1/『殺人鬼と呼ばれてます。』
「薙峰君・・・なんか機嫌悪そうよね・・・」
勘違いされやすい人間は多い・・・かどうかは知らないが、少なくともオレはその一人だと思う。
ことわっておくが自分は明るい性格だと思い込んでいるが実際は陰湿な性格、などという単なる思い違いのタイプでは決してない。
明らかに第三者から向けられる視線や感情が、オレの内面と全く違っているのだ。
こうしている今でも、ただ黙って授業を聞いているだけだというのにヒソヒソとあらぬ事を言われている。もう慣れたけど。
「・・・あの顔で不機嫌だと、余計に怖いな・・・」
「そうよね・・・」
あの顔。
つまり、噂に拍車をかけるこの顔の事である。しかし、こればっかりは遺伝なので仕方ない。
空手家であった生前の父の写真を見ると、虎殺しか、熊殺しか、実は人殺しかと思えるような凶悪な顔をしている。
肩口と裾の破れた胴着を着て仁王立ちしている父の姿など、危険人物以外の何者でもない。もしオレが街であったら絶対に逃げだす。
さらに言うなら、その写真のバックにはなんとか組と看板のかかったビルが移っている。
そのドアはブチ破られ、窓にはいくつも丸い穴があいてたりするが怖くて聞けなかった為、今では永遠の謎であり、またそれでいいと思っている。
そしてオレはそんな父親とそっくり・・・ではなく。
「けど、あの顔で拳ダコとか、ある意味ホラーだよな」
「き、聞こえるよ・・・でも、キレーっていうか、何度見てもかわいいよね」
「バカ、それこそ聞こえたらシャレになんねぇって」
同じく同門の空手家であった母の生前の写真を見ると、これでも本当に成人女性かと思えるほど小柄で童顔。
胴着もサイズがあっていない為、腕まくりの足まくり。かわいらしくピースサインまでしているのだが。
その足元には、血まみれで白目をむいて転がっている父親が写っている。
当時、これがジョークであると信じていたオレは生前何も聞かなかったが、今では聞かなくて良かったと思っている。父親も当時は生まれてもいない息子を笑わせるために前歯を抜いたり、腕をありえない方向に曲げたりはしまい。
そんな謎多き母に似たのがオレである。
成長するにつれて多少男顔にアレンジされてきたが、子供の頃は生き写しのレベルだった。
美形・・・には違いないと思うのだが嬉しくはない。
それを少しでも別の部分でフォローしようと、両親の元で空手を教わったりもした。
とは言え、ガキのオレが教わった技は父の得意技と、母の得意技の一つずつ。
あとは打たれ強い肉体を作るための薙峰流トレーニング(両親のでっちあげ)を学んだ。
二人が他界してからも、その二つの技と肉体鍛錬の稽古はかかしていない。
そのため拳ダコがあったり、細身ながらも引き締まった体はしている。もっとも服を着るとその筋肉も隠れてしまい、これまた母譲りの白い肌をした手や首しか見えないが・・・
もちろん、空手をやっていたからと言って、暴力を振るったり素行不良というわけでもない。
両親の厳しい修行は肉体面だけでなく、精神面も鍛えてくれた。
空手を使う時は己の心に恥じぬか自問しろとも言われ続けた。ゆえにこの拳は簡単に振るいはしない。
つまり、オレはいたって普通の・・・いや、友人はいないが、普通の生徒として過ごしているのに、なぜこうも怖がられるのか。
心当たりなど・・・ああ、でもあれはなぁ。
「でも、でも、薙峰君って本当に怖い人なのかな? いつも静かだし」
「は? いまさら何言ってんだ? 入学式の日に空手部全員を病院送りにした、緋桜学園の殺人マシンだぞ?」
・・・やっぱりそれか。簡単に振るいはしないと言ったものの、しかしアレはアレで正等な理由があったし、先生達も事情を理解してオレはおとがめなしだった。そして空手部の面々は停学、一部は退学処分となっている。
むしろ、いい人ゲージがたまってもいい理由だったはずなのに、噂というものは恐ろしいもので。
「ただ目があったというだけで、道場で殺人ショーを繰り広げたというからな」
そんなバカな。オレは見境なしの危険人物か。
「つまり、見境なしの危険人物だ」
・・・。
「やっぱり怖い人なんだ。話しかけてみようと思ったけど・・・やめとく」
「話しかける? バカかよ、目を合わせるだけで不良の溜まり場だった空手部が崩壊したんだぞ? 女のお前ならどうなるか・・・」
「ひ・・・」
これ、いじめだと思う。先生に相談するべきだろうか。
確かに噂が流れ始めた段階でなんとかするべきだった。しかし、うまく誤解をとく事ができず、それでも人の噂はなんとやらで、皆すぐ飽きて忘れるだろうと思って静観していたら、ますますひどくなる一方。今ではどれくらいひどいかと言うと・・・言葉では表現しにくい。
しかし直後、それを証明する出来事が起きた。
オレの机からペンケースが落ちた。それは床に激突し、派手な音を立てて入っていた文房具が散乱。途端に静まる教室。先生まで・・・。
近くの生徒は散らばった文房具を凝視している。正確には、ボールペンやらケシゴムやらに混じっていたカッターナイフを。
異様な空気の中で、黙々と文具を拾い上げていくオレ。カッターナイフを持った時、周りの生徒が身を固めるのがわかって、もうなんだか泣きたくなってくる。
特に、今までずっと小さな声で話していた加藤君と、その隣の鈴木さん。
「み、見たか」
「う、うん・・・」
見ればわかるよね? 100円均一のカッターナイフだって。フツーの文房具だってわかるよね?
「もしかして・・・今までの聞こえてたのか?」
「じゃ、じゃあ、アタシ達・・・どうなるの?」
というか、君達さ。いくら小声でも真後ろで話してたら丸聞こえだよ。
「どうもこうも・・・薙峰君、男も女もカンケーないかもしれないな。すでに二年の女の先輩が一人、目をつけられてるし」
「ひ・・・」
「いいか、あと五分で授業が終わる。昼休みになったら、そのまま教室から出るんだ」
「え、でも・・・加藤君は?」
「オレは・・・男だから」
「で、でも、でも」
オレはやたらと怖がっている二人がかわいそうになり、後ろの加藤君たちを振り返り。
笑ってあげた。
自分でも会心の笑顔だったと思う。けれど、次の瞬間。
「ご、ごめん、悪かった!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
授業中だというのに、顔を青くして大声でわめく加藤君と鈴木さん。
・・・。気にしてないという意思表示をしたかっただけなのに。
先生や他の生徒が何事かとこちらを見ている中、二人はさらに。
「かんべんしてくれ! あ、全部オレが悪いんだ。鈴木はオレの話につきあっただけだ!」
「あ・・・」
震えつつもオレに頭を下げる加藤君と、そんな加藤君を見て涙ぐんでいる鈴木さん。
待って、加藤君。そんな男らしく女の子かばうと・・・
「加藤、勇気あるな・・・」
「鈴木をかばって・・・」
ほら。ほらほらほら。なんだかまたイヤな噂というか、悪役的ポジションがまわってくるから。
「殴るなら俺を、俺だけにしてくれ!」
「か、加藤君・・・」
加藤君、目を閉じている。え? もしかして殴れって事? すいません、かんべんしてください。
「薙峰君、やめて、アタシが話しかけたの、アタシが悪いの!」
「す、鈴木・・・」
加藤君と鈴木さんの間に、なにか不思議な空気が生まれる。
そんな光景を見つめるほかの生徒達が。
「愛、か」
「愛、なのね」
「薙峰君という脅威を前に、二人は今、真実の愛を語っている・・・」
「けど生まれたばかりの愛は緋桜の殺人鬼、薙峰君によって砕かれる運命に・・・ッ」
オレにどうしろと。あと、何気に殺人マシンから殺人鬼になったね、今。どっちが上なんだろう。
というか、みんなさ、ワザとやってない? まさか、ほんとにイジメ?
などと思いつつオレは無言で二人を見ている。うまく弁解というか、真実を話そうとするのだが、言葉がでてこない。
話せば長いが、オレは人を前にすると言葉が出てこない。あがり症でも、どもってしまうというわけでもないのだが、最初の一言が出てこないのだ。一度、医者に見てもらった時にコンプレックスが原因と告げられた。
オレの容姿は母親似であるが、声もまた母親似である。
確かに変声期をとっくに過ぎているのに、年に不釣合いな高くて柔らかい声だと思う。自分では女っぽい容姿ほどは気にしていたわけではないが、医者に言わせるとそうではないらしい。今のように言葉が出てこないのも、無意識下における抑止症状だとか言われた。よくわからないが、簡単に言うと、女っぽい自分を他者にさらしたくないという無意識が、声を発することを拒否するらしい。
これ、実はかなり苦しい。自分では口を開こうとしてるのに、唇がまったく動かない。
結果。相手をただ見つめるだけで終わる。この見つめるという行動は、残念ながら、今のオレにとってにらみつけるという行動となるらしい。入学式の事件の誤解をとけなかったのも、これが原因だ。
とにかく、今は加藤君と鈴木さんに対して何か言わなくては。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
オレも含めて三人の無言が教室を支配する。周囲で高まる緊張感。教室中の視線が集まっているのがわかる。
加藤君の額から汗がポタリと落ちる。鈴木さんの目にたまっていた涙もポタリと落ちる。オレの評価もどんどん落ちていく。
それでも、口が動かない。誰か、助けて。
その時、キーンコーンカーンコーンという授業の終わりを知らせるベルが鳴り響いた。
それに反応して先生が「日直、礼!」といつもより大きな声で命じ、日直の山下君が「起立!」と叫ぶ。
現代教育のたまものか、反射のようにして全員が立ち上がる。オレもこれ幸いのタイミングと前に向き直り、立ち上がる。
「礼」の掛け声で頭を下げ。オレはそのまま、加藤君たちを見ずに教室を出た。
廊下に出て教室のドアを閉めた途端。
「うおおおお!」
「加藤、オレは感動した! お前こそ我が1−Cの勇者だ!」
「殺人鬼薙峰に対峙したその勇気ッ、俺たちは決して忘れない!」
盛り上がってるなぁ。いいなぁ、みんな仲良くて・・・楽しそうで。
オレなんていつも昼休みは、一人屋上で購買のパンだし。一度、教室に残った事もあるが、みんなが無言。当時はまだ、緋桜の暴れん坊という名前だったオレは、結局今日のように屋上へ逃げ込んだ。
まぁ、そんなわけで。
オレは入学式から友人の一人もできず。
日々、こうして灰色の青春生活をおくっているのでありました。
それでも希望という光は、どんな暗闇にも生まれるもので。
オレは購買で買ったパンと紙パックのコーヒーを片手に屋上へあがる。
四月もまだ中盤。中庭から桜が花びらが暖かい風に舞い、とても気持ちの良い場所だ。
高いフェンスに囲まれたこの屋上にはテーブルとベンチが何組か設置してあり、一年生から三年生まで様々な男女達が利用している。
またビニールの人工芝がひかれているスペースもあり、靴を脱いでそこに座り込む生徒達も多くいる。通常、この時間帯は人気のあるテーブル席は埋まっている。
・・・ただ一席をのぞいて。
オレは本日、何度目かわからない溜息をつきつつ、屋上の一番はしっこにある四人がけのテーブルへ腰を落ち着けた。
いつの間にかオレの指定席のようになってしまったテーブル。正直、心苦しい。
なので屋上ではなく、中庭のベンチにいった事もあるのだが・・・。
オレが座る場所をさがしてうろうろしていたら、みんなが逃げていくという迷惑をかけたので、結局ここに戻るハメになった。
今はいいが、もしかして冬になっても、オレはここで昼食をとるハメになるんでしょうか・・・と、切ない未来予想図を想像していると。
「そこの少年、今日も一緒していいかな?」
と、かわいらしい声がかけられた。
この学校で唯一オレに声をかけてくれる人。二年生の女生徒である。
春日 桜さん。
その名の如く、花のような笑顔でオレの前に立っている。
「・・・」
オレは例のごとく声がでないので、ただうなずく。それを見た桜先輩は微笑み。
「あいかわらず無口だね? あ、もしかして図々しい女だ、オレは孤独が好きなんだ、消えろメスブタ、とか思ってる?」
などと、その柔らかい容姿、おっとりした口調で、とんでもない事を平然と口にする人である。
オレは首を横に振り、手でどうぞとイスを指し示す。
「あはは、あーりが、とーう」
へんな掛け声とともに、オレの横にストンと座り込む桜先輩。同時に周りの目が集まっている。
入学式からこうしてオレと桜先輩は一緒に昼食をとっている。
周りから見ると、オレが強要しているかのように見えるらしく、薙峰の生贄と呼ばれてしまった人。
桜先輩はそれを知らないのか、今日もこうしてやってきてくれた。
「あ、薙峰クンは知ってるかな?」
突然、なにかとオレが首をかしげると。
「アタシね。君の肉奴隷って言われてるらしいよ?」
「・・・ッ!」
オレは飲んでいたコーヒーを吹いた。生贄どころの話ではない。
「あ、うそうそ。なんだったかなー。えーと・・・イケニエ? そう。生贄だってさ。知ってた?」
どうやら知っていたらしい。それならどうして、まだオレなんかに話しかけてくれるのだろうか?
そんな事を考えつつ、桜先輩を見ていると。
「その顔は、なんでそんな事を言われてまでオレにかかわるんだベイベー、オレに触れるとヤケドするぜって考えてる?」
表現が一部ハードボイルドだが、おおむねその通りなのでうなずく。
「ふふふ。だって薙峰クン、優しいから。アタシ、ずっと忘れないよ? あの時のキミ、本当にカッコよかったから」
あの時。つまり入学式のケンカ騒ぎの事であり、今やオレが殺人鬼とよばれる事となった事件。
「あれからさ、残ったやつらもアタシに近寄ってこないしね。空手部も正式に廃部になったし、ホント感謝してるゾ?」
ツン、とその白い指先で額をつつかれる。
とても可愛らしい仕草で、オレとしては下級生の男子生徒をからかう先輩女生徒というシチュエーションなのだが。
周囲の目と口からすると。
「あの子・・・殺されるぞ」
「いや、あの二年の人は薙峰の・・・なんだっけ、そう、あれだから」
「・・・えーっと、肉奴隷?」
「そう、それだ」
違う。
「あは、肉奴隷だって。あらあら、あははー」
桜先輩にも聞こえていたらしいが、どこ吹く風というか、むしろ楽しんでいる。まったくもって理解不能。
「でも、さっきの話の続きだけどさ。本当に怖かったのよ。道場に連れ込まれて・・・その服、破られた時、もうダメだって思った・・・」
花のような笑顔に少しだけ影を落として、過去を振り返る桜先輩。
「・・・」
オレは”あの日”の事を思い出す。
とりたてて変わった所のない入学式(アクシデントと言えば、オレの在籍する1−Cの担任が急な体調不良とかで途中退場していたくらいだ)が終わった後、オレは空手部に入部するための下見として道場へ向かっていた。
一人稽古では得るものも少なく、また刺激にも欠けていた。
いや・・・正直に言えば、こう上級生のマネージャーさんとかいたらいいなぁ、とかなんとか思ったのも事実なんだが。
そんな少し桃色気味な入部動機を胸に学園内見取り図片手に歩いていると、目的地であろう道場のあたりから小さな悲鳴が聞こえ、オレは何事かと走った。
そこで見たものは三人の男子生徒に腕をつかまれ、道場に引きずられていく一人の女生徒。
事情はわからない。
状況もわからない。
けれど、やるべき事は一瞬で理解した。
そして、そこからの行動に迷いはなかった。
「・・・」
両親か私闘に使う事は禁じられていた技。しかしこの場で見過ごすような事があれば、天国の母に再会した時に殺され、地獄におとされた挙句、地獄で待っているだろう父親にまた殺されるだろうと。
それ以上に、オレ個人として男が群れて女を囲むなどと許せるものではない。
とは言え、相手は複数。オレにできる事などたかが知れてるが、なんとか・・・と、道場に乱入したオレの前にあった光景は。
「・・・ッ!!」
すでに制服を破られ、ところどころ肌をさらした姿でうずくまり泣いている女生徒。そして、それを囲んで笑っている男子生徒達。道場にも仲間がいたらしく、合わせて六人の男子生徒の先輩がいた。
そんな光景を見た瞬間、オレの中で何かが切れた。
なんとか・・・うまく女生徒を逃がして、自分も逃げ出そうなどと考えていた事など、すっかり吹き飛んでいた。
血が沸騰したかのように体が熱くなる。
しかし頭の中は氷のように冷たく冷静。
状況を見回す余裕すらあり、まず相手を観察する。
「・・・」
緋桜学園の制服というのはオーソドックスというか古臭い詰襟だが、学年ごとに右胸に縫い付けられた校章の色が違う。一年は白、二年は黄色、三年は赤。それから判断して、二年が三人、三年も三人。
ちなみに女生徒も学年の色は男子と同じだが、スカーフの色が異なる。その時は名前もしなかった桜先輩が二年だともわかった。
入学式だというのに、なぜ上級生が学校にいるのかという疑問もよぎるが、今はそれどころではない。
突然の乱入者に、その先輩達(後でわかったが、彼らは空手部員とは名ばかりのいわゆる人生をナナメに生きている先輩達だった)は、オレをにらみつけ、誰だテメェなどと叫ぶ。かくいうオレはおかまいなしに、その群れに突っ込んでいた。
「・・・」
多対一というのは想像以上に不利だ。個人がいくら強くなろうが群れには叶わない。それをどうにかする手段はいくつか父から教えられており、オレはその中で効果的な一つを選択した。
最も強そうな三年の男子生徒めがけて、父から教わった唯一の技である正拳突きを、顔へとブチ込む。
吹き飛んだその男をさらに追い、鼻と唇が切れて流血した顔へさらに三度、拳を打ち込んだ。
すでに気絶し、顔面は血だらけになったその男の髪をひっつかみ、上級生の群れへと見せ付ける。
それだけで二年の三人は逃げ出した。ここで逃げる相手ならば、仕返しはしてこないだろうと無視する。
そして、その場に踏みとどまった三年の二人に向かって、血だらけになった先輩を放り投げる。
一対一ならばやりすぎだが、相手の力をそぐにはまず脅し。それも中途半端では逆効果。徹底的な脅威を見せ付ける必要がある。
流血の止まらない仲間を見て、たじろぐ二人の三年。
しかし・・・逃げ出さない。
最初で最後の警告だったが、こういう相手は必ず後で何かをしてくる。オレに対してならばいいが、この女生徒に何かされたのでは、助けた意味がない。
ならば徹底的にやるべきだと判断したオレは再び走り、二人へと突っ込む。
まず一人目の腹に正拳突き。胃の中身をまきちらしながら、ヒザを床につける。下がった顔へ自己流のヒザ蹴りでカチ上げる。そのまま仰向けに倒れる。
オレはズボンを軽くはらう。スボンに刺さっていた前歯が落ちる。
「ひッ!」
残りの一人はそれを見て逃げ出そうと背を向けて走り出したが、オレはその背中へこれまた自己流のドロップキック。
もはや空手ではないが、なんせオレが使える空手の技は二つだけ。
走っているところを背中から蹴られた先輩は、そのまま滑るように道場に転がる。
立ち上がったその時には、オレは至近距離で拳を引き絞っていた。
先輩は顔をかばうように腕を交差させるが、オレはまず腹をうち。その痛みでガードをさげさせると、顔の中心、鼻の中心へと正拳突きを放つ。顔を押さえ、うずくまった先輩の髪をつかみ、立たせると、もう一発顔へと打ち込んだ。辺りは飛び散った血にまみれ、オレの制服にも返り血。
全てが終わった瞬間、オレは我に返った。
「・・・」
やってしまった・・・と。
確かに実戦経験はないが、自分の拳がどれほどの破壊力があるかはわかっていたはずなのに・・・。
激しい自己嫌悪に陥ったオレだったが、まずは目的を達する事にする。
二年の女生徒は、目の前で起こった光景を呆然と眺めているだけだった。
オレは女生徒の安否を確かめようと近寄る。
だが、破れた制服の胸元から白い下着が見えてしまい、オレはすぐさま顔をそむけ、上着を脱いで差し出した。
しかし、いつまでたってもオレの手から制服を受け取る様子はない。
ちらり、と女生徒を見れば。
「やだ・・・」
と、小さく呟き、身を硬くしていた。
当然の反応だった。目の前でこんな派手な争いを見せられたあげく、その張本人がこんな近くに立っているのだから。
オレは仕方なく、上着をその場に置き道場から出ようとした。
その時。
「待って! ごめんなさい! 待って!」
と、声がかけられ、振り返ればオレの上着を抱きしめるようにして肌を隠していた先輩が駆け寄ってきた。
「あ、ありがとう・・・助けてくれたのに、怖がってごめんなさい・・・」
「・・・」
オレは何か声をかけるべきだったが、やはり言葉にはならず、ただ先輩を見つめるだけだった。
「あ・・・ごめん、ちょっと後ろ、向いてて」
オレの視線を勘違いしたのか、頬を赤くする先輩にオレは慌てて背を向けた。
背後で衣擦れの音が聞こえ。
「うん、いいよ」
再び振り返ると、オレの制服をしっかり着込み、恥ずかしそう微笑んでいた。
オレはようやくその先輩の顔を見たわけで。
「・・・」
その時、言葉がでなかったのは、例のコンプレックスではなく。
男として自然な反応だと思う。先輩は・・・綺麗な人だった。髪は乱れ、目は涙で赤くなっているが。
あんな目にあったばかりだというのに、強く浮かべた笑顔が、その強い心がとても綺麗だった。
いや、それよりもまず、見た目からすんごい美少女なんですけど。
「アタシ、今年で二年になった、春日桜(カスガ サクラ)。あなたは?」
残念ながら、ここで言葉がでないのは例のアレだ。オレはしばし黙ったまま。
桜先輩はオレの答えを待っていたが、ポンと手を叩き一人で納得して。
「名乗るほどのものじゃないって事? あはは、ちくしょう、キザだけど、キミなら許す・・・だが、甘い!」
桜先輩はブカブカの制服、つまりオレの制服の胸ポケットに手をいれ、生徒手帳を取り出した。
「ほうほう、1−Cの・・・これ、なんて読むの?」
まぁ、確かに読みにくい名前ではある。
「・・・ナギミネ・・・アズサ」
なんとか自分の名前を口にする。
薙峰梓、それがオレの名前。梓という名前がまた女っぽいが、これはこれで気に入っている。父と母の好きな木の名前であり、母方の実家にある道場の横には、何本もの梓の木が立っている。
そんなオレの声を聞いた桜先輩は、目を点にして。
「へぇ・・・キミの声って」
う・・・自分では気にしてないつもりだが、あらためて指摘されるのはツライ、と思っていると。
「ずいぶん優しい声。なんだか安心できる、ステキな響きがあるんだね・・・」
そう言われて、これまでで最高に素敵な笑顔を見せられた。
もうオレはこの瞬間、アウトでした。
オレがこの世で信じていなかったのは、1に神様、2が自分、3.4がなくて、5が一目惚れ。
けれど、こればっかりは実際にそうなってしまったら、認めるしかない。
これが恋、これこそが一目惚れ。
と、オレの人生でもっともドラマチックなシーンを引き裂くように。
「なんだ、これは! おい、そこの生徒! 一年生だな! そこの女生徒に何をしている!」
ジャージを来た先生が竹刀を持って怒鳴り込んできた。
事が起きてからまだそう時間は経ってないと思っていたが、気づけば道場の外には野次馬が。
騒ぎを聞きつけた他の先生もやってきて、問答無用で職員室に連行された。
オレは例のごとく何も言わないので、桜先輩が懸命に事情を説明したりで大変だったが、もともと問題を起こし続けている空手部という事もあり、また桜先輩がどういう目にあう寸前だったかがわかると、口外無用の念をおされてオレは無罪放免となった。
ただ、問題はその翌日。
野次馬から漏れたのか噂はすでに全校に知れ渡っており、オレは入学二日目にして危険人物の烙印を受けたのでありました。
しかも噂は授業が一つ終わるごとにふくれ上がっていった。
一時間目、誰かを助けるために殴りこんでいった、と細部は省略されていもほぼ事実だったのに。
二時間目、不良の溜まり場だった空手部に道場破りにいって、全員を病院送りにしたとなり。
三時間目、不機嫌だったオレが、獲物を求めて道場に殴りこんだというものに変貌。
四時間目、血に飢えていたオレは、たまたま視界に入った動く者に対して襲い掛かったというものへ。どこのならず者ですか。
なんでオレがその経過を知っているかというと、加藤君と鈴木さんが情報を仕入れて小声で話していたからである。
この調子だと、昼放課が終わったらどうなる事やらと思っていたところに、拍車をかけたのが、今、目の前でりんごジューズをズゴゴゴッと飲んでいる桜先輩。
「薙峰クンっているかな?」
四時間目が終わり、昼休みが始まって一分と経たず、ひょっこり我が1−Cの教室に姿をあらわした桜先輩。
開けられていた窓に廊下から顔のぞかせて、その窓際の男子生徒にたずねかけていた。
それを見て色めく男子達。無理もない。今日の桜先輩は髪をポニーテールにしてスポーティな美少女の装いだ。年上で明るい笑顔を浮かべる桜先輩にみとれるなというのが無理な話だろう。
窓際の男子生徒である高野君も同じで、桜先輩を見たまま答えなかったため、先輩は笑顔で眉をしかめ。
「こら、少年。先輩に何かを聞かれたらキリキリ答えなさい」
「あ、はい、えっと」
「違う。先輩に何かを言うときは、ドタマとオケツにサーをつけなさい。常識だぞー?」
「さ、さー?」
「いえす」
「さー、ええと、あそこです、さー」
素直な高野君であった。
「どれどれ」
桜先輩は自分に注がれる注目の視線をものともせず、高野君が指差した先にオレを発見。
「おー、いたいた。薙峰クン、ちょっといいかな?」
オレはおいでおいでする先輩に従い、廊下へ出る。
窓はあいかわらずあいているため、1−Cのみんなの視線がささりまくる。
「昨日のコトでさ。屋上行かない? 一緒にゴハンとかどう?」
「・・・」
まだ昨日のことで終わっていない問題があったのだろうか? もしかして仕返しされそうだとか? オレはうなずき先輩の後へと続く。
と、その際。
「・・・アタシ、昨日、その取り乱してゴメンね? ほら、ああいうの初めてだったし」
ひどく誤解をまねくセリフ。ざわめく1−Cズ。
「血もいっぱいだったし・・・制服も破れちゃってさ」
おおう、主語が抜けてますよ、桜先輩。その言い方だと、なんだかオレが・・・アレな事をしてしまったようにも聞こえるんですけど。
などとイヤな予感がした途端。
「薙峰君・・・鬼畜だ」
「速攻で先輩を無理やり・・・しかもあんな美人を」
「美人だから狙われたんじゃないか・・・」
おう、ジーザス。
だが、これ以上は悪くならないだろうと思っていたが、さらにとどめを刺してくれる桜先輩。
「でも、キミ・・・ステキだったよ」
ポッと顔を赤らめる桜先輩。
く、ますます惚れてしまいます。でもできれば、今ではなく、ここでない場所で見たかったです。
このままではいけない、危険がますます危険。オレは桜先輩の手をとり、屋上へ。
背後でさらにざわめくクラスメート。聞きたくない、もう聞きたくない。
その後は屋上で昨日のお礼とだよ、と、お手製の弁当を頂いた。
特に仕返しなどという心配もないようでなによりだったし、弁当も美味しかったが・・・塩味がちょっとキツかった。
その秘密は涙という名の調味料。
「薙峰クン? おーい、かえってこーい。ナギー」
「!」
目の前で手をふっている桜先輩。辛い過去にひたっていたせいか、長い間ボーっとしていたらしい。
「お、帰って来た。ヤキソバパン片手に物思いにふけるというのは、あんまりナイスガイじゃないからオススメしないな?」
それからというもの、オレと桜先輩はこのようにして一緒に昼食をとっている。
毎日でもお弁当をつくってあげると言われたが、さすがにそれは悪いので遠慮した。そこまでの事をしたつもりはないし、オレが勝手にやった事だ。桜先輩は納得していない顔だったが、食べたくなったらいつでも言ってねと微笑んでくれた。
「しかし、アレよねー」
桜先輩は小さな弁当をつっつきながら。
「キミは何も聞かないよね? どうしてあんな目にあったのか、とかさ?」
確かに興味はある。
あの日も思った事だが入学式に登校している上級生は少ない。大半が式の手伝いだろうし、その人数も数えるほどのはずだろう。もしかしたら桜先輩はその数少ないお手伝い上級生だったかもしれないが、あの空手部連中は明らかに違う。
しかし、女性ならば思い出したくもない出来事だろうと、オレは事情を聞かなかった。まぁ、聞こうとしても例のごとく口は開かなかっただろうが。そしてそのまま、なんとなく放置したままだったのだが。
「それとも薙峰クンはアレ? 男は背中で語るものだってタイプか。その背中に女は惚れるっていうノリかね?」
どういうノリでしょうか。
「ふふふ。いいね、その流し目。サマになってるよ? 実はお家で練習してるとか? こう鏡を前にしてさ」
そんな自分をちょっと想像してみる。女顔で色も白いオレが、鏡を前に男っぽく流し目・・・うお、キモっ!
つい苦笑してしまうが、それを桜先輩はまたしても妙な方向へもっていく。
「ほほう? その嘲笑はバカな女にはつきあってられないゼ? 的なワンシーンか。まぁ、そう言わずもうちょっと付き合いなさいな。本当は聞かれても言わないつもりだったけど、薙峰クンには知っておいてもらった方がいいかなと思って」
桜先輩はいつもの笑顔に少し陰をにじませ、とつとつと語りだす。
「あの日、ね。空手部の連中から脅されてたのよ・・・」
む、新事実。突発的なものではなく、計画的なものだったか。それなら、なぜあの日、職員室に連行された時にその事を言わなかったのだろうか?
そんな疑問を宿したオレの視線に桜先輩は首を横に振る。
「あ、ううん、アタシじゃないの・・・アタシの友達というか、親友なんだけどね・・・あ、この事、絶対に秘密ね。もちろん信用してるけど、アタシだけの事じゃないから・・・」
今の桜先輩に、いつものような軽い雰囲気はない。オレは強くうなずき、続きをうながす。
「アタシの親友さ、この学校の生徒と付き合ってるのよ」
別にとりたてて変わった話じゃない。それがなんで脅されるような展開に?
「それでさ、そのね・・・ほら、やっぱり恋人同士って二人っきりでいると燃え上がっちゃうじゃない? いや、アタシはそういう経験ないから具体的にどう燃えちゃうのか説明できないけどさ」
・・・オレだって説明できませんよ。
「あ、でも、アレだよ!? 保健室とか体育用具室とかのイベントじゃなくてね!? その、廊下でキスしてただけなんだけどね!!」
急にテンションのあがった桜先輩の大声を聞いて、周りの目がこちらに集まる。
桜先輩、この話って秘密だったと思うんですが。
しかし桜先輩は、顔を赤くして手をパタパタと振りまくり、「やーねー、なんか熱いわよね、オクジョー、アツイジョー」などと精神に不調をきたしている為、周りの視線にまったく気がついていない。
オレは溜息をひとつ吐き、周囲をわざとらしく見回す。けわしい表情を作って、にらむように。
「やべ・・・」
「にらまれた、殺される!」
「ひっ」
「言わない、誰にも・・・!」
めでたく周囲の目は全てあさっての方に向きました。我ながら健気だと思います。
「あ・・・!」
ようやく自分の声の大きさに気づいたのか、あわてて周囲を見回す桜先輩。周りの生徒は露骨なまでにこちらとは逆方向を向いている。むしろ、その光景が逆に不自然きわまりない。
「よ、良かった、誰も聞いてないよね?」
聞いてない振りはしてますから、多分、ここでの事は他言しないでしょう。けれど、ああ、また噂になるんだろうなぁ・・・愛とは耐えるものなのか。
「でね・・・その」
桜先輩はオレに顔を近づけて小声で話を続ける。
「キスシーンを見られちゃったのよ・・・空手部の二年に。それが空手部の主将まで伝わって、そいつがアタシの親友を脅して呼び出そうとしたの・・・お金か、その・・・か、か、体・・・どっちが目的かわからないって・・・入学式って人少ないし、いい機会と思ったみたいで」
多分、両方だろう。ゲスなヤツラが考えることは、たいてい下の下まで落ちる。しかし桜先輩の親友も自分可愛さに、桜先輩を一人でいかせたのか? それじゃまるで・・・
「あ、違うのよ。ケイちゃん・・・あ、それが名前なんだけど、ケイちゃんからその話を聞きだしたのが入学式の当日でさ。朝、一緒に学校に向かってる時から、なんか顔色が悪いなぁとは思ってて。大丈夫って聞いても、蒼白な顔で大丈夫って言うだけで。それでアタシはピンと来たのよ。体調が悪いんじゃなくて、何か隠してるって。ほら、アタシってわりと人の心を察する能力が高いじゃない?」
おっしゃる通り。少なくともオレとのコミュニケーションを二週間と経たず成立させたのは桜先輩が初めてです。
「それでさ、問い詰めたら・・・というワケなのよ。結局、思いつめすぎたケイちゃんは式の途中で倒れそうになって保健室に直行だし。アタシはもう怒り狂ってさ。式が終わったら、速攻で殴りこんでやろうって思ってたのよ」
それでホントに殴りこんだのか。勝算もなく・・・なんて無茶な。
オレはつい、桜先輩をにらみつけてしまった。確かに親友の為に何かをしてあげたいという心は立派だが、桜先輩が犠牲になってもその親友は喜ばないだろうし、そもそも何の解決にもならない。
「あ・・・怒ってる? そ、そうよね、アタシもバカだと思う。でも、もう何がなんだかわかんなくなっちゃって、なんとかしてあげないとって思って・・・」
そのひたむきさは、とても素敵だと思う。けれど、もう少し自分を大切にしてもらいたい。
「と、まぁ、そういう流れだったの。今にして思うと背筋が凍るわ。もしキミが来てくれなかったら、今頃どうなってたか・・・」
自分で自分を抱きしめた桜先輩は、身を小さくして肩を震わせていた。
オレは、桜先輩の手をとり、怯えている瞳をまっすぐに見つめて。
「オレが守りますから」
と。
言った妄想をしつつ、やっぱり現実はただ桜先輩を見ているだけだった。
桜先輩は黙ったままのオレを見返し。
「キミは本当に・・・」
冷たいと言われるか、気が利かないと言われるか、女心がわかってないと言われるか、さぁ、どれ?
けれど桜先輩は、そんなオレに笑顔を向けてくれた。
「優しいね・・・」
なぜ?
「アタシに自分の力で元気になれって、応援してくれてるんでしょ? 誰かに頼ったら、また落ち込んだ時、そばに誰かいないと立ち直れないからとか思って」
そう言って、これまでで最高の笑顔を浮かべる桜先輩。
桜先輩の優しさが痛い。ホントに痛い。むしろそのオレの心に優しすぎる勘違いが心に突き刺さってきます。
全てを語り終えて心が楽になったのか、ようやく桜先輩はいつもの笑顔を取り戻してくれた。
ん、やっぱりこの人にはこの笑顔がよく似合う、などと思っていたら。
突如、オレの手をとって息のかかる距離まで顔を近づけると、じっと瞳を見つめてきたって、近い近い近い近い!!
「さっきのシーンでさ、こうやって手をにぎられて『オレが守ってやる』なんて言われたらイチコロよ?」
イチコロだったか。くっ。わが身、わが心の臆病さを呪う。
などという後悔よりも、この状況にオレはワケがわからない状態に。桜先輩の髪からはいい香りがするし(おう、フローラル)、オレ以上に白い両手に包まれた手は柔らかいし(ざっつ、マシュマロー)、小さな桃色の唇から目が離せいないし(さくらんぼー!)、もう固まるしかない。
そんな至福の時間も一瞬。オレの手を離した先輩は肩をすくめる。
「なーんてね。キミはそんな小技を使う男じゃないか。カッコイイな、ちくしょう、おい、紅茶おごらせてやる! 三秒で買って来い!」
オレがおごるんですか。すいません、会話の流れ的にオレがご馳走になってもいい気がするんですが。
三秒じゃムリだよなぁ、と思いつつ立ち上がったオレを、勘違いした桜先輩があわてて服をつかみ引き止める。
「ウソウソ、怒った? ごめんね、乙女のジョークって男の子にはわかりにくい?」
乙女のジョークにしては、かなり極まった体育会系でしたが。それとも最近の乙女事情って上下関係が厳しいのだろうか。まぁ、桜先輩がそう言うならばそういうものなんだろう。おそらくは桜先輩周辺、もしくは桜先輩限定の乙女チックアクションだろうが。
「ま、そういうコト。あれだけひどい目にあえば、腹いせにケイちゃんの秘密を漏らす事もないと思うから。ホント、ありがとうね。もうこの話は終わりで禁止。いつまでも暗い話ばかりじゃゴハン、美味しくないもの」
そう言って桜先輩は小さな弁当へ再び向き合う。
とりあえず、この件は丸くはないが収まったようだ・・・ん? という事は。今日で桜先輩との昼食も終わりという事だろうか? 今のところ、オレと桜先輩の共通の話題は、入学式の事しかないのだ。
などとダークな未来予想図を連想していると。
「突然ですが質問です。君は年上の女は嫌いなのですか? ですか?」
タコさんウインナーを串刺しにしたファンシーなフォークでオレを差す。なんでこの人は色気がない仕草がこうも得意なのか。
しかし、この話の流れはもしかして。
などと期待していたら。
「言っておくけど、アタシは年上の男が好き」
串刺しのタコさんウインナーをもぐもぐしながら、からかうように笑う桜先輩。男の純情をもてあそんでますか?
桜先輩はなおも続けて。
「・・・だったんだけど、今は年下の男の子がもっと好き。ただし、一人だけだけど?」
・・・ほんと期待していいんですか、桜先輩。
とは思いつつも、無言のままのオレは桜先輩の顔が見れず、天気のいい空を眺めていたりする。我ながら情けない。
「ふぅ。キミはクールだよねぇ。あんなにドラマチックに女を助けて、その女がこんな事言ってるのに、お日様にアイラブユー語ってるし。アタシさ、今ねーワリと勇気出して言ったんだよ?」
いえ、自分でも、この不器用さはなんとかしたいんですが。
「もしかしてさ、アタシは好みじゃない、かな? とかなんとか? あー、だからお弁当もいらないってコトだったのかなぁ」
桜先輩から笑顔が消える。
違う、違うんですよと念じながら。オレはなんとか桜先輩の顔を見る。言葉がでてこない以上、目で語る。がんばれ、オレ。
じーっと見つめるオレを見て、桜先輩は微笑み。
「ふふ、目は口ほどに物を語るとはよく言ったものよねー」
通じましたか? 神様は本当にいましたか?
「いつかアタシにも素敵な人が現れる、そう言いたいんでしょ? 優しいね?」
やっぱり神様なんていません。
というか、いつもは鋭い桜先輩なのに、こんな時だけどうしてそうなりますか?
いや、桜先輩のせいにするなオレ。オレが臆病者なだけなんだから。
「・・・」
「・・・」
なんとなく無言になる。空気が重い・・・。
だが、それを打ち破ったのも桜先輩。
「なんてな! 冗談だ! 本気にしたか、小僧!」
やたらと明るい笑顔を浮かべて、バンバンとオレの背中を叩く桜先輩。
「?」
「確かにキミはアタシを救った。感謝してる。それもかなり。ここまではいいかな?」
うなずくオレ。
「お弁当に関しては、お礼という気持ちであって他意はない。それもいいかな?」
こくり。
「じゃあ、なんでアタシがキミのトコに通っていると思う?」
首をかしげるオレ。
「ふふふ・・・アタシはね、計算高い女よ? あんな目にあったら、やっぱり怖いわけでして、二度はゴメンなのさ」
確かに。オレが居合わせたのはただの偶然。
「あれだけやられれば大丈夫だとは思うけど・・・もし万が一仕返しされたら、とか思うでしょ? だからアタシは考えました!」
何を?
「キミと一緒にいれば、アタシは安全! 親友のケイちゃんも安全! わお、二度お徳?」
・・・そ、そうだったのか!
全ての謎が氷解した。つまりオレはボディガード代わりだったのだ。
いや・・・むしろナイト? 愛と誇りを胸に、そして愛する人を背にかばう、白馬の騎士をお望みなんですね、先輩! という事は、脈アリですね?
ならば不肖、この薙峰梓、全身全霊全力全開でその名誉ある役目を・・・と感動していたら。
「ふふふ、つまりキミはアタシの番犬さんなのだ!」
あ、犬なんだ・・・
ちょっとでも期待していたオレはガクリと。それでも表情には出さず太陽へ視線を戻す。ふふふ、だって上を向いてないと、ヤキソバパンがまた塩味きつくなっちゃうし。
「ま、そんなわけでして。とうぶんアタシはキミにくっついてまわろうかと思ってるわけですよ?」
オレは太陽を見たまま無言。そんな扱いでも、一緒をいる時間が欲しいと思ったのは、つまり、惚れたほうが負けというこの世の真理。
ええ、そうですとも。オレはこの先輩が好きです。口を裂いてでも伝えたいが、言葉が出てこない今、少しでも近くにいたい。
「その無言は肯定ととるが、いいのかな?」
「・・・」
「ふふふ、ありがと。本当にキミは・・・優しいね」
その時の桜先輩の笑顔は、どこかさみしく。それがどうしてかは、オレにはわからなかった。
「さってと、そろそろ昼放課も終わりね」
時計を見れば、あと五分とない。オレは残っていたパンをかきこみ、コーヒーで流し込む。
それを待って桜先輩が立ち上がった。
「じゃ、またね」
ヒラヒラと手を振る桜先輩を見送るオレ。
背を向けて歩き出した桜先輩が。
「バカだなぁ、アタシ・・・」
と、つぶやいた。はて、どういう意味だろうか?
1/『殺人鬼と呼ばれてます。』 END
next 2/『チキン・ザ・ナイトで精一杯』
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