4/『悪夢と現実と少女とオレと』






 距離にしてオレの背後から十歩まで迫っていたソレを。
 オレは何と呼べばいいのだろうか。

 「・・・」

 信じられないものを見た時、人の反応はたいてい同じだろう。オレもそうだった。
 ただ呆然と、銀色のソレを見ていた。
 
 「・・・」

 犬、いや、狼という形容が一番近いのだろうが、少なくとも狼の目というのは三つもない。
 そして前足をついてなお、その三つの視線はオレの頭よりも高く。
 その圧倒的な存在感にオレは圧された。
 オレの足は縫い付けられたように動かず、視線を外すことすらできない。
 だが、それは恐怖だけからのものではなかった。
 
 「・・・」

 満月と街灯の灯りに照らされたソレは、あまりに美しかった。
 異形でありながらそれが凛々しく、どこか威風すら感じられる。
 オレがただ呆然と見入ってしまったのも、無理からぬ事だったと思う。
 そんなオレを引き戻したのは。 

 「離れて、お兄ちゃん!!」
 「!?」

 激しい少女の声だった。
 声のした方向は、駅へと続く林道の奥から。
 そちらを見れば、少女というよりも幼い女の子が林道の上を・・・

 「え・・・?」

 飛んでいた。
 決して比ゆ表現や例えではなく、飛んできたのだ。
 黄金に輝く四枚の羽根をその背中にはばたかせた、赤と黒のゴスロリドレスを着た少女が。
 ええー?
 
 「魅せられてる!? ウィンちゃん! そのお兄ちゃんを引き離して!!」

 滑空し、噴水をはさんで反対側のベンチの上に降り立ったゴスロリ少女が叫ぶと同時に。

 「!」

 それまで様子を見るように動かなかった銀の狼が、オレへと襲いかかった。
 すんでのところでそれをかわすも、右腕をつかまれる。
 噛み付かれた? と思った瞬間、同時に異様な感触を感じてその右腕へと視線を向ければ。
 
 「せんぱ・・・!?」

 桜先輩がオレの右腕にしがみついていた。
 いや、むしろオレはなぜ”コレ”を桜先輩と見間違えたのだろうか・・・。
 桜先輩だと思っていたそれの体は灰色の人形だった。
 顔だけが桜先輩・・・だったのだが、それも一秒とたたず形を崩し、人の体を模していたそれが球体の塊に変貌する。
 なんというか、ドロっとした液体金属というか、スライム? とかそんな単語が浮かぶカンジの物体に。
 それはオレの右腕にさらに絡みついてくる。

 「あっ、正体をあらわしたね! ウィンちゃん! こっちへ!!」
 
 そう女の子が叫ぶと、銀の狼が。

 「申し訳ありません、マスター。確保に失敗しました」

 しゃべった。狼がしゃべったよ。
 しゃべったあげく、白く光って玉となり少女の手へおさまり、それは輝いたまま形状を変えて杖となった。
 少女は杖をバトンのようにクルクルと回し、ビシリとオレを捕らえる謎の塊にその先端を差し向けて。

 「お兄ちゃん、すぐ助けるからね!!」

 おー・・・。
 なんかカッコイいいというか、カワイイというか。
 ワケがわからないけど、テンションとデンジャーが高いレベルにあるというのはわかる。
 まぁ、けどさ。
 どこも痛くないし。 
 そりゃ、この塊は気持ち悪いんだけど。
 なら。んー。よし。
 夢だ。全部夢。
 と思った瞬間。

 「ぐあ!!」

 灰色の何かにつかまえられていた右腕が締め付けられるって、いたたたたたた!!
 たのむ、夢ってコトにしといて、いたいたいたいたい!!
 そのまま引き寄せられ、オレはあっという間に顔以外、首から下のすべてをとりこまれた。

 「お、お兄ちゃん!」

 全身がぬめぬめとした感覚の中で、ところどころ硬いモノや柔らかいモノが肌に触れる。
 灰色だと思ったそれは近くで見ると、やや透明だった。
 だから見えてしまった。見なくていいものを。
 さっきから肌に当たっていたのは、骨や肉片だった。
 その中には犬や猫の頭も・・・。

 「・・・うおおおお!!」

 もがく。全力でもがくが。
 だが柔らかく感じる物体なのに、まったく身動きできない。
 いや、むしろ。体に力が入らない?
 心なしか、肌にあたっていた肉片の感触も薄らいできた。
 感覚が鈍くなってきているというか、麻痺しているというか、そんな感じがしだいに全身に広まっていっていく。

 「あ、あ! ど、どうしよう! お兄ちゃんが!!」

 うろたえる少女。
 すると、今度はその背にある金色の羽根が光の玉へ姿をかえて少女の肩へ。
 光の玉は鷹となり、バサリとその”四枚”の翼を大きく一度はばたかせた。
 金の羽が数枚、舞い落ちるが、地に落ちる前にきらめく粒となって風に流れていった。
 さきほどの銀の狼と同じく、この世のものではない存在が発する存在感。
 美しい・・・確かに美しい容姿なのだが、それはともかく。
 この鳥からはさっきの狼のような神々しい雰囲気はない。
 むしろ。うーん、なんというか。
 ほら、たまにあるでしょ。
 初対面なのに、コイツとは仲良くなれそうだとか、この人はちょっと苦手かも、とか、あんな感じなんだけど。
 この鳥に感じるのは、なんというか、ものすごくイヤなヤツという印象を受ける。
 
 「ありゃムリだ。はい、死んだー。諦めて一緒にぶっ飛ばしちまえよ、リン」

 直感、大正解。なんてコト言いやがる!

 「だ、だめだよ、エバちゃん!」
 「いーや。仕方ないさ。正義には犠牲がつきものだ。悲しい事だが現実は厳しい。せめて派手な花火にしてやろうぜ?」

 その大きな翼で、少女の頭をポンポンと叩く金色の鳥。

 「だめだめ、絶対にダメ!!」
 「じゃあ、どうする? あのままじゃ犬や猫と同じように食われちまうぞ、じわじわっとな。なら、一息にズバっとやっちまった方がヤツの為さ」

 うそ、オレ、食われてる途中? 

 「だ、だけど!」
 「それにな、リン。あの男だって、自分を犠牲にしてでもヤツを倒せって言ってるだろう?」
 「え?」

 言ってない!!
 非難を込めて、オレは鳥らしきモノをにらみつけるが。

 「ほら、見てみろ。あの強い決意を宿したまなざしを」
 「え、え? 違うよ、エバちゃんがウソ言うから、お兄ちゃん怒ってるんだよぅ」
 「女にはわからんかも知れんが、男同士の語り合いに言葉はいらねぇんだ。早く自分ごとやってくれって顔だぜ」
 「・・・本当に?」
 「女はだますが、嘘はいわねぇよ」

 おいおいおい!! 嘘だらけだぞ、そこの鳥!!

 「う、うーん・・・そうなのかな・・・」

 おいおいおい!! ちょっと待とうよ、そこの少女!!

 「あ!」

 と、声をあげてポンと手を叩く少女。やっぱり流行ってるのか、その仕草。
 
 「どーした、リン? エロい声あげて」
 「え、えっちじゃないよ! それにウソだよ! だって、エバちゃん、女の子だもん! 男の子同士のお話なんてできないよ!」
 「チッ」

 チッって言ったか、そこの鳥! 

 「とにかく、まずお兄ちゃんを助けないと! ウィンちゃん、動きを止めるよ! エバちゃん、合わせて飛ぶからね!!」
 「いつでもどうぞ、マスター」
 「結局そういう流れかよ、つまんねぇ」
 
 鳥がまた少女の羽に戻り、銀色の杖の先端からは雷光がほとばしる。

 「いっけぇー!」

 少女が激しい光を先端に宿した杖を振り下ろすと、矢となった雷光がオレへ向かってほとばしる。
 その何本もの雷光がオレを避けつつ、灰色の塊に直撃していく。
 生きた心地がしないというのはこういう事だろうが、そのかいあって雷光が塊を貫くたびに痙攣を起こす。
 だが、穴のあいだ部分はすぐに再生していく。

 「うううううー・・・たああぁぁぁ!!」

 だが少女の気合一閃が、拮抗していた貫通と再生の押し合いを崩し。
 灰色の塊の再生がついに追いつかなくなった時、オレの拘束が甘くなった。

 「お兄ちゃん! 逃げて!」

 なんとか灰色の塊を振りほどき、オレは転がりながらその場から離れる。
 全身が痺れて足にも力が入らないので、オレはそのままゴロゴロと土にまみれながら、なんとか外周を囲むベンチの一つまでたどりつく。
 
 「よーし、エバちゃん、飛ぶよ!!」
 「あいよ」

 オレの安全を確認した少女は、金色の羽を一度、はばたかせてふわりと浮き。
 そして突風を巻き起こして、弾丸のように地面と平行に疾空し、塊へと接近。
 だが。

 「あっ!」

 地面より突き出たいくつもの灰色の触手のようなものが、少女の眼前へと現れ少女をとらえようと向かっていく。
 さっきオレをとらえていたものよりも明らかに太い。

 「避けろ、リン! アレにつかまったら、ちと厄介だ!」
 「う、うん!」

 少女の背、あの金色の四枚の翼が、いっそう輝く。
 少女はそれまでよりも速く宙を翔け、金色の翼の残像を残しながら触手をかわしていく。
 だが、灰色の塊はその全身に鋭く長いトゲをまとい、追い撃つようにそれを射出する。
 触手とトゲ、逃げ場はない! オレが目を見張った瞬間。
 少女は呼びかけた。

 「バルちゃん、お願い!!」
 
 その声に応えるように、赤と黒のドレスから花びらが舞いあがり少女の周囲を取り囲んだ。
 花弁とトゲが衝突するたびに、小さな赤い輝きが生まれては消え、全てのトゲから少女を守る。
 それ以外の、少女をそれたトゲはあらぬ方向へと飛散し、ベンチや噴水を穴だらけにしていく。
 とんでもない威力だ。人の体なんて一瞬で貫くだろう・・・
 などと思っていたら、オレがよりかかっているベンチにも流れトゲが、うお、あぶな!
   
 「マスター、この距離では不利です」
 「そうだね、ウィンちゃん! 行ける!?」
 「はい、マスター。」

 少女の杖の先端に、雷光が収縮し激しい輝きが生まれる。
 杖全体に銀色のバラが咲いていく。そしてトゲを持ったそれらの銀の根は杖を巻きながら先端へと向かっていく。
 先端へ集まったトゲは、やがて鋭い穂先となった。

 「エバちゃん!」
 「よっし、決めるか!」

 四枚の翼が全て重なり、丸まっていく。やがてこちらもまた、つぼみのような形となり。
 そのつぼみがゆっくりと開いていく。バラのごとく。
 黄金のバラが完全に開いた時、少女の体はふわりと浮いた。

 「いっくよー!」
 「はい、マスター。いつでも」
 「オーライ、パーティーもこれで終わりだ!」
 
 少女が背負う金色のバラが黄金の火柱をあげた。
 ・・・いや、火ではない。無数の花びら。その黄金の花弁を蒔いて、低空を弾丸のように滑空する少女。
 突き出した銀のバラの槍が向かうのは、灰色の塊、その中心。
 灰色の触手が一斉に向かう。
 だがその全てを貫いて。
 無数のトゲもまた飛来する。
 それは全て、ドレスが生み出した赤と黒の花弁にさえぎられ。

 「ううぅぅう・・・たああぁぁぁあああ!!」

 銀の槍と灰色の塊と激突する瞬間、少女の声が響いた。
 激しい光と衝突音。

 「・・・」

 訪れた静寂の中には。
 灰色の塊に背を向けて、なにやら、かわいいポーズを決めている少女の姿があった。
 オレは無言で成り行きを見守る。
 だが。よくある決着シーンのように少女がヒザをつく事はなかった。
 塊には少女が貫いた巨大な穴が開いていた。
 やがてその穴は無数の亀裂を生み、塊の全てにそれが及んだ瞬間。

 「ばいばい、生まれ変わったら、今度はお友達になろう、ね・・・」

 悲しそうな少女のさよならの言葉とともに、塊は輝き、そして無数の灰色の花びらとなって砕け散った。

 「・・・」

 少しの沈黙の後。
 少女は、元気な声で。
 
 「ウィンちゃん、エバちゃん、おつかれさま!」
 「マスター、素晴らしい戦いでした」
 「リン、かっこよかったぜ?」

 少女は小さく笑い、そしてオレに向かい直って。

 「お兄ちゃーん、大丈夫ー?」
 「・・・」

 オレは無事だと伝えるために立ち上がり、笑ってうなずき。
 その瞬間。

 「あああああ!! お兄ちゃん!?」
 
 ぶっ倒れた。

 「お兄ちゃーん!!」

 なんか。
 さっきから視界がぼやけてるんだ、コレが。
 全身に寒気が走り、けれど胸のあたりだけが温かい、いや熱い。
 なんなんだ、これ。

 「・・・」

 その熱さの正体を確かめようと、手を伸ばすと。
 ぬるり、と。
 とても、イヤな感触。
 人の生きている証というか、魂を燃やす燃料が漏れているというか。
 駆け寄ってきた少女は、あたふたとしながら、オレの周りをくるくると回る。
 
 「お兄ちゃんの胸から、血が、血がー!!」

 う。やっぱり、血か。

 「マスター。これはおそらく、先ほどのトゲの流れ弾でしょう。トゲそのものは本体とともにすでに消滅していますが、このままでは数分で失血死します。痛みを訴えていないのは、さきほど取り込まれかけた時による麻痺かと思われます」

 冷静だね、狼さん。

 「おーおー。助け甲斐のないヤツだな。いや、ヤツだったな」

 過去形にするんじゃない、このボケ鳥!!

 「なんでそんなに落ち着いてるのよー、ああーん!!」
 「マスターの無事だけが私の懸念するべき事ですので。彼は残念ですが、不幸でした」
 「名も無き男、満月の夜に散る、か。キレーにオチがついたな」

 オチ扱いでスルーか・・・よ!
 あ・・・ホントにヤバイ、意識が・・・
  
 「あわわわわ、バルちゃん、なんとかしてー!!」

 それがオレが最後に聞いた少女の言葉だった。





 ――春日桜はボクが教えた本屋で目当ての書籍を手に入れ、その足で家路についていた。

 「しかし、大きな家・・・いや、屋敷かなー、これは」

 ボクは春日桜の家を見届ける為、こうして尾行していたわけだけど。
 予想もしないほど、巨大な敷地を有したこれまた巨大な屋敷へと入っていった。
 と、思ったら、またすぐに出てきて、今度は隣の屋敷へと入っていく。手にはまだ包まれたままの本。

 「ふうん?」

 少し離れた場所からこうして観察しているだけでも、幾つも監視カメラが作動している事が見て取れる。
 入学前、こっちに引っ越してきてすぐ、周辺はだいたい見たつもりだったけど、こんな場所もまだあったんだね。
 
 「まさしくもって、いい獲物だよね。ここに侵入するだけでも、ずいぶんと・・・楽しそう」 

 血が騒ぐ。鷹乃の血が。
  
 「これは・・・準備がいるかな。下調べも」

 もともとすぐに手をだすつもりはなかった。ただ欲望のまま動くのは三流もいいところ。
 どうせなら、心ゆくまで堪能したい。
 ボクは監視カメラが向けられるのも気にせず、屋敷の塀に添うように周り歩き始めた。
 ただし顔だけはうまく角度を調整して写りこまないように配慮する。
 多少危険だけど、近隣地形の情報を頭に叩き込むためには仕方ない。
 逃走路や、場合によってはこの屋敷ならばいるであろう護衛との戦闘になった場合の位置取り。
 そうして気づいたけど、両隣の家もかなり大きい。
 左は桂という表札のかかった屋敷が隣接していて、敷地内には道場らしきものがあった。

 「あれ・・・桂?」

 最近、どこかで聞いたような姓だけど、どこで聞いたっけ?
 対して。
 春日桜が入っていった右隣家の表札は”葛”。カズラ、かな。
 こちらも同じく敷地は広いが、建築物などもどこか神社のような雰囲気がある。
 この大きな三屋敷をぐるりと回るだけで、そこそこ時間がかかるほど。
 しかし、カスガ、カツラ、カズラ、ね。
 韻を踏んだ上、ほとんど発音も同じ。屋敷のつくりも似ているし、まったくの他人同士というものでもないのかな。
 そんな事を考えながら歩いていたら。

 「あ。いい場所がある」

 狭い路地を見つけてボクは入り込んだ。
 ここならば、相手が複数であっても擬似的に一対一の状況を作る事ができる。逃走路の候補だ。 
 人気もなく、街灯もなく。地元の住民が使う抜け道とでも言おうか。
 しかし、物騒なニュースが流れている今、こんな時間では使われる事はなさそうだ。
 と。
 血と神経を高ぶらせているボクに対して、殺気を向けてきた存在が一つ。
 うん、間違いない。完全に殺気だ。ボクを殺す気でいる。
 
 「えっと・・・どなた?」
 「ガ、ガキか・・・ま、まぁいい、もう犬っコロじゃ満足できないんでな!」

 振り返るボク。尾行されていた感覚はないから、たまたまこの路地に入ったボクを見つけて、ついてきたと思う。
 殺気の主は、スーツ姿の二十代後半の男だった。
 うつろな目でボクを見ていた。その右手には大ぶりのナイフ。左手にも大きなハンマー。
 すぐに何者かわかった。
 ボクと同じく、最近この街を騒がせている者だろう。
 とは言え、もう少し『まとも』なヤツで、ボクと同じく行動に意味や信義があると思っていたら。
 
 「はぁー・・・くだらない」

 春日桜を目にした為、ボクの血はまだ騒いだまま。
 未熟と感じつつも、ボクはその猛りを目の前の男にぶつける事にした。
 ボクためらいなく近づく。

 「なに言ってる! これが見えないのか?」

 素人は凶器に頼りすぎる。わかってない。
 最終的に最も凶器たるものは、練磨した肉体と精神だ。純粋な破壊力と、効率よく破壊する知識こそ、まさしく凶器。
 ボクはまず右手のナイフへ狙いを定める。
 いつものボクであれば、こうも好戦的ではないけど、いまは”鷹乃”だ。仕方ない。

 「て、こ、ガキ!」

 まさかこちらが向かってくると思ってなかったのか、頼りにしているそのナイフの刃先をボクには向けずフラフラさせている。
 だからと言って、こちらが遠慮する事はない。
 ナイフを持っている右手首へ蹴りを一つ。

 「ぎゃ!!」

 キンッという乾いた音とともに、ナイフがアスファルトに転がる。
 右手首は砕け、ダラリと垂れ下がっている。すぐに左手にも蹴りを入れ、同じく砕く。

 「ひぃ・・・ぃぃーッ!」

 痛みに悶え、転がる男。
 充分だと思うが、さらに脅しをかける。

 「あまりうるさくするとご近所に迷惑ですよー?」

 と言ってボクは落ちたハンマーを拾い上げ、その柄をねじり砕いた。

 「ひ、ば、ばかな・・・」

 それを見て悲鳴をのみこむ男。よくできました。
 これはボクの力の一つ。肉体をねじれば、四肢すら千切れる握力と筋力。
 さすがにこんなのは訓練や修練でもどうにもならない。これは鷹乃に伝わる薬物と処置を長年続けた結果。
 ボクの場合、生来より肉体が鷹乃の薬によくにじむ質だった為、かなりの施術を受け、全てを成功、反映させている。
 血の濃さってのもあるんだろうけど、まぁ、それは別にボクが望んだわけじゃないしね。
 ちなみに、この怪力や握力の他にも瞬発力や持久力、神経系なら意思によっての痛覚遮断や暗視、嗅覚、聴覚の鋭敏化など色々できる。
 この、あらゆる鷹乃の薬を受け入れる才能だけ見ても、両親がボクに期待したのもムリはないかな。
 もっとも、そんな状態を常に発揮していては無駄なストレスになるので、状況に応じて、それぞれの力を解放し使用する。
 ちなみに副作用などはなし。すでに鷹乃の術は完成を見て停滞の域にまで落ち着いている。
 完成されたとは言っても、いまだ懸念というか不安材料はあって、それは体合わない薬を処方をした場合。
 処置の前にある程度は薬が合うかどうかの予測はできるが、時には失敗を呼んでしまう。それだけが唯一、鷹乃の技で不完全。
 実際、長女は暗視獲得に失敗して視力をほぼ失った。
 それでも代わりに得た聴覚で補っているし、結果的に健常者よりもよっぽどモノが見えているようなものだ。
 次女は全身の筋力強化に失敗。
 逆に筋力を落とす事となったが、代替強化として筋力の効率化を為し、一切無駄のない肉体操作を可能にした。
 これにより残された子供のような筋力の半分すら使わず、通常人よりもはるかに速く、強く動けるようになった。
 そして三女であり、唯一の妹。
 最悪の失敗例であり、稀有な成功例。
 上の二人は失敗しても、結果、もともとの予定よりも上の効果を得ていたが、三女のこの妹はまるで逆。
 望んでいた機能は失われ、思いもしなかった力を開花させた。
 すなわち、全感覚の鋭敏化を獲得しようとして全ての感覚を失った。いわゆる五感の全てを。
 そして得たのは・・・うーん。
 ちょっとオカルトじみているんだけど、実際に目にしたら否定しようがないねー。
 第六感。っていうのかな、アレ。
 その感覚は全ての感覚を代替して、結果、人間の機能上まったくの代わりナシ。
 医療器具などで確認すると、やっぱり五感はまったく機能してない。
 けれど妹はモノを見て、モノを聞いて、モノの香りを嗅ぎ、モノの味を知り、モノの感触を知る。
 プラスとマイナスが見事にゼロになって、結果、変わりなし。 
 あ、でも。
 時々、一人で話してる事があるんだよね。もしかして幽霊でも見えるようになったのかな? なんてね。
 それはともかく。 
 
 「あ、あ、あ・・・お、お前が、犬や猫を千切ったヤツか?」

 とっとと逃げればいいのに、まだそこで苦しみながらボクと千切れたハンマーを交互に見てる男が何か言ってる。
 すでに戦意も戦闘力も失った相手に興味はない。
 というか正直、これ以上相手にするのも面倒だけど、後からヘンに関わられるよりはキッチリとフォローしておいた方がいい。

 「えっとですね」
 「ひ!」
 「別にボクは警察でもないですし、正義感が強いというワケでもないですから。とりあえずお財布、出してもらえます?」
 「あ、ああ、う」

 しかし男は手をブラブラさせ、視線で自分の懐を示す。そういえばそうだ、両手ともボクが破壊した。
 
 「失礼しますね」

 スーツの内ポケットから、ブランド物のサイフを取り出す。
 万札の群れと、たくさんのカード。ずいぶんと裕福そうだ。何が不満でこんなくだらない事をしていたのやらと思う。
 ボクは免許証を取り出すと、サイフをもとあったポケットへ返す。

 「もしまた世間を騒がすようであれば、次は直接うかがいます」
 「わかっわかっ!」 
 「では失礼します。病院なり警察なり、お好きな方へどうぞ」 

 ボクは路地に男を残して、歩き出す。
 もう今夜は引き上げよう。食事もしてないから、ずいぶんと空腹だし。
  
 「そういえば・・・」

 さっきの男、妙な事を言っていた。お前が犬猫を千切ったヤツ、かと。
 あの男がもっていたのはナイフとハンマー。という事は。

 「まだ、他にもそういう輩がいるって事かな」

 まぁ、どうでもいい。
 ボクの前に現れない限り、そしてボクの邪魔をしない限りは。
 春日の屋敷の周囲の探索を終えたボクは、まだ晩御飯の買い物をしていない事を思い出してまた駅前へと戻っていた。
 ふと思う。
 ここまで執着したのは初めての事だ。
 これって・・・もしかして。

 「恋なのかな?」

 それなら納得だ。
 ボクは春日桜に恋をしたのだろう。
 ああ、別に春日桜本人と親しくなりたいという想いはないけどね。
 人が人に抱く恋心は、いわば獣欲とも言える生存と繁栄の本能でしかないから。
 だいたい子を為すだけならボクには鷹乃がらみの相手、いわゆる許婚がいるはずだ。
 でも、会った事はない。興味ないしね。
 だけど。
 鷹乃の血が求めるならば別だ。
 ボクは鷹乃として恋に落ちたんだろう。
 だから、こんなにも血が騒ぐ、求める。春日桜を。
 
 「ん?」

 そんな道すがら、ボクは新たなる獲物を発見。辺りに人影はなし。あれなら・・・五秒だ。
 もちろん、道すがらの獲物だからずいぶんと格は落ちるけど、まだ血がおさまってないから仕方ない。

 「まったく。因果な血だねー。でも最近は楽しくて仕方ないけど」

 ボクは制服の内ポケットから黒い皮手袋をとりだして、ゆっくりと両手にはめた。

 「これを最後にして、しばらくはガマンするかなー」

 あんまりこの辺りで乱獲してると、春日桜も警戒するようになるかもれしないからね。
  




 ――その頃の谷地 咲夜(ヤチ サクヤ)。
 
 「どれほどに・・・」

 山門をくぐれば、目前から長い下り階段が始まっていた。
 生まれて初めて見るその階段は長く、山の木々の間を縫うようにして下へ下へと続いており、終わりは到底見えない。
 咲夜はその階段の手前で立ち止まり。

 「この一歩を踏み出す日を、本当にどれほどに待ち望んだことでしょうか・・・」

 生まれてから今日まで、山の頂にあるこの屋敷で生まれ育ち、十六歳を迎えた今宵。
 咲夜はついに下山の許しを得て、自分に向かって初めて開かれた山門をくぐったのだ。

 「朝すら待ちきれぬ、はしたない女なれど、この想いは真実なれば・・・」

 咲夜は着物の懐から、一枚の写真を取り出す。  
 折れ目の一つ、染みの一滴すらない。どれほど大切に扱っているかが一目でわかる品だった。
 写真には、一人の少年。十代半ばといった年頃だろう。
 それは数年前に、咲夜がただ一度のわがままと、ねだった物だった。
 そんな写真の少年も、今では成長して高校生になっているばずだ。

 「・・・さぞ、ご立派になられている事でしょう・・・咲夜などをお側において頂けるかどうか・・・」

 立ちすくむ咲夜。
 すると、どこからとなく声がする。それもごく近くから。

 「大丈夫さ。こんないい女をほっとく男なんざいないよ」

 その声は咲夜と瓜二つ。いや、まさしくそのものだった。

 「姉様・・・本当にそう思われますか?」
 「ああ。絶対だ。それに、いざとなれば押し倒しちまえばいい」

 言われて途端、咲夜の頬が真っ赤になる。紅潮などとは生易しい。まさしく燃え上がるかのような色で上気する。

 「め、滅相もありません。咲夜は、ただお側にいられれば」
 「呑気だな、一年なんてすぐ経っちまう。そうしたら、次は御堂に順番が回る。あの娘なら躊躇しないぞ」
 「け、けれど、殿方に対してそのような・・・」

 もじもじと着物のすそを揺らす咲夜。

 「ま、いいさ。いざとなればなんとかしてやる。姉様を信じろ」
 「・・・はい、姉様」

 そして咲夜は今日も辺りを見回す。

 「それで、その、姉様?」
 「ん?」
 「今日もお姿を見せてはくれないのでしょうか?」

 物心がつく頃には、こうして咲夜に優しく語りかれてくれる姉。
 しかし咲夜はその姉の姿を、顔を、一度としてみた事がない。
 ただ、当主である祖母や親族から、それが双子の姉である、という事だけ知らされていた。

 「ん、まぁな。けど、いつだって咲夜の側にいる」
 「・・・はい」
 「さ、行こう。早く街を見たい、テレビなんかじゃない本物をな。十六年間、山にこもってたんだ。下はさぞ刺激的だろう」
 「ふふふ。咲夜も楽しみです」

 そして咲夜が、階段へ第一歩を踏み出そうとした時。

 「あ、おい。なあ、咲夜」
 「はい?」
 「わかってると思うが、街じゃ花子をそのまま持ってると問題になるぞ?」

 咲夜は抱きしめていた、その花子をさらに抱き寄せ。

 「姉様。花子は幼い頃より供に苦楽を共にした咲夜の妹のようなものですし・・・よしよし、大丈夫よ、置いて行ったりしないからね?」

 咲夜は花子に微笑み、優しく撫でる。
 リン、と。花子は鈴のように小さく鳴いて応えた。

 「ふふふ。甘えん坊さんなんだから」
 「まぁ、いいけどな。しかし、花子は刀だしなぁ」

 花子は、まさしく刀であった。
 美しい白鞘は反りのない直刀。全長は二尺六寸、80センチと脇差しの如く。
 かと言って、着物の下に隠せるものではない。
 
 「刀でも咲夜の妹です。咲夜の妹という事は姉様の妹でもあります」

 どこにいるかもわかない、姿のない姉に向かって咲夜は涙目で懇願する。
 
 「でもな。銃刀法違反、ってのにひっかかるらしいぞ。まぁ刃渡りとか色々と決まってるらしいが、どうみても花子はアウトだ」
 「あうと、ですか」
 「せめて、なんかこう・・・ん、鞘とか刀と、一目でわからないように布を巻くとかな」
 「布、と言われましても。一度、戻りましょうか?」
 「それもなんかなぁ。ババァが嫌味言いそうだし・・・んー、どうするか」
 「どういたしましょうか」

 しばしの無言の後。

 「今夜は満月が綺麗だな」
 「あら。本当に」

 咲夜が夜空を見上げる。
 月は真に円を描き、その銀の光で咲夜の陰を艶やかに映し出す。

 「花子は・・・ま、いいか」
 「そうですか?」
 「その時に考えよう」
 「そうですね」
 「じゃ、行こうか。花子、おとなしくしとけよ。あんまり鳴くな?」

 リンリンと花子が嬉しそうに鈴の声を鳴らして。
 二人と一本は、けれど一人分の足音だけを立てて、長い階段を降り始めた。
 いまだ見ぬ愛する男、鷹乃掠の元を目指して。





4/『悪夢と現実と少女とオレと』 END
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