。
それは剣。
無数の剣の海。
暗い海ではない。
赤黒い海。
全てが血で赤く染まり。
そして錆び付き、さらに赤黒く染まった・・・無数の剣の海。
人が発するには、あまりにも異質で歪んだものだが・・・これは殺気だと、ようやくグーラーは悟った。
(息が・・・できん)
刃の死んだ剣が無数に天を突き刺す中、その赤黒い海の中からただ一本、刃が自分に向けられた。
(・・・!)
もはや疑う余地はない。完全に自分の存在を悟られている。
観察して正体を探るどころの話ではない。
殺さなければ・・・殺される。
そして部屋の中から初めて、明らかな意思を持った声が発せられた。
『きな、遊んでやる』
瞬間。
グーラーはドアを蹴り開けていた。
もはや無意識の行動は、一連の行程をなぞり、機械的に相手を処理するべく止まらない。
”アザァ”はグーラーの見たこともない、一本の赤い剣を手にただ立っている。
(片手剣? だとすれば『黒き灼熱』の得手武器・・・)
その位置を目に焼きつけ、取り出した閃光を投げ放つ。
同時に大きく右へ跳び、グーラーは自分の位置を変えて側面から剣を横へなぎ払う。
視界を奪われた相手は、それまでグーラーのいた位置へ剣を振るい。
しかしすでに横へ移動していたグーラーが、横合いから相手を殺傷。
これまで何度も繰り返し、そして成功させてきた絶対にして、単純な戦法。
ただ。
それまでの相手とはあまりに違いすぎた。
「・・・な」
「甘いな。いや、それなりにいい手か」
なぎ払ったグーラーの剣を、上から打ち落とす”アザァ”の赤い剣。
剣をたてて防ぐのではなく、また体をそらして避けるでもなく。
円の軌道を描いたグーラーの剣を、上からという線の軌道で打ち落とされた。
それが意味するのは、完全に見切られていたという事。
すぐさま後ろに跳び、距離をとるグーラー。
白い閃光が消え、景色が色を取り戻した時、グーラーはある可能性に気づく。
完全に虚をついた状態から、さらに閃光で視界を奪われ、なおもグーラーの一撃を難なく防ぐ。
それは、つまり。
「お前・・・目が見えていないのか?」
「太陽がまぶしくてな」
”アザァ”は肩をすくめる。
肯定とも否定ともいえない、あいまいな答えにグーラーは苛立ち。
「その虚勢・・・すぐはがしてやる」
自分の口から出た言葉とは言え、それが虚勢ではない事はわかっている。
むしろ、強がり、自分を鼓舞しているのは己の方だ。
一撃でしとめる必要はない。まずは足。動きを鈍らせるための攻撃。
グーラーは姿勢を低くして駆け出す。いや、駆け出そうとした瞬間。
「手馴れたものだな」
その一言とともに、それは呆気なくとめられる。
”アザァ”はその剣をグーラーに向けて、やや下方に構えただけだった。
その二手、三手先をグーラーは己の実力ゆえ、結果を読んでしまう。
「・・・ぐ、く」
一合交えただけで、ずてに手詰まりだった。
姿勢を低くしたまま『英雄』を見上げれば。
”アザァ”はただその赤い剣を構えたまま。しかし視線はグーラーから外れ、窓の外の太陽を見つめている。
それでも隙はなく。かといって誘いでもなく。
そして動きを止めてしまった瞬間、またあの錆び付いた剣の赤黒い海がグーラーの心と体を襲う。
側にいるだけで相手をからめとる、この異常な殺気。
「・・・」
グーラーもまた対抗するべく殺気を放つ。
長い間、死線の上で磨き上げた鋭利な刃のごとき殺気を。
しかしそれは、”アザァ”がただ無造作に並べ立てた、錆びた刃の一本にも及ばず刃こぼれする。
「お前は本当に・・・人間か」
「まぁ、お前さん弱くはないよ。強くもないがな」
「く・・・」
見えているのかわからない視線をグーラーに向ける”アザァ”。
その目は白くにごっている。その異様さに、グーラーの背が凍る。
そして、ようやく今になって気づく。
「白い・・・髪?」
『黒き灼熱』の代名詞は、炎の片手剣と、黒い髪。
あの赤い剣の正体は不明だが、あの髪は染めあげたもののような不自然さがない。
つまり・・・別人なのだろうか。
「黒髪じゃなくてアテが外れたか?」
「貴様・・・『黒き灼熱』ではないのか?」
「さぁて、どう思う?」
楽しそうに笑う『英雄』。いや、『英雄』ではない可能性が高くなってくる。
グーラーが求めるのは『黒き灼熱』。
しかし、この異常な戦闘能力からして、ただ者ではないのは間違いない。
『黒き灼熱』である可能性もまた充分にある。
「・・・」
「どうした? 終わりか?」
この男は自分から口を割ることはないだろう。
だが、この男の正体を知る手段はまだ残されている。
ただ問題は、この男から逃げる事が可能かどうかという一点。
「・・・」
グーラーは考える。
剣術、体術、経験、それらは相手が上である。
油断、慢心、余裕、そこにつけ込む隙はある。
しかし、行動を起こすための足がかりがない。
こういった場合の常套手段である閃光は、まったくの無効。むしろ自分の視界を潰すだけだ。
戦うも逃げるも、完全な手詰まり。
それでもなお、諦めず、策を案じる。
だが、状況は思わぬ点から変化した。
「お前さん、裏の人間にしちゃ、ずいぶんと青臭い目をしてるだろう?」
「・・・なんだと?」
「例えだ。なんせオレの目は太陽の下じゃ役立たずでな。だがそんな雰囲気があるよ、お前さん。月下なら多少は見えるんだが」
正体不明の男は、白い髪をかきあげながら。
「表のギルドのような目をしたまま、裏道をしゃにむに走ってる。そんな感じがしてな」
「・・・」
グーラーは、相手の真意を計ろうとするが、白髪の男からはあの殺気が消えていた。
ただ間をまぎらわすだけの、世間話でしかないのだろうか。
グーラーは選ぶ選択肢がない以上、話にのって時間を稼ぐのが有効だと判断し、答える。
「オレは・・・民の事などどうでもいいし、アンタを探りにきたのも出世の為、だ」
「それはそれは。ずいぶんと俗っぽい理由だが。出世した後、どうするつもりだ?」
「それは・・・」
言葉につまるグーラー。
出世の先、グーラーが願うのはその権力をもって、意味のない戦いを起こさせない事。
民の為でなく、仲間の為でなく、くだらない戦いで散った親友の弔いの為に。
「家族が死んだか? 戦友が死んだか? それとも愛する者を失ったか?」
「・・・アンタには関係のない事だろう。そんな話はどこにでもある」
「ああ、そうだな。ありふれた、どこにでもある、いつだって起き得る、そんな話だ」
グーラーは答えない。全てを見透かしたような白髪の男の目は穏やかでいて、どこまでも冷たい。
その目のまま白髪の男は。
「なぁ、悲しみの大きさってのは、他人と比べられると思うか?」
「・・・」
「よく勘違いするヤツがいる。自分の悲しみだけは特別で、自分の憎しみだけは誰よりも強い。だから、自分はそれを成し遂げるまで死ねない、と」
「・・・」
白髪の男は剣を鞘におさめた。無論、グーラーはまだ剣を抜いたまま。
「・・・それは同感だ。結局は力のある者だけが、悲しみと憎しみをその力でもって塗りつぶすことができる」
白髪の男の言う事にグーラーはうなずく。
だから自分は強くなった。力なき者の手は何にも届かない。
しかし白髪が続けて言った言葉は。
「俺はそれが我慢ならない」
「・・・」
白髪の男は悲しげに目を閉じる。
グーラーはその意図を読み、嘲笑を浴びせる。
「アンタも人の事は言えないほどに青いな。力なき弱者が悲しみにヒザをつく事、それは事実だ」
「そうじゃない。そこじゃない」
白髪の男の口調は変わらない。
「他のヤツラの悲しみが、どの程度の深さかは知らん。さっきも言ったように比べる事などできない」
ただ、淡々と。
わかりきっている事を、何気なくさとすように。
「そう。俺の悲しみと、比べることなどできはしない。なぜなら、この悲しみだけが、この憎しみだけが、この世で最も深いものだから」
「・・・」
そう言って確かに笑った白髪の男の表情。しかし決して笑顔ではなかった。
「だから俺は許さない。あの夜を、あの男を」
グーラーの体が総毛立つ。決して自分に向けられた殺気、いや殺意ではない。
それでも、この男の近くにいるという事が、命を震わせる。
しかし、途端、雰囲気は一転し、軽薄なものとなる。
「だから俺は、それ以外はワリとどうでもいい」
「・・・」
「さ、おしゃべりは終わりだ。用がなくなったなら、帰りな」
「・・・見逃すのか?」
「オレはオレで都合があるのさ。この家で血が流れると色々と面倒だしな」
「・・・」
言われて気づく。
確かにさっきの一合。白髪の男ほどの技量があれば、グーラーの剣をはじくのではなく。
一撃で首を落とせたはずだと。
グーラーも剣をおさめ、白髪の男に背を向けた。
「おいおい、逃がすとは言ったが、ずいぶんと無防備だな」
「認めるしかないだろう、どうあってもアンタには勝てない。殺すつもりなら、俺はもう死んでる」
「潔いな。俺の事もすっぱり諦めろ。命は一つしかないんだからな」
「覚えておくさ。少なくとも、アンタにはもう近づかない」
「俺には、か」
そして二人の無言が漂い、しかし”アザァ”は苦笑して。
「ま、好きにしな」
「・・・そうさせてもらう」
そしてグーラーは白髪の男の部屋を出て、大きく息を吐く。
背後のドアを振り返る事はしない。
アレは人の形をしているが、人である事をやめたモノだ。
関わるべきではない。少なくとも、対峙していい存在ではない。
「『英雄』、か・・・生ぬるい言葉だ。バケモノが」
グーラーは次の計画に移るべく、再び街の喧騒へと身を潜めた。
続く・・・
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