三月・某国貧民街、その路地裏にて――
 
 「ふむ?」

 それは車で移動中の襲撃であり、なかなかの手際だったといえる。
 護衛たちの乗った車をまずトラックで潰された。
 次いで現れた、もう一台のランクルが乗っていた車に横から追突。
 運転手は気絶し、車を捨てて逃げ出したこの地は、警官も寄り付かない無法地帯。
 実に手馴れたものだった。
 五人。
 黒いスーツ姿の紳士は袋小路に追い詰められ、壁を背にしたまま、その人数分だけの銃口を向けられていた。
 
 「轟さん。これは絶体絶命、という状況ですかな?」

 ただ一人。
 同乗していた護衛に向かいたずねる。

 「・・・」

 轟と呼ばれた和装の男は、両の袖口に隠していた短刀を手にした。
 鞘を払い、その二本の白刃がスラムの夜の中にあらわになる。
 が、それと同時に囲んでいた男達から失笑が漏れた。
 何事かをからかうように笑いながら、仲間達とともに。
 サムライ、ニンジャ、そのような単語だけがわずかに聞き取れる。

 「・・・」

 轟は意に介す事なく、五人のうちの一人に一歩寄った。
 寄られた男は笑ったまま、引き金を引いた。
 だが、銃声は響かない。
 代わりに、何かが落ちる音。
 それが何かと男が下を見れば。それは銃を握った己の手首であった。
 男の悲鳴と同時に全ての銃口が轟に向けられる。
 轟の狙い通りであり、そうなってしまえば後はたやすかった。
 全ての襲撃者の視線が自分に集中した瞬間、轟の眼光が鋭く光る。

 「ッ!」

 一様にその表情が強張る。
 片手で銃をかまえていたものは、それを落とさぬように両手に持ち直し。
 ヒザが崩れた者はなんとか立ち上がろうとあがく。
 彼らは自らの異変、すなわち鉛のように重くなった手足に抗いつつも、なんとか引き金にかけた指へと力を込めるが。
 銃声は一発と鳴り響くことはなく、代わりに最初の男の時と同じように四つの鈍い音。
 四人の悲鳴が響きわたる中で、轟の二つの刃が鞘に納まる音。
 それで終わりだ。
 スーツ姿の男は、血と絶叫にまみれた五人の男達を見下ろし。

 「手馴れてはいましたが、ただの強盗のたぐいでしょうな。私を狙う相手は、もう少しスマートなやり方をしますので」
 「・・・」
 「しかし見事なものですね。お話には聞いていましたが、実際に目にすると驚嘆に値する」
 
 刀で銃に勝る腕前。
 それも多対一の状況で、汗の一つ、呼吸の一つも乱すことなく。
 スーツの男は、ふと思いついたように。

 「轟さん。一つ、頼み・・・いえ、改めて追加の仕事をお願いしたいのですが」
 「・・・」
 「鷹乃という名をご存知ですか?」
 「・・・」

 轟は肯定の視線で、スーツの男に向けて言葉を待つ。

 「いまだ確度の高い情報ではないのですが、日本に残している私の娘がその関係者に狙われているらしいのです。彼らはどのように迫ってくるか予想すらできません。警備の整った屋敷への侵入はないと思いますが、その外。例えば、娘の通う学園に入り込むくらいはたやすいでしょう」

 轟も知る鷹乃であれば、それは事実だ。
 謎多きあの一族は様々な特殊技能をもっている。その中には、暗殺のための擬態や隠密術も含まれるだろう。
 教師に化けるか、生徒に化けるか。それに留まらず、男が女に、女が男に化ける事も考えられる。いずれしても見破れるものではない。

 「ですが、轟さんには後継者である息子さんがいらっしゃる。というわけで・・・」
 
 そうして語られた仕事内容と報酬。
 轟は言葉無くうなずいた。

 「ありがとうございます。娘には私から連絡を入れておきますので、息子さんの方、どうぞよろしくお願いします」

 轟が再度、うなずいた時。
 ようやくかけつけた護衛たちが、その光景に息を呑む。

 「お、おケガはありませんか、カズラ会長!」

 護衛の中から、唯一の女性である金髪の秘書がかけより。

 「ああ。轟さんのおかげでね。侍というのは、いまだ実在すると、この目で知ったよ」
 「サム、ライ?」

 轟を見る秘書の目は最初に彼を見た時と同じく、疑わしいものであった。
 葛会長が勝手に雇った護衛であり、チームワークも協調性もない男。
 秘書は轟の前で手首を失った男達を見回す。
 彼女とて、こうした状況に身をおくのは一度や二度ではなく、むしろ慣れている方だ。
 それゆえに、信じられない。

 「これは本当に貴方が?」
 「・・・」

 自分の率いる護衛は役に立たなかったというのに、この怪しい男が会長を守ったなどと。
 しかし轟は、一瞥したのみで何も答えない。それが秘書のカンにさわる。 
 
 「何か言いなさい!」 
 「口数の少ない方なのだよ。私とは大違いだ」

 葛が笑う。
 秘書は、それでも食い下がり。

 「・・・私の言葉がわかっていないだけでは? 身なりからして、たいした学があると思えませんし?」

 これでもかというぐらいに、見下した態度と口調。
 しかし轟は無言。

 「ハイスクールの卒業すらあやしいもの。今回はうまくいったようですが、本来、護衛というのはただのゴロツキができるものではないのですよ!」

 轟が答える代わりに葛が首を横に振る。

 「轟さんは国外を転々としていた方だ。おそらく君よりも操れる言語は多いだろうし、技術や知識においては超一流だ。」
 「私より? 優れていると? そのような・・・な、なんですか?」

 会話に気をとられていた秘書が、突如、自分の足元にひざまずいた轟に驚く。
 それでようやく、秘書は自分のヒザから血が流れている事に気づいた。
 乗っていた車にトラックが衝突したのだ。いかに防弾仕様とあっても、無傷とはいかなかったようだ。
 轟は懐から淡い紫の手ぬぐいを取り出し。

 「あ・・・」
 「・・・」

 傷口にそっと当て、締め付けぬように優しく巻いた。

 「・・・あ、ありが・・・とう」

 秘書は轟の静かな所作と穏やかな心のありように、急に己が恥ずかしくなる。
 手当てを終えた轟は、この場での役目は終わったとばかりに、護衛たちが新しく用意した車へと乗り込んでいった。 
 呆然とそれを見つめる秘書に対し、葛は面白そうに。

 「実に気持ちのいい男だね。動かずば鏡のごとき湖面、振る舞えば真円の波紋のごとく。静かで心安らぐ」
 「・・・し、紳士である事は、その、認めます」

 そこにさきほどまでの、こわばった表情はすでにない。
 むしろ隠しようのないほどに、紅潮した頬が全てを物語っている。

 「惚れてしまったな、シャーリー?」
 「そ、そのような! ・・・それにあのぐらいのお年ならば、妻子がいらっしゃるでしょう」
 「確かに彼には息子がいるが、奥方はずいぶん昔に亡くなったとの事だよ」
 「・・・そ、そうですか、それはお気の毒に」
 「彼の年は三十八。君は今年で・・・二十四だったか。ふむ、少々年の差があるか」
 「年の差など気にしま・・・あっ」 
 「彼は少なくとも、あと三年は私の側にいてくれるだろう。アタックするというならば、私も出来る限り応援しよう」

 シャーリーはしばし悩む。
 今までエリトーコースをひた走り、今もこうして世界で有数のビジネスマンの秘書として人生を駆けている。
 男社会である中においてそうであり続けた彼女にとって、男は敵でしかなかった。
 どう引きずりとおすか、どう踏み台にするか、どう勝ち抜くか。
 優しくされれば、必ず裏には何かあった。恋など自分の性能を落とすだけの愚かな行為だとすら思っていた。
 だが。
 轟は違う。
 女である自分がバカにすれば、くだらない自尊心を傷つけられた男は必ず何かしら反撃してきた。
 そこをさらに返り討ちにするのが、彼女の戦法であったというのに。
 轟は何事も無かったかのように。それどころか、自分の傷をいたわってくれた。
 ヒザに巻かれた紫のスカーフは、見たことのない模様。
 確か、日本の染料技術のシボリというものだったと思う。
 実物を見るのは初めてだが、一つ一つを手作業で、手間と時間をかけて染め上げるものだ。
 長く海外を転々としているというのだから、これはきっと故郷からたずさえてきた数少ない大切な品の一つなのだろう。
 それを惜しげもなく。
 自分を馬鹿にした女の血で汚れることもいとわずに・・・。

 「・・・決めました」
 「ほう?」

 まさに全てを決めた瞳となって、葛に詰め寄る。

 「では、応援してくださる、とのお言葉に甘えて。彼は年下は嫌いでしょうか? あと人種に偏見などありますでょうか? まずこれだけを聞いて頂けますか?」
 「君はオンとオフしかないな。だいたい、そんなもの自分で聞きなさい」
 「いいえ、彼は私が聞いてもきっと、私の喜ぶような答えしか口にしないでしょう。私にだけは優しい方ですから」
 「オン、というより、すでに妄想が入っているな」
 「お忘れですか。私はプロファイリングのスキルもあります。間違いありません」

 今のシャーリーなら、明日の太陽は西から上ると言っても、聞いた者は信じてしまいそうな目と自信である。
 葛は小さく。

 「恋は盲目、か」

 と、苦笑するしかなかった。





9/『初真学園、温室のバラ園にて――』






 四月も終わりに近づいた月曜日。
 竜胆は、入学して一ヶ月が過ぎようとしている学園の白い制服に初めてそでを通した。
 
 「よくお似合いでいらっしゃいます」
 
 着替えの手伝いをしていた臘月が、こころよく微笑む。
 経緯はどうあれ、ようやく自分の主が学園に足を向けたのであるから。
 対して、その主である竜胆の表情はなんとも浮かないものである。

 「制服というものは、どんな者が着ても見栄えするように仕立てられているものだ」

 そんな憎まれ口も自然と口から漏れるが。

 「ふふ、左様ですか」

 口元に手をあてて笑う臘月には、まるで届いていない。とにかく上機嫌である。
 
 「まったく、お前という女は・・・それで時間はいいのか?」
 「そうですね。そろそろ参りましょう」

 臘月がパン、と軽く手を叩くと障子の外、竜胆の部屋の前で合図を待っていた世話役が立ち上がり、車をまわすように手配しに行く。
 朝の七時を少しまわったばかりで登校には少々早い時間帯だが、竜胆は初登校である。
 校内の案内、担任への挨拶などを考えると、余裕はない。
 
 「臘月」
 「はい」
 「許婚の件だが。反故にすると伝えても、相手の男が首を縦に振らない場合は?」
 「竜胆様の思うままに。ただ、怪我をさせるならば、服に隠れて見えない部位にお願いします」
 「お前は私をなんだと思っているのだ。腕力で男相手にかなうものか。これでも病弱でか弱い女だぞ」

 実際、バルロールを身から離したため、体調は以前のような快調とは言いがたい。
 しかし、伏せていなければならないほどではなくなっている。
 一ヶ月ほどとは言え、バルカロールを身に着けていた時間が竜胆の体を快癒させていた結果だろう。
 だが、その言葉を聞いた臘月の微笑みの表情が一瞬だけ曇る。
 それを見た竜胆の表情が、露骨に曇る。

 「もう一度言おう。病弱で、か弱いのだ、私は」
 「左様ですか」
 「左様だ」
 「それはさておき。人の顔の骨というのは存外と硬いものです。拳で殴りつけるよりは、掌を使いアゴを突き上げた方が良策かと」

 律儀にも臘月が自分の掌を見せて、この部分をこう使います、と実際の動きを見せる。
 
 「・・・そうか、そうか、本当にお前はよく出来た従者だな」
 「椿として、常にそうあるべく心がけておりますれば」
 
 竜胆は今日はじめて笑顔を見せ。

 「そんな臘月に褒美をやろう」
 「そのようなお心遣いな・・・どッ!!」

 臘月の微笑みが硬直し、正座したまま後ずさりする。
 そこには、手をワキワキとさせ迫ってくる竜胆の姿があった。

 「どーれ、なでてやろう、その主人を気遣いよく回る頭をじっくりと」
 「け、結構です。これしきの事で、も、もったいない・・・」
 「そう遠慮するな。主としての務めでもある」
 「あ、あ、あ、ひぃあ!」





 初真(ハジマ)学園。
 良家の子息子女の通う、いわゆるいいとこのお子さん学園である。
 よって、普通の高校においてはありえない光景というものが、いくつも存在する。
 中でも異質なのが、送迎用の車の駐車スペース。
 東西南北、四門ある校門の全ての付近に専用のスペースがある。
 黒塗りの高級車が列を成しているという光景は異様でもあるが、それがこの学園の朝の光景。
 それら四つの門をくぐると、中央の校舎へとまっすぐに一本の道が続いている。
 広い道の両側にそって木々が立ち並び、季節によって彩りを変えていく。

 「もう、桜は散ってしまっているな。当然か」

 最も大きな門である南門から足を踏み入れた竜胆は、桜の続く道を見回し苦笑する。
 追随する臘月が残念そうに。

 「竜胆様にもご覧になって頂きたいと思えるほど見事でした。来年は是非に」
 「抜け目無いな。来年どころか、明日も来るかどうかはわからんというのに」
 
 そして視線の先にある、白く大きな校舎へと歩み始める。
 三歩ほど離れ、臘月もそれに続く。
 そして、その二人を遠巻きに見送るのは、初真学園の生徒達であった。

 「あら? 三年生である更葉様の前を歩いてらっしゃる、あの一年生はどなたかしら?」
 「やはり、お仕えしている方では?」
 「では、あちらが・・・葛竜胆様?」

 などと、小声ながらも、辺りはそういった話題で埋まっている。
 この初真学園。共学ながらも、それはここ最近の話である。
 数年前まで女子校であった為、現在においても全体生徒数の約九割を女子生徒が占めている。
 となれば、自然とそういった噂話の伝播する速度も速く、授業が始まる頃には全校の話題となっていた。
 葛の息女が姿を現した、と。
 それは当然ながら、竜胆の婚約者の耳にも届いたのであった。





 「それでは、私はこれにて失礼いたします」

 竜胆のクラスの前、竜胆とその担任教諭に対して頭を下げる臘月。

 「竜胆様。昼食の時間になりましたら、お迎えに参りますのでお待ちになっていて下さい」
 「ああ、わかった」
 「大伴(オオトモ)先生、それではどうぞよろしくお願いいたします。我が主は、病弱で、か弱い、ので」
 
 いまだ朝の出来事を根にもっているのか、涼しい顔でさらりと言い流す臘月。
  
 「ほっほっ、校長からも承っておるよ。さ、更葉君も急ぎなさい。授業はもう始まっておるよ」 

 白髪の混じり始めた男性教諭、大伴教諭が笑顔で応えたのを見て、臘月は自分のクラスのある三年の校舎へと去っていった。
 さてさて、と大伴教諭が教室の扉を開けようとしたところに、竜胆が声をかける。

 「先生。私は確かに病に伏しておりましたが、特別扱いなどされぬよう」
 「・・・ふむ? おもしろい事を言う」

 扉にかけていた手を離し、大伴教諭は竜胆を正面から見る。

 「葛君。君を特別扱いするな、という事は無理な話だな」
 「それはどういう意味でしょうか?」
 「病床にあり長く登校できなかった。それもあるが、君の名は葛なのだから」
 「・・・それが何か?」
 「良家、名家の子を多く擁すこの初真において、それでも葛という名は別格、つまり特別であって、扱いも変わる」
 「・・・」

 それはわかっている。
 わかっているが、それをそうと正面から言われた事は竜胆にとって初めての事である。
 習い事などでも、さすが竜胆様、などと褒められ、そのような世辞には慣れてはいたものの。
 この大伴教諭は明確に、お前は葛だから特別扱いする、と言っているのだ。

 「失礼ながら、教壇に立たれる聖職の方のお言葉とは思えません。私は私であり、葛の前に竜胆という名の一生徒です」
 「ほっほっ。人は名前から生まれない、姓をもって生まれ、そこに名が付け加えられるのだよ」
 「む・・・」
  
 含蓄も含めた正論で返され、うなるしかない竜胆。
 どことなく誤魔化された気もしないではないが、竜胆はどうにも口では勝てそうに無いと判断し黙り込む。

 「実に初々しい。学びなさい、人生は学びきれないほど刺激に満ちているよ?」
 「・・・はい」

 白髪が混じる年の頃だというのに、なんとも澄んだ瞳をした教諭の言葉に、竜胆はつい返事をしてしまう。
 葛を特別だといっておきながら、その名に媚びるでもなく、妬むでもなく。
 少なくとも、今まで竜胆の周りにいて彼女の顔色をうかがう大人たちとは違う。
 竜胆は少しだけ、その教諭に対する認識を改めた。

 「さて。それでは中に入ろう。転入生、というわけではないが。壇上で自己紹介と挨拶くらいは、まぁ、仕方あるまい」
 「はい」
 「では、呼ぶまでここで待っていなさい」

 まず教室に大伴教諭が入り、朝の挨拶の後、伝達事項など伝えられる。
 そして。

 「あー。一学期も始まってしばし経ったが、欠席していた君達のクラスメイトが本日より登校できる事となった。葛君、入りなさい」

 そのような紹介では、明日からまた休めないではないか、などと心の中で毒づきつつ、竜胆が教室の中へ入る。

 「葛様・・・凛とした方ですね」
 「更葉様と今朝、登校されたのを見ましたわ」

 などと、小さなざわめき。
 これでは自己紹介など不要だと思いながらも、一応の格好をつけるために、竜胆は教壇の大伴教諭の横に立ち。

 「葛竜胆。諸所の事情により長く欠席していたが、本日よりよろしく頼む」

 手短な内容を高圧的に一息で言い切り、形だけのお辞儀をする。
 もとより竜胆に友人を作ろうという気は皆無。ゆえに無味乾燥というより、無愛想な挨拶である。
 なのにそれが高慢、高圧的、というイメージを他人に与えないのは、竜胆のもって生まれた資質というものだろうか。
 近寄りがたく、それでいて、憧憬を抱かせる雰囲気が竜胆にはある。
 相手が同年代ともなれば、それはなおも強くなる。
 だが、そういった雰囲気が竜胆は好きではない。
 同年代の友人をもった事がないのも、そういった理由である。
 ともかく。竜胆は、そんなクラスメイトからの拍手で迎えられ、クラスの一員となった。

 「それでは葛君の席はあそこだ。わからない事があれば、隣の者に聞きなさい」

 大伴教諭が指した席は、一番後ろの窓際の席。
 竜胆がその席に腰を下ろすと。

 「・・・初めまして、葛様。山田茜です。わからない事があれば、なんでもお聞きください」

 隣の席の女生徒が、遠慮がちに声をかけてくる。
 女性にしては、少々ハスキーな声である。
 この違和感のようなものを最近も感じたな、と竜胆はなんだったかと思い起こし。
 梓の逆か、と思い当たる。男なのに優しい声の梓。女なのに深い声の山田という生徒。
 感じた違和感の正体に納得し、それでその山田という生徒に対する興味はなくなった。
 よって、竜胆が返した答えは。

 「気遣い、ありがとう。だが供の者がいる。世話をかける事はないだろう」

 視線すら合わせず、協調性の欠片もない対応であった。





 そして時は進み。
 午前の授業が終わり、昼食の時間となる。
 もちろん、購買に走りこむような生徒はいない。
 食堂という名のレストランには余裕をもったテーブルセットが備えられている。
 ごく少数ながらも、教室内で友人とランチボックスを広げる者もいるが、その中身は料亭などの仕出し弁当である。
 
 「皆様、昼食中失礼します」

 と、臘月があらわれる。三年生とはいえ、他のクラスに無断で入る事はない。
 臘月が現れると、教室にいた生徒達の視線が集中する。

 「お待たせいたしました、竜胆様」

 更葉臘月。
 その身に受ける賞賛の念は学年に関係ない。
 理由は一つ。彼女は”椿”である。
 主人の為に命など惜しむことのなく、寄り添う一輪の花。
 この学園の生徒ならば、誰でも知っている一派の一人である。
 あらゆる椿は、強く、美しく、常に主を正しく導く。
 ただのSPなどでない。時に親友となり、時に家族となり、時に恋人ともなりうる、最良の伴侶である。
 ゆえに、地位あるもの、財産あるもの、それら全てが欲する花であるが、それは叶わない。
 ”椿”は主を自ら決める。
 そして、臘月は葛を主と呼ぶ。
 それは竜胆に集まる視線をさらに熱いものにする。

 「茶室の一つを借り、昼食の準備を整えておりますので、ご案内いたします」
 「・・・葛、か」

 明らかな特別扱いだ。
 いくら初真学園内には多くの茶室があるとはいえ、一生徒の昼食の為にその一つを開放するというのは葛であるから。
 大伴教諭の言葉を思い出し苦笑する。

 「何を学べというのかな、あの老教諭は」
 「何かおっしゃいましたか?」
 「いや、なんでもない」
 「はい」

 そして、教室から出て行く二人を見送っていた生徒の中の一人。

 「・・・椿ねぇ。ちっこい女だが、やっぱり”椿”なんだろうな。ったく、めんどくさい」

 山田茜もまた、続くように教室をあとにした。
 その足取りに音はなく、やがて気配すらも消し去って。





 「お話中のようですが・・・少しばかりお時間を頂いてもよろしいですか?」

 茶室での食事を終えた二人は、長めの昼休みの残り時間を温室の中で過ごしていた。
 一面がバラで咲き誇る光景の中、竜胆と臘月だけの空間への来訪者は一人の男子生徒。
 女子と同じく色は純白、そのスタイルは古めかしい学生服である。 
 竜胆は視線を向けると同時に、す、と臘月がその前に進み出る。

 「失礼ながら、どちら様でしょうか?」

 などと訪ねておきながら、竜胆も臘月も初対面のこの相手の素性は察している。
 二人は無言のまま視線を合わせ。

 (例の許婚、か?)
 (例の許婚でしょうか?)

 そして、互いにうなずき。竜胆が一歩前へと進み出る。

 「重ねてたずねるが・・・名は?」
 「これは失礼」

 男子生徒は手近に咲いていたバラを一輪、手折り。

 「ボクの名は、轟 剛毅(トドロキ ゴウキ)。キミのフィアンセさ。貴女に出会えるこの日をどれだけ待ちわびたコトか」

 ヒザをつき、赤いバラを竜胆に差出して、まぶしいばかりの笑顔を浮かべる。
 臘月の心中としては、よりもよってこの手の男であったかという、諦めにも似た感情。
 竜胆が好む人種というのは、男女問わず質実剛健なタイプである。
 男であるならば、無口であり、行動で示すような。
 ・・・例えば、薙峰梓。
 見ていたわけではないが、死に瀕するほどの怪我を負いながらも、竜胆を守った男。
 現に竜胆からの連絡でかけつけた時は、すでに虫の息であった。
 とは言え。
 竜胆に頭をなでられている痴態を覗かれされり、この体をジロジロと不躾に眺める男ではあるが。
 少なくとも、目の前で気障な台詞と態度をとっている、この轟とやらよりは数段マシである。
 竜胆を見れば、一度は握り締めた拳を思い出したように開き。

 「・・・ここだったか?」
 「左様です」

 手のひら、いわゆる掌底の部分を臘月に見せて確認し。

 「轟殿と言ったか?」
 「ええ、マイダーリン」
 「婚約は破棄だ。我が父と、そちらの轟家。どのような約束事が交わされた知らぬが、どうなろうと知った事ではない」
 「え?」

 そして続けざまに放たれる掌底により。
 轟はバラの中へと吹き飛んでいった。

 「女の細腕というのに、情けない男だ。剛毅というのは名ばかり、だな」
 「お見事です、というべき場面かはわかりませんが」
 「父も認めた男というから、多少の期待がなかったわけでもないのだが。ただ軟派で軟弱な男ではないか」
 「私もいざとなれば加勢をと思っていましたので同感です」

 まったく悪びれることもなく、むしろ呆れたように二人はバラに埋まった轟を見る。  
 と、同時に昼休み終了、五分前を告げる鐘の音が響く。
 鐘といっても、チャイムではなく、校舎の頂上に据えられた本物の鐘である。 

 「時間だな、行くか」
 「はい」
 「いや、待て・・・もしもし? あず、いや、峰子か?」
 「彼からの電話ですか・・・」
 「む? 切れた」
 「まったく。あの年で悪戯電話ですか」
 「・・・気になるな」

 ごく自然にバイオレンスな振る舞いをした主とその添え花は、かかってきたのであろう携帯電話を見つめながら、轟の事を忘れたかのように温室を去っていく。 
 温室の外の物陰で、その二人に視線を向けていたのは山田茜。

 「・・・」

 山田茜は。
 二人の背を見送り。

 「鬼か、あの女ども」

 ため息とともに、バラに埋もれている轟へと歩き出した。





 「あー。これはひでぇ。おーい、無事かー?」

 アタシはバラに囲まれた穴に声をかける。
 と、すぐ背後で。

 「剛毅様。茜はここに」
 「おわ」

 振り返ると、茜が立っていた。

 「あれ? お前、さっきこの中に?」
 「身代わりの術、というものをご存知ですか?」
 「あー。丸太と入れ替わるヤツ?」
 「はい」

 なるほど。アタシがバラの中にあいた穴をのぞきこむと、丸太が転がっていた。

 「へー、たいしたもんだ。どこに隠してたんだ、あの丸太?」
 「・・・忍術ですので」

 企業秘密か。

 「しかし、ぜっんぜんダメだったな」
 「はい・・・面目次第もございません」
 「女ってのは、ああいうのが好みじゃないのか?」
 「・・・私、女などとうに捨てた身ですので、なんとも・・・」
 「捨てるな。拾っとけ、もったいない。しかし、さすがのアタシも乙女心はわからんからなぁ」

 白馬の王子様っぽく演じさせ、葛竜胆に好印象を与えようとしたらブン殴られてしまうという結果に。

 「まぁ、嫌われたままでも仕事は仕事だ。アタシはなんとか友達になれるように努力してみよう。あんまり好みのタイプじゃないけどな」
 「では私は?」
 「とにかく、くっついてるしかないだろ。お前に彼女が惚れてくれるが一番だったが、仕方ない」
 「わかりました」
 「相手が相手だ。油断すれば一気にやられる可能性もある」

 葛竜胆。
 深窓の令嬢で、病弱な体と聞いていたのでちょっと期待していたのに、とんでもないじゃじゃ馬だ。
 くっついていた三年のちっこい女。椿の方、あっちも好みじゃない。
 これから三年間。
 自由を得るためとはいえ、どうにもシンドイいだけでつまらない時間になりそうだ。

 「クソ親父め。人の弱みにつけこんで」
 「弱みというより・・・」
 「なんか言った?」
 「いえ、何も?」

 アタシは、事の発端であった電話での会話を思い起こす。
 あれは三月も半ば過ぎようとしていた頃だった。





 『今後三年間。葛竜胆ちゃんという娘の婚約者という形で護衛すること』

 今は海外で仕事をしているクソ親父からの国際電話が入り、開口一番そんな寝ぼけた事を言い出した。
 もちろんコッチの返事は、バカめ、である。
 
 『まぁ聞け、愚息』
 「愚息ってのは他人様に使う言葉で、本人に使う言葉じゃねぇぞ」 
 『日本語は難しいな、俺も海外暮らしが長いからなぁ』
 「テメェ、日本語しかしゃべれねぇだろうが」
 『うむ。国外には実入りのいい仕事が多いんだが、通訳さんがいないと何もわからん。そして通訳さんを雇う金などない。わかってるフリはしてるんだけどな。返事しろって言われると困るから無口な性格ってコトで通してる』
 「長いこといるわりには、少しも話せないのかよ」
 『アッチコッチ行ってるからな。そういう貴様は、中学三年間で英語が話せるようになったか?』

 む。そう言われれると。

 『今の雇い主の葛さんは日本人の金持ちだから、さほど困りはしてないんだが。おお、そう言えばよ、外国にも日本の民芸品とか置いてある店とかけっこうあるんだな。絞りの手ぬぐいとか売ってやんの。けどよ、買って袋あけてみたら実際は絞ってなくてプリントだったぞ。サギだなアレ。しょーもないから人にやっちまったが』 
 「知るか」
 『で、だ。その雇い主の娘さんの護衛なんだがな。四月からだから。同じ学校に入学できるように手配しておいた。というか葛さんがしてくれた』
 「ちょ、おい、もう高校決まってるだろ、オレ!」
 『あー、キャンセルしといて?』

 予約していた飛行機のチケットをキャンセルするよりも軽いノリで言ってくれる。

 『普通の人生など貴様にはない。轟家に生まれし者の定めと知れ』
 「急に声色変えて、カッコよく言ってもお断りだ。今時、侍とかありえねぇ。時代はITだぞ」
 『いや、マジで。この仕事がうまくいけば将来安泰なんだって。うまくいけば、葛さんトコの保安警護課を仕切るポストくれるみたいなコト言ってくれるてるし。お前だって、ビデオ屋とかのカード作る時、申込書の職種欄に侍とか書きたくないだろ?』
 「誰が書くか!」
 『チャンスだ、四十四代目。葛家って本気でお金持ちだぞ』

 電話の相手である父は、第四十三代目轟家当主、轟 剛火(トドロキ ゴウカ)。侍の末裔である。
 当然、その息子であるこっちは四十四代目となってしまう。
 幼い頃から真剣を持たされ、轟たるもの、侍たるもの、男たるもの、と、技術習得させられた過去はもはやトラウマに近い。
 その反動が今、思いっきりきているのだが、それはともかく。

 「・・・しかし、なんでまた婚約者って設定なんだよ?」
 『”椿”って知ってるだろ?』
 「ああ? あの、護衛専門の一派か?」
 『それが一人、竜胆ちゃんについてるらしいんだよ。すげーよな。で、その椿への対面上、護衛を増やすわけにもいかないから、婚約者って形で』
 「椿がいるなら、他に護衛なんていらねーだろうが」

 椿。
 主人の為なら命を投げ出す。護衛を必要とする上流階級のヤツラなら知っている一派。
 その椿の献身は有名な話だが、実際はかなり血なまぐさい。
 体術、銃器、爆弾、毒物・・・椿によって精通している技術は様々だが、椿というのは一様にして主を守るために手段を選ばない。
 よしんば主の命を狙い、それを為したとして。連れ添っていた椿が生きていたら、とんでもない復讐の惨劇の幕開けだ。
 仇の一族郎党、皆殺しの目に会う。実際に、そういうケースが存在しているのだから間違いない。
 というわけで、椿そのものの護衛能力と、その忠誠心があるため、椿付きには手を出すな、というのが暗黙の了解でもある。
 
 『それがさぁ。まだ確実ってワケじゃないんだが、竜胆ちゃんを狙っているのが、どうやら鷹乃の関係者らしんだわー』
 「はぁ?」
 『た・か・の』
 「鷹乃って、あの鷹乃か?」
 『本家じゃなくて関係者な。お付きの九家ってあるだろ? そのどれからしいんだがな。ほら、キチピー多いじゃん、あいつら。椿とか関係ナシ』
 「キチピーってんなら、サムラーイとか言ってるウチも相当だけどな・・・」

 鷹乃。
 古い家で、この現代においても、いまだにムチャしている一族。
 本家である鷹乃家を中心として、九つ・・・いや一つは絶えているから、実質は八つの家を従えている超危険集団。
 どんだけムチャしても、政治にも深く関わっているらしく、彼らが表ざたになる事は絶対にない。
 出来るなら絶対に関わりたくない人種の見本市みたいなヤツラである。

 『その分家のどっかが、どうにも竜胆ちゃんを狙ってるらしい、と』
 「らしい、って言われても。相手もわかんねぇ、いや、わかったとしても、鷹乃がらみなんてジョーダンじゃない」
 『何、謙遜? お前が”伺い”使えばオレもヤバイくらいだろ? 好きな刀使っていいからさバッサリいっちゃえって。事件になっても、もみ消してくれるさ、葛さんが。多分』
 「ムチャゆーな、あと多分とかじゃねーだろ」
 『いやいや、お前ならイケるって。それに一応ウチだってさ、九つもないけどさ分家あるし。腕のいいの寄越せって連絡しといたから』
 「おい、勝手に話すすめてんじゃねーか!」
 『いや、雇い主の依頼は断れないじゃん。現実みよーよ、マイ・サン。あ、今の英語な?』
 「うっせ、ボケ」
 『武士道とは死ぬ事は見つけたり。ヒュー、カッコいいー』
 「お前がまずやってみろ、バカ親父!」
 『まぁまぁ。ならさー、この仕事を請けるなら、お前の変態的な趣味には今後一切、口を挟まないってのはどうだ?』

 ・・・。

 「・・・本気か?」
 『お? 急にヤル気になった声。筋金入りの変態。ホントにダメダメなんだな、お前』
 「あとで、やっぱナシってはナシだぞ?」
 『武士に二言はない。マジでマジで』

 どこまでも軽い口調だが、このオヤジが嘘をついた事はない。
 オレはひとつ息をのんで。

 「・・・それは今から有効なのか?」
 『請けるなら、今からでもオッケー』
 「・・・わかった」
 『おー、よく言った。あ、でも一応確認しとくけどさ。ホモじゃないんだよな、お前? それだと跡継ぎできないんだけど?』
 「違うッッ!!」
 『ああ、安心した。でも、竜胆ちゃんに手だすのはヤメテな? 気まずいからさぁ。あ、いや、むしろそれもアリか? 逆タマ?』
 「うるせぇよ!」
 『じゃ、よろしく。あと引越し先の住居とかも決めといたから、荷物まとめとけ。詳しいことは・・・後ろのヤツに聞け。じゃーなー』
 「は? なんだって? おい! クソ親父!!」

 きりやがった。
 ・・・で、後ろ?
 何のことかと思って振り返ると。

 「お初にお目にかかります。此度、お呼びに応じ、はせ参じました」
 「・・・」

 その格好を見て、一瞬でダレかわかる。

 「本日より。いかなる任にも身命を賭して、望む次第であります。茜(アカネ)と申します」

 轟家に仕える家、久留間の家の者だろう。
 全身をゆったりとした茶色の装束・・・いや、はっきり言おう。
 忍者装束を着た女が、ヒザをついてなにやら決意の強い目で、コッチを見ている。
 いえー、ザ・ニンジャー。くそったれ。

 「しかも女か」
 「・・・お言葉ですが。とうに女など捨てた身。くのいちとしてではなく、忍びとしての実力を認められ、この場におります」

 あー。
 世の中、持っているものは持たざるものを無意識にないがしろにするよなぁ。
 しかし、ここで一計。脳裏に閃いたのは素晴らしい案。

 「じゃ、男として扱おう」
 「はい、本望です」
 「ところで、変装とか得意? 老若男女、なんでもいける?」
 「得手は短刀術と投擲ですが・・・一応、一通りは」
 「そっか」

 うんうんとうなずき、着ていたシャツを脱ぐ。

 「な、なぜ、脱がれるのですか?」
 「なぜだと・・・思う?」

 続けて、とまどう茜にかまわず、その忍者装束をひんむいてやった。
 あ、下はフツーなのな。さらしとかじゃなくてブラとパンツだ。でもさ、ベージュとかどうよ。

 「わ、私の役目は伽などでは!」
 「勘違いするな、ほれ」

 そして、代わりに自分の脱いだ服を放り投げ。

 「今日からお前が轟剛毅だ」
 「は?」
 「そして・・・アタシが今日からお前の代わりになる。どうせお前も同じ学校に入るよう手配済みなんだろ?」
 「アタシ? あ、いえ、それはそうですが・・・しかし、剛毅様?」
 「なにさ?」
 「私の代わりと言うことは・・・女装されると?」
 「何か文句でもあるのか?」

 茜はアタシのシャツで体を隠したままの格好で、しばし押し黙っていたものの。
 ようやく搾り出したような声で。

 「四十四代目には・・・その・・・女装癖があるという噂を聞いておりましたが・・・本当に?」
 「悪いか? 今しがた当代から正式な許しも得た。これでアタシは全力全開で女として過ごせるわけだ」
 「・・・正気ですか?」
 「正気だ。ただ念のために言っておくと、男が好きってわけじゃないから安心しろ」
 「どこを・・・どう安心すれば良いか判断いたしかねますが」

 アタシはふむ、とうなずき。

 「アタシもな? 自分が少々、アレな趣味だって事は自認しているんだよ」
 「はぁ」
 「しかしなぁ。こんなバカな家に生まれたせいか、幼少時代にさ。男たるもの、なんて育てられたせいなのか・・・」

 男である自分自身が、いつしか苦痛になってしまったのである。
 女に生まれていれば、と何度も思った。いっそ息子さんを斬ってしまおうかと思ったこともあるが。

 「それでもアタシはフツーに女の子が好きだ。ないと困る」
 「はぁ」
 「しかし男であり続けることに、苦痛は増す日々だった」
 「はぁ」
 「ならば姿だけでも、たわむれにスカートをはいた事があった」
 「はぁ。たわむれにも程があると思いますが」
 「最高・・・だった」

 あの時の解放感は忘れられるものではない。間違っても開放感ではないので注意だ。
 
 「幸か不幸か、アタシは女顔だからな。女装をして初めて街を歩いたときも、男とはバレなかった」
 「・・・確かに顔立ちは女性らしくは思いますし、女子の格好をしていればそうとしか思えないでしょうね」
 「そうだろう、そうだろう」

 そう。自分が男でない、と他人に認識された瞬間の解放感もまた素晴らしかった。
 
 「そう。アタシはすでに男として生きていくには、心が傷つきすぎてしまっているんだ。でもオカマじゃないからな?」
 「要約すると、女として見られたい、と?」
 「物分りいいな。うまくやっていけそうだぞ、アタシ達」
 「お褒めに預かり光栄? です?」

 アタシは茜の肩をポンポンと叩き。

 「お前は女を捨てたという。アタシは女として過ごしたいと思う。なら立場を交換すれば万事オッケーと思わないか?」
 「・・・はぁ」
 「どのみち、仕事は二人で当たるんだ。お前は婚約者として、アタシは友人として、葛竜胆の護衛をすればいいさ」
 「・・・なんとなく間違っている部分もあるかと思いますが、そうおっしゃられるなら」

 



 と、いう経緯を経て、護衛対象の葛竜胆を待ち続けて、約一ヶ月。
 ようやく初邂逅、そして速攻で轟剛毅という名に悪印象を与えてしまった。

 「ところでさ」
 「はい?」
 「アタシを剛毅って呼ぶのはやめろ? 誰が聞いてるかわかんないんだから」
 「あ、失礼しました。ではなんと?」
 「いや、そりゃ茜だろ? お前と入れ替わってるんだから」
 「はぁ。では以後そのように。茜様」
 
 お、ゾクッと来た。
 茜。実に女っぽい名前だし。でもちょっと物足りないのは・・・ああ、そうか。

 「様、つけずにもう一回」
 「ですがそれは」
 「命令」
 「はぁ・・・では、茜」

 ・・・おおおお、いい、コレ、いい!
 なんかちょっと道を外れた快感のような気もするが、これはクセになるかもしれん。

 「以後、そのように呼ぶように。アタシはお前の事を轟君と呼ぼう。女っぽいし」
 「はぁ、ではそのように」
 「とりあえず鐘も鳴ったし、それぞれの教室に戻るか」
 「そうですね。授業は始まってますが」
 
 あえて違うクラスに配属するように手配したのは、葛竜胆のクラスの中と外に目を持つため。
 本来であれば、襲撃があった際、同じクラスの茜が葛竜胆を守り、アタシが背後から挟撃するという形をとるためだったが、役目がかわってもそう変わりはないだろう。
 アタシ達は温室から出つつ、遅刻の言い訳を考えながら教室へと向かった。





9/『初真学園、温室のバラ園にて――』 END
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