横山 修。
どこにでもいる青年。
少し長めの黒髪。全体を黒でまとめている。
メガネの奥の瞳は、現代の子供である事を象徴するかのように覇気がない。
目的も、夢も、現実という社会の中で押しつぶされた。
人付き合いが下手で、内向的。暗いというイメージがある。
どこにでもいる青年。
ただ、その瞳にある一点の輝きだけが活力に満ちていた。
暗めのゲーセン。
アミューズメントという看板はかかげていない。
タバコの匂いが立ち上り、照明も暗い。
24時間営業店なので、ラーメンやカレーなどの食販が所狭しと置かれている。
その中で、彼はいつものようにスト3・2ndの筐体に座っていた。
学校帰り、時間は8時過ぎ。それが彼の日課。
慣れた手つき、虚ろな視線。
読みきったパターンのカラフルパンツを浮かせては拾い、拾っては浮かせ・・・
その作業的な行為に、何かの哲学を見出そうとしているのだろうか。
否。
彼の頭の中に、ギルはいない。
アッパーとEX足刀が延々と響くそこで、彼は一人の女性を思い浮かべていた。
「・・・祥子さん」
ポツリと悲しげにつぶやく横山。
専門学校に通う横山のクラスメート、斎藤祥子。
ロングのストレート、おっとりとした風貌で明るい口調。
あまり親しくはない関係、されど横山の心は完全に奪われていた。
「・・・」
やがてギルがリザレクションを始める。
こうこうと輝く画面が、彼のメガネをあやしく照らし出す。
「・・・恋、か」
呟きは虚空に消える。
ややあって、ギルを倒しラストのケン。
その1Rの終了間際、画面の中央に乱入のメッセージ。
「・・・ヤツか?」
横山の表情が緊張感を増した。
すでに祥子の事など、心の中に一片とした残っていない。
悲しきファイターの性というヤツだろうか。
「この時間帯ならば、多分・・・」
向かい合わせの対戦台。顔は見えない。
されど、何度も戦ったことのある相手ならば、ある種の雰囲気というものが伝わってくる。
顔見知りであるが知人ではない。
その微妙な関係を『拳で語る仲』と人は呼ぶ。
相手のカーソルの動きはユンでとまり、SAは揚砲。
この時点で横山の予想は半ば当たっている。
そしてキャラセレが終わり、対戦画面に移り変わった。
隠しカラーの黒ずくめユン。
「やはりそうか」
確認するまでもない。いつも目深に帽子をかぶっている男だろう。
黒いジャケット、黒いジーパンがトレードマークだ。
「今日は・・・勝てるか?」
TCを確実に決め、投げからの揚砲を当ててくるユン。
こちらはリュウ(強Kカラー)、SAは真空波動。
厄介な相手である。
リープと投げを多用するスト3では、投げからSAが決まるキャラは多少なりとも選択肢が増え有利である。
それなりの腕も必要だが、横山はこのユンがミスをしたのは一度として見たことがない。
強さを求めたユン。魅せ技に走った横山のリュウ。
相反した二人の対戦成績は3:7で横山が劣っている。
横山はタバコをくわえ、開幕に強足刀を狙う。
『ラウンド1・・・ファイ!』
試合開始と同時にコマンド入力。
「チッ・・・」
ユンのバックステップ。そして間髪いれず接近してのK投げ。
地に転がった横山のリュウ、ユンがダウン後の攻防を狙う。
だが『魅せ』に走った横山とて、並の腕ではない。
弱・弱・中のTCをブロッキングしてアッパー。
ヒットしたのを見てから、足刀。
延々と続く地味な攻防。そして削り合い。
スト3があまりヒットしなかったのも、こういったストイックすぎる部分が大きいからであろう。
が、横山にしても、このユンのプレイヤーも。
いや、ブロッキングに陶酔した者ならば誰しもが言うだろう。
最高だ、と。
人気を狙ったキャラもなく、男性受けするキャラもなく。
2ndに移行して加わった新キャラは巨人とフンドシ。
それでも横山はこのゲームが大好きだった。
ブロッキング。
リュウが蒼く輝く一瞬に、自分が生きていると実感できた。
試合は1−1となり、最終ラウンド。
その中盤。
「・・・よし」
展開は横山に有利となった。
画面端でK投げを決め、ダウン中のユンに飛び込む。
ユンのゲージはギリギリ溜まっていない。揚砲はない。
対して横山はゲージMAX。
中Pでの飛び込み。
一発目をブロッキングしたユン、二発目がヒット。
着地した瞬間に弱昇竜、そしてスーパーキャンセル発動。
真空波動拳に背景が蒼く染まる。
横山はさらにコマンドを入力する。ニ発目の真空。
さしてシビアでないタイミングだが、横山はこのコンボが大好きだった。
ゲージを使いきり、さりとて減らないコンボ。
12HITの文字が現れコンボが終了する。
真・昇竜が強い事はわかっている。
真空が最弱なのもわかってる。
それでもストリートファイターには、一つだけ譲れないものがあるのだ。
特にスト3をやっている者には、それが強い。
誇り。
そんなものを背負っていれば、疲れる事だってある。
破心衝の突進性能に思わず叫びたくなる時だってある。
リープからのハイパートルネードに枕を濡らした事もある。
それでも。
「やめられない・・・」
コンボの余韻。そこで横山は油断した。
横山が起き上がりに重ねた竜巻。
ユンはそれを全てブロッキングする。
そして画面が輝く。揚砲。
「ブロッキングか・・・ガードして揚砲を出した方が確実なのにな」
苦笑する横山。
あえてブロッキングをしたのは、今のコンボに対する礼儀か。
そして男達の戦いが終結した。
後に残るのは爽快感。
このユンも同じ想いなのだろうか?
横山は静かに対戦台に背を向けて、帰っていった。
SYU −FAINAL− (前編)
〜 春に咲く華 散りゆく華 〜
翌日。
横山はいつものように、いつもの時間の電車に乗りこむ。
8時42分発の快速。行き先は名古屋。
車窓の景色はすでに四年目。
今年は就職活動を控えた憂鬱な年だ。
「・・・」
考えていることはギルコンボ。
横山のバイブルとも言えるスキル・スミスのビデオの映像は荒い。
暇な時も、暇でない時も、繰り返し繰り返し見ているせいだ。
最初に横山がそのビデオを見た時、感動はなかった。
何か別のゲームを見ているような錯覚。
だが、まぎれもなく見慣れたリュウ。決してマブカプのリュウではない。
人はここまで強くなれるものなのか・・・?
自問自答の日々。そして横山は拳を握った。
その日から彼の生き方は変わったのだ。
「・・・」
次に考える事は昨夜のユン。
レバー入れ中Kとリープ、そして投げ。
雷撃蹴はあまり使ってこない。飛びこみも皆無。
揚砲を選択しているにも関わらず、EXをおしげもなく使ってくる。
確実なTCの入力とグラップルディフェンス。
もしも自分が強さを求めて向上し続けていたなら?
「・・・フッ」
違う。
勝ち負けじゃない。
あのユンの動きに魅了されている自分に気づき苦笑。
強さとは上手さと異なる。あのユンは強く、そして上手いのだ。
「・・・」
金山に停車。名古屋まであと3分もない。
再び動き出した車内で、横山は斎藤祥子を思い浮かべる。
子供のようによく笑う女性。
美人というより、かわいいといった形容がしっくりとくる。
とても自分と釣り合うとは思えない。
それでも・・・
「・・・」
名古屋に停車。
ドアが開き、横山は駅のホームへと降り立つ。
いつもと同じ時間、いつもと同じ道を通って通学。
思春期を過ぎた頃、横山は自分が社会の歯車になっていく事を感じていた。
やがてはそんな事も考えなくなり、そして死ぬのだと。
平和な世がもたらした悲劇。
だが、今は違う。
スト3があるから。求める対戦がそこにあるから。
「・・・」
歩を進めながら、横山はふと昔を思い出す。
小学生の頃か。駄ゲーと呼ばれる屋外にポツンと置かれたスト2ダッシュ。
ケンの昇竜が斜めに飛んだ事に感動した一瞬。
四天王が使える喜び。付随する待ち・ハメ論争。
何もかもが熱かった。超必殺も空中コンボもなにもない時代。
なけなしの小遣いの全てを注ぎ込んだと言っても過言ではない青春。
中学に上がってもそれは代わらない。高校になってそれは代わった。
幸せな時間と入れ替わるようにして、到来した受験シーズン。
横山はそれでも合間を縫ってゲームにいそしんだ。
そして大学に落ちた。
後悔はない。自分の腕が落ち、知識が乏しくなる事に比べれば。
そして今に至る。
「・・・」
名古屋駅から出て、5分ほどで学校に着く。
コンピューター系の専門。
ある意味、横山にとっては気の合う学校だったと言える。
近くにはゲーセンが数店舗あり、入荷も早い。
名も知らぬ良きライバルがいる。
情報交換するノート仲間もいる。
しかし友達はいない。横山の性格ゆえに。
同好の志との会話すら億劫であり、臆病な横山。
そんな横山が。
11階建てのビルを校舎とする学校を見上げる。
「・・・」
ここか初めて恋を知った場所。
横山修、21の春だった。
横山は生徒専用口から入り、三基あるエレベーターの一つの前で待つ。
早めの時間という事もあり人は少ない。
チン、という音とともにエレベーターが到着し、乗りこむ。
いつものように7階のボタンを押す。
続いて『閉』のボタンに指をかけた時。
「あ、待って!」
ふと、横山の指が動きを止めた。
親切というわけでもないが、声をかけられて無視するほどでもない。
横山は『開』のボタンを押さえ、ドアを開けておく。
「ありがとー!」
長い髪を揺らしながら、駆けこんできたのは女性。
それは。
「・・・」
祥子さん。
そう呟くのを抑えつつ、横山は胸の鼓動を気づかれぬようにする。
こみ上げる熱さは、緊迫した戦いのそれとは異なる。
何かこう・・・もどかしさを伴った感情だ。
「あ、横山君。おはよー」
「・・・」
横山はうつむきかげんに会釈をするだけだ。
「今日ってプログラムの提出だっけ?」
「・・・」
変わらず横山は無言でうなずくだけだ。
祥子と目も合わせていない。
いや、合わせられないのだ。
「えー、なんか余裕だねぇ。カンペキなの?」
「・・・」
横山は首を振る。課題などやってはいない。
「あははは。ダメダメ君だぁ」
「・・・」
朝の挨拶から、目押しで笑顔のコンボ。
横山はスタンゲージが溜まっていくような感覚にとらわれる。
至福の時間。
できることならずっとこうしていたい。
そんな切ない願いも、七階に到着した時と同時に終わる。
「じゃあ・・・」
初めて横山が口を開いた。
「あ、うん。またねー」
手をパタパタと振る祥子に背を向け、横山はエレベーターから降りる。
背後で扉が閉じる音を聞きつつ・・・
横山はホッと胸をなでおろした。
緊張の持続というものは体力を消耗する。
ましてや横山は恋の経験というものがない。
このプレッシャーに比べれば、永パでハメられていた方がずっと楽だ。
「・・・」
自販機でミルクティーを買い、円形の長いすに腰を下ろす。
取り出したHOPEに火をつけ、深く煙を吸いこむ。
「・・・」
苦みを舌で味わいながら、別れたばかりの祥子を思う。
リュウ一筋、コンボ命の生活。
ゲーセンという場所柄、不良にからまれた事もある。
目押しの練習の為に、腹の虫の機嫌を損ねる事も。
今、その情熱にも負けない感情が横山にはある。
「・・・」
これではいけないと思う。
真の格闘家を目指す横山にとって、戦い以外は全て邪魔なものだ。
だが。
「・・・」
否定できない想いがある。
強さと引き換えにしてでも望もうとしている自分がいる。
祥子と一緒にアイスを食べて。
祥子と一緒に遊園地に行って。
祥子と一緒に笑顔で笑いたい。
ただ、そこに格闘家としての自分の姿はない。
どこにでもいるナンパなコゾーに堕落した自分がある。
「・・・」
グッと握りしめる拳。
こんな事ではいけない。
しかし。
横山の葛藤はすでにピークに達している。
タバコの灰がポトリ、と落ちた時。
「よぉ、横山」
うつむいていた横山に影がかかった。
ふと目を上げれば、そこにはよく知った顔の男。
「永島・・・」
「隣、いいか?」
「・・・」
無言の肯定。
永島は腰をおろし、手にしていたコーラを開けて一口あおる。
取り出したのはラッキーストライク。
オイルライターのフタがカチンと開き、火をつける。
「ふぅ・・・」
その煙と同時に、永島が一言だけ吐き出す。
「悩み事か?」
「・・・」
この学校に入ってからのつきあい。
そして親友であり、好敵手の目は節穴ではない。
「お前の事だ。どうせギルコンボ、もしくは・・・」
「・・・」
チラリと目をやって。
「女か?」
「!」
「図星だな」
「・・・なぜ?」
「なぁに。ここ最近のお前の闘い方がおかしかったんでね」
言葉ではどのようにでも言いつくろえる。
だが対戦台を介せば、全てがわかってしまう。
永島とはそんな仲である。
「かつては羅刹と呼ばれたお前が、女で悩むとはな」
横山の古いあだなを呼ぶ永島。
かつて横山がまだスキル・スミスのビデオと出会う以前の事。
近くのゲーセンのノートで横山は羅刹と呼ばれていた。
真・昇竜を使い、相手が素人であろうとも完膚なまでに叩きのめすスタイル。
当時の横山は勝利を至上としていた。つきまとうリアルファイトの危険性。
それでも横山は勝ちを求め続け。
強さへの尊敬とスタイルへの嘲笑。
それらが混じったあだな、羅刹。
「・・・俺はどうすればいい?」
横山はすがる思いでたずねかけた。
永島には彼女がいる。
コミケを至上とし、生活の一部としている女性。
何度か永島も売り子をやらされたと聞いている。
しかし祥子は違う。
ファイターでもないし、ただの一般人だ。
「好きにすればいいさ。女がいたって闘えるだろう?」
「しかし・・・」
今まで全ての情熱をかけてきたストリートファイト。
修行を怠れば、腕は落ちていくだろう。
それゆえに横山は思い悩んでいる。
永島は微笑み。
「横山。俺は弱いか?」
「・・・いや」
「それが答えさ」
「・・・」
永島が使用するのはケン。SAは疾風迅雷脚。
そして永島の性格もケンのように炎のように熱く激しい。
不器用で素朴な横山とは大きく違う。
「しかし・・・俺はお前じゃない」
「そりゃあそうさ。同じ人間なんていない」
「・・・」
それでも、と永島は言葉の最後に付け加え。
「闘いにかける情熱は俺もお前も同じだ」
「・・・」
「どんなに環境が変わろうと、それだけは変わらないだろ?」
「・・・すまん。少し楽になった」
励ましてくれている。
それが素直に感じられる。
そして、それだけで十分だった。
「帰り際、いつもの場所で待ってるぜ」
「・・・」
うなずく横山。それを後目に永島は去っていった。
「情熱は変わらない、か・・・」
果たして本当にそうなんだろうか?
この二つの拳に、情熱と愛情を一緒に握りしめる事ができるのか?
横山はタバコを灰皿に落とし、教室へと向かった。
朝の1コマ目というものは、なんとも覇気がない。
クラスに漂うのは気だるさ。
その一番後ろの列に横山は背負っていたリュックを下ろす。
「・・・」
隣のクラスメートは名前も知らない。
話しかけた事もないし、話しかけられた事もない。
「・・・」
ややあって、チャイムが鳴り担任が入ってくる。
担任が出席を取り終え、口を開く。
退屈な授業の始まりかと思いきや。
「えー・・・そろそろ席替えをしようと思う」
クラス全体がざわめく。
授業が潰れた事の喜びやら、めんどくさいやらと色々な言葉が飛ぶ。
横山は最後尾という都合のいい席から離れると思い、うなだれた。
隠れて何かをするには絶好の場所であったのだが。
「じゃあ、くじ引きで決めるぞ。あと、前の席を希望する者は?」
数人が手をあげ、それ以外の者の分だけクジが作られた。
スムーズとはいかないまでも、時間内で終わらせるべく迅速に動く。
一時間もしただろうか。
横山の引いた番号は奇跡ともいえる確率で同じ場所となった。
「・・・」
発表される番号と席の場所。
それぞれが手にしたクジにしたがって移動していく。
特にする事ねもない横山は机にふせっている。
「一番、後ろかー。ラッキー」
隣に誰かが座る音。
ふと目をやれば女性。
「・・・」
名前は知らない。5人いる女性の誰かだ。
再び横山は机に体を預け、目をつぶる。
と。
「あ、ナッちゃん、そこじゃないよー」
ピクリと横山の肩がふるえる。
祥子の声だ。
「ここが6番でしょ?」
隣の声。
「ナッちゃんは9番じゃないの?」
「あ、これって反対?」
ゴソゴソと隣で動く音。
マヌケな女だ。
それを口に出す事もなく、やがて横山は浅い眠りに入っていった。
キーンコーン・・・
「・・・」
横山が目をさましたのはチャイムの音。
同時にクラス委員が起立、とかけ声をかけた。
「・・・」
薄く目を開けて、横山は立ち上がる。
おざなりな礼をして着席。
イスにかけていた上着からタバコを取り出し、立ち上がろうとした時。
「あ、これからヨロシクねー」
隣からの声。
改まって挨拶されるのも珍しいなと思いつつ。
横山は軽く会釈をして。
「・・・」
この時ばかりは、その名前を口に出さなかったのは奇跡だろう。
そこに座って自分を見上げていたのは斉藤祥子だった。
「ああ・・・よろしく」
横山はつとめて平静に答えた。
対戦で鍛えた平常心に感謝しつつ。
「タバコ? うわ、HOPEってキツいやつじゃないの?」
「・・・慣れれば別に」
「慣れるって、ヘビースモーカーなの?」
「・・・わりと」
「ふぅーん。私もジュース買いに行く」
「・・・」
祥子が立ち上がり、バックからサイフを取り出した。
「・・・」
「行かないの、7階?」
「・・・ああ」
横山は先だって歩き始めた。
9階にある教室から、階段を使って7階へ。
1コマ目のあとという時間もあってか、まだ人は少ない。
これが昼過ぎともなれば、人混みと充満するタバコの煙でいっぱいになる。
自販機の前で祥子が止まり、金を入れる。
「やっぱミルクティよねー」
「・・・」
祥子が自販機から缶を取り出した後。
横山は金を入れて迷わず、コーヒーのブラックを選んだ。
「ブラック? よく飲めるねー」
「・・・甘いのは・・・」
「あ、そうだよね。男の人って甘いの苦手な人が多いもんねー」
「・・・」
そして横山は手近のベンチに座り込み、タバコをくわえる。
「よいしょっと」
「・・・」
なぜか隣に腰をおろした祥子。
不思議そうな視線を向けていると。
「なに? 私の顔になにかついてる?」
「・・・いや」
横山はくわえていたタバコをしまい直した。
さすがに女性の横で吸う気にはなれない。
「あ、気を使わなくてもいいよ」
「・・・」
「ホント大丈夫だよ。慣れてるし」
「・・・」
慣れている?
頭に疑問がかすめつつ、横山は再びタバコをくわえ直した。
「・・・」
煙を静かに吐き出しつつ、横山はいつも通りだった。
少なくとも外見は。
その内心はおだやかとはとても言えるものではない。
会話をしなくてはならない。
何か興味を引くような話題を探さなくては。
ただでさえ暗い自分。その上、無愛想では祥子も退屈するだろう。
それにこんな機会は、もう二度とないかもしれないのだ。
「あ、横山君ってさ」
「・・・」
話題は祥子から振られた。
高まっている鼓動を無視するように、横山は視線を向けて。
「・・・」
いつも通り、無口の応答をする。
「そう、それそれ。すっごい無口だよねぇ」
「・・・」
スバリと言う祥子。
横山は別段、無口というわけではない。
会話を初めとして、コミュニケーションというものが苦手なだけだ。
「珍しいよね、今時の男の人にしては」
「・・・」
何を言えばいいのかもわからない。
少なくとも嫌われているというわけではなさそうだ。
現時点では。
これで自分がただ陰気な性格とわかれば、愛想をつかれるだろう。
「なんかカッコイイよねー。もしかして狙ってやってるとか?」
ヒジで脇腹をつっついてくる祥子。
あと二、三回これを続けられたらピヨリ確定である。
「・・・別に」
「だよねぇ。なんか嘘とかつけそうにないし」
対して祥子はよくしゃべる。
終始、笑顔でニコニコとしている。
そんな中で流れる時間は早い。
横山の時計は、休憩時間終了の一分前を指していた。
「・・・戻ろうか」
「あ、もうそんな時間?」
祥子もまた自分の手首の裏に目をやる。
女性らしい、小さな時計。
「しゃべってると、時間経つのって早いねー」
「・・・」
祥子が思う以上に、横山は時間の流れを早く感じていた。
2コマ目から、横山の生活が変わった。
授業の80分間、ずっと祥子が隣にいるのだ。
終わりのない電刃波動拳をブロッキングしているような感覚。
いつもならば教師の目を盗むように雑誌を呼んでいる横山だが。
それすらもできない。
ゲーム系の雑誌。一般人はゲーマーとオタクとの区別はない。
これこそ、横山が最も恐れているものである。
祥子に「オタクなんだぁ」とでも言われれば、その威力はスト2ダッシュ時代のアッパー昇竜に匹敵する破壊力を持っている。
「ふぁー・・・」
仕方なく真面目に授業を受けていた横山。
その横で祥子が小さな口を大きく開けて、アクビをする。
「眠いよー・・・寝たいよー・・・」
「・・・」
いっそ眠ってくれと願う。
そうすれば、少しは楽になる。
「ねぇ、横山君」
「・・・」
不意に呼びかけられ、視線を向ける。
あくまで自然に。驚きを隠して。
「マンガとか持ってない?」
「・・・」
つまり、退屈をまぎらわせる何かか。
確かに横山のリュックの中にはいくつかのモノがある。
ゲーメストコミックの「RYU −FAINAL−」。
スキルスミスの解説書。
エリア88の一巻(愛蔵版)。
友人に貸してくれと頼まれていた、あすか120%の小説。
その他もろもろ。
趣味を露呈するようなモノばかりだ。
この中から何を差し出せというのだろうか?
「・・・」
しかし祥子の頼みを無下にする事はできない。
横山は悩みつつ。
かろうじてジャンルが「一般」であろうエリア88を取り出した。
「・・・」
対する祥子の反応は。
「あ、聞いた事ある、このマンガ」
興味津々といった具合でのぞきこんでくる。
エリア88は男の物語である。
横山はこれを何度も読み返し、何度も涙しているのだ。
信頼、友情、裏切り、生と死、そして愛。
ストーリーを思い出すだけで感動がよみがえる。
それも一瞬の事。
「じゃ、ちょっと貸してねー」
渡すさいに触れた細い指先。
それだけでシン・風間が横山の心が追いだされる。
否。EX大足を食らったように、見事に吹き飛ぶ。
「・・・」
受け取った本をさっそく開く祥子。
「だからここのfor文は・・・」
教師の声は、どこか遠い所から聞こえてくるようだった。
授業が終わり。
礼をし終えた後。
「はい・・・」
祥子は半ばまでいったエリア88を名残惜しそうに差し出した。
「・・・」
「面白いね、これ」
「・・・貸そうか?」
「ホント!?」
「・・・」
「ありがと! 明日、持ってくるからね!」
今日の授業はこれで終わりである。
祥子はいそいそと本をバックにしまい込んだ。
どうやら廊下で友人が待っていたらしい。
「じゃあね、また明日ね!」
「・・・」
手を軽く振って、祥子は教室を出ていった。
無言で見送っていた横山も上着を着込み、リュックを背負う。
いつもの場所で待っている。
永島の約束とのがある。
横山は周りと同じように、教室を出た。
「・・・」
学校を出て、しばらく歩く。
ちょうど駅と学校の中間に位置する場所だ。
地下一階にあるゲームセンター。
重いガラスのドアを開け、下へと続く階段を降りていく。
「・・・」
耳を叩く有線とゲームミュージックは波音のように心地よい。
そして女性がたしなむ香水のように、微かに漂うタバコの煙。
その中の一点を目指して横山は歩を進める。
たどりついた対戦台。
画面の中では隠しカラーのケンが暴れている。
永島だろう。
横山は顔を会わせることもなく、コインを入れる。
「・・・」
リュウを強Kで選択。SAは真空。
これだけで永島は相手は横山だと悟っただろう。
「・・・」
対戦が始まる。
どちらも手の内を知り尽くした間柄だ。
フェイントすらフェイントとならない。
勝負を決めるのは偶然性とミスをしない事。
ややあって。
「・・・」
2−3のカウントで横山は席を立ち、反対側へ移動。
「よっ」
「・・・ああ」
「やっぱり悩みがあると調子が出ないようだな」
「・・・言い訳はしない」
「そう言うと思ったぜ」
軽く笑う永島。
ライバルの潔さと無骨さ。
それが快いようであり、嬉しいようであり。
その後、何人かの乱入を一蹴し、ギルステージへ。
「横山、メテオストライクってブロッキング成功したか?」
「・・・まだだ」
「だよなぁ、無理くせーよ、コレ」
画面ではケンが四発目をブロッキングした次の瞬間、空に舞い上がる。
炎と氷に包まれながら。
「ん?」
と、台の向こう側に誰かが座る気配。
複数だ。
「乱入か」
「・・・」
キャラセレの画面。カーソルが行ったり来たりを繰り返す。
時間切れにより、ユリアン。
さらにSAの選択もとどこおっている。
「素人か?」
「・・・多分な」
と、横山が何気なく反対側へと目をやった。
「・・・」
「どうした?」
「・・・」
「おい、もしかして?」
「・・・その通りだ」
複数の乱入サイドは女性達。その中には祥子の姿があった。
気まぐれで遊びに来た、その偶然が交差してしまったのだ。
「どうする?」
「・・・?」
「ワザと負けてやってもいいぞ」
「・・・」
横山は首を振る。
「そうか」
それ以上、永島は何も言わなかった。
やはりユリアンの動きは素人以上のものではなく。
「・・・」
永島はブロッキングを封じ、目押しを控えて闘った。
日頃ならば絶対にヒットしない攻撃にも当たり。
はた目にはギリギリの勝負を演じる永島。
そんな芝居も幕を閉じ。
「あー、負けたぁ!」
反対側から女性の声が飛ぶ。
それなりに楽しんだ様子だ。
「・・・すまん、永島」
「気にすんな。初心者イジメの趣味は俺にはないよ」
無論それだけでない事は、横山もわかっている。
友情というヤツだろう。
やがて祥子達がプライズの方に消えていくのを目で追う。
祥子はただ友人達の後ろをついていく。
やはりゲームに興味はないようだった。
自分と祥子との境、それがつきつけられたようでもあった。
続く・・・
ノベルトップへ戻る。
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