さて。
世の中には運が良い人と悪い人に分けられると思う。
オレがどちらかと言えば、もちろん・・・前者だ。
「あら、ごめんなさい」
「・・・」
前から歩いてきていた女の人、それも赤い髪の外人さんとぶつかるオレ。
その衝撃が思いのほか柔らかかった理由は・・・置いといて。
・・・さて。
世の中には運が良い人と悪い人に分けられると思う。
色々あった。と言うか、現在進行形で色々とある。
それも一般的な男子高校生が持つ悩みとはかけ離れたそんな色々が一つではなく、たくさんある。
しかしそれでも。
オレは桜センパイという人に出会えた幸運、この広い世界でたった一人しかいないあの人に出会えた奇跡だけで幸せだと言える。
決して。
さきほどぶつかってしまった赤い髪のキレーな人の胸に偶然触れてしまった、とかそういう幸運は決して入っていない。
と。
「ごめんね、薙峰君、ボクちょっと急用ができちゃってー。会長閣下にはよろしく言っておいてくれるかなー? 本当にごめんねー」
高野君が、道中で着信音の鳴った携帯を取り出し。メールを確認して、しばし考え後、オレに頭をさげてそう言った。
目的地であるこの駅前の商店街。だというのに、オレを一人残して商店街の中へと走り去っていってしまった。向かう先は同じみたいだけど・・・。
会長に言われて、やってくるお客さんに出すお茶菓子の買出しに一緒に出ていた高野君だったが。
当初、オレの不安としてはどうせ怖がられてロクな会話もできないんだろうと予想していたもののそうではなかった。
「・・・」
・・・高野君ってさ、オレを怖がってないよね?
「・・・」
むしろ、ちょこちょこと話題を振ってくれた。
生徒会って大変そうだねー、とか、会長閣下って面白い人だよねー、とか。
黙ったまま何の返事もしないオレに何度も。
「・・・」
考えてみたら、男友達とこんな他愛のない会話をしたのって初めてだ。いや、オレのせいで会話にはなっていないんだけど。
男友達。友達と思っていいんだろうか。殺人鬼呼ばわりされているって言うのに、高野君はおびえた様な様子なんて一切なくて。
「・・・」
あれ。
ははははは。
涙だ。
あはははは。
「・・・」
はぁ・・・。
我ながら追い詰められていたんだなぁと再認識したわけだが。
それでも、やっぱりオレは幸せだ。
誰もが誰も、心の底から、胸の中がいっぱいになるほどに恋焦がれる誰かに出会えるわけじゃないんだから。
魔法少女にされようと、宇宙からやってきた戦隊ヒーローに銃で撃たれようと、銀行強盗篭城事件の人質にされようと、男友達がいなくても。
「・・・」
幸せだ。それは間違いない。
だけど、そうやってあえて自分の置かれた状況を確認すると幸せが減る気がする。
「・・・」
今は自分に課せられた使命をまっとうするコトだけを考えよう。
会長に頼まれたのは、飲み物とお菓子。多少大目に、という内容で、何を買ってこいというような明確な指示はない。
オレはあまりお菓子は食べないし、飲み物もジュース類より、水やお茶を飲むことが多い。
それに加えて、生徒会メンバーの好みなんて知らないし、変なモノを買っていこうものなら色々と面倒なコトになりそうだ。何を買えばいいのか悩みどころだ。
まぁ、こんな悩みならいくらでも歓迎するけどね。実に学生生活らしくて平和で。
「・・・」
天気もいいし、今だけはこの使い走りの瞬間を堪能してもバチは当たらないさ。
『17/ハニー&ダーリン』
「さて。うまい具合にバラけてくれたはいいが・・・追うのは当然、男の方でいいんだな?」
右肩をまわし、その五指を何度か伸ばし曲げて自分の体のコンディションを確認する。
慣れない環境でも、自分の体に異常はない事を再確認するのは、黒いシャツに皮ジャン、下も黒いジーンズといった格好の男。
痩躯ながらも、はだけたシャツからのぞく胸元とは引き締まった筋肉があらわになっている。
手入れのされていない乱れた短い髪と、鋭すぎる眼光という組み合わせが危なげな野性味をかもし出しているのだろうか。
今も、通りすがりの女性がちらちらと横目で視線を向けながらも通り過ぎていく。
それでも一人として声をかけてくる女性がいない。なぜならばその隣にはすでに。
「いえ、あの男装の少女を」
男の言葉を否定したのは、燃えるような赤く長い髪を背中で束ねている女性。
こちらも愛想が良い顔ではなく、むしろ酷薄な雰囲気であるものの、その美貌は同性異性ともに、近寄ることすらためらわれるものである。
白いカッターシャツの上から桜色のカーディガン、丈の長い白いプリーツスカートという装い。
その小さめのシャツはボタンがいくつか留められていない、むしろ留める事ができない襟首からは、大きめのふくらみが作る谷間があらわになっていた。
そんな女性が、男の左腕に抱きついている。外見だけで言えば、まったく不似合いなカップルといった感じだろうか。
「ざけんなよ? 俺があんなクソガキにナメられたままでいられると思ってんのか? 俺たちの任務は以前、交戦したガキ三人の誰でもいいからその行動を監視する事だろうが、ならどのガキだって」
いいだろう、と続けようとしたその口を赤い髪の女が指で止める。
「貴方という人は今回の降下目的をまったくわかっていませんね。偵察と言えど、威力偵察ではないのですよ? あくまでスカウトの為の情報戦です。弱点でも発見できればそこをついて交渉なり脅迫なりと手段が増えます。それに、かの少年を追跡すれば貴方の事ですから、隙あれば襲い掛かるつもりでしょうし。まぁ、腕力だけは素晴らしい貴方に、頭の方までは期待しておりませんでしたが? こうして触れているとよくわかりますよ、筋肉だけが取り得の実に男らしい腕ですわね」
さらに寄り添い、女は、筋肉で引き締まった男の腕を自分の胸の間に挟み込む。
が。
「・・・ここにゃお前を庇ってくれるヤツはいねぇんだぞ? テメーのそのうるせぇ口をふさぐなんざ一瞬で」
男がにらみつけるも。
「腕ずく、力ずくで? やっぱり貴方はそういう野蛮な男性ですわね? ええどうぞ? 非力な女一人ですら、そのご自慢の腕力を使わないと黙らせる事もできないのでしたら」
女はとろけたような笑顔、いつもこの男を蔑むときに見せる表情のまま、つい、と背伸びをして顔を近づける。
「いくら貴方が教養のない下賎な男性でも、うるさい女の口をふさぐなら、もう少し冴えたやり方くらいご存知なのでは?」
つま先を立てた女がその細い腕を男の首に回し、紅いルージュに染められた艶かしい唇を男の唇に近づけていく。
「クソアマ、寄るんじゃねぇ、気色悪いんだよ!」
「あらあら? そんなお年で女が怖いとでも? それとも女と唇を合わせる事もできないくらいに純情ですか? 歴戦の名誉ある戦士殿?」
より一層に怒りを浮かべた男だったが。
「・・・チッ」
結局、男は女を軽く突き飛ばすだけだった。それでも、たたらと踏んでしまう女の軽さと細さ。
「・・・ふふふ」
「黙れクソ女、それ以上何かほざいたらマジでブン殴る」
だと言うのに。女はいつもの笑顔で。
「やっぱり貴方は口だけの臆病者ですわね。女は殴れない、けれど他の手段も知らない。ふふふ、それとも相手が私だからですか?」
「ブン殴るって言ったよな?」
男の拳が女の顔へ迫るものの。
「ふふふ」
「・・・クソッタレ」
男の拳はその風圧で女の髪をわずかに揺らしただけで、その頬に紙一重で触れていない。
「女を追えばいいんだろうが。だがな、艦長の銃撃、それもあの至近距離ですら完全に耐え切ったドレス持ちだ。言いたかないが、俺の得物じゃ傷ひとつ負わせられんぞ」
「貴方にそこまで期待していませんよ。それに、そもそも偵察任務行動中です。戦闘になる事そのものが失態なのですよ? それに? プロテクトがどうこう以前に、今は何かの理由で男装しているとは言え・・・大方、正体を隠すためでしょうが、戦闘時にドレスを着用しているという事はやはり少女ですからね。貴方では女性にナイフを当てる事もできませんでしょうに」
ここで初めて男が女に腕力を使った。鉄をも引き裂く剛力で女の襟首をつかみ上げる。
加減はしているとはいえ、一瞬、女の呼吸が止まる。
「う、ぐっ」
苦しさに美貌をゆがめながらも、女は間近に迫った男の顔から視線をはずすことはない。
それが男をさらに苛立たせる。少しなりとも脅えればすぐに手を放すつもりであったというのに、これでは引っ込みがつかない。
「敵は敵だ。女だろうがガキだろうがな。必要があれば排除する。敵に情けをかければ自分が死ぬ・・・ああ、それだけならいいさ、自業自得だ。だが一人の甘えは仲間も殺す。それくらいは未熟な兵士でも知ってる事だろうよ」
「けほっ・・・ふふふ。そうですわね。ですが貴方にもそれができて?」
「俺が今こうして生きているのは、そうしてきたからだろうが・・・」
ようやく女の服から手を離す男。
いっそう乱れた女のシャツからは下着を着用していない胸のふくらみがこぼれそうになっているが、女がそれを直す気配はない。
カーディガンにいたっては、さきほど引き寄せられたときに、伸びきり破れてしまい服の形を成さずに地に落ちている。
しかし女の表情はいつもの妖艶な笑み。ただ男を眺めていた。
「チッ・・・クソ女。クソがついても女だろうが、恥じらいってもんがねーのか」
「なら貴方がなおして下さいな。私はあくまで上官として追跡対象を決定しただけですのに、なんだかんだと言って揉めた挙句、私の衣服を乱したのは貴方でしょう? 本来ならば上官反抗罪に問われてもおかしくない状況ですよ?」
「ふざけんな。現地での偵察任務にゃ、その時に与えられた役割を演じる必要上、官位の拘束と制限はねぇだろうが」
「ですから。さきほども言ったように、それ以前の問題ですよ。敬礼や言葉遣いなどはその通りですが、命令系統だけは絶対です。我々は遊びに来ているわけではなく、任務遂行中なのですよ? それにここで重要なのは、部下の貴方が上官たる私の命令に異を唱え服従しなかった事です。その責任を問わず、さらに言えば貴方がしでかした乱暴の責任をとるだけで音沙汰無しにして差し上げる、と言っているのですよ?」
長々と、それでいてやはり見下すような笑みのまま、女は男に淡々と告げる。
「・・・チッ」
もはや何度目の舌打ちかもわからない。
男は渋々、女のシャツのボタンをとめにかかるものの。
「ボタンが・・・ねぇぞ」
さきほど引き寄せた時に弾け飛んでしまったのだろう。
「当然でしょうね。あんな力で強引に抱き寄せられては」
「抱き寄せてねぇ! そもそもなんでそんなサイズの合ってねぇ服なんだ、ボタンもまともに留められねぇようなちっせぇ服なんざ着やがって」
「仕方がないでしょう。同じ程度の身長の女性が着ていた服を無断拝借したのですから。ただ胸囲に少々の差異があった程度の不都合で任務をこなせないなどと不服を漏らせると?」
「・・・まぁ、テメェの口と性格が悪いのはともかく、任務と時間を優先したってのは理解するがよ」
「それで?」
「あん?」
「私のこの姿、どうされるおつもりで?」
「・・・」
「ただ、ここで時間を無駄に失うのも考え物ですし、このままあの少女の追跡をしても私はかまいませんが。さきほどの責任うんぬんも、まぁ、この際忘れましょう」
「そんな格好でウロついたらバカみてーに目立つだろうが! くそ、あのガキは?」
男は追跡対象の男装の少女を念のため視認する。空を見ながらのんびりと歩いているものの、いつまでもここで立ち止まっていれば見失うのは当然の結果となる。
男は考え。結局、一つしかない手段をとる。
「一応、さきほどぶつかった時にマーキングはしていますから。少々見失った所で問題はないでしょうけれど」
男は心の中で女の言葉を否定する。より堅実に、より正確に、より迅速に、なよにり確実に。本来であれば尾行に二人一組など少なすぎるのだ。
それにせっかく顔が知られていないというのに、発信機をつけるためだけに姿をさらして接触するなど愚の骨頂だった。
得意げな顔をしているこの女は所詮、現場の事など何もわかっていない。
ゆえに自分にできる事はせめて時間の無駄使いをしない事だ。
「・・・テメーが俺を嫌ってんのは知ってるが」
「まさか。私は貴方を尊敬していますし、大切な方と思っておりますわよ?」
「うるせぇ、白々しいを通り越してイラつくんだよ。だが、この場は我慢しろ。お互い任務遂行に関わる部分だけはキッチリやっていこーや」
そう言って男は上着を脱ぎ、女に差し出した。
「おら、着てろ」
「着せてください」
男の血管にも限界はある。
長年駆け抜けてきた戦場においては、敵地のまっただ中、三日三晩、水も食料もなく地中に掘った小さな穴に隠れていた事もあった。
極度の緊張感と、疲弊していく身体。それでも精神だけは常に研ぎ澄まし、冷静な判断力を維持し続けた。
それでも。
「・・・クソ女」
今に比べればよほど冷静でいられた。
「ええ、頭にそんな汚い言葉をつけられても、女だとおっしゃったのは貴方ですよ。ゲシュウル殿?」
「世の中には殴っていい女ってのも確実に存在するんだぜ、いい加減にしろ、クソ副長」
と、女は自分の言葉と男の言葉を反芻して。
「あら、私とした事が。今は役割上恋人同士、でしたわね。貴方も言葉遣いには気をつけてください。これもご自分でさきほどおっしゃった事ですわよ。任務遂行に関わる部分は我慢してください。では改めて」
コホンと一つ咳払いをして。
「優しく着せてくださいな、ダーリン」
「・・・くたばれ、ハニー」
結局ゲシュウルはもどかしくも、副艦長サラーラ=レンブルグの肩に皮ジャンをかけた。
「なぁ、オイ。これは不満じゃなくて疑問なんだがな」
「なんですか、ダーリン」
「それだ。ここの恋人同士ってな、名前で互いを呼ばずヘンな代名詞で呼ぶのはなぜだ? ハニーが女性名でダーリンが男性名ってのは理解してるが」
「・・・慣習のようなものですね。語源は古く宗教的な物でもあります。ハニーというのは、女性の神であり、愛と抱擁を司る女神です」
「テメーとはかけ離れた存在だな。で、ダーリンってのは?」
「女神ハニーに仕え、命を賭して守ったと言われる勇猛果敢な騎士の名ですね。かつては盗賊だったのですが・・・」
「元、盗賊ねぇ。こっちはオレにはお似合いってか?」
ゲシュウルの皮肉にも、サラーラは無視して言葉を続ける。
「ハニーも元々は愛と抱擁の神ではなく・・・心が壊れかけた孤独な女神でした。誰の声も届かない牢獄のような狭く白い部屋で、無味に日々を過ごすだけの抜け殻。結局、それに耐え切れず、満月の夜に自らが持つ宝剣で自害しようとしていました」
「・・・ふむ」
多少の興味を覚えたゲシュウルは一つうなずいて耳を傾ける。
「その夜です。女神ハニーの持つその宝剣を盗もうと侵入してきたした盗賊ダーリンは、女神に会って一目で恋に落ち心を奪われたのです。女神もまた自分に愛を捧げ、孤独から救ってくれたダーリンを深く愛するようになりました。以後、盗賊はハニーより授けられた宝剣を・・・ちなみに、形状は短剣だったと伝えられています。その短剣を女神を守るために振るい、やがて英雄と讃えられるようになったと言われています。この世界の恋人たちも、そういった過去の英雄と自分達を重ねる事で、自分達の関係を美しく飾りたいと思っているのでしょうね。ただこの辺り知識は『青の地獄』の世界や慣習などの機密情報にも抵触しますので、権限のない貴方に教えられるのは残念ながらこの程度ですが」
長い話だ、と毒づくゲシュウルだったが、機嫌の悪い顔ではなかった。
「・・・ふん、珍しく素直に教えたな。俺たちにはまったく当てはまらねぇ関係だがその宝剣だったか、特に短剣を得意とした勇猛な戦士ってのは悪くねぇ」
「他にも代名詞の候補はありますが・・・参考までにお聞きになりますか?」
「・・・まぁ、コードネームってのは案外と精神に影響するからな。別にいいモンがあれば変更していいのか?」
「ええ。その程度の変更はよいでしょう。どうせ、私と貴方との二人だけで使用するものですし」
「なんだオイ、バカに素直じゃねーか。いつもならその程度の精神力だのなんだの言うだろうに」
「私は副艦長と言えど、ここでは所詮は戦いを知らない足手まといの女ですから。コードネーム程度の変更で士気が上がるのであれば」
「・・・ふん、いつもそういう態度でいりゃ、オレだって声を荒げたりしやしねーし、その、なんだ、それなりの扱いだって心得てる、つもりだ」
ゲシュウルはそう言って、前があいたままだった皮ジャンのファスナーを上げていく。
「・・・オレだってわかってんだよ。お前みたいな絶対語感能力者の存在の大きさはな。特にこんな未知の地ならその能力の効果は絶大だ。けどな、互いでいがみあってちゃ、どんだけ能力が高くても意味がねぇ。それに・・・結構な負担があるんだろ?」
「ふふふ、貴方も珍しく優しいのですね、ダーリン」
「茶化すな、真面目に言ってんだ。力を使って疲弊しちまったら艦に戻らねぇとロクな抑制もできねぇってくらいは知ってんだよ」
絶対語感能力者。
言語学者のそれに近いものの、解析言語対象者の精神と感応し、自分の心でその感情を体感する事により言語の意味を解析。俗に感情解析と呼ばれる能力をもった人物。
無論、文字や慣習、神話や伝説といった視覚情報の分析能力が下地として求められるが、そういったものには記されていない隠語や生まれたばかりの流行語ですら即座にその意味をほぼ解する事が可能である。
今でこそ、あらゆる分野で重用される能力であるが、かつて彼らは被心身侵食喪失症と呼ばれ、他者の感情により自分を精神を侵食する精神病の一種として扱われていた。
どれほど楽しい瞬間であろうと、周囲にいる人間の中に不安や恐怖を持った人間が彼らに言葉を投げかければ、その感情が伝播するのだ。
感情の強さ弱さではなく、常に新しい感情に上書きされるのである。強い悲しみを感じている最中、それが淡い喜びになったり、無気力な怠惰さへと変貌したり。
最終的にこの症状を持った者達は、自分の喜怒哀楽というものが理解できなくなる。喜びと悲しみすら区別がつかなくなり、最後には廃人となる。
だが、日々進歩していく技術により、薬品や魔術をもってしてだが抑制できるようになった。
悲しいもので、病だったそれはコントロール可能となると、一転して軍事利用され、絶対語感能力者と名を変えて今に至る。
しかし本来は病であるそれである。
他者の感情から言葉の意味を探るたびに、解析者の心は言葉に含まれた感情に蝕まれ、結果は同じく・・・様々な治療技術が進歩した今でも進行は緩慢ではあるが、やがて廃人となる。
死や恐怖と言った言葉はどの場所にも存在するのだ。それらに触れれば触れるほど、能力は自身の感情を破壊していくため、無自覚に、無意識に、そして確実に壊れていく。
それでも繰り返すが、この能力は絶大。
この『青き地獄』は機密中の機密。ある程度の絶対語感能力者の数を擁する軍であっても、機密保持のために使える能力者はただ一人と判断された。
それが彼女、サラーラである。
『青き地獄』の生まれである英雄ムナの所持品から文化や風習を調べ、それに加えて彼の言葉から感情を読み取ることで日常会話に不便がない程度までこの星の言葉を解析。
通常であれば、一つの言葉を感情解析する場合、負担を考えて十人単位、それを三チームであたる。
しかしサラーラはそれを一人で、そして半分以下の時間で完遂した。
今、ゲシュウルがムナの言葉、この星の言葉を操っているのは、サラーサの能力のたまものである。
彼女の能力がなければ、まだこの場所に立つどころか遠征のメドすらたっていなかっただろう。
「ご心配なく。私の体の事は自分がよく把握しています。私は生まれたときから、こう、なんですから。抑制器具も正常に稼動していますしね」
サラーラは手で髪を後ろに流し、両耳のイヤリングをゲシュウルに見せる。
それは七色に明滅し、その動作を行っていることを示している。
「・・・チッ」
ゲシュウルがまた舌打ちする。
サラーラのいつもの笑みは変わらない。それが苛立つ。
「諦めかよ」
「諦観と言われば否定はしませんが、これが事実で現実なんですよ。それに不満を漏らせば楽になる、というものでもないですしね。貴方はわかっているとおっしゃいますが、それでもあえて言わせていただければ、私の事を何もわかっていないでしょうし、それを責めるつもりもありません」
「チッ・・・」
腹が立つ。本当に腹が立つ。
少しくらい自分の心と体に与えられた不運。それを呪ったりしてもいいだろう、他人に痛みや弱さを見せてもいいだろう。たとえ自分に八つ当たりをしても許せると断言できる。
抑制器具に頼らなければ他人と会話すらもままならず、器具を外して力を使う時は他人の感情に侵食される。
それに、抑制器具が進歩してきているとは言え、流れ込んでくる感情を全て遮断する事は今だ不可能という事も聞き及んでいる。
だというのに、この女はまったく下を向かない。前以外に視線を向ける事すらない。オレを見るときですら、視線はどこまでも真っ直ぐだ。
常に高慢で生意気で自己中心的、なにより自分に与えられた不運が、まるで幸運であるかのように強く在る姿が我慢ならない。
多分、もうコイツは幸せと辛さの区別すらついていないだろうとゲシュウルは思う。
喜びと悲しみの区別がつかなくなるのと同じで、もう壊れかけているのかもしれない。そう考えると無性に悔しくなる。
こんな女でも仲間だ。助けられない存在が手の届くところにいるという己の無力さでゲシュウルの心がきしむ。
本当に腹が立つ。自分の無力さに。
「少し話が長引きましたね、ダーリン。あの少女は・・・」
サラーラが視線を戻すよりも早く。
「・・・あのガキはあれから動いてねぇ。慌てる事はない」
話をしていても、常に気配は監視対象からはずしていない。
が、ようやく男装の少女は歩き出した。二人もまたゆっくりと足を進める。
「コードネーム変更の話は、歩きながらにしましょうか」
「・・・いや、今のままでいいさ」
「貴方がそう言うのであれば私は構いませんが」
「今以上にいいモンってのも想像できねぇしな・・・それに・・・」
こうして平静と会話ができる時間もどれほどあるのだろうかとも思い。
任務中だけは女神と盗賊の役割を演じてやっても罰は当たらねぇ、と、無意識が小声となって出てしまう。
「何か?」
「・・・ッ、なんでもねぇ、行くぞ!」
と、背を向けて歩き出したゲシュウル。
今回の偵察任務が始まり、ゲシュウルの中で少しだけサラーラに対する認識が変わっていく。
その背中を見ていたら、サラーラもまた小声が漏れた。
「なんて単純で、なんて純粋で、なんて・・・素敵。素直な振りをすると、とっても優しくなるゲシュウル、初心で可愛い、ふふふふ、ふふふふふふ」
でまかせの神話など本当に信じて。
女神ハニーと英雄ダーリンなどという作り話を疑いすらしない。
「でも・・・完全な作り話、というわけでもないですし。可愛い女のささやかな嘘くらい、ゲシュウルなら怒っても許してくれますわ。私に与えられたこの不運・・・」
かつてはサラーラもこの力を恨み、神と世界にあふれる言葉の全てを呪った。
事実、その能力の有用さの為、艦長である兄に強制的に病室の一室で治療とも監禁とも言えない闘病生活を送っていた時期もある。
兄は純然たる家族愛でそうしたのだと頭では理解していても、それでも恨むこともあった。この苦しみは兄とて絶対にわからない、と。
しかし今は。
「ゲシュウルに会わせてくれたこの力、これこそ私の最高の幸運ですわ」
今まで身に降りかかった苦しみの全て、悪夢の記憶を忘れさせてくれると言われても、絶対に手放さない。
これは神が与えてくれた幸運の力なのだから。
「おい、何ブツブツ言ってんだ? 行くぞ、ハニー」
「ええ、ダーリン。ふふふふ」
「誇り高き我が親友ゲシュウルと、まさに才色兼備な我が上官の副艦長殿の組み合わせ、か」
スーツに身を包んだ男は、二人が共に行動している様子を想像し、笑って首を振る。
「確かにそれぞれは素晴らしい人物ではある。加えて直感で戦う親友と、それをサポートできる副艦長殿の冷静さと判断力。偵察任務となれば能力的な相性は確かに抜群ではあるが・・・あるのだが、組み合わせには一抹の不安というものは否めない。しかし、それでもなお、やはり最高の組み合わせなのだろうね」
彼の親友の戦闘スタイルである、自分の直感を信じる戦い方は素晴らしい。
よほどの事がない限り、確実に勝てる状況でしか自分からはしかける事はない。
相手が自分より強いと判断すれば、次の機会を見据えて相手の力を試しつつも、撤退する。
そして何より、彼は自分の身を守る事に躊躇をしない。時に任務を投げ出すどころか、命令に反する行動をとっても自身を守る。
彼を深く知らない者達は非難する、しょせんは貧民街出身の野良犬だと。
一方のゲシュウルはそんな言葉に対して、一切の否定をしない。むしろ野良犬が何をしようとかまわねぇだろ、そんな言葉すら笑って吐き捨てる。
スーツの男は親友のそんな言葉を聞いて、誇らしい気分になる。
それはなぜか。
彼が何としても生き残るのは、仲間を守る為であり、彼の帰りを待つ多くの子供達の為だ。
金だけが目的の人間が、自分の命だけが惜しい人間が、何度も何度も戦場を駆け抜けるものか。
「野良犬か・・・所詮、彼らには犬と狼の区別もつかないのだから仕方ない。昔の私同様に」
サー・ゲシュウル。かつて彼の友であった貴族達の間では、星で最も愚かな貴族と笑われ。
そして唯一、貴族以外の全ての者達に優しく微笑まれ、暖かく迎えられる貴族である。
その彼もまた降下し、偵察任務についていた。
艦長であり、また地上作戦部隊の隊長であるレンブルグが現状から判断した命令は、やや消極的かつ不確定ながらも理にかなったものだった。
最初に降下したポイントは、無作為に選んだ地域という事だったが、そこでいきなり目標であった金色のドレス使いとの邂逅。
確かに無作為とは言え、今回は目安として条件がある程度限られていた。
副艦長が最初に偵察機を降下し、破壊された場所からある程度の範囲を定め。
そこから最も人口密度の多い場所を選定し、さらに若い男女が多くいる場所。その中で教育施設と思われる場所が降下地点に選ばれたわけだが。
「それでも解せない部分は確かにある。『青き地獄』とは言え、戦士がこうも密集し、都合よく出現するだろうか?」
そもそも最初。副艦長が定めた偵察機降下ポイントはどうやって決定したのか。
遭遇した戦士達は確かにその力は素晴らしかったし、彼らをスカウトするというのは理解できる。
だが、逆に場所を変えてまったく面識のない戦士、少なくとも敵意を持たれているだろう彼らを誘うよりは、その方がよいのではないか?
「・・・それを考えるのは私の役目ではないな」
それを口に出してレンブルグに問う事はない。
彼だけが知りえる情報や、彼だけに与えられた命令がある可能性もある。
自分はレンブルグに剣を預けた部下なのだ。あえて己が物言わぬ蒙昧者である事も、彼に対する信頼の証になろうと考える。
「・・・さて、私も動くとするか」
レンブルグがサー・ゲシュウルに与えた偵察任務の内容は実にシンプルだ。
内容を問わず指定地域の情報を集める事。指定範囲は現地の名称で夢見坂市内、もしくはその周囲近辺。
獲得対象の戦士を発見した場合は尾行も可であるが、戦闘行為は可能な限り回避。先制は厳禁。止むを得ず戦闘に入った場合は、撤退帰還を最優先とする。
それだけである。
おおまかな周辺の地理などは艦からも観測できるが、施設の内部などは実際に赴くしかない。
しかし、施設の重要度などが一切わからない現状としては、この教育施設くらいしか対象がない。
「ふむ・・・」
サー・ゲシュウルが立っているのは、夢見坂学園の正門からやや離れた場所。
前回は三人で降下したが、今、ここにいるのは自分のみ。
これで、もし多対一ともなれば、絶対に勝ち目はないだろう。
自分は隠密任務には向いていない。人知れずここに潜入できるとすれば隊長くらいなものだろう。
そして、その隊長自身がすでにこの施設に侵入している。
「と、なると」
サー・ゲシュウルは考え。
簡易バイザーから周辺の地図を呼び出し、少々、距離はあるがもう一つの教育施設と思われる場所へと足を向けた。
先日は事を急いで失敗したが、今回は少々考えもある。
「他の星からやって来るなどと言うのがいけなかったのだ。私もまたこの星の戦士というように振舞えば、いくらかの情報は得られるはずだろう」
星によって違いあれど、訓練中の戦士というものは戦線で活躍する戦士に憧憬、畏怖、羨望のいずれかを抱く。
それを利用すれば、ある程度の光明は見えるはずだ。
「もっとも騙すというのは、戦士としても貴族しても、いささかいただけないが、これもまた我が星のため」
そうしてサー・ゲシュウルは頭の中でこの星での自分の像を作りながら足をすすめていった。
サー・ゲシュウルとは違い、すでにその教育施設に潜入していたレンブルグの眼は、実に興味深いものを捉えていた。
あのドレスの少女達と戦った教育施設の屋上。棟こそ違えど、同じく屋上で対峙する少女が二人。
「・・・ふむ」
姿と声は魔術によって隠しているとはいえ、油断はしない。
何せ、同じ場所、この狭い屋上に立っているのだ。軽い緊張感だけは残しつつ、にらみ合う二人の動きを見逃すまいと注意深く。
ここにいるのは、対峙している二人の少女だけではない。
他にも、よく笑う少女。この少女は以前の戦闘の際に、黒いドレスの少女が守った一般人。
あの時は記憶の改ざんをと判断したが、すでに機は逸している。我々の存在が戦士達にすでに知られている以上、今さら手を出す意味はない。
そして気を失って、その少女のヒザで眠っている少女。おそらくはこちらも一般人。
さらに、少し年上と思われる微笑をうかべた長身の少女。
「あとは成人が一人か」
男性の成人。成人というより老人。背は自分よりも頭二つは低いだろうか。
年を重ね戦場から退いた戦士と仮定するならば、腕力うんぬんより、その経験からくる判断力などを警戒せねばならない。
そして対峙している二人の少女。
まずは背が最も低い黒髪を二つの三つ網に結い、白く細いリボンを頭に巻きつけている少女。
不遜な表情からして、己の力に自信を持っているのだろう。ほどよく力を抜きつつも、重心を常に揺らし、機先を悟らせないようにしている。
もう一方の金髪の少女は、ややとまどった表情。相手を恐れているというわけではなく、状況が把握できていないという感じである。
「・・・状況からして、異なる教育施設同士の対立? もしくは模擬戦闘か?」
この教育施設に通う少年少女達は同じ服装をまとっている。金髪の少女だけが白い服。老人はその保護者か監督役のような雰囲気である。
しかし、殺し合いといったような殺気もは互いにない。見守っている少女達も相手を憎悪するような視線を向けていない。
妹であれば、すぐに状況を把握するのであろうが。
「すくなくとも実戦形式の模擬戦闘か交流試合というのは間違いなさそうだ。それに色々とわかった事もある」
ここ以外の教育施設も戦士を養育している事。
そして施設に通う者全てが戦士としての教育を受けていないという事。
白い服を着用する教育施設にも、いずれ調査をしなければとレンブルグが思考している中。
「言葉はいらん! 女同士、拳で語って見せろ!!」
二つの長い三つ網と白いリボン、その四つの線をひるがえした少女が駆ける。
「なんて野蛮な方ですの!?」
リボンの少女は腕を横に広げて、その二の腕で相手の首を狙う。
バイザーからデータを呼び出すものの該当無し。少なくとも今までに戦闘した星や種族にはない技だ。
一見してただ腕を振って首に打撃を与えようとしているに見えるが、そんな単調なものではあるまい。
「ラリアット!? 本気でプロレスですの!?」
この技はラリアットというらしい。言葉からしてプロレス、という技術体系か。すでに撮影記録状態にはいっているバイザーに捕捉でそれらを文字記録していく。
「避けるな!!」
「避けますわよ!!」
くぐるようにして避ける金髪の少女。その顔は動揺。信じられない物を見たという表情だ。
ラリアットという技がどういったものだったかは不明だが、少なくともこのプロレスという技術体系が恐れられているというのは理解できる。
強力なのか、それとも稀有なのか。どちらにしろ実戦では有効なものなのだろう。
「だっしゃぁぁぁぁ!!」
「またそれですの!?」
奇声とともにさらに追撃をかけるリボンの少女。
小さな体を宙に舞わせ、弧を描いたつま先で相手の首筋を狙うように蹴り上げる。
これまた自分の体制を大きく崩し、技を繰り出した後も隙だらけのように見えるのだが。
「てめぇ、やる気あるのか!!」
「ワタクシは話し合いにきたのですよ!!」
やはり、大きく体をそらして避ける金髪の少女。命中した場合、さらに違う技に派生していくのだろう。接触すら危険という事か。
逃げ続けている金髪の少女は、どうにも戦う気がないらしい。この場に立っているという事は戦士であろうに、ただの腰抜けか。
「それに、ワタクシが本気を出したら、あなたのような小柄な方など十秒と持ちませんわよ!?」
「ほー。オジョー学校のぐるぐるドリルが口だけは達者だな」
腰抜けかと思えば、挑発。よくわからんな。
「だが口だけのヤツなんざ信用できん!」
「なら・・・痛くて泣いてしまっても知りませんわよ!!」
どうやら金髪の少女も戦う気になったらしい。
そして、指先から垂れる長く、小指ほどもある太い糸。先には重りらしきものがついている。
「おいおい、武器かよ。拳で語ることすらできない臆病モンか!」
見下した目で実に挑発的な言葉を吐くリボンの少女。しかし。
「あらあらあら。ご自分は不意打ちをしておいて、相手が何かを持っているとご不満ですか。ずいぶんと自分勝手な語り合いをお望みですわねぇ」
さらに挑発的な言葉で返す金髪の少女。ゆらゆらと糸を揺らす金髪の少女には明らかな余裕。
自分がここに来た時はすでに対峙していたが、すでに一合二合と交えていたらしい。
「ハッ! そんなヒモで何ができるってんだ」
「ご自分の体で試してみてはいかがですか? それとも本当は怖くて、そのうるさいお口しか動きませんか?」
「・・・カチンときた。泣いても許さん!」
「それはワタクシのセリフですわ!」
そして再びぶつかる二人。
「今度こそ食らえ!」
「もうプロレスは見飽きましたわよ!」
再びラリアット、同じようにくぐって避ける金髪の少女。
「避けるな!」
「避けてませんわよ?」
「何を言っ・・・おああああ」
すれ違いざま、その腕に糸をからめていた金髪の少女がその糸をたぐりよせる。
「これでおしまいですわ」
すばやくリボンの少女の体を回り、捕縛する。
一瞬でがんじがらめにされたリボンの少女の顔は真っ赤になり。
「汚ねぇ、こんなのタイマンとは言わん!!」
「どの口がそれを」
ふむ。プロレスの真価というのは目にできなかったが、少女が未熟なのか、かつては強くとも形骸化した技術なのか。
どちらにしろ、捕縛術に敗れる程度では参考にも脅威にもならない。
「ぬぐぐぐぐ」
「無理ですわよ、女性の力で切れるものではありません」
「・・・くっ。確かに無理そうだ」
「あら。潔いのですね」
リボンの少女がうなだれ、その体から力が抜けたのを確認してゆっくりと近寄る金髪の少女。
「さて。成り行きとは言え、よくわからない状況になりましたが、これで満足していただいたなら、改めてお話を・・・」
と、そこまで言ったところで、リボンの少女が顔を上げ。
「ッ! きゃぁぁああああああ!!」
金髪の少女の悲鳴が轟き、その顔が赤く染まった。
戒めが緩んだ瞬間を逃さず、小柄のリボンの少女が自由を取り戻す。
「な、な、な、なんですの!?」
血、ではない。
接近した瞬間、リボンの少女が口から赤い霧を吐いたのだ。
それが目に入ったのだろう、おぼつかない足取りでヨロヨロとあとじさる。
「毒霧はプロレス殺法の基本だろうが、素人め!」
「ど、どく、ぎり・・・?」
なるほど、プロレスというのは四肢を封じられてもなお、攻撃を兼ねた防御があるわけか。
「これでトドメだ!!」
そして宙を舞うリボンと少女。なかなかに美しい飛翔、そして繰り出される両足。
「きゃいん!!」
だが、それはまたも不発。
美しい弧を描いたそれは重力にひかれて、そのまま痛ましい音をたてながら転がっていく。
「たかが目をくらました程度で、そんな攻撃が当たるわけないでしょう! もういい加減に、しな、さい!!」
そして金髪の少女が得物であるヒモを。
「このオチビ!!」
投げ捨てた。
投げ捨てて、そのままリボンの少女に覆いかぶさる。
「この、マウントか! 生意気な、そんなものは鉄壁のガードポジションで、いっってぇぇぇぇええ!!」
「ほのおばかおひび!!」
馬乗りになられ不利な状況をなにやら防ごうと、両足で金髪少女の体をガッチリと固定したリボンの少女。
そして金髪の少女はその足に噛み付いた。
「はなせ、いってぇぇぇぇぇぇぇ、このドリル、ふざけんな!!」
「はぐぅ!!」
下になっていたリボンの少女が、今度は金髪少女のその長い髪を思い切り掴んで引っ張る。
なんというか。
「泥試合だのぅ」
「そーですねー」
老人と、副会長と名乗っていた長身の少女が互いに笑う。
「さて。ワシはここらで失礼するよ。後はまかせてよろしいか?」
「はいー。今後、ご指導ご鞭撻いただければ幸いでございますー」
「ほっほっほっ。年寄りのたわ言でよければ進ぜよう」
「それではお気をつけてー」
そして去っていく老人。
しかし二人の少女は。
「このおチビ、おサル!! ワタクシの髪になんて事を!!」
「うるせぇぇ、ドリル髪とかリアルで初めて見たわ!!」
体を重ねたまま、ゴロゴロと転がっている。
・・・ふむ。
どうにも戦闘というには、見慣れぬ展開だが、ここは青き地獄。
だがこの状況というのは互いが拮抗して、決め手が打てぬ状況なのかもしれん。
うむ、実に興味深い。
「お待ちしておりました。お元気そうでなによりでございます」
梓と別れた後、高野掠は駅前商店街の奥まった場所、むしろ裏道に近い中にひっそりと構える喫茶店の席についていた。
イスから立ち上がり掠を迎えたのは、腰まで届くほどに長い髪の若い女性。年の頃は二十台半ばといったところだろうか。
場所が悪いためか客足は遠く、今も店内の客は掠とその女性の二人だけである。
テーブルにはすでに二人分の飲み物が運ばれていた。
「そちらもお元気そうですねー。あと、ボクは今、フツーの高校生やってるのでそんなカンジの対応よろしくー」
「あ、そうなん?」
それまでとは打って変わって、急に砕けた態度へ。演技でもなく。さらに言えば、もはやだらしない、という言葉が合うほどに。
イスに座るなりを足を組み、整えていた髪をがしがしと撫でる。
「ボク、あなたのそういう所、すごく好きですよー」
「なら嫁にもらってくれよ。もらってくれよー」
「貴女はそういう筋じゃないでしょうー」
「そー言わずにさー、今から駆け落ちしよーぜー」
掠は肩をすくめて、
「ボクはこれでも忙しい身でして。お使いの途中で抜け出してるんですよー」
さきほどはわざとらしく携帯の開いて梓に急用と告げたが、実際は昨日、目の前の女性からこの時間に呼び出されている。
放課後、可能な限りすぐに、という曖昧な時間指定ではあったが、丁度、会長に買い物を命じられて都合は良かった。
「まぁまぁ。一応、確認しとくけど、ウチのには会ってないよね?」
「というとー?」
「いや、それならいいんだ。可愛い弟子へのイヤガラセってだけだし」
「もしかして、後藤家の候補がこっちに来てるとかー?」
「そーねー。ただ、あくまで私生活の範囲内の理由で、嫁入りうんぬんは関係ないって話なんだけど」
「へー」
「まー、詭弁だわな。やっぱマズイ?」
実際のところ、マズイ? などという状況ではない。
様々な会合の結果に定められた順番を破り、要するに抜け駆けをしているのだから。
「やー、別にかまいませんけどねー」
「・・・アンタ、やっぱ鷹乃だねぇ、エグいわー」
抜け駆けを容認するという事は、候補者同士で確実に争いが起こる。
場合によっては死人が出る可能性もある。鷹乃を守る存在が対立し、数を減らしては本末転倒。それを良しとしないための会合であるのだ。
「けどまぁ、アンタがいいって言うなら、年寄り達も黙ってるだろうし」
「ボクとしても利があるんですよー」
「ほー?」
「今、来てる咲夜さんがですねー、どうにも綺麗な方でー」
「女性として綺麗、って意味じゃーないわなー」
血の匂いがしない、血に染まっていない体という意味であることはすぐに理解する。
「ボクとしては、そーゆー興味の持てない方と一年過ごすというのも退屈なのでー」
「まぁ、そういう事なら。ただ、そういう意味じゃウチのも綺麗な体だけどね」
「後藤家ですしねー」
「ああ。後藤は護塔。名の通りの家だ。自分からは仕掛けないし、護るモノがなけりゃ総じてパッとしない。攻め手より守り手に向いてる平和的な家さ」
鷹乃分家の一つ、護塔家。
鷹乃に関わる全てを護るための家である。
塔を建て、鷹乃の人物、財宝、血筋を護るための一族。
現代では塔の代わりに高層ビルを用いている部分を除けば、その役目は今も変わっていない。
もちろん平和的、というのは冗談にもならない言葉だが。
「で、深守さん? 今日ボクを呼び出した理由は、先日の?」
「ああ、アレの件だよ」
深守(ミモリ)と呼ばれた女は一枚の写真を取り出しテーブルの上へ。
「材質は不明。加工技術も不明。発射機構も不明」
それはかつて掠が一戦交えた男の使用していたナイフ。
「何もわからないと?」
「一つだけわかったよ」
「と言うとー?」
「何もわからないって事がわかっただけさ」
「護塔家がそう言いますかー?」
掠が意外そうな顔で。
「あーそーだよ。ついでに言えば、アンタに言われて久喜家にも数本渡しておいたが、答えは同じ」
「あらら」
護塔家というのは、護るに特化した家である。それは人だけはでなく、その技術も。
いわゆる防犯機器などの作成や開発も行っている。技術的な分野で言えば、分家の中では最先端技術を持っている。
表の仕事もその技術を生かした、世界的な建築・防犯メーカーでもある。
深守としてもそういった技術の家として、今回の事は苦渋であろうが。
「だから久喜の人は来てないんですかー?」
「だろうな、アッチの名代は私と違って生真面目だし」
久喜家。
後藤が守護であるならば、久喜は真逆。
古来より武器を作り続けていた一族。後藤家と同じく、現代社会の流れに沿い、今は銃器や爆薬なども扱っている。
そして自ら作り出した武器により、鷹乃の敵を排除する家。いわば暗殺を得手とする最も攻撃色の強い家である。
それが、短剣一本まともに解析できないとあれば、顔など出せるはずもない。
「これが現当主、つまりアンタの親父からの調べ物だったら、腹でも切ったかもしれんよ」
「真面目ですからねー」
「特に発射機構に関しては謎すぎる。確かに針が仕込まれていただろう空間はあるんだけど、火薬やらスプリングってーのが使われていた痕跡はナシ」
「へー。確かに手品は上手でしたけどね」
「タネがない手品だからなぁ。もはや魔法だわ」
お手上げ、というように肩をすくめた深守。
「まぁ、わからないものは仕方ないですし、今後もおつきあいのありそうな人ですから、また獲得物があればよろしくー」
「ほいさ。期待はしないでくれよ、これでもけっこー自分のダメさにへこんでる」
「じゃ、ボクはこれでー。学園に戻らないとー」
「あー、待った待った。できれば今日はこのまま学園には戻らないで欲しいなー」
「というとー?」
「多分、今頃はウチの弟子がそっちに行ってるんよ。アンタ目当てに色々と工作中でさ。ま、ガキの思いつく程度の可愛らしい工作なんだけどね」
だから放課後すぐに来てもらったのよ、と付け加える深守。
「なら、なおさら戻った方がいいんじゃないですかー?」
「愛のあるイヤガラセさ。こういうのは障害が多いほど盛り上がるし、愛する男に会えない時間が長いほどドラマチックだろう。なにより、そんなにすぐに会えたら面白くない」
「あなたが?」
「そ、私が面白くない」
「ひどい師匠ですよねー」
「私の師匠もひどかったし、八つ当たりを受けるのは護塔家代々弟子の役目。谷地の子とデートでもしてくれると私としてはすごく嬉しい」
「本当、ひどい師匠ですよねー」
とは言う掠ではあったが。
「けれど確かに会うと面倒そうなので、今日はもー帰りますー。早夏(ハヤカ)さんにも気にしないで下さいと伝えてくださいー」
本心からそう言い残し、掠は深守と店の奥に向かって軽く頭を下げて店から出て行った。
「はー、アレは本気で気にしてないなぁ。懐が深いってより、相手の武器がなんだろうが意に介さないって事なんだろうけど」
残された深守は店員を呼ぶ。
「な、怒ってなかったろ? あと、やっぱり気づかれてたな」
「・・・」
「それに早夏のコトも真面目だってほめてたじゃん」
「・・・けれど、役には立てなかった」
全身から無念、という雰囲気をにじませている店員、の扮装をしていた久喜早夏が力なくつぶやく。
「あの反応からして、そこまで期待してなかったのかもしれんけどねぇ」
「それならなおの事、結果を出したかった」
「ホントにマジメだねぇ」
深守は笑うが。
「次があるなら必ず結果を出す」
早夏は一度も笑うことなく。
「はいはい。じゃ私も次はもう少しがんばってみましょーかねぇ」
やれやれ、と深守も同調し。
「じゃ、その次の機会まで私達はここでヒマ潰しでもするかねぇ。今、特に仕事もないんでしょ?」
「当主様から指示は受けてない」
現当主の鷹乃は現在、三人の娘を連れたまま国外で仕事に就いている。
「せっかく作った拠点だし、次もあるってんなら、破棄するのももったいないしねぇ。しばらくココに滞在するってもいいかもよ」
今回の会談のために買い取った喫茶店である。一度限りの場所の予定ではあったが、掠の言葉どうり次があるならば維持しておいた方が何かと便利だ。
新しい場所を用意するのにはそれなりの手間も資金も時間もかかる。
二階建てで一階が店舗、二階は居住区となっているため、二人で過ごす分にはまったく不便はない。
「跡継ぎもいるし、ウチのバカもいる。色々と楽しそうな街じゃないか。一緒にどうよ?」
「深守がそう言うなら一緒にいる」
「じゃ、決まりだ。どうせヒマな時間が多くなるし、喫茶店もやる? 美人姉妹のいる喫茶店、これは流行る」
「流行ってはダメ」
「美人は否定しないのがアンタのかわいいトコよね」
こうして、裏道にこっそりと存在する喫茶店は、人知れずリニューアルオープンしたのであった。
17/ 『ハニー&ダーリン』 END
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