おとぎ話の英雄 前編
日が昇りかけた朝もやの中、噴火する火山を遠めに見ながら『龍喰らい』、ロイエスタルはうなる。
国境から四日あまりの距離にある、火山地帯。
そこでたたずむ男の白髪の混じった長い髪は、ていねいに後ろで結ばれている。
威厳のある年老いた顔には、豊かにたくわえられた髭があった。
「・・・あと数日、と言った所か」
噴火活動は、今も勢いを増している。
災厄の予兆。ずいぶんと久しいながらも、忘れる事はない過去と同じ光景だった。
隣に控えていたハンターは黒い防具、というより、衣装といったものに身を包んでいる。
それはギルドに認められ、ギルドに属するハンターのみに許されたもの。
通常は赤いものだが、隊長となると黒いものとなる。
そのギルドナイトに、ロイエスタルがたずねる。
「各城の整備は?」
声をかけられたギルドナイトは、姿勢をただして答えた。
「は、四つの城とも万全です、ですが・・・」
「なんだ?」
ギルドナイトは、ロイエスタルを見て。
「貴方がここに居る限り、抜けられるはずがありません」
その眼差しには、尊敬に溢れている。
「ふ・・・そうならばいいがな。この老骨で、仕留める事は難しいかもしれんよ」
そう答えるロイエスタルにも、不安な表情は一切ない。
背負った紅のハンマーは、鋭くも鈍い光を放っている。
「オホン・・・ああ、そう言えば」
が、ふとそれまでは全く異なった表情で、ロイエスタルが口を開く。
「アレの・・・娘の居所はまだわからんか?」
「申し訳ありません。依然として不明です。女性ハンター二人と同行されているのは確かですが」
「あー、その情報は正確か? その、なんだ、男と一緒とか・・・」
「いえ、間違いありません。同行の女性ハンターの名は、リン、ならびに、ミラ。優秀なハンター達のようです」
「ああ、そうか。うむ、なら、いいんだ。すまんな、ギルド直轄の君達にこんな私事を頼んで」
「どうぞ、お気になさらず。それに私事と言われますが、『龍喰らい』の後継者の為です」
「その、すまんな、オホン」
「黒龍の予兆あり、との報は確かに届いているはずなので、こちらに向かわれていると思いますが」
「そ、そうか。ワシもそろそろ引退だしな。その、跡が心配でな」
またも、咳払いをするロイエスタル。
ギルドナイトは、嘘は言っていない。
ただ、一人の男ハンターを追っているという事を話さなかっただけだった。
さらに言うならば、捜索中の娘とは他に、その姉の方も行方不明になっている事もふせていた。
(ロイエスタル様も、普段は威厳ある方なのだが、ご息女達がからむと、冷静でなくなるからな)
この油断ならぬ時期、ギルドナイトはそう判断していた。
そして、それは間違っていなかった。
「懐かしいですわね」
朝日を眺めつつ、かつて自分が育った国に足を踏み入れた女は、さして感動するふうでもなく呟いた。
「あー、ここがアンタの生まれ故郷なのか。なんというか」
「ワリと田舎っぽいね」
赤毛と黒髪に、金髪の女が優しく微笑む。
「・・・の、のどかでイイトコロ、よね」
「そ、そうだよね、ボク、こういう所、スキだなぁ」
アリエステルは、再度、晴れた空を見上げる。
かつて、ここを旅立った時の事を思い出す。
名誉と誇りを背にした父は、いつも言っていた。
弱き者の為に強くあれ。強き者は弱き者の盾となれ。
ハンターとして、ギルドの一員としての父の口癖。
アリエステルは、そんな父に才能を認められ、鍛えられた。
厳しかったし、何度、涙を流したかもわからない。
それでも、父の不器用な愛情を確かに感じられたから、幸せだった。
ただ、自分も器用ではないから、うまく応えられたとは言えないが。
その後、武者修行の旅に出て、この二人と知り合い、そしてアザァという男と出会った。
いい人生だと思う。
「で、アリスー。里帰りはいいんだけどね」
「ボク達は何をしにきたの?」
アリエステルは笑って、二人に告げた。
「この国には、有名なおとぎ話があるのをご存知?」
二人は首をかしげ、ああ、と同時にその言葉を口にした。
「『龍喰らい』」
アリエステルは、うなずく。そして。
「細かい話は省きますが、それは実話です。現在、なおも『龍喰らい』は存命です」
「・・・アリスの冗談、初めて聞いた」
「ボクも」
「冗談ではありませんよ。『龍喰らい』は私の父ですから。緘口令が敷かれていますから、今までは黙ってましたけれども。お二人も他言無用でお願いしますね」
アリエステルは笑って、二人に言い放った。
「本当に?」
赤毛の女、リンがおそるおそる、たずね返す。
長いつきあいだが、アリスが冗談を言った事はない。
「あの『龍喰らい』?」
黒髪の少女、ミラも同じくして口を開く。
おとぎ話としてしか知らない『龍喰らい』が、実在すると言われても、すぐ信用できるものではない。
その上、長年の仲間の父だというならば、なおさらだった。
そんな二人の疑惑の表情を気にも留めず、アリエステルは続きを話す。
「ただ、父はずいぶんと年をとりました。今回の討伐は無理があるかと思いまして」
二人の額に、イヤな汗がにじむ。
アリエステルは、淡々と、とんでもない発言をする。
今回も、そんな場合の雰囲気が漂っていた。
「ですので、私達が代わって討伐をしようかと」
最初に声をあげたのはリンだった。
「ちょっと待った!」
「なんですか?」
「『龍喰らい』が実在する、というのは本当として。アンタの親父さんというのも、本当として」
「はい」
「代わって討伐って・・・なにを?」
アリエステルの微笑みは崩れず。
「もちろん、黒龍です」
「・・・」
「はいはい、質問!」
「なにかしら、ミラ」
「黒龍って・・・あの黒龍?」
「あいにく私は、黒龍と言われて思い起こすのは、あの龍だけですよ」
「・・・」
二人は黙ったまま、アリエステルを見る。
ここで肝心なのは、二人に同意を求めているわけではない事だ。
すでに問答無用で、討伐に向かう事を強制する微笑。
しかし、さすがに相手が悪い。
おとぎ話が、現実となり、その主役になれと突然言われて、とまどわない方がおかしい。
「どうしたんですか? いつもは元気な、お二人が」
「・・・いや、アリス」
「ボクはその、さ」
「怖いんですか?」
遠慮なく核心を突く物言い。
二人は反射的に否定する。
「そんなワケないだろ」
「そうだよ!」
「じゃあ、問題ありませんね。私の父は、ここから四日ほどの場所で待機しているはずです。すぐに向かいましょう」
二人は、ガクリと頭を垂れる。
アリエステルは二人に背を向けて歩き出した。
「私だけでは無理ですが・・・貴女達がいれば、何にも恐れる事はありません」
それを聞いた二人が、顔を見合わせる。
自信と高慢の塊のセリフとは思えない、口ぶりだった。
「アリス?」
「今、なんて言ったの? ボク、聞き間違い?」
アリエステルは、振り返ることなく。
「なんでもありませんわ。さて、まいりましょう」
と、言って、二人の前を歩いていった。
「ミラ・・・やってみる?」
「・・・そうだね。ボクたちだって、それなりの腕だしね」
二人は、駆け足でアリエステルの横に並んだ。
いつも三人の姿だった。
リリアは、夫ゴルドーの出発をいつものように見送った後、テーブルで一人、手紙を読んでいた。
先日、ギルドから届いた手紙は、いまだ、ゴルドーに渡せずにいた。
「・・・」
今、リリアは幸せだった。
過去には、辛い事もあった。それでも、今、なお、こうしていられるのは、全てゴルドーがそばにいてくれたから。
ただ一人きりの家族だった兄を亡くしたあの日。
ゴルドーは、リリアに謝罪した。
仲間を守りきれなかったと、ゴルドーは涙を流しながら。
まだ未熟だった兄をかばってくれたのだろう、その体には無数の火傷や裂傷があった。
自分の武器を捨てて、兄の形見であるアイアンランスを抱えて帰ってきたゴルドーの姿は、とても痛ましかった。
あれから十年。
今でも、夫はアイアンランスを手放すことはない。そして心配する自分の為に、無理な討伐は受けない。
若いハンターに馬鹿にされても、十年、それは続いた。
けれど、今、リリアが持っている手紙を読んだならば、ゴルドーはどうするだろうか。
何ものにも代えられない使命と、何ものにも代えられない信念。しかし、どちらかをとるしかない、そんな選択。
リリアは、ゴルドーをそんな状況に、おきたくなかった。
このまま過ぎれば、責められるのは自分ひとり。
どういった処分をくだされるかはわからないが、ゴルドーが苦しむよりはいい。
ただ、気がかりなのは。
「・・・」
目をこすり、起きて来た娘のファランが、涙を浮かべている母親に気づき、駆け寄り抱きついた。
「大丈夫よ、ごめんね」
「・・・」
そう、大丈夫。
自分に言い聞かせて、リリアはファランを抱きしめた。
街にて、ティティと待ち合わせしていたゴルドーは、少し早めの時間に到着していた。
ティティの姿を探すが、やはりまだ来ていないようだった。
「ふぅ」
するべく入り口近くの目立つ場所にあるテーブルに腰かけ、飲み物を注文する。
待ち人の姿を思い起こす。
なかなか、鋭い目を持つ少女だと思う。
昨日のクック戦を見る限りでは、いい師匠についているのだろう。
ランサーとしてはまだまだだが、ハンターとしての基礎は充分なものだった。
やがて、待ち合わせの時間となった。
同時に、ゴルドーの座るテーブルに近づく足音。
「おはよう」
ゴルドーが見上げて、挨拶をする。しかし、帰ってきた答えは、ティティの声ではなかった。
「おはようございます。ゴルドー様」
「・・・」
黒い衣装に身を包んだギルドナイトだった。
見れば、周りのハンターや客達の視線が、遠巻きに集中している。
いつもゴルドーをからかっている若いハンターなど、信じられない物を見るようにしている。
ギルドナイトとは、ハンターの中でも精鋭と言われた者。その中でギルドに認められた精鋭中の精鋭。
その中でも黒い衣装に身を包むのは、部隊を率いる隊長クラスだった。
それが、いつも自分がからかっているゴルドーに対し、深々と頭を下げて、敬語で受け答えしているのだ。
「・・・」
ゴルドーは、それまでの柔和な表情から一転して、鋭く厳しい目でギルドナイトをにらみつける。
「・・・どういう事だ? ギルドは約束も守れないのか? 普段は一切、干渉しないはずだ」
「どういう事、とは、こちらがうかがいたいのです。報を届けて、すでに三日目というのに、ゴルドー様は全く動く様子がないと部下から報告がありました。ですので、私が直接、参りました」
「なんだと?」
「ゴルドー様が不在だった為、奥様にお手紙を託して参ったのですが、ご存知ないのですか?」
「・・・リリアに?」
「はい。確認された方がよろしいのでは?」
「・・・わかった。ついてこい」
ゴルドーは、ギルドナイトに命じると酒場を出て行こうとする。
途中、いつもゴルドーをからかっている若いハンターと目があった。
「あ・・・オッサン、あんた何者なん・・・」
と、言い終わる前にギルドナイトの拳が飛ぶ。
だが、それは若者の顔面寸前でゴルドーによって止められた。
「ゴルドー様?」
「なんのつもりだ」
「無礼者にはそれなりの処置を」
「そうか。そうだな」
「ええ」
次の瞬間、ゴルドーの拳がギルドナイトを吹き飛ばした。
「ぐ・・・!!」
「私の友人を殴ろうとした貴様は無礼に値する」
「も・・・申し訳ありませんでした」
「フン」
ゴルドーは、若者に向かって。
「驚かしてすまない。今日でお別れだが、皆、元気で」
「オッサン、あ、いや、ゴルドーさん、その」
「オッサンでいいよ。友達だろう?」
「・・・ああ・・・あと、なんかよくわかんないけど、その・・・お別れって?」
「ま、色々ある。年をとるとな」
「・・・帰ってくるんだよな。友達なんだろ?」
他の若者達も集まってくる。
皆、ゴルドーをからかったり、相談を持ちかけていた者だった。
「すまん。元気でな」
「ゴルドーさん!?」
今しがた酒場に入ってきたティティだった。
何が何だかわからないという顔で、ゴルドーに詰め寄ってくる。
「ギルドナイト? あの、ゴルドーさん、なんかしたの?」
「・・・ははは、違うよ。でも、今日の討伐は、ご一緒できなくなってしまった」
「え?」
「もうここに戻ってくる事もないだろう。静かで楽しい暮らしだったんだが」
「え、え?」
「野暮用ができてしまってね」
「・・・あの、一体、それは?」
「じゃあ、元気でね」
「あ」
たちあがったギルドナイトを見て、ゴルドーは酒場を後にした。
家に戻ったゴルドーが見たのは、テーブルで手紙を開いたまま、泣いている妻の姿だった。
「あ、え? あなた・・・」
「リリア」
とっさに手紙を後ろ手に隠す。
だが、ゴルドーは首を横に振った。
「黒龍か」
「・・・」
リリアは黙ったまま、うつむく。
ゴルドーは涙に震えたままのリリアの手を優しく握りしめ。
「大丈夫。何も心配いらない。だから、その手紙を見せてくれ」
「わかり・・・ました」
リリアはゴルドーに手紙を渡す。
ところどころ、文字がぬれてにじんでいるが、内容は読み取れる。
「私は第三シュレイド城か。あの爺さんは、相変わらず火山か?」
言葉の後半は、背後のギルドナイトにたずねかけたものだった。
「はい。ロイエスタル様は、火山でまず迎え討つと」
「なら、私の出番はないかもな。むしろ、あの爺さんが抜かれる事の方が少ない。リリア」
妻の名を呼ぶ。
「私はね、地位や名誉の為に戦うわけじゃない。愛する君達と、君達の住む場所を守りたいから戦う」
「でも・・・なら、他の土地へ・・・」
「以前ならば、それでも良かった。ギルドに追われようともね」
チラリとゴルドーがギルドナイトを見るが、反応はない。
「けれど、ここには君の兄であり、私の唯一の仲間が眠る・・・私にとっての聖域。弱く、愚かな私をどうか許してくれ」
「あなた・・・」
ゴルドーは、母の背に隠れているファランの頭をなでる。
「大丈夫。すぐに戻ってくるさ」
ゴルドーは二人を強く抱きしめた後、優しい父親の顔から。
「行くぞ」
「はっ」
『龍喰らい』と呼ばれる、比肩しうる者なき強者の顔になり、戦いの場へと向かった。
続く・・・
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